イクリスとしての登場
「じゃあ、イクリスでいいよ。やんちゃな黒ヒョウのカーンから、大人しく牧場で草を食む、馬のイクリスに交代する。何処か直したほうがいいか?」
アイラはぐるっと一周眺め回し、髪をゆるく結わえ直し、眉を撫でて整え直してくれた。
それから汚れたジャケットを脱がせ、シャツのボタンをきちんと上まで留めてから、マントを着せかけた。
そして頬にキスした。
ぎょっとして後ずさると、アイラが満足気に微笑んだ。
「イクリス様なら、そうでなくちゃ。その嫌そうな顔、ゾクッとします」
なんて奴だ。カーンの時は必死で守ろうとしてくれたのに、イクリスになった途端にからかい始める。
だが、この感じは懐かしかった。イクリスになっていた当時は、いつもこんな雰囲気だったと思う。イクリスがゆっくりと馴染んできたような気がする。
そのまま、ミラと他のメンバーに会いに行くと、ワッと取り囲まれた。
「イクリス様だ。また会えるなんて。マーガレット様にお手紙書かなくては」
そういえばミラはイクリスを気に入っていたな、と思い出した。他のメンバーも、誘拐事件当時、一緒に動いたので、懐かしげだ。
たまにこういうのもいいが、状況が重いときにだけイクリスになるなら、今回を最後にしたい。
「皆、久しぶりだね。カーンを家に帰して、この先は私が受け持つよ。さあ、王に会いに行こう」
集まっている民衆をかき分け、セレウスの所まで、結構な苦労をしながら進んだ。
民衆を散会させようと、城から出てきた兵が集団に加わり、更に人が密集してきている。ルーザーの、押してもびくともしない力が無ければ、その中を進めなかったかもしれない。それほど、前方は密集していた。
その密集地の中に、ぽっかりと広く開けた場所があった。セレウスの居る場所だ。周囲を聖騎士が取り巻いているとはいえ、見事にその周辺だけがぽかっと開いている。
彼はもみくちゃにして良い存在ではないのだろう。
ありがたく、その空間に飛び込んで一息つくと、アイラが気遣わしそうに、イクリスの髪を直してくれた。
その途端に、横にセレウスが現れ、アイラをひったくった。
「お前は誰だ」
「え、あ~。イクリスと申します。カーンの兄です。噂を聞いて、様子を見に来たのですが、戦っている所に出くわしました。カーンは状況報告のため、ブルーネルに戻らせました。大まかな状況は、彼から聞いています。ここまで歩く中で、ブルーネルの者達からも色々と聞きましたので、この先はカーンの代わりに、私が引き受けます」
セレウスはじっとイクリスを睨んでいる。カーンが別人の振りをするのを怪しんでいるのか、本当に別人として怪しんでいるのか、判断がつかない。
ちらっとアイラを見ると、アイラが首を振った。
「セレウス様。この方はカーン様の兄上です。誘拐事件の解決のために、ここに居るブルーネルの騎士達と一緒に働きました。皆、久しぶりに再会したところなのです」
セレウスは、それでもきつい目でイクリスを見ている。
「アイラの目が、カーン殿を見る時と違う」
アイラが、しまった、という顔をしている。
「アイラは、カーンは守ろうとするのに、私のことはからかって遊びます。対応は以前から違っていましたね」
ミラが、間に入って取りなした。
「イクリス様の方が大人だから、接し方は違いますけど、どちらも大切な主君です。イリス様含め、我々が敬愛する方々なのです」
ミラにしては、まともな事を言ってくれた。
それでセレウスは一応納得したようだが、アイラは離さなかった。
今からの王族との対決に、最側近のアイラは傍に置きたいところなのだが、この状態では言い出せない。
「ところで、誘拐事件とはなんだ」
セレウスが面倒な事を言い出した。これにどう答えるかは、イクリスにしか決められないだろう。聖騎士達を少し遠ざけてもらってから話し始めた。
「数か月前、イリスを狙った誘拐事件が起こりました。バイエルのある組織の犯行で、それを我々が秘密裏に解決しました。この件は彼女の評判の為にも、内密に願います」
嘘ではない。ややこしい諸事情を省いただけだ。
しかし目に見えてセレウスの顔色が変わった。
「イリス様はご無事なのか?」
ここでごまかしても、後が大変そうだし、そう言えばセレウスはイリス神から、イリスに仕えるよう言われているのだった。それについて、イクリスはまだ半信半疑だ。
