第15譚 - 聖
街の灯り、行き交う人々、そこに流れる空気全てがきらきらと光輝き、不思議と期待感や至福感に包まれる日――
(今日は、九条邸宅での内々な祝宴……! 少し……ほんの少しだけ……くだけてもよいかしら……! このドレスなんていかがでしょう? それとも、元地味令嬢な私ですが、微力ながらこの特別な夜に華を添えるため、こちらの華やかなドレスでしょうか?)
どきどき……とドレスを手に取りながら、期待に心踊らせるひな。
ひなは、この日をとても心待ちにしていた。
す――……、と慣れた手つきでアイシャドウを塗っていく。
(少しくっきりと……華やかに……! なな……なんと申しましても……今日は…………クリスマス!!!)
きゃわ!!! と身をよじるひなに、ひな様、アイシャドウが髪を染めておられます、と清香は淡々と告げ、ひなに冷静さを取り戻させたという。
化粧を終えたひなは、ぱっと用意をしていたカクテルハットを手に持った。
ひなの髪についたアイシャドウを丁寧に拭いていた清香は、おや? と声を漏らす。
「今日は久し振りにカクテルハットでございますか?」
はっ! と思わず目を見開くひな。
あわあわと視線を泳がせると、気まずそうにおずおずと清香を見た。
「そそそ……そうなのです」
「廉様にふさわしい華やかな女性を目指して、髪飾りにすると宣言しておりましたのは、ひな様では」
「ああの、そうなのですけれども……隠れ……ではなくて、えとえとえと……えと」
必死に上手い言い訳を考えていると、はっ! とひなは気がついた。
(これって……期待していると思われ……――!??)
わなわなと握りしめると、そのカクテルハットと見合う。
(決して期待など!!! 期待などではありません!!! カクテルハットの方がよいとおっしゃられたので、それではと! ではそういたします、と!! それだけなのでございます!!! 期待に胸を膨らませているわけでは断じて――)
「……ひな様」
「はい清香!!!」
「心の声が、駄々漏れでございます」
何を期待しておられるのですか? ときょとんとした顔を向ける清香に、あら? と目を瞬くひなが、はたと見合う。
「……私ったら……!」
うっかりしておりました……! と頬に手を当てるひな。
見事に惚けておりますな……さすがはクリスマスですな、と清香は妙に納得すると、セイヨウヒイラギの造花をカクテルハットのバラにそっと添えた。
――そして。
「廉様!!!」
どうぞ、と声が掛かるとほぼ同時に、ひなは微かに顔を赤らめながら、廉の部屋に駆け込んだ。
きゅっと襟元を整えていた廉が、ふっと笑みを漏らす。
「今日のドレスはいかが――」
そう息を巻くひなが言いきる前に、ちゅ、と廉は唇を重ねた。
「……――――!?!?」
ゆっくり顔を離すと、にや、と笑みを向ける。
「――……いいと思います」
「……!!? ……なな……なななな!?!?」
「ご期待に添えましたか?」
悪そうな笑みを浮かべ、カクテルハットにちょんと触れながら小首を傾げる廉に、顔を真っ赤にして固まるひな。
ぷるぷると震えると、思いきり顔を背けながら、添えました!!! と内心叫んだのだった。
あははは! と、聖夜の九条邸宅を取り巻く空気に、高らかな笑い声が響いた。
「雪うさぎで夫婦喧嘩するご両人、さすがですね……!」
「あのひなさんを前に、よくそんな悪戯できたな」
「お前ら、雪うさぎの面倒みろって言われたことあるか?」
「多分ですが、廉さんが世界で初めてじゃないですか?」
廉、宗一郎、修吾がいつものようにグラスを片手に談笑を交わす、その横。
天井まで届く大きなもみの木を前に、瞳をこれでもかと輝かせ、ふるふる震えるひなが、はああ……! と感嘆の息を漏らしながら見上げていた。
「……なんですか……このデパートに飾られているような夢のようなクリスマスツリーは……!!!」
森部家のものは、私の背丈にクッキー缶を乗せた程しかありませんでしたのに……! と目を瞬かせる。
うふふ! と文子が楽しそうに、もみの木の横に置かれた木箱からガラス玉やリボン飾りをひょいと取り出した。
それらをすっとひなの手に乗せると、ひゃわ……! とひなの頬が染まる。
「ご一緒に飾りつけをいたしましょう?」
「ななななんと!?」
よいのですか……そのような大役を私が……!!! と震えているひなに、もちろんですわ、と文子は微笑む。
「清香さんも、ご一緒に」
「いえ文子様、私はひな様へ飾りを手渡す係りに徹しますゆえ、お気になさらず」
「あら、そうですか?」
「ああ、徹するといえば……」
隣で談笑していた宗一郎が、ひなたちに顔を向けた。
「清香さんのその帽子は一体?」
あ、それ突っ込んでいいやつだったの? と皆の視線が清香の頭に乗る、白いファーのついた赤い三角帽に向いた。
「サンタクロースさんにございますわ!」
うきうきとガラス玉を飾っていたひなが、替わりに答える。
その横で、清香も頷いた。
「はい。ひな様とクリスマスを過ごす際には、毎年こうして被っているのでございます。少々西洋の文化を嗜んでおりますゆえ」
「お前、それ適当に言ってるだろ」
