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公爵令嬢イリスをめぐるトラブル : 恋を知るまで  作者:
第一章 敵国バイエル王太子からの求婚

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司祭長セレウスという男

 その日の夜、きっかり八時に司祭長がカーンを訪ねてやって来た。

 彼を、城の侍従が丁重に案内している。その対応からは、とても敬意を払われているのが、見て取れた。

 彼はダニエルから聞いた通り、フードを目深に被って、顔を隠している。先程から、来訪を聞きつけた侍女達が、無意味に周辺をうろついていた。これでは女性の視線が煩わしくもなるだろう。


 部屋に通されると、フードを下ろした。脱いだコートを侍従が受け取り、腕にかけて下がっていく。アイラは部屋の奥に隠れていて、なぜか出てこない。


 驚くのは彼の風貌だった。綺麗、としか表現できない。繊細な細工物のようだ。銀色の髪と水色の目という淡い色調が妖精を連想させ、幻想を見ているような気分になってくる。

 カーンはしばらく呆然としてしまったが、そんな態度に慣れているのか、気にした様子もなく挨拶をして、用件のみを簡潔に告げる。


「アイラから頼まれて、騎士を救いに来た」


 口から生まれてきたような司祭が多い中、珍しく寡黙な質のようだ。アイラは、聖騎士だろうと言っていたか、とカーンは思い出した。

 彼は気配を消して立っていて、隙が無い。これは強い、そして危険。そう考えると、アイラと釣り合う男だと納得できた。


「ご足労いただき、ありがとう御座います。騎士は医務室にいます。今から向かってもよろしいでしょうか」


「承知した」


 そう言った後、部屋を見回し、アイラが隠れている方に移動した。カイルの若い獣のような素早さとは違い、流れるような、重さを感じさせない動きだ。

 アイラを見つけると、まるで人形のように軽々と、片腕に抱きかかえて戻った。


「降ろしてくださいませんか。セレウス」


「嫌だ」


 カーンは目の前の状況に頭が混乱していた。精霊のように美しい司祭長が、子供がぬいぐるみを抱えるように、アイラをブランと抱えている。

 アイラに説明を求めようと近づくと、司祭長が、その分退いた。


「セレウス、私の主人です。仕事に差し支えることはしないと、約束したでしょ」


 アイラにたしなめられた司祭長は、シュンとして彼女を降ろした。困惑顔のアイラに、カーンは声を掛けた。


「アイラ、後で話し合おうか」


 今は何も考えないことにした。




 司祭長を伴い、医務室に入ると、皆が待っていた。ケイン達も施術の様子を見たいと、忍び込んできている。


「こりゃあ、また綺麗なのを連れてきたな」


 ケインが呟いた。いつものように、軽口を叩かないのは、司祭長の強さが分かるからだろう。

 ややこしい事になる前に、さっさと部屋に案内し、ケインのみを招き入れた。

 司祭長はアイラの手を離さないので、もちろんアイラも一緒に部屋に入る。ケインが目で尋ねてきたが、目を瞑って首を振っておいた。


「この女性ですね。では、一言も話さず黙っていてください」


 そう言うと、ミラの額に指を当てた。反対の手はアイラの手を握ったままだ。

 何か唱えながら目を瞑り、その姿勢のまま動かなくなった。


 なぜかアイラも同様なのが不安だった。まさかミラを導きに行くのに、アイラまで連れて行ったわけではと考えたが、すぐにそれを追いやった。そんな危険な事をするはずがないと思ったからだった。

 ケインと目が合ったが、どうやら彼も同じ事を考えているようだ。


 カーンは、また考えるのを放棄した。とにかくミラが無事に戻ればいいのだ。他は後で考える。


 ほんの五分程度の後、司祭長とアイラのこわばりが解けた。それから少しして、ミラがうっすらと目を開けた。


「もう大丈夫だ。まずは水を少しずつ与えるように。明日の朝には、意識がはっきりとするだろう。後は本人の体力次第だ」


「ありがとう御座います。ミラはどういった状態だったのでしょう」


 カーンが聞くと、セレウスがふと微笑んだ。


「彼女は、神の庭園に座り込んでいた。帰ろうと必死で出口を探していて、ロマンの新作料理に間に合わないと、焦っていたな。神をも凌ぐ、ロマンという者の料理に、興味が湧いた」


「神の庭園ですか?」


「神に繋がる事ができるほどの、巫女の力があるようだ。今までも、人間離れした能力があったのではないか?」


 先ほどとは違い、能弁に語っている。流石に司祭長なだけあって、その姿には神々しさすら漂う。


「アイラ、疲れたか?」


 その神々しい姿で、少しふらついているアイラに、今度は私が世話をしてあげようと、甘く囁きかけている。急に雰囲気が怪しくなってきたので、カーンは仕方なくアイラに声を掛けた。


