第16譚 - 想
わさっと草と飾りの紙が擦れる音に、おや? とひなはもみの木を見上げた。
明らかに近づいてくる大きな影に、はっと息を呑む。
咄嗟にひなは手に持つガラス玉を守るようにきゅっと握りしめると、ぎゅっと固く目を伏せた。
「ひな――」
廉が思わず声を荒げたその時――
どす!!! と鈍い音とともに、傾きかけていたもみの木がすんと元の位置におさまった。
えっ、と目を見開いて固まる皆。
すると身を挺して木を跳ね返した清香が、手をさすりながら、ふ――……、と息を吐いた。
「……驚きましたな」
「まあ、さすが清香ね!」
おやひな様! ひな様がクリスマスツリーのようになっておられますが! ともみの木から落ちてきた飾りをめいっぱい乗せているひなを見て目を丸くする清香に、まあ……なんて素敵なのでしょう……! とふわっふわっと回って見せるひな。
(……喜ぶところか?)
(なぜ……あんなにも普通なのかしら……)
(ひなあいつ、巨木3本倒れてきても動じなかったからな……)
(というか、清香さんほんと何者です?)
そんな2人の様子を見ながら、皆しばし呆気に取られて動けなかったという。
「ひなさん清香さん! 大丈夫ですか!? 本当に申し訳ありません……!」
慌てて駆け寄る文子に、清香はすっと軽く頭を下げた。
「いえ文子様。ツリー上部をしかと紐で括っておられることはこの目で確認済みでございましたゆえ、ご安心なされませ。私が対処せずとも完全に倒れることはなかったと思いますが……つい咄嗟に」
「は……はあ」
「清香ったら……すぐ身体が動くのだから!」
「あまりに傾いてしまいますと、戻すのに少々力を要しますので」
そう言いながら清香は、是非クリスマスツリーと化したひな様に飾りつけをなさってみては、とすっと文子に金平糖飾りを手渡した。
まあ文子さんが! では乗せやすいよう手を掲げておきますわ! とささっと両手を前に出すひなへ、それはおねだりしている様にしか見えませんひな様、と清香が笑いを堪えながら突っ込む。
文子も安心したように笑いながら目を細めると、ひなの手の上にそっと優しく乗せた。
お供え物のように手の平にちょんと置かれた金平糖飾りを、ひなはきらきらと見つめた。
(金平糖……! 私に飾られたということは、私が食べてもいいということでしょうか……!? はっ! こういうところが子供のように見えるのでは……? そっとこのまま私に飾りつけておくべき……? で、でも……目の前の金平糖を食べないなど、親鳥が運んできたお食事を雛が食べないも同じですわ……そんなこと絵空事ではございませんか!?)
きらきら、はっ! すん……、ぷるぷる……、キッ! と百面相のように表情を変えるひなを、すごいころころ変わるな……、と眺めている廉。
するとひなが、おや? と目を瞬き、もみの木の足元にたたっと駆け寄った。
ん? と廉もわずかに目を丸くする。
まあ……と小さく感嘆の声を漏らしたひなは、すっと黒いレースの手袋を外すと、もみの木をさすさすとさすった。
「ひな?」
廉の声に振り返ると、ひなはにこっと微笑む。
「気の悪戯だったやもしれませんね。クリスマスに、気も浮かれているのでしょうか?」
廉様もひなツリーに飾りつけは如何ですか? と笑うひなに廉はふと、一抹の不安がよぎった。
(何かこいつ……妙に気の悪戯に遭わないか?)
神社で御神木の気を払った際も今回も、ひなに向かって木が倒れてきたことに廉は違和感を覚えた。あまりにも慣れたような動じなさも『清香ったら……すぐ身体が動くのだから!』という言葉も、妙に廉の胸をざわつかせた。
(……考えすぎか?)
