不死者、異世界へ!⑧
風切り音を鳴らして飛来した重り代わりの鉄球が、高さ三メートル半はあろう『刻詠の遣い』ののっぺらな顔面に正面から見事に命中。避ける素振りも見せずモロに入る。
さしもの巨大化け物も上半身が揺らいだ――
かに見えたが、そうじゃない。
巨大化した『刻詠の遣い』も神妻と同じように、体重の乗った攻撃をしようと上体を後ろに反らせただけ。合体前にしてきたように腕を伸ばしてきた。
ただし、今回はただの拳。
ただのとは言ったものの質量に見合った豪腕。当たれば全身の骨をぐちゃぐちゃにされかねない。
そう直感した神妻は紙一重で躱して退けた。ついさっきまで自分がいた地面が、拳の力だけでめり込んだ様を見た。
「あっぶねっ……、こっちのリーチの利点が無くなった! てか、こっちは武器の特性状、このリーチでしかやれんぞ……」
やってることは神妻も『刻詠の遣い』も大差ないのに、被弾後の状態には明暗はっきり分かれる。
現に神妻の攻撃が直撃したのに効いた素振りが見えない。
一方で相手の攻撃は……当たらなくてもわかる。一発当たれば、全身バキバキのご臨終確定コースだ。
「カヅマ、こういう時に備えて鍛えてきたとか、さっき言ってなかったかしら? あと……無理でも何でもやってやる、って。
言いにくいんだけど……もしかして、もう終わり?」
「ああ、言ったよ! でも今のままだと無理だと知ったばかりなんだよ!
あと、振りだけでも良いから、もう少し言いにくそうにしてくれ……
ったく、こっちは今から作戦を考えないとなのに――」
ミユが耳の痛くなることを言ってくる間も神妻は『刻詠の遣い』から目を離さない。
「あら、わかってるじゃない。そうね、今のままじゃ無理でしょう。誰も満足しないわ」
話の最中でも敵の動きを注視することは止めない――その神妻の姿勢に満足したと言うミユと、神妻の力不足を不満だと言うミユがいる。
「――だから、私があなたを変えてあげる」
場所が場所ならピロートークに聞こえかねないセリフを平然と吐く年頃の女の子に、そんなはずないと脳が理解してるのに、神妻はついどぎまぎ動揺してしまう。せっかく『刻詠の遣い』を注視していたのにあっさりとミユに視線をやってしまうほどに。そういうのは二人っきりの時に言ってもらえたら、いろいろ燃える(萌える?)んだけど……なんて邪念が生まれるが、今はそれどころじゃないと、気持ちを切り替えて巨大化した『刻詠の遣い』の正面に再度立った。
「生憎、俺はしつこいからさ……。
一発で無理なら、もう一発だ! それでもダメなら何度でもやるだけだ!!」
先程クリーンヒットさせた時より、さらに深く神妻は竿を背後に倒す。張った胸を前方に押し出すようにして、再度オーバースローキャスティングを試みる神妻に対して、
「……その心意気は良いのだけど、それだけじゃまだ足りないわね」
誰に聞かせるわけでもなく、ミユがポツリと呟いた。
キャスティングの始動位置をアナログ時計に例えて真後ろ4時から始まり、2時まで角度を上げる最中、ふと神妻の耳に場違いなほど流暢な声が届く。
「主命を承諾しなさい」
声は女の子のもの。
当然この場にいるミユかみつのもののはずで――
2時から加速し、竿がちょうど頭上12時に到達――
女の子の声は、幼い頃によく聞いた声が声変わりした感じ……ミユのものと思われる。
なんだかファンタジーものの定番、魔法の詠唱のようなものを唱えているっぽい。神妻にミユの意図はわからない。
11時を通過――
「刻の海を刻々と泳ぐ時空の守り手、星の性差と座標を守護する夜空の守り手……」
ミユの声に続き、気になることがキャスティングの一連の動きの中で起きてしまう。
