不死者、異世界へ!⑩
朝の目覚めは掌に伝わる柔らかい感触と共に突然訪れる。
ここは布団の中。
それも神妻のではない。
美都みつ、彼女の聖域――
のはずなのだが……
神妻が姉呼ばわりしてる――、正確には呼ばされているのだが、本人ことみつ姉が困ったことに浴衣姿で同じ布団の中にいた。
隣には枕が定位置から離れ、掛け布団が乱れた布団が一つ。
つまり神妻かみつのどちらかが絶対不可侵のはずの領土侵犯を犯したわけだが……
「良かった、俺じゃない……」
心の底から安心すると同時に肺に溜まった空気を吐き出す。
その拍子に掌に収まりきらない肉の感触につい力が入ってしまった。
「ぁ……ん…………」
どうやら、みつ姉の覚醒も近いようだ。
さて、問題が一つ解決したら、新たな問題がここにきて生まれようとしていることに気付く。
神妻の手の中で暴れている肉の感触を味わえるほど密接している、この状況――、領土侵犯を犯したのがみつにも関わらず、果たして神妻の正当性は認められるか否か――
その答えはすぐに訪れるようだ。
「おはよう、みつ姉」
「ん…………おはよ……カヅ君……、……………………あれ?」
みつの顔が下から上へとみるみる赤くなる。
瞳は浮かび出た涙でキラキラと輝いており、目尻が釣り上げられ、
「カヅ君の…………バッカアァァァァ――――っっっ!!」
利き手をフルスイングした平手が神妻の頬に乾いた音を鳴らせ、見事な紅葉を作ったのだった。
昨夜、化け物退治を成し遂げた神妻たちはミユと別れた後、子供の頃に通っていた思い出深い道を歩いて村までやって来た。道中の光源は例の如くスマホの明かりだ。村に着いた時には、神妻もみつのもスマホのバッテリーが一桁になっていて危なかったぐらい。
ミユがいた井戸周辺と違って、道中は木々が月の光を遮っていたため、村が近いとはいえ都会の暗さなど比較にならないほど闇が深く明かりは必須だった。
井戸を離れる前に、ミユに一緒に村へ行こうと声を掛けたのだが、静かに首を横に振られてしまい、やむなく二人は一旦村へ向かったという経緯。
村に到着後、夜も更けており泊まる場所なんて見つけれっこない。都会ならホテルと言わず、カラオケなりネカフェでも寝れるが、ここは山奥の田舎――そんな便利なものはなかった。
だが幸いにも、ここには村の住人であるみつがいる。
今晩はみつの家に泊めてもらう流れとなった。
ただし、時間が時間だったので、みつの親に挨拶するのは陽が明けてから。みつは内緒で神妻を自分の部屋へ案内したのだった。
ミユと再び会うのは今日の夜……亥の刻と言っていたので、だいたい21時~23時。現時刻は八時なので時間はたっぷりとある。
今、二人は食卓を挟んで朝食を食べ終えたところで一服していた。
みつが不満を隠そうともせず、人差し指と中指で挟んだ紙切れを使って、ヒラヒラと扇いで自分に微量な風を送っている。
山の夏は都会ほど暑くないとはいえ、それでも肌がうっすら汗ばんでしまう。エアコンが必要なほどではないが、それでも扇風機の存在は有り難く、みつの好意で神妻の側で風を送り続けてくれている。
このみつのご機嫌を損ねた原因は、決して神妻一人のせいと言うわけではない。みつ姉ご機嫌損ね率50%は神妻が関係している自負はあるが、残り半分は違う……はずだ。
「そう言えば、夜遅過ぎたからお母さんに内緒で私の部屋で寝てもらったんだったね……。なのに、お父さんとお母さんときたら……、何で私に黙って朝早くから旅行に行ってるのよ……。これじゃ私、カヅ君におっぱい揉まれ損じゃない!」
みつの両親は夜はまだ家に居てたわけで、そうなると神妻が美都家に泊まることはみつの両親には内緒にしないといけなかったわけで、だからみつが神妻におっぱいを揉まれたのは揉まれ損じゃないわけで…………おっぱい…………
心の中で自分で口にした恥ずかしい言葉に途中で気付き、神妻の顔がみるみる赤くなる。
これらを説明する勇気は神妻にはなかったので、のぼせたような顔で遠い目をしながら、みつ姉また暴走してるなぁと、グラスに入っている冷たい麦茶を飲んで誤魔化した。
