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第23譚 - 春

「大変大変! 大変よ清香!!!」


 

 今日も鷹野家は大層賑やかである。

 


 ふえぇ……! と半泣きで食堂に駆け込んできたひなが、ひなあられを手にした清香を居間へと引っ張っていく。


「どうされました? ひな様。雛人形の髪でも取れました?」

「こここ怖いこと言わないで清香! 違うの! 見て!」


 そう言ってひなは、居間に飾られた雛人形の隣に添えられた花器の花にさっ! と手を向けた。


「くまさん(に見立てた花)の耳の蕾が開いて……ねずみさんに……!!!」


 なんということでしょう……! とわなわなと震えるひなに、思わず固まる清香。


 ふ――……、と息を吐くと、さっと踵を返し、廉の前のテーブルにひなあられの乗る皿を置いた。


「廉様、甘酒飲みます?」

「飲む」

「ああっ! 清香聞いていませんね!?」


 もう! と頬を膨らませてぷんぷんと訴えながら清香にくっつくひなの手を、廉はぐいっと引いた。

 その身体がすっぽりと廉の腕におさまる。


「れれ、廉様――」

「ねずみさんも、可愛らしいですよ」


 ま……とひなは頬を染めた。


 廉の脚の間におさまりながら、それもそうですわね……とぽりぽりとひなあられを食べるひな。

 その居間と続くサンルームの先で庭の手入れをしていた伸夫が、鼻に手を当てうずくまりながら、くまさん……? とふるふる震えていた。


「……ちょ…………え? やば……ひなさん、まじ……? かっわ……尊すぎやば……! 俺鼻血吹くかと思った……!」

「伸さん、ひな様の前で鼻血吹いたら出入り禁止にいたしますよ」

「誰だよあいつ」

「廉様、かの有名な杉本植木屋の伸さんをご存じない!?」

「だから誰だよ」


 鼻血吹くって何だ、と廉はひなをぎゅっと背後から抱き寄せた。




 ままままま! と真っ赤な顔を両手で覆い、ちっちゃく丸まるひなに、尊っ……!!! と鼻を押さえて思わず顔を背ける伸夫。

 さっきから人の嫁に向かって何言ってるんだてめぇ……! と伸夫を睨む廉に、ひとのよめ!!! とひなが目を大きく見開きわなわなと震える。

 

 何これどういう状況……? と見かねた清香が、すっとサンルームへ向かう。


「……ひな様の素を見るのは初めてでありましたか」

「いや想像の遥か上を行く破壊力……――」

 

 呆れたような顔の清香が、サンルーム前のテラスに甘酒とひなあられを乗せたトレーをすっと置く。

 はたとそれに気づいた伸夫は、清香を見て頬を染めると、目を細めた。


「ありがとうございます、清香さん」

「……いえ」


 適切な距離、適切な距離……適切な距離とは……? とやや険しい顔をして考え込む清香を見て、伸夫は嬉しそうに口端を上げると、お言葉に甘えまして、と甘酒をくいっと口に含んだ。


 そこでふと、置かれたひなあられを見て、何かを思いついたようにわずかに目を見開く。

 伸夫は、ぱっとひなへ顔を向けた。


「ひなさんって、もしや、今頃の生まれで?」


 はて? とひなは顔を上げた。


 

 ふと廉もひなへ視線を落とした。

 

「……そういえば、いつ? お前の生まれ」

「確かに今頃……3月と、聞いております」

「ああ、それで『ひな』?」

「それは違います!」


 きりっと廉を見るひな。


「以前、清香に――」




『それにしてもなぜ、お姉様たちが「とき」「うずら」という鳥の名をいただいたのに、私だけ「ひな」というふわっとした名になったのでしょう……?』


 お母様も「すずめ」、おばあ様も「つる」ですのに……とひなは不思議そうに首をかしげる。

 ふむ……と清香は神妙な顔をして腕を組み、手を顎に当てた。


「……私が従事中に小耳に挟んだ話なのですが……」

「清香、知っているの?」

「子は生まれてすぐ『おぎゃあ』と泣く、ということはご存じでしょうが……ひな様はおぎゃあではなく『ぴよぴよ』と泣いたとか……」


 なんと! とひなは目を丸くした。




「――と」

「…………」


 思わず固まる廉。ちらっと清香へ視線を送る。


「……違うよな?」

「そうだったら非常に可愛らしいと私が思った次第であります」

「なくもねーなとか思ったじゃねーか」

「ひな様にすっかり染まっておりますな」


 そんなわけないじゃないですか、と口に手を当ててぷっ! と吹き出す清香に、いらっ! と顔を歪める廉。

 