それでも、ある程度の経緯は打ち明けておいた方がよさそうだった。
「実は犯人が人違いをして、別の令嬢を攫ったのです。それに気付く前に人質を奪い返しました。だから、大丈夫です」
「だが、イリス様を狙った事が許せない。犯人は捕まえたのか」
真実を彼に話すか否か、イクリスは迷った。
「犯人は突き止めました。私たちは、許すつもりはありません。犯人を知ったら、あなたはどうされますか」
「裁く」
セレウスは明快に答えるが、この先の話をしてもいいのか迷う。彼はバイエル王家の者だ。彼自身は身分を捨てるとしても、それとバイエル王家に対する思いは別だと思う。
イクリスは、セレウスの目を見つめて聞いた。
「バイエル王家に害が及ぶ可能性がある人物でも、あなたは裁けますか?」
「気遣う必要はない。事情は知らないが、他国の令嬢を攫う人間に、正義があるとは思えない」
どこまでも正しい。それなら、腹をくくって打ち明けようと決めた。
「二十年にわたってレンティス王家に対し、王妃が謀略を仕掛けていました。イリスの件も、その内の一つです」
さすがに意外だったのだろう。セレウスが驚いている。
王妃は、第二妃に押されて静かに過ごしている、大人しい人物だと思われているのだ。これを聞いても、信じようとしない者は多いだろう。
「王は、アダムは知っているのか?」
「王も、アダムも知りませんでした。王妃の配下の組織が秘密裏に動いています。ただし、その者たちはいたる所に入り込んでいます。教会組織にもいるし、国王軍には隊長レベルで30人いると言っていました。今回の襲撃で十数名は減ったでしょうけどね」
「国王軍が来た事自体、おかしいと思っていた。私の知る王は、あんな行動はとらない。王妃はなぜ君たちを襲ったのだ」
「王妃配下の要の男を拉致してきたので、彼らはそれを取り返そうとしました。アダム殿下は尋問の場に居合わせたので、先ほど全てを知ったばかりです。ただ、アダム殿下の側近が情報をもらし、それに失望して、カーンはアダム殿下も見限ったそうです」
セレウスが溜息をついた。彼らしくない行動だ。
アイラを抱きしめ、しばらく背中を撫でていた。それからアイラを離して向き直った。
「あの親子は、良い人間だが甘いところがある。だが、すぐ身近で起きている悪事に気付かず、知ってもなお止められないとは、王族としての心構えまでもが甘すぎる。身内として詫びを言う」
イクリスは黙って頷いた。
低い唸り声のようなものが響いてきて、そちらを見ると、いつの間にかケインがこちらに近付いて来ていた。民衆がまるで大きな有機物かの様に、膨らんだり縮んだりしながら移動している。その様は、人間の原始的な本能を刺激し、見る者を引き込んでいく。低い唸りはケインに見入っている民衆の喉から発せられていた。
イクリスは、誰にともなく、あれを見るな、耳を貸すなと忠告した。以前に見た布教の様子とは迫力が違う。引き込まれては、大変困った事になるだろう。
「あれは、ケイン殿か? いつもと様子が全く違う。よくアイラにふざけて突っかかっているケイン殿か?」
セレウスの驚きようを見て思い出したが、ブルーシャドウのメンバーの力は異能レベルだ。つい慣れてしまっていたが、取り扱い注意は、メンバー全員に言える事だった。
「ブルーシャドウは、アイラと同様に、一般の枠を超えた者の集団です。ケインは人心操作と、医学と薬品の扱いに長けています。演技をしていない時は、全く印象を残さないのも特殊能力ですね」
それは非常に大きな戦力だ、とセレウスが感心している。
城の門が開き、アダムが兵を率いて出てきた。
真直ぐにセレウスを見つめてから、隣に立つイクリスに目を移した。すぐに目をすがめて見直している。
イクリスは、丁寧に腰を折って挨拶した。
アダム達が、ゆっくり近付いて来た。
迎えるこちら側は、敵対する気はないので、静かに待っている。ケインの集団も、アダム達が出てきたのを機に、動きが止まっていた。
「これは一体、どういうことですか」
先にアダムが声を発した。それに対し、セレウスが涼しい声で淡々と答えた。
「国王軍が私に従って来た民衆を戻せと言って来たので、連れて戻ったのだ。その際、私を拘束しようとした者達数人を、振り払った」




