桃桜館
時は江戸時代、吉原が大火につつまれるもっと前のお話でございます。
桃桜館といえば名だたる大名や幕臣がこぞって訪れる遊郭にございました。その遊郭にて一番の人気を誇る遊女、それが『蓮花』にございます。
蓮花といえばいくら大枚をはたいても寝所を共にはしないどころか、微笑みさえ向けない、異質の遊女にございました。
それでも蓮花のもとには日夜、男たちが通いつめるのです。その欲望のままに……
今宵もまた一人、蓮花の笑顔を見る為に桃桜館を訪れて参りましたよ。さて、今宵のお客様を見てみましょうではありませんか。
「蓮花や、今宵こそは良い返事を聞きたいなぁ」
今宵訪れたのはとある藩の上級武士、松永源三郎様にございます。松永様もまた、蓮花の笑顔と水揚げを求めて日夜通い詰め、この桃桜館に大枚を落として居る方のお一人にございます。
「松永様、わっちは一介の遊女に過ぎませぬ。わっちは主様とは釣り合わぬ下賤の身。どうか、そのような優しいお言葉を掛けないでくれなんし」
こうして蓮花はいつもの決まり文句を伏し目がちに投げかけるのでございます。
「何故だ? 私はそのようなことは気にはせぬといつも言っておろうに」
蓮花にその言葉を掛けられた男たちは、皆が皆この松永様のように仰られるのでございました。
「主様が気にはされなくとも、松永の家の者が気にされましょう? 下賤な遊女を水揚げしたとあれば、松永家の名折れにありんす。わっちは自由などいりんせん。ただこうして……主様の御顔を毎夜見られればそれだけで……わっちは百年でも二百年でも、主様が居る限り、生きて行けましょう」
蓮花は変わらぬ表情のままそう言うのでございます。
「そうは言ってもな、蓮花、お前は私の前で笑う事すらしないではないか。私もお前の言葉を信じたいが……それがお前の本心ではないのではないかと毎日不安で仕方がないのだよ」
日夜、この桃桜館に訪れても水揚げどころか寝所を共にすることすらもかわされてしまう男たちのいら立ちや不安は、尤ものことにございましょう。
「主様は……酷なことを仰ります。五つの時分よりこの桃桜館に身売りされた身。笑うことなどとうに忘れなんした。主様との一時がわっちの生きる支えと申しても、笑顔の作れぬわっちには、それを伝える術もありんせん。そんなわっちが主様の傍に居たいと願うなど、おこがましいことにありんしょう」
蓮花が伏し目がちにそう申したならば、たいていの男共が己の言動を顧みるのでございました。
「蓮花……お前の気持ちを疑った私が愚かであった。お前は心根の清い女だ。お前が心から笑えるまで、私は何夜でも通うと誓おう」
松永様にここまで言わせてしまえば、今宵も蓮花に軍配が上がったことになりましょう。この松永様に限らず、蓮花の元にはかような男共が数多通い続けているのでございます。
「また明日の夜逢いにくる。悪いがそれまで待っていてくれ」
皆が皆、同じ言葉を蓮花に告げ、この桃桜館を去って行くのでございました。
今宵の話は蓮花の人生のほんの一部に過ぎませんが、如何でございましたか。蓮花の暮らしぶりが垣間見られましたでしょうか。笑うこともなく、寝所を共にすることもない異質の遊女。その美貌と手練手管により生娘のまま花魁にまでのぼりつめた蓮花。彼女を射止めるのは何処の何方にございましょうか。
もしかしたら、そこの貴方……やもしれません。
貴方に自信がおありなら是非とも訪ねていらっしゃい。
この桃桜館へ