みつ姉ご機嫌損ね率残り半分の理由はこうだ――
夫婦揃って旅行に行くのは良いが、一言ぐらい実の娘に伝えてくれということらしい。至極もっともな話だと思う。
両親の書き置きである紙切れに恨みを込めて? くしゃっと握り締めてみつがゴミ箱へと捨てた。そのまま冷蔵庫へと向かう。
「……で、カヅ君どうするの?」
「どうするって、今からどうするかってことか? それとも今夜のこと?」
「両方」
冷蔵庫から冷凍したペットボトルを二本持ってきたみつが、扇風機のすぐ前に置く。
涼しい風にひんやりとした冷たさが加わって、神妻の肌にさらなる心地良さを与える。ちょっとしたエコクーラーの出来上がりである。
「あ~……気持ち良い……。相変わらず、お婆ちゃんの知恵袋的なのよく知ってるんだな。
――今夜は当然ミユのところに行くつもりだよ。俺が安心して元の生活を送るためにも、俺に掛けられた呪いは解きたい。これは絶対だ」
ミユのおかげで年相応の身体になったので、その点に関して神妻は満足している。ただし完璧ではない。神妻の身にはまだ呪いが残っている――【個別時間逆行】の呪いが……。そしてその呪いがある限り『刻詠の遣い』が神妻を襲う――
ならば、呪いは解かなければならない。
昨日のようにこれ以上、自分に巻き込まれて誰かが傷つかないためにも――
「その為にも今から準備したいと思う……異世界へ行くための」
「ん……、異世界か……。本当にあるのかな? 異世界……
昨夜のも凄かったけど、さらに現実離れしたというか……でも、あるんだよね」
寂しげに目を伏せるみつ。
思えば、みつと五年ぶりの再会を果たしたのに、次の日には神妻は別れ支度をしなければならない。みつのことを思えば、みつがそういう表情を見せるのも無理がないと神妻は思った。
けれど、これはみつには関係ないことだ。神妻の問題である。
みつを巻き込んではならない――
少しでもみつの気を紛らわそうと勤めて明るく神妻が口を開く。
「さてと……異世界ものって言ったら、急に異世界に飛ばされるのが定番だけど、俺の場合、準備する時間があるわけだ。このアドバンテージを最大限に利用したい。みつ姉、何かお勧めってある?」
「異世界ものってアニメやゲームの話だよね? 私あまり詳しくないからなぁ……、う~ん……、向こうで通用しそうな武器を持っていくとか?」
「これから行くところがどんな世界かわからないし、そもそも現代社会で調達できる武器って言ってもなぁ……。銃があれば頼りになりそうだけど……」
「日本でそれをしようと思ったら大変なことになるでしょうね」
もし実現させ、無事に異世界から帰ってこれたとしても、銃刀法違反という日本の法律が神妻を待っている気がする。そのことにみつが苦笑した後、次の案を提示してくれる。
「じゃあ、お金は? お金があれば、大抵のことは何でも叶うわ」
苦笑するのは今度は神妻の番らしい。
「みつ姉の口からそんな現実的なこと聞きたくなかったぞ……。
まぁ、真面目な話、こっちと通貨が違うんじゃないかな? 同じ世界でも国が違えば通貨が違うんだし、世界が変わるとなると尚更」
「私も真面目に話してたのに……」
心外だ、と胡桃の実に似た薄茶色のみつの瞳が訴えてくるが、神妻は必殺『見て見ぬふり』を惜しげもなく使おうと思った。
「他には……、時間的に山を降りて戻ってくる時間もないから、村にある物で考えないといけないわけか……」
ミユは亥の刻を待ち合わせ時間に指定したが、それは二十一時から二十三時と時間の幅がけっこう開いていて、ベストな時間がよくわからない。そのため神妻は念のため二十一時に行くつもりでいる。
田舎はバスの本数も少ないし、昨日の件もある……バスが正常運転してるかもわからない。何より『刻詠の遣い』がまた襲ってこないとも限らない。
今日は山を降りるべきではないだろう。
今まで『刻詠の遣い』が人の多い場所に現れたことはないので、村にいれば大丈夫と神妻は判断した。
「気になってたんだけど異世界ってどんなところだろうね?