「アイラ、先の相談をしよう。司祭長様、申し訳ないが、アイラと少し打ち合わせがあります。ロマンの料理でビールでも飲んで、お待ちください」


 今夜もロマンの料理が、差し入れられている。匂いですぐに分かった。性欲には、食欲をぶつけよう。たぶんロマンの料理なら、この司祭長様でも籠絡できる。


 その読みは当たっていた。一口食べて、非常に嬉しそうに笑ったのだ。ケインとカイルが甲斐甲斐しく世話を焼き、彼の前に皿を並べ、料理を勧めている。

 二人共、相手の力量を感じ取り、敵対より懐柔に走ったようだ。勘の鋭い事で、助かる。

 今夜は、ビールのピッチャーだけでなく、ワインボトルも数本並べられている。騎士達の体調が戻り、食欲が湧いてきたのを喜んで、アダムが良いワインを届けさせてくれたのだ。


 アイラは、司祭長の横に座り、報告と今後の話し合いをして、すぐに戻ると告げている。アイラも司祭長と同じく、愛しげで柔らかな眼差しをしている。こんなアイラを見る日がこようとは、思ってもいなかった。なぜか、寂しさがカーンの胸に沸き上がった。



 アイラとルーザーを連れて個室に移動し、三人でテーブルを囲んで座った。


「おい、アイラ、あんな人物をどうするつもりだ」


 珍しく、ルーザーが怒っている。そして、珍しくアイラが困っている。

 見たことのない二人の様子に、カーンが驚いて二人を眺めていると、アイラが逆切れした。


「だって、一緒に来ると言い張っているの。それを止めるのは無理よ。止めるなら、ブルーシャドウ総がかりの死闘になるでしょうね」


「必要なら、やるぞ」


「その場合、私は彼に付くわ」


 そこまでアイラも本気だとは、驚いた。これではブルーシャドウが分裂する。それは勘弁して欲しい。


「アイラ、つまりブルーネルに伴えないなら、ブルーシャドウを抜ける気なのか?」


 カーンが静かに聞くと、アイラがシュンとして肩をすぼめた。


「ブルーネルと、レンティスにずっと仕えたいと思っています。でも、彼を手放すことは出来ません」


 彼の去就に関して、バイエルとの軋轢はどの程度になるのか、見当が付かない。今回の毒殺事件を白紙にすることで、相殺できるかどうか、だ。今こちらには、そのカードがあり、それだけが頼みの綱だった。


「アイラはその場合、バイエルに残るのかな。彼は司祭長を続けるのか?」


「いいえ、辞めると言っていました。妻帯できないからだそうです」


 ルーザーがむっつりしている。そのルーザーに向かってアイラが問いかけた。


「ルイス嬢がその立場だったら、あんただって同じ事をする。違うとは言わせないわよ」


 そう言われて、ルーザーが考えこんだ。そしてパッと顔を上げると、そうだな、と言う。ニカッと笑って、アイラにすまん、と謝った。

 これだから、この男は愛されるのだろうな、とカーンは思う。


「それでは、ご本人を呼ぼうか。彼に話を聞いてから、毒殺事件の交換条件として、アダム殿下に相談を持ち掛けてみよう。何とかなるかもしれない」


 アイラが完全に女に戻って、カーンに感謝の言葉を述べ、司祭長を呼びに行った。


「あんなアイラは初めてだよ。恋って怖いね」


「カーン様も恋をすれば、わかりますよ」


 ルーザーがにこにこしながら言う。その後、急に慌てて追加した。


「出来たら、相手はエドワード殿下であればうれしいです。それ以外の相手だと、どれだけややこしくなるか、想像するのも嫌です。もちろん強制は出来ませんけど、国が荒れるのは確実ですから」


 アイラに続き、ルーザーもエドワード押しなようだ。ふと、聞いてみたくなった。


「今のところ、イリスに求婚した知人は、エドとアダム殿下と、ミカエル君だけど、エド以外ではまずいと思うかい?」


「アダム殿下と結婚したら、バイエルを確実に乗っ取れます。悪くないですね。ミカエル君は、いい男になる。良さそうですね。まあ、エドワード殿下は壊れるでしょうけど、イリス様はそれを放っておけますか?」


「それは絶対に困る。エドには幸せになって欲しい。シモンの分までね」


「それなら、結局エドワード殿下一択ですね。安心しました」


 結論はそうなるのか、とカーンは驚いた。でも、言われてみればその通りなのだ。

 ルーザーは思考が単純で、結論に一直線の男だ。そして、大抵間違わないことを、カーンは経験上知っている。



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