「あら! 廉様今更お気づきに?」
「腹立つな言い方が」
廉様意外と阿呆ですな、とほくそ笑む清香に、いらっ! とする廉。
その横で、あら今日も仲良しですわね、とほっこりしながら、ひなはリボン飾りを丁寧にもみの木に乗せた。
しばらくして――
じと……、ともみの木と睨み合っているひな。
「……何でしょう……こう…………調和といいましょうか……? 全体の釣り合いが、まるでとれていない気がするのは、私の空目でありましょうか清香……」
「いえひな様。僭越ながら申し上げますと、ひな様の背丈が少々足りていないからであるかと思われます」
「まあ、大変!!」
盲点でしたわ!!! とひなはまるで飾られていない上部に目を向けた。
その思わず開いた口に、背後からキャラメルがコロンと放り込まれた。
そのとろけるような甘さを噛み締めると、ひなは頬を染めて振り返る。
「廉様……」
「真剣ですねぇ。飾り師か何かですか」
そう言いながら、廉はリボン飾りを持つひなの手にそっと手を添える。
どきっ、とひなの息がわずかに止まる。
そのまま廉はするっと飾りを取ると、大きく手を伸ばした。
何も飾られていないもみの木の上部に、リボン飾りが添えられる。
「俺を放っておくほど、楽しいのですか」
「……はい……楽しいです」
「…………」
楽しいのか……、とひなを思わず見下ろす廉。
むっとした顔で、キャラメルで膨らんだ頬をつんとつつく。
はわ……とすぐ赤くなる頬に、ははっと笑みを漏らした。
「したこと、ないんですか?」
「はい。森部家では、飾りつけはお母様とお姉様たちでしておりましたから……! 私は、その祝宴にすら、参加したことはありません」
「!」
廉の目が、わずかに見開かれた。
その表情を見たひなは、思わず手を横に振る。
手に持つ紙包みの飾りがシャカシャカと音を立てた。
「あ、えと! 参加したかったとか、そういうことではございませんよ! 清香とは、毎年それはそれは面白可笑しいクリスマスを過ごしておりましたので!」
「そういえばひな様廉様。我が家にはクリスマスツリーは用意なされないのでしょうか?」
清香の言葉に、おや? と目を瞬く2人。
「……すっかり……」
「忘れてたな……」
あははは! と話を聞いていた皆が思わず吹き出す。
なんと……! とひなは思わず口に手を当てた。
「私としたことが……失念しておりました……! 九条邸宅でのクリスマスの祝宴のことが頭を埋め尽くしておりましたゆえ……!」
「何かすまんな」
「ひなさんの事だから、絶対ホールを貫くほどのクリスマスツリーを用意されてると思ったのに!」
「やめろ宗、それがいいって言い出すから――」
あらなにそれ素敵ね……! と宗一郎を見て目を輝かせているひなに気づく廉。
思わずその目をさっと覆う。
その横で、では明日手配いたします、と清香が頭を下げた。
「廉様! この金平糖の入った紙包みの飾りを、家でもたくさん飾りたいです……!」
「いやそれ子供用じゃないか……?」
ひなと廉のやりとりを見ていた文子は、くすっと笑みを漏らす。
「仲睦まじいことですわ」
「ほんとですよねぇ。夫婦らしいといいますか」
頷く宗一郎。
すると、え? と廉が思わず振り返る。
「いや、子供の世話だろこれは……」
「こっ……」
ひなは言葉につまった。
まあ! と文子も思わず目を丸くして口に手を添える。
金平糖飾りねぇ……、と呟きながらまたテーブルへ戻っていく廉を、ひなは呆然と見つめたのだった。
(子供……)
すん……と真顔で、もみの木にちょん……と紙包みの金平糖飾りを乗せているひな。
もみの木の枝の隙間から、修吾や文子たちと談笑する廉が視界に入り、きゅっ、と胸が締め付けられた。
「……ひな様。廉様が子供と申されたのは、妻として見られないというわけでは――」
「はい。わかっています、清香。私のわがままで夫婦となっていただいたことも、私が変わり者令嬢であるということも」
ひなは、滲みそうになった瞳を慌てて瞬き、清香に笑みを向けた。
「――よいのです! 私は廉様の隣に立って廉様が恥ずかしくない女性になりたいと、決めたのでございます! それがまだ、足りないというだけなのですから!」
今はこっそりと髪を伸ばしているのですよ! と赤い絹のリボン飾りを頭に乗せて笑うひなに、清香は困ったように息を漏らすと、そっと微笑んだ。
グラスに口をつけながら、じっと清香とはしゃぐひなに視線を向ける廉に、修吾は内心ふっと笑う。
「隣に来て欲しいのなら、そう声をかけたらどうだ」
「!」
ぱっ、と廉は修吾を見た。
「いや……思ってねーけど」
「そうか」
「毎日散々一緒にいるんだぞ」
「一緒にいるのか」
「…………」
しまった、というような顔で気まずそうに視線を泳がせる廉。修吾は呆れたように小さくため息をついた。
「お前も細かいことを気にせず自由に……というか、もう少し、ひなさんに思っていることを言ったらどうだ」
はた、と廉は動きを止めた。
「…………言って…………ないように見えるか?」
「見える」
――その時。
パキパキ、と木の軋む嫌な音が2人の耳に届き、廉と修吾は同時にはっと顔を上げた。