廉様? ときょとんとしたひなの顔にふっと目を細めると、床に落ちた赤いリボンの飾りを手に取った。
すっと近づくと、ちょんとひなの頭に乗せる。
「……攫われたりしないで下さいよ」
「金平糖をですか?」
「子供か」
きゃ――!!! と思わず頬に手を当てるひなに、廉は意地悪そうな顔でひなの手の紙包みからひょいと金平糖をつまむと、自身の口に入れた。
修吾と文子の自動車で送るという申し出を断り、ピンと張ったような冬の夜の空気の中、酔いを醒ますようにひなたちはゆっくりと歩いていた。
風もなく、はあと吐く息が白く立ち上る。
その先でキラキラと光るガス灯の明かりに、遠くから響いてくる鐘の音が合わさり、ひなは、なんてクリスマスなのでしょう……! と思わず呟いた。
何だそれ、と少し前を歩く廉と宗一郎と、ひなの後ろを歩く清香が同時に吹き出す。
それには気にも留めず、ひなはうっとりと今日の祝宴を思い出していた。
皆の弾む会話に笑いの絶えないきらきらと明るい応接室。沢山の可愛らしいお菓子に、見た事もない大きくてサンタクロースの砂糖菓子の乗ったケーキ。
その1つ1つを思い出すたび、ひなの口から漏れる感嘆の息とともに空気が白く染まった。
「クリスマスとは、かくも幸せなものなのですね……!」
ひなの恍惚感溢れるため息にも似た呟きに、思わず笑みを漏らす皆。
ランラララランラン、とくるみ割り人形の旋律を小さく口ずさみながら、ステップを踏んで進むひな。
前で酔ってふらふらしながらステップを踏むひなに、妖精のようですなあ、と清香は思わず目を細める。
くすっと笑いを漏らす宗一郎の横でやや視線を泳がせながら歩いていた廉が、さっ、と振り返る。
すると、すん、とすました顔でしずしずと歩き出すひな。
「…………」
廉が前に向き直ると、またひなはランラララランラン、と小さく口ずさみ、ステップを踏む。
さっ、と再び振り返る廉。すん、とすました顔でしずしずと歩き出すひな。
その瞬間、あははは……! と宗一郎が堪えきれず大声で笑いながらしゃがみ込む。
廉は困ったような顔をひなに向けた。
「ひなさん、おかし……!!!」
「何で振り返ると止めるんだ……!」
「えっ? なな……何でございますか? 私はちゃんと廉様の少し後ろを慎ましく歩いておりますわ」
そう視線を泳がせ、笑いを堪えながら答えるひなに、むっとした顔でひなの腕を引いた。
「きゃ……」
「横でいいだろ……!」
はわ……! と瞳を輝かせるひな。
夜、一段と煌くひなの瞳を廉は見つめると、引き寄せたい想いをぐっと堪え、名残惜しそうに手を離す。
「俺が見えるところで踊ってくださいよ」
「よよ……よろしいのですか……?」
「もちろん。好きにしてください」
「――!」
顔を見合わせる廉とひな。ぽ、とひなは頬を染めると、大層嬉しそうに、廉の好きな華やかで艶やかな笑みを弾けさせた。
祝宴の余韻に浸る音楽を口ずさみながら踊るひなに、廉は見惚れた。
締めつけられるような胸の痛みに、わずかに目を細める。
誤魔化すようにははっ、と笑うと、高揚した目でひなを見た。
「音楽の才能はなさそうですねぇ」
「えっ……」
まるで音程の合っていない旋律を思わず突っ込むと、ひながぴたっと動きを止めた。
ぷっ、と小さく吹き出す清香。
その瞬間、宗一郎の笑い声が再び夜空に響き渡ったという。
「――なんと楽しい祝宴であったのでしょう……! 式を挙げた日の祝宴を思い出しましたわ……!」
その日の夜。
夫婦の寝室のベッドにちょこんと座るひなは、宴の余韻醒め止まず、酔いも相まって饒舌だった。
「でも少しばかり文子さんは控えめであったように思えましたが……未だ体調が優れないのでしょうか? 帰り際、気を払ってくださいと仰られましたので、そっと手に触れてなどみましたが、失礼ではなかったでしょうか……? ああ、そうそう! なんと、宗様からの頂き物とお渡しした物が全く同じチョコレートボンボンでございました! 何という偶然でしょう……! 先生宅にはもしや、同じチョコレートボンボンが2つ――」
ベッドの縁に座り、静かにひなの話を聞いていた廉は、遮るように口を塞いだ。
軽く合わせるように触れると、すっと顔を離す。
はわ……とひなは頬を赤く染めた。
夜会の夜、初めて口づけを交わしてから、夜寝る前のこの1度の口づけは、夫婦の就寝のあいさつのように日課となっていた。
もじもじと恥じらうように小さく身をよじるひなは、ふと気づいた。
(も……もしや……これも、愛しい我が子へ落とすキスのような――!?!?)
