不死者、異世界へ!⑦
五年前、井戸の中には一人の少女が閉じ込められていた。
何故閉じ込められていたのかは知らない。
聞いたことはあるが、そのことには触れられたくないらしく、いつも話を逸らされたので、悪い気がして聞くのを止めた。
彼女の顔を見たことがない。
見たこともないのに彼女呼ばわりするのは、単純に彼女の話し方が女の子らしい女の子のものだった……ただそれだけ。
髪の色は……教えてくれた。
白に寄った銀色らしい。想像するに綺麗な気がする。
二人はいつも井戸越しに会話をするだけ。
ただそれだけの関係。
神妻には……それで十分だった。
なのに五年前、自分の命を失ったのをきっかけに、大切な時間までも失われるとは思いもしなかった……
✳✳✳
自分の腕の中でみるみる神妻の体温が失われていくのを感じたみつは、依然として残る異形を前にしても、恐怖よりも悲しみの感情に頭の中を埋め尽くされていた。流れる涙が止めどなく、みつの頬を濡らす。
「あなた、カヅマの彼女なの?」
泣き続けるみつに、神妻との関係に興味が湧いたミユが無遠慮に声を掛けた。
「……ううん……違う……。私は……カヅ君のお姉ちゃん……。……でも、本当の姉弟じゃなくて……、うう……、そうだったら良いなぁって……ひぐっ」
「――そぅ。仲が良かったのね」
ミユのそれには答えず、代わりにみつは腹の底から感情を吐き出すようにして泣き出した。
「……そんなに泣くことないわよ。カヅマはまだ生きているんだから」
「え……!?」
この時、みつは初めてミユの顔を正面から見据える。
「さっきカヅマも言ってたけど、その子は死なないのよ。ううん、正確に言うと死ねないの。
そういう呪いがカヅマには掛かっているからね。
そうね……あと一分ほど待ってみなさい。すぐにわかるわ。
……ただし、目の前の刻詠の遣いがそれまでおとなしくしててくれれば良いのだけど」
神妻を仕止めた後、動きを止めていた『刻詠の遣い』だったが、みつを次の標的にしたのか、それとも死んだ神妻をまだ狙おうとしているのか、再び緩慢な動きで歩き始めた。
だが、神妻を抱き抱えるみつと『刻詠の遣い』の間にミユが立ち入ると、刻詠の遣いのただでさえ遅い動きがピタリと止まった。
「やっぱり、まだ私は標的にはなっていないようね」
「……あ、ありがとう……。え、え~と……あなたは……」
「ミユよ。ミユ・ペルシード。
あなたは……ミツ、ね。カヅマが言っていたわ。
……さあ、そろそろ時間よ」
ミユが言う時間とはもちろん神妻が生き返るという時間のことだが、いまいち現実味のないミユの話にみつは半信半疑だった。
それも当然で、死んだ人間が生き返るなんて絶対にありえない。
如何なる生物に於いて『死』は共通のはず。
もし可能なのだとしたら、それは最早人間ではないのだろう。
わかっていながらも、みつは神妻から目を離せない。常識や理解よりも、みつの心が希望を欲していたからだ。
ミユの言葉通り――
みつの希望通り――
神妻の身に変化が現れる。
「……身体の傷が塞がっていってる……あんなに穴だらけだったのに……
ううん、まるで元に戻っていっているよう」
穿たれた神妻の身体の穴にどんどん中身が元に戻っていき、服に付着した自分の血までも対象とした。それが終わるとすぐに皮膚が覆う。その一連の流れはまるで録画した映像を巻き戻しているかのようだ。この行為を傷の数だけ繰り返すと、やがて神妻は擦り傷一つない傷付く前の姿に完全に戻った。変化が現れ始めて、わずか十数秒での出来事である。
「ぁ――」
みつの驚きはそれだけに止まらない。
穴が複数空き、傷つき破れた衣服の損傷までも、無かったかのように元通りに。
この光景はまさに奇跡と呼ぶに等しいだろう。
「…………ん……みつ姉……大丈夫か?」
「カヅ君!? それは私のセリフよ!! バカぁ……!!」
自分の腕の中にいる目覚めてばかりの神妻を、さっきまで流していた涙を拭うことも忘れて、みつは強く抱き締めた。
