砦の様子
「キルン王国に侵攻した後、出来るだけ国民に被害が及ばないようにしたい。兵たちの略奪、破壊行動は認めない。それを徹底させてくれ。破った者は厳罰に処す」
そう皆に通達してから、イクリスはふと考えた。
やはり聖騎士団員は遠征軍に加えたほうがいいかもしれない。
「セレウス殿。規律を守るためにも、聖騎士団員を遠征隊に加えたい。いくらかこちらに回してもらえるだろうか」
「全員でも、どうぞ。バイエルの首都に近い三国の内、敵はキルンのみ。バイエルの大部隊を突破して、キルンがここまで来るとは思えない。私の役目は、民の不安を鎮める事のみだと思っている」
「ああ、そう言えばそうだ。その役目にセレウス殿とケインが居れば、それだけで十分かもしれない」
結局、聖騎士団員は全員遠征軍に加える事になった。
次の日は王都中がバタバタしていた。王都から各領地への伝令が走り回り、近隣の駐屯地から騎士や兵が王都に向かって、集まって来る。招集された兵の数は7万余りだった。
その軍勢は、ちょうどセレウスたちが休憩をした空き地に、集合していた。あの空き地は、有事に兵を集合させる場所だったのだ。
先発隊は一万に決まった。とにかく早く兵を供給しなければならないので、国王軍の一部と、領地が近い家門からの兵とをまとめて、国境の砦に送ることになった。
場内はもちろん大騒ぎで、人々が早朝から夜中までずっと、準備に走り回っていた。
ロマンは二日間徹夜で、食料部隊の指揮をとった。
料理番たちがバタービスケットを大量に焼き、テーブルに積まれたそれを、駆り出された女性達が小分けにし、荷馬車に積み込んでいった。
王都内のパン職人たちは、大量のパンを焼き続け、食料の調達班は、保存の効く生ハムやジャーキーを片っ端から集めて回った。
◇◇◇
アダムを大将とした先発隊は、二日後の昼過ぎに、華やかに出立した。
歓声に包まれ、軍はゆったりと進んだ。楽隊も同行していて、威勢のよい音楽が流れている。その様は華やかで頼もしげだった。そのため、軍を見送る民衆の様子も晴れやかで、悲壮感はない。
アダムは先頭を進み、初めのうちは落ち着かなげだったが、すぐに慣れて堂々として見えるようになった。後ろに、いかにも軍団長という様子のルーザーを従えていれば、見る者の目も変わって来る。それにつれて、本人の様子も変わって行った。
ルーザーの後ろにはカイルがいた。通常彼は、存在感を消しているが、この時は全く様子が違っていた。騎士らしく華やかに装っている。その彼が軽く手を挙げて、沿道にいる誰かに挨拶した。
ルーザーがそちらに目を向けると、二十代後半の美しい女性が手を振っていた。
「あれが、お前の妻か?」
「そうだよ。もう帰りたくなってきた」
「美人だな。年上の女か」
「7つ上だ。でもかわいらしいんだよ、マリアは」
マリアは,、色っぽい感じの美女で、可愛らしいというようなタイプには見えなかった。
「お前にとっては、可愛らしいのだろうな。おめでとう。今度食事でもしよう。いや、結婚祝いのパーティーだな」
カイルは頷いた後、彼女の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。
都市部を抜けた後は、進軍の速度を速めた。春の気候の良い時期で、天気も良いので、距離が稼げる。
二日目の途中で、次の伝令と出会ったので、砦の様子を聞くと、現状は睨み合いで、硬直状態らしい。ただ、敵の人数が多いため、もうすぐ矢が尽きそうだと言う。
それを聞いて、更に速度を早めた。
二日目の夜には、ロマンが追加で入れてくれた荷を開けてみた。
「ロマン隊長からの伝言です。大したものは入れられないが、腕によりをかけて、力が出るように工夫した。これ以上は、後の荷を楽しみにしていてくれ、だそうです」
「何を積んでくれたんだ?」
「菓子の類です。ビスケットや木の実、干した果物などです」
疲れた体に、甘味はありがたい。アダムが、これをいつ使おうかとルーザーに相談してきたので、今がいいと言っておいた。
「行軍中盤の今、配りましょう。気分転換と、疲れを癒すのにもってこいだ。後は砦への差入れです。ロマンのことだから、次の荷は豪勢ですよ。期待してください」
「兵站の食料担当の男か。彼に絶大な信頼を置いているようですね」
「すぐに分かりますよ。彼は魔術師みたいなものだ」