チルチルも母に抱きしめられ、頬を寄せられていましたものね――!? と見当違いな発想に、1人でショックを受け固まるひなを、不思議そうに見つめる廉。
「ひな」
甘く名前を呼ばれ、どき! とひなの心臓が大きく跳ねた。
「は、はい廉様……」
「……もう一度、いいですか」
「も……」
思わず言葉に詰まってしまったひなに、ふっと笑うと、廉はひなに再び顔を近づける。
「あの……廉様待って……まっ……ま、待ってくださいませ!!!」
ばしーん!!! と廉の顔に手に持っていた箱を思いきり叩きつけるひな。
廉は思わず、いっ……!!! と顔を押さえて項垂れた。
「あああ……すす、すみません廉様……! つい咄嗟に!」
「いやそんな……あからさまに拒否――」
そう言いかけて、ひながちょんと抱えている桐箱に目をやった。
「…………」
どき! とその視線に気づいたひなが、耳まで真っ赤に染める。
少しだけ視線を泳がせると、すっと廉の前に差し出した。
「廉様。いつもありがとうございます。ほんのささやかな……おき……お気持ちなのでございます」
噛んでしまいました……と小声で呟くひなに思わず笑みを漏らすと、そっと差し出された桐箱を受け取る廉。
蓋を開いて中を見ると、その中身は濃茶の柔らかい革手袋だった。
おずおずと照れたように恥じらうひなを見て、無意識に廉は嬉さを滲ませ目を細める。
「……寒いのが……苦手と」
「俺の妻は、大層目配りのきいた良妻ですねぇ」
「妻……」
不意を突かれたひなは、思わず瞳を潤ませた。
目を丸くして眉を下げきゅっと口を紡ぐひなに、何ですその顔、と廉は小さく吹き出す。
ひな、とまた小さく呟いてその顔に顔を近づけると、ぴた、と一度動きを止めた。
身構えていたひなは、えっ、とその顔を窺う。
「……嫌と言うなら、しませんが」
せめて口で言ってもらいたいのですが、と困ったように廉が眉を下げると、ひなの脳裏に先ほど箱を叩きつけてしまった瞬間が浮かび、はっ! と目を見開いた。
「嫌ではありません!!!」
「……――!」
廉は、はっと息を止めた。
はっ! 私ったら……! と食い気味で声を荒げてしまったひなは、思わず口を手で覆う。
その反応に眉を下げたまま笑う廉。
愛おしそうな顔で口の前の手を優しく取ると、ゆっくりと唇を重ねた。
未だ噛み合いそうで噛み合わない2人のすれ違う想いが聖夜の空気に溶け、わずかだけ絡んだ夜であった。
そして翌朝――
植木屋と清香の指示で、てきぱきと運び込まれる巨大なもみの木をぽかんと眺めるひなと廉。
「…………早くね?」
「さすが清香! 仕事が早いですわ!」
「クリスマス終わったけどな……」
「はい。クリスマスも終わりということでして、かなりの安価で譲っていただけたのでございます」
「まあ大変! 上の方の飾りは、立てる前に飾るべきではないでしょうか!?」
「おおひな様、学習しましたな!」
「……褒められています?」
「もちろん」
そう言って、どん! と清香は木箱を床に置く。
文子様から飾りをいくつかと金平糖飾りを全て頂いてまいりました、と淡々と告げる清香に、まあまあそれはたくさん飾りつけませんとね! と息巻くひな。
廉様! 赤いリボンもございます! と頭に乗せるひなを見つめながら、廉は小さくため息を吐いた。
「……子供か」
くそ……可愛いな……、と微かに頬を染めながら、思わず本音を漏らしたという。