「こいつの奇天烈な言動の半分は、あんたの仕業じゃないのか?」

「さもありなん……」

「さもありなん、じゃねーよ」


 どーしてくれんだ、と呟く廉。

 どうです? すごくないです?? と瞳を輝かせているひなを見下ろすと、思わず失笑を漏らした。


「なわけねーだろ」

「なななんと!?」


 5年来信じて止みませんでしたのに……!! とわなわな震えながら清香へ悲しげな顔を向けるひなに、3人一斉に吹き出した。


 廉はふと、1月にひなが自分の生まれの祝いをしてくれたことを思い出す。

 すん……と真顔でひなあられを食べながら、ぴよ……と呟いているひなの頬を、むにっとつまんだ。


 えっ!? と振り返るひなに、廉はふっと笑みを向けた。


「じゃあ祝いに、新婚旅行でも行きますか?」

「えっ!?」


 ぱあああ……!!! と、ひなの表情がみるみる輝いた。





「……着いた――!!!」


 ひゃ――! と両腕を掲げる宗一郎を見て、目を瞬かせる修吾。


「待て。何でお前がいる、宗」

「それはお前もだ、修吾」


 何でいる? と廉は修吾の肩をがしっと掴んだ。



 青々とした葉が木々に広がり、色とりどりの花が街を色彩豊かに染め始める3月の終わり。

 

 いざ温泉地を目指して鉄道を乗り継いできたひなたちは、目の前に温泉街の広がる駅に降り立った瞬間ばったりと居合わせた修吾たちに、はたと固まった。

 ほのかに香る温泉特有の香りと至る所から立ち上る白い湯けむりを横目に、ひなはぱちくりと目を丸くしたのだった。


 

 はあ? と顔を見合わせる男衆を前に、文子が可笑しそうな笑い声を漏らす。

 その隣では、感極まるあまり口に手を当てたひなが、きらきらきらきらと全力で瞳を輝かせていた。


「ななな……何という偶然……何という奇跡に次ぐ奇跡なのでしょう……!!! これこそ、気運のもたらす奇跡の巡り合わせ――」

「なわけねーだろ……!!! ……おい、どういうことだ」


 ギン……! と修吾と宗一郎を睨む廉。

 ふむ、と修吾は腕を組んだ。


「文子から、『ひなさんから新婚旅行に行くという話を聞いた』と聞いて」

「僕は、直接ひなさんから聞きまして」


 さっと同時に清香へ顔を向ける修吾と宗一郎。


「清香さんに詳細を聞いた」

「清香さんに詳細を聞きました」

「だと思ったよ」


 やっぱりあんたか……! と清香を見ながら震える廉に、はて、と清香は目を丸くした。


「何をおっしゃいます廉様。私は新婚旅行に行くのかと尋ねられましたので……日程、目的地、乗車いたします鉄道、宿泊する宿、をお伝えしたのみでございます」

「どこの隠密だお前は」


 少々諜報活動の経験がありますゆえ、とにやっと目を細める清香に、まあなんてすごいの清香……!!! と目を輝かせるひな。

 なわけねーだろ、と思わず突っ込む廉に、3人は思わず笑い声をあげた。


「廉様!!!」


 きゃわ!!! と高揚して頬を染めたひながぴょんと廉にくっつく。


「何だ」

「わくわくといたしますね……! 何と楽しそうな旅行でありましょうか……!」

「そりゃよかったな」

「はい……!」


 そわそわと身をよじらせるたびにふわふわと揺れるワンピースに、おや? と宗一郎が目を向けた。


「ひなさんの洋装、そういえば珍しいですね」

「確かに。普段は和装の印象があるな」

「ええ、何と春らしいお美しいワンピースでしょう! お帽子も何とモダンな……!」


 文子がそううっとりとひなを見つめると、まあ! とひなは嬉しそうにふわっふわっと若草色にピンクの花を散らした可憐なワンピースを揺らした。


「そそ、そうなのでございます……! これは、記念すべき新婚旅行へ行くということで、私に合うものをと仕立てたのでございます……!」


 いかがです廉様! とくるっと回るひなを、わずかに頬を染めてじっと見つめる廉。

 ちょい、と(つば)の広い帽子に乗るチューリップの飾りに触れると、ま……、と廉を見上げ頬を染めるひな。

 今度は胸元のリボンをひょいと持ち上げる。途端に、ままま……! とひなの目が大きく見開かれる。

 にや、と笑みを浮かべながら小さくスカートをつまみ上げる廉に、ま!!! とひなは思わず赤い顔を両手で覆った。


(かわいいんだな……)

(かわいいんだろうなぁ)

(廉さんべた惚れですわね)


 修吾、宗一郎、文子がそっと心の中で突っ込む横で、ふふふ……! と清香がどや顔を廉に向けた。


「食べてしまいたいほどに可愛らしくありましょう!!?」

「腹立つなその顔!!」


 何と申しましても、この私が見立てましたのでね! と不敵な笑みを廉に向ける清香に、あんたも旅行に浮かれてんな……? と呆れたような顔を向ける廉。

 ほんと面白いなぁ……とひなを巡る廉と清香の謎の攻防をしみじみと眺める3人であった。


 