この動作中、目標をしっかり正面に見据えていた神妻だが、11時を過ぎた辺りからビリビリと何かが破けていく音が耳に入る。その時になって自分の身の異変に気付いた。
視線の高さがいつもと違う……どう違うのかというと信じられないことに、みるみる視線が高くなっていく。視界が広がっていく。
まるで身長がぐんぐん伸びていっている感覚に、神妻は自分の目を疑う。
当然、こんな不可思議なことは今までに経験したことがない。
山を出て都会暮らしを始めた五年間、成長期の最中でも1cmすら伸びてくれなかった身長が有り得ないことに、今までの成長の停滞を急いで取り戻そうとしているようだ。
この時、実は神妻の胸中に思い浮かんだことが、実際にその身に起きていたのだが気付かなかったのも無理はない。何せ一連の動作中の神妻に視覚外の変化を見落とすなというのは厳しすぎる。
異変は静かに神妻の足元から着々と起き始めていた。
慌ただしく動く状況の中でも、半分を過ぎた腕の振りを今はまだ止められない。止める時は重石を飛ばす瞬間であるべきだからだ。
「無理でも何でもやってやる……」
腕の針が10時を訪れると同時に、ミユの詠唱も終盤に差し迫っていた――
「其の方の乱れし刻と星の天秤を星刻に戻したまえ……
正しく逆行せよ――!!!」「限界を超えろぉぉぉぉぉぉ――――っっっ!!!」
目上でピタッと竿を止め振り抜いた神妻の叫びと、詠唱を終えたミユの声が重なったのはほぼ同時だった。
神妻が見逃していた足元からの異変……神妻を起点として生まれた霧状の蒸気が顔の高さにまで上がり視界を奪う。それでも竿と重りを繋いでいる糸を解き放ち、霧を裂いて凶器となった重りが標的に真っ直ぐ飛んでいく。
その様を視界に捉えたミユは、この数秒先に起こる未来がまるでわかっているかのように薄桃色の唇から感嘆を漏らした。
「よく出来ました」
すぐに糸を通して竿に伝わる手応えを神妻は噛み締めることができた。
さっきは通用しなかった攻撃が、今回はどうこう変えてみた……なんてこともなかったのに見事に効いたのだ。
巨大化した遣いの胸部をぶち抜いていた――
放たれた鉄球まがいの重りが霧を裂いて通った跡が、再び元に戻ろうと集まり、また視界を塞ぐ一つの霧と成る。
「よし! 直線上にいたんだし、相手が見えなくたって、あの大きさだ。手応えもあったし、まぁ大丈夫だろう。
……それにしても、この蒸気急に出てきたけど、いったい何なんだ?」
神妻がみつとミユを探すと二人分の人影を見つけることができたので、人影を追って進むと意外とすぐに蒸気が晴れた。不可解だが、どうやら神妻の周りにだけ発生していた……ということか。
「カヅ君、大丈夫!? ………え……ええっ!? ……カヅ君、なの? どうして、何で……ふぇっ!?」
姿を隠すほどの蒸気から無事に出てきた神妻の姿を確認したみつが、酷く驚いた様子を見せる。なんだか纏まりがない。
「へぇ~……良かったじゃない。元に戻れて。違うか……それが本来の正しい姿なのね。確かに五年前の面影があるわ。くすっ。いろいろと大きくなれたみたいで何よりだわ……カ・ヅ・マ」
「二人してどうしたっていうんだ……って、ええっ!?」
どうしたのは神妻の方だった。
なんと着ていた服が大きくなった身体に収まりきらずに破れ散っていたらしい。
しかも、困ったことに全体的に。
「え、何でどうなってんだ!? でかくなってないか、俺!?」
「ええ。大きくなってるでしょうね、それ」
「いや、指差すな! これのこと言ってるんじゃない! 女なら恥じらいをだな……、ほら、みつ姉みたいに……」