「大して驚いていないところを見ると、自分の身の状態はなんとなく知っていたようね、カヅマ。
もしかして寝惚けて約束の日を間違って今日は来たのかしら?」
覚醒してばかりの意識は、まるで朝起きの頭に靄が掛かっている時の億劫な状態に似ていると神妻は思った。
けれど、今回に限ってはミユの声が神妻の意識を鮮明にしていく。
「……五年後って話じゃなかったっけ?」
「ええ、そうよ。ただし、それは明後日だけどね。あと十年後も。
でも、覚えてくれていただけ良しとしましょうか」
「案外細かいのな。けど、俺もまたミユに会えて嬉しいよ」
「ふふ。しばらく見ない間に随分と口が上手になったのね、カヅマ。
こういう時、私はデレた方が良いのかしら? 定番なのよね?」
「そう言うミユは……口、わ……口調変わったよな?」
「あら……今、もしかして口が悪くなったって言おうとしたのかしら?」
キリッとしたミユの目が細まり、今もみつの胸の中に抱かれたままの神妻に赤紫の瞳が向けられる。口角が少し釣り上がったように神妻には見え、みつのおかげで温かかったはずなのに、ミユの姿に背筋が寒気に震えた。
「……この人がカヅ君が会いたがっていた人なの……?」
みつの呟きに、ミユの視線が今度はそちらに向く。
「……邪魔ね」
「え……」
ミユが右の掌をみつの方へかざすと、掌がミユの髪の色と同じ白銀に包まれ始め、
「お、おい、ミユ! 何をやろうとして……!? それ、絶対に人に向けたらヤバいやつだろ!?」
神妻の問いには答えず、代わりに口角を持ち上げると、ミユは右手を横へ振り払った。
途端、神妻たちの視界を白光が覆う――
視界の回復にはそう時間を必要としなかった。
「…………あれ? 何ともない……? ……みつ姉は!?」
動こうとして、さっきより動きにくい状況に首を傾げようとしても叶わなかった。頭が何かに埋もれていて、温かくて……そして柔らかい感触が伝わってくる。それに脈打つ音が聞こえて――
「これは……鼓動? ……って、みつ姉!?」
しっかり、みつにホールドされていた。
「みつ姉が中学の頃からデカいなぁって思ってたけど、また成長したよな……。それも圧倒的に」
「デカい? 圧倒的にって……? ……って、ふぇ!?」
赤面したみつが、破壊力いっぱいの両手張り手で神妻を押し倒した。
「いたた……、薮蛇だったか……」
倒された際に頭を軽くぶつけた神妻が、頭を抑えてすぐに立ち上がる。名残惜しいがようやく解放され自由になった首を動かしてみると……
先程までいたはずの『刻詠の遣い』が驚いたことに全て消滅していた。
神妻が四体倒したが、それでもまだ十一体残っていたはずなのに。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように、今は全て消え去っている。
否、存在はしていたに違いない。
地面には、遣いが吹き飛び粉々になったと思われる小片が消え残り、いくつか周辺に落ちていたからだ。
「……ったく、お淑やかさはどこにいったんだか……ほんとに性格悪くなったんじゃないのか?」
みつを狙う素振りを見せて神妻の慌てる様を見物……絶対に確信犯だ。
「ふふ。こんなところに何年も閉じ込められたりなんかしたら、歪むというものだわ。けど、私は満足よ。カヅマのびっくりした顔を初めて見ることができたのだから。
それとも、こういう私は嫌い?」
「……別に嫌いじゃないけど…………」
小悪魔的笑みを向けるミユ。
またもや遊ばれていると思わざるを得ない笑みだが、神妻はわかりながらも頬をうっすら赤らめ、ばつが悪そうに答えた。
「返答は30点だけど……、でも、良かった」
最後のは反則だろう――
そう思うほどに、さっきまでの悪ふざけが嘘のようにミユが眩しく見え……神妻の体温をさらに2~3℃上昇させた。
「ところでカヅマ、何を安心しきってるのかしら?