ルーザーは、笑った。
「特にイクリス様に対しては、とびっきりの物しか出さない、という徹底した男です。一緒の部隊にいたかった」
そう言って、ルーザーは溜息をついた。しょげたルーザーの何ともユーモラスな様子に、アダムも笑い始めた。
そして、追加の荷の三分の一を開け、全員に配るよう命じた。
味など不問の携帯食を食べ終えていた皆が、一口食べて騒ぎ出した。
ビスケットが、とんでもなく美味しいのだ。アダムも驚いて、ルーザーに説明を求めた。
「これだけでも分かるでしょう。後続隊は、もっといいものを食べながら来るんだ。腹が立つ」
「もっといい物、の想像ができないよ。何にせよ、合流するのが楽しみになった」
ペイル伯爵領に着いたのは、出発してから四日後だった。
まずはアダムが、二千人を率いて領主の館に向かった。
事前に伝令を走らせていたので、待っていたらしく、すぐに伯爵本人が出迎えに出てきた。
四十絡みの細身の男で、鋭い目をしている。緊張した面持ちで前に進み出て、アダムに挨拶した。
「アダム殿下。お久しぶりでございます。この度は迅速に兵を出していただき、ありがとうございます」
「前回の小競り合いの時以来だから、5年ぶりかな。防衛ご苦労。途中で伝令に行きあったが、矢が足りないそうだな。今は、どんな状況だ?」
「激しい攻撃が数回あり、その後2日間は沈黙しています。間が開きすぎな気がします。次の攻撃が大きくなりそうで、防ぎきれないかと危惧していたので、援軍が誠にありがたい」
そう言って、後ろに居並ぶ兵たちを見て、目を輝かせている。
「これは先発隊の一部だよ。残りは少し離れた場所にとどまっている。敵の油断を誘うために、兵の数を隠すことになっている」
「先発隊ですか。何人の部隊なのですか?」
「一万だ」
「先発隊だけで?」
「このあとに本隊と支援部隊が来る。今回はキルン国を手に入れるつもりなんだ。イクリス様が、そう決めた。伯爵もそのつもりでいてくれ」
「砦を維持できるか悩んでいたのに、突然話がひっくり返ったような気分です。本当ですか?」
アダムは二千人の兵を伯爵に預けた。伯爵は自分の騎士団に命じ、疲れている兵と交代させるよう指示してから、アダムの後に従った。
二十分ほど歩いた先の、林の向こう側に、残りの八千人が整列していた。無駄な私語もなく、ピシッと立つ姿は、軍隊として最高に望ましいものだ。
伯爵は驚きの目で、軍勢を見渡した。
ルーザーが声を掛けると、兵たちは伯爵に向き直った。
それからアダムが改めて、軍の副指揮官としてルーザーを紹介した。
「ペイル伯爵殿。ご高名はかねがね伺っております。私はイクリス様の従者で、ルーザーと申します。先発隊の副指揮官として、アダム殿に従っております」
突然の王権交代で、現状では、挨拶も立場や地位の紹介もややこしくなる。
そんな中、ルーザーはいつも自身をイクリスの従者として自己紹介している。だが一介の従者と言うには、押し出しが立派過ぎ、違和感があると周囲からは言われる。
伯爵はルーザーをしげしげと見て、おおらかに合わせた。
「見事に軍を統制されておりますね。いや、感服しました」
伯爵は、貴族院の会議に出席していなかったので、まずは政権交代の経緯から聞かせて欲しいと頼んだ。ルーザーは軍の隊長を集め、指示を出してから伯爵に向かい合って、砦の責任者に対する報告を行った。
「一万の兵をここに野営させます。武器や携帯食を運んできましたので、そちらの担当者に取次き゚をお願いします。兵は全員、すぐに戦場に立てる状態です」
伯爵が、慣れた様子で、請け負った。戦い慣れしているので、軍の扱いも手慣れている。
お互いにやりやすい相手だと見て取り、ニッと笑い合った。
「この後、後方支援隊がいくつかと、本隊がやってきます。軍の規模を相手側に悟られないよう、ご配慮願います」
「心得た」
ルーザーがカイルを呼んだ。
「彼が敵陣に潜入します。良いルートはありませんか。かなりの無理が利く男ですから、通常は難しいルートでも提案してください」
「崖を登って山を降りれば、敵陣の後ろに回れますが、見つかりやすいかもしれない。反対側の渓谷に降りて、川沿いに出たほうが紛れやすいでしょう。どちらもかなり険しいルートで、一般人が通らないので、満足な道はありません」
カイルは考えてから、両方を実際に見て決めますと言い、出掛けて行った。