本命はファンタジーだけど、戦国時代や大正浪漫な雰囲気のところかもしれないし……。ふふ。カヅ君がロボットに乗る展開なんかもあるかも?」
「SFか……嫌いじゃないけど、そう考えるといろんな可能性が考えられるな。俺が一番好みなのは、ケルト神話を題材にしたファンタジーものだけど――
そうか、ミユが『魔法』や『マナ』って言ってたから、俺はてっきりファンタジー系だと思い込んでたけど、そうとも限らないのか……。
くそ、昨日聞いとけば良かった」
こればかりはミユに聞かないと、どんな異世界に行くのか想像の域を出ない。
「そうなると、どこに行っても役に立つものを持っていかないと。一応、ミユに聞きに例の井戸に行ってみるけど、必ず会えるとも言えないから、準備は万端にしてた方が良いだろうな」
「どの異世界でも困らない汎用性の高いものってことね」
「そいうこと。ちょっと、久しぶりに村の中、歩きながら考えてみる。みつ姉はどする? ミユから話聞けたらスマホに連絡入れるけど」
「ん……私は用事があるから、先にそっちを片付けてくるね」
「用事って?」と神妻の視線を感じたみつが、得意気な顔をして、またしても冷蔵庫の方へ向かった。
ボウルを手にして、今度は風呂場へ。
戻ってきたみつが手にしてるのは、昨夜遅くに使わせてもらった風呂場にあった長方形の鏡。
ボウルに鏡という奇妙な組み合わせの二つをテーブルに置く。
「それ、中に何が入ってるんだ?」
好奇心に逆らえず神妻が覗き込んで見る。そこに入っていたのは、
「皮? ……これってジャガイモの皮か?」
ボウルの三分の一ぐらいまで入っているのは、紛れもなくジャガイモの皮だ。これをどうしようというのか?
「カヅ君、これ知らないでしょ? これをこうやって、こうやって……」
みつがジャガイモの皮を一握りすると、その皮を使って鏡の表面を磨き始めた。
「後は水で流したら綺麗になるわ」
そう言ってパタパタと小走りで今度は台所へ。水の流れる音が聞こえるので、みつが言った通り水で鏡を洗い流しているんだろう。
すぐに水の音が止み、みつが鏡を持ったまま戻ってきた。神妻に見えるように鏡を向け、
「ね、綺麗になったでしょ」
嬉しそうに笑顔でウインクして見せた。
「やっぱりみつ姉って、年寄りくさい」
神妻の呟きが聞こえていないのか、聞こえていない振りをしているのか――おそらく後者だろうが、
「台所のシンクも蛇口もこれで綺麗になるのよ。水垢も落ちてピッカピカ!」
気にせずに笑顔を残したまま話を続けるみつ。
「ババリアン」
今度は反応があった。みつの顔からさーっと笑顔が消える。
神妻が言った言葉は五年前まで神妻がみつをからかう時に言っていたやつだ。ファンタジー系のMMORPGにハマっていた神妻がそれに登場する職業女戦士バーバリアンとババアを足し合わせた、子供ながらの酷い幼稚な発想。
五年経った今でもみつは覚えていたようだ。
今になって思えば、言う方も恥ずかしさを覚える低俗な言葉であるが、自分という存在を忘れずにいてくれたような気がして、それが何だか嬉しくて、神妻の胸が暖かくなる。
しかし、当のみつの方は違うらしい。
年寄り扱いしても気にしなかったみつの表情が、神妻のたったの一言で今では怒気に染まっている。
これは……禁句だったのかもしれない。
「みつ姉、落ち着こう。とりあえず、その手に握ってるジャガイモの皮、離そうな? なんだか投げられそうで怖い……」
「うん。そう……これは投げつける為に用意したのよ」
「いや、違うだろ!」
丁寧に丸められた皮が今にも神妻に飛んできそうだ。過去の経験談だが、あれは肌に当たるとヌルヌルして、ちょっと気持ち悪い。
完全に神妻の自業自得だが、みつの御機嫌を損ねてしまった以上、時間を置かないと面倒そうだ。幸い神妻には異世界へ行く準備をしないといけないという免罪符がある。
「え、と、悪い。時間も有限だから、村で準備してくる」
怪訝そうにするみつだが、免罪符を使われては事が大事なだけに黙るしかなく、不服そうに神妻を見送ってくれた。
みつも用事があるらしく少しの間、家を出るとのことだ。
こうして二人はそれぞれのやるべきことに向かって美都家を出たのだった。もちろん、みつはジャガイモの皮を片付けた後に。