名指しされた当の本人は顔を真っ赤にして固まっていた。
ただし、視線はしっかり神妻に向けられていて、年頃らしく興味津々のご様子。
神妻は深い溜め息をついた。
「カヅマを弄るのはここまでにして、先に『刻詠の遣い』がどうなったか確認しましょうか。これ以上見てても見苦しいもの」
前半と後半……特に後半さえ無かったら、身も完全に引き締まるのになと複雑な思いをしながらも神妻は、それでもまだ危機が去ったわけじゃない状況で早く気を引き締め直すためにも、この場違いな姿から何とかすることにした。自分の名誉の為にも。
みつに預けていた自分のリュックを取り戻すように手元に持ってきて、着替え用に入れていた下着とジーパンを取り出し履き始める。
「気になることもあるでしょうが、今は集中なさい。後で聞きたいこと教えてあげるから」
「……ああ、わかった」
仕方なく意外と引き締まっている上半身は裸のまま。男だし何の問題もない。
蒸気は随分と風に流されて、視界が不自由するほどではなくなっている。
探せば、すぐに目的のものを見つけることができた。
全体が真っ暗闇な人型は、表も裏も見た目が同じな為、仰向けなのかうつ伏せなのか、まったくわからない倒れ方をしている。もしこれが仰向けの状態と言うならば、胸の辺りにポッカリと空洞ができていることになり、その中からは血も出ておらず、真っ黒い。
人であったならば、胸の骨が骨折だったり打撲だったりで、間違っても貫通して穴が空くほどのことにはならなかっただろう。神妻の力では絶対に無理だ。
大きさの割に柔らかかったこれは、間違いなく化け物と言えた。
「死んだフリとかないよな? 正直見分けつかないんだけど」
「……さぁ。でも、まぁ、消せばどっちでも構わないでしょう?」
言うとミユは、合体前の遣いを吹き飛ばしたように、何の躊躇いもなく今回もそうして除けた。
「凄い……」
非日常の連続に今日は驚いてばかりのみつ。
呆気なく化け物を倒したミユの力に驚いているのか、それとも自分より遥かに身長の高い化け物相手でも物怖じしない豪胆さに驚いているのか……、神妻はその両方だと思った。
「ああ、そうだな……。……だけど、これで終わりじゃないよな、ミユ? 約束通り全部聞かせてもらおうか」
「ええ、良いわよ。約束だしね。何を聞きたいのかしら?
約束の日のこと? この井戸のこと?
……ふふ、それとも私のこととか?」
最後のは、妖艶な仕草で神妻をからかうようにミユが言う。
ミユ曰く、約束の日は本来なら明後日立ったらしいが、神妻が今日という日を迎えるまで、たくさんの人に迷惑を掛けてここまで辿り着いた。みつだったり、途中までバスで運んでくれた運転手……。運転手に関しては命を失っている。それもこれも『刻詠の遣い』が神妻を狙ってきたのに巻き込まれてのことだ。
神妻にとって計算外だった。
実は今までも神妻は何回か遣いに狙われたことがあったが、決まって人気のない時だった。それも一体のみ。
なのに今回だけは違った。
神妻以外の人がいる場所で、一体どころか十五体も現れ……そして襲われてしまったわけだ。
予想外だったとはいえ、神妻が巻き込んだと言っても過言じゃない。
今後同じようなことを避けるためにも、神妻は知らなくてはならない。自分の身に起きていることを――
だから、ミユが提示してきたものだけじゃ絶対に足りない。
「それだけじゃ足りない。今ミユが言ったこと全部と……俺の身に起きていること全てだ!」
揺るぎのない眼差しをミユに向ける神妻。
その姿に満足したからか、まったく別の理由からか……ミユの顔が深く深く笑みを刻み、唇を上下に動かした――
「……ええ、全て話してあげる」