 よっ、と修吾はボストンバッグを持ち上げた。


「まあ、俺たちは療養で来ているだけだから、そう対して行動を共にするわけでもない。まあ、夜酒にでも付き合ってくれればそれでいいから」

「真顔で何言ってんだ? お前」


 新婚旅行で来て、何でお前の酒に付き合わないといけねーんだ? と呆れた顔を向ける廉。


「僕も寂しいんで、夜顔出しますね」

「お前は帰れ、宗」

「ひどい廉さん!!!」


 わあわあと言い合う男衆を尻目に、しゃっ! とひなは清香の腕にしがみついた。


「きき清香!!!」

「はいひな様」

「…………」


 もじもじと恥じらうと、こそっと清香の耳に口を近づける。


「な、なかなかうまくいかないわ……!」

「!」


 困ったように頬を染めてちらっと清香を見上げるひな。


 それは、この新婚旅行へと旅立つ少し前――




 ひなの化粧部屋。

 ばん! と1枚の半紙を壁へ貼り付けるひなに、清香はぱちぱちと目を瞬いた。


「……何ですそれは? ライオン?」

「もう……! 清香は目が悪いのですか? これは温泉の絵にございます」

「…………なるほど?」


 昨日ささっとしたためたのでございます、と告げるひなに、それはそれは大層絵心がございますことで、と清香はやんわりと濁す。


「よいです清香!?」

「はい、ひな様」

「思えば私が廉様と…………その………………えと……正真正銘の夫婦……となりましてから、何と言いましょうか…………私ばかりが、ままま! と廉様に胸を高鳴らせてばかりであるように思うのです」

「…………?」


 何やら話が入ってこなかった清香は、えーと……と頭を抱えた。


「……ええと……つまり、ひな様と廉様が夜を共にするようになってから、ひな様1人がどきどきされっぱなしであるのが癪に障る、ということですね?」

「癪に障るとは言っておりません」

「あら」


 赤い顔でむうっ、と口を尖らすひなに、多分廉様の方が格段にどきどきしておられると思いますがね、とそっと心の中で突っ込む清香。


「私は知らなかったのでございますが……指南書にも書かれていなかったのですが、なんと! 夫婦というものは、夫に尽くし喜ばせなければ飽きられてしまうというのです!!!」


 なんということでしょう!!! と声を荒げるひなに、清香は思わず固まった。

 それ多分違います、と目を丸くする。


「…………ひな様?」

「はい?」

「その知識はどこから?」

「新聞の投稿欄でございます」

「……なるほど」


 どう訂正していいか決めあぐねていると、ひながもじもじと身をよじり始めた。


「こんな私のことを、とてもすすす好いて下さっている廉様を……私も、もっと喜ばせて胸を高鳴らせてあげたいのでございます……」


 これ以上どきどきさせたら廉様死にませんかね? と清香はひなの突飛な発想に再び固まる。


「そこで! 新婚旅行かつ温泉という非日常の場は、廉様をどきどきとさせて差し上げるのにうってつけだとは思いませんか清香!!!」


 言っていて恥ずかしくなったのか、後半一息でそう捲し立てたひなと清香がはたと見合う。

 清香はえー……っと……、と一瞬目を泳がせた。


「(何をどうなさっても多分廉様はどきどきなさると思いますが、何か面白そうなので)よいと思います」

「さすが清香ね!」


 さあ何をしたらいいかしら!? まずは服かしら!? と息巻くひなに、何をどうなされてもご自身(主に夜の夫婦生活辺り)に返ってきますが大丈夫でございますか? とそっとひなの身を案じたという。




 ――こうして。


 謎の気合いとともにこの新婚旅行へやって来たひなであったのだった。


 清香の腕を掴みながら、もじもじと身をよじりスカートをふわっふわっと揺らすひな。


「また私ばかりが、ままま! と赤くなってしまったわ……」

「…………その仕草を廉様になされたら、イチコロであると思われますが」

「えっ?」


 わずかに頬を染めた清香とひながきょとんと見合う。

 ふっ、と清香は微笑んだ。


「……まあ、まだまだ旅行は長いですゆえ。この旅行を機に夫婦の仲を深めようというのはとてもよいことだと存じます。今から清香は先に宿へ赴き荷物を置いて参りますので、ゆっくりと廉様と向き合ってみては」

「まあ……ありがとう清香……!」


 清香の想いも背負って頑張ってみるわ……! とぐっと拳を握るひなに、絶対に面白いことになる予感しかいたしませんな……と、清香は内心笑いを堪えていたという。


 かくして、波乱(?)の新婚旅行が幕を開けたのだった。

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