まだ終わってないわよ」
「……まさか!?」
ミユが吹き飛ばした『刻詠の遣い』がいた辺りを急いで振り向くと、遣いの残片がピクピクと小刻みに気持ち悪く動いていた。それも破片全てがだ。
「こいつら、まだ生きてたのか!?」
「違うわ。『刻詠の遣い』にそもそも生なんて概念はないのよ。
こいつらは世の摂理や不条理を処分、修正するためだけに無意識に行動し、存在しているだけなんだから」
「世の摂理? 不条理? ……それが、ここのところ俺が狙われていた理由なのか……?」
「噛み砕いて言えば、世の中からゴミを無くして綺麗にしましょうってこと。勿論この場合のゴミは――」
「そこまで噛み砕かなくて良いから……」
「あら、残念。ちなみに今の『残念』は、最後まで喋らせてもらえなかったことに対してのものと、喋り過ぎて時間を与え過ぎたことへのもので、二重の意味があったってわけ」
ちょうどミユが満足げに言い終わったタイミングで、散らばっていた小片が一斉に機敏な動きで一ヶ所に集まりだした。
スライムがまるで合体するような光景だ。
違うのは、粉々になる前と同じく人型に模した真っ黒な化け物なのだが、その大きさが段違いに違う。合体後の『刻詠の遣い』は成人男性が縦に二人並んだぐらいの身長までになった。
時間掛け過ぎたのはお前の喋りが長いからだろ!
――なんて神妻の心の叫びがミユに伝わるわけもなく……顔に出ないように気を付ける気もさらさらなかったので、案外気付かれたかもしれない。
「二人とも下がっててくれ」
神妻は竿を構え直して、二人の前へ立つ。
「カヅマが戦ってくれるの?」「ダメよ! カヅ君!!」
二者二様で二人は神妻を呼び止めた。
「みつ姉、大丈夫。なんとかしてみるから。
ミユは……正直得たい知れないけど、男が女の子の後ろに隠れて見てるだけなんて真似できないからな。俺がやるよ」
「前半はとても残念な回答だけど……カヅマ、山を出てから戦い方を学んだりしたのかしら? それともそっち方面も残念なのかしら?
言っとくけど、今の遣いはさっきまでの比じゃないわよ」
「まぁ、子供の時に生死に関わる経験したし、ミユのような超常な存在にも会えたからかな。今後何かあるかもしれないと思って、中二病丸出しで鍛えたりした甲斐があったよ。
もっとも俺としてはかっこよく剣を使いたかったんだけど。さすがに今時持ち歩くわけにもいかないからさ。それでこれってわけ」
構えてた釣竿を引き起こし、神妻はアピールして見せた。
「なるほど……。
チュウ……ニビョ、ウ? ……というのがどういう意味かは後で教えてもらうとして、カヅマのその勘は正しいわ。
これからカヅマは、たくさんの面倒事に苛まれるでしょうから」
「……気になること言ってくれてるけど、俺の方も後でいろいろと教えてもらうからな?
今はこの状況を何とかするのが先として……まぁ、これだけ大きいやつ相手に本当に通用するのか、ちょっと自信ないけど…………いや……」
言葉尻を言い終わる前に神妻は、竿のグリップに両手を添えると、竿を真後ろに大きく振りかぶり……
「無理でもなんでもやってやる!!」
釣りで言うところの基本の投げ方オーバーキャスティング……頭の真上を振り抜き、重りと呼ぶはずの鉄球が、巨大化した刻詠の遣い目掛けて、風を裂いて真っ直ぐに突っ込んでいった。




