第63話 チルタイム2
「……今日の講座は、休憩の続きだ」
二十四層。
ランプの灯りが、岩壁を橙色に照らしていた。
ゲン「前にも言ったが、深層で生き残るのは、強い奴じゃない。休める奴だ。……で、今日は、その実践編になる」
『ゲンさんの講座、また休憩回か』
『前回のチル回、伝説だったからな』
『コーヒーとジャズと読書のやつ』
『あれで登録者、八万から十一万になった』
ゲン「今日は豆を三種類持ってきた。……前回、専門店で選んだやつが好評だったんでな。飲み比べでもさせてやろうかと思って」
『二人分どころか三種類w』
『気合入ってる』
『来る前提で用意してるの、いいよな』
ゲンは、荷物を下ろし、携帯コンロに火を入れた。
湯が沸くまでの間、慣れた手つきで、豆を挽いていく。
その頃には――もう、いた。
画面の端から、白い人型が、歩いてきていた。
ゲン「……ん。早いな」
『相変わらず嗅覚が早いw』
『豆を挽く音で来たんじゃないか』
『音でも来るのかよ』
――だが、今日は。
白い人型は、一人では、なかった。
その後ろから。
網に、ぐるぐる巻きにされたままの、黒い甲冑の魔族が。
ずるずると、引きずられて、ついてきていた。
『!?』
『おい』
『あれ』
『あの簀巻き』
『……ゾルドじゃないか?』
『例の、三層で捕まった魔王軍の兵!!』
『まだ持ってたのかよww』
『あれから二週間経ってるぞ』
『どこに置いてたんだ』
簀巻きの魔族――ゾルドは、地面に、下ろされた。
網の中から、げっそりとした顔が、覗いている。
ゾルド「……はぁ。……また、移動か。……我は、いつまで、こうしていれば……」
ゲン「……あん?」
ゲンが、顔を上げた。
ゲン「今、声がしたな。……お前さん、誰か連れてきたのか」
『連れてきてます』
『魔王軍の兵です』
『簀巻きで』
ゲン「……ほう」
ゲンは、しばらく、その方向を見て。
それから、カップを、もう一つ、取り出した。
ゲン「……なら、三人分だな」
『増やしたw』
『魔族の分まで用意するのかよ』
『客なら客だ、ってことか』
『ゲンさんの器がでかい』
白い人型は、ゾルドの網を、少しだけ、緩めた。
両手が使える程度に。
ゾルド「……む。……縄が」
そして、湯が沸いた。
ゲンが、三つのカップに、丁寧にドリップしていく。
深煎りの香りが、二十四層の岩窟に、広がった。
カップは、三つ。
自分の手元に、一つ。
隣の岩に、一つ。
そして――簀巻きの魔族の前に、一つ。
ゲン「……飲め。冷めるぞ」
ゾルド「…………」
ゾルドは、しばらく、そのカップを、見ていた。
ゾルド「……人間よ。……我は、魔王軍の兵だぞ。……貴様らの、敵だ」
ゲン「知ってる」
ゾルド「……なぜ、出す」
ゲン「……お前さん、今、うまそうに鼻を動かしただろ」
ゾルド「…………っ」
『バレてるw』
『ゲンさん、観察力すごい』
『魔族の鼻の動きまで見てるのか』
ゲン「深層じゃな。妙なもんを見るのは日常だ。……害がないなら、客だ。それだけの話さ」
ゾルド「…………」
ゾルドは、緩められた網の中から、両手を伸ばし。
カップを、そっと、受け取った。
そして、一口。
――しばらく、動かなかった。
ゾルド「…………これは」
ゾルド「……前に飲ませてもらったものより、深い。……苦みの後に、甘さが来る」
ゲン「豆が違う。今日は三種類ある」
ゾルド「……三種類、だと」
『目の色変わったww』
『こいつ、完全にハマってるじゃん』
『「前に飲ませてもらった」って言ったよな』
『……あいつ、二週間の間に飲ませてたのか』
『尋問じゃなかったのか』
『尋問はしてるだろ、多分』
『成果は出てないみたいだけどな』
白い人型は、自分のカップを両手で持ち、隣の岩に腰掛けて、ゆっくりと傾けていた。
いつもの、味わうような飲み方で。
ゲン「……で、そっちの魔族の兄さん。名前は」
ゾルド「……ゾルドだ」
ゲン「ゲンだ。……で、ゾルドさんよ。あんた、なんで簀巻きなんだ」
ゾルド「…………」
ゾルドが、深い、深い、ため息をついた。
ゾルド「……そこの、白いのに、捕まった」
ゾルド「……二週間前だ。……人間の若造どもを、始末しようとしたところを、止められた。……そこまでは、我が悪い。認めよう」
ゾルド「……だが、その後だ」
ゾルド「……羽根で、笑わされた。……気を失うまで」
ゲン「……羽根で」
ゾルド「羽根でだ」
『映像で見たなw』
『あれは名場面だった』
『十分間笑い続けて気絶』
ゾルド「……そして、目を覚ましたら、知らぬ場所にいた」
ゾルド「……周囲に、巨大な鶏が、五羽」
ゲン「……鶏」
ゾルド「五羽だ」
『家に連れて帰ったのかww』
『やっぱりあそこか』
『鶏五羽とプロテイン鳥がいる場所』
『住人が増えてるw』
ゾルド「……あの鶏どもは、何なのだ。……我を見ると、追いかけてくる」
ゾルド「……朝、目を覚ますと、いる。……逃げようとすると、追ってくる」
ゾルド「……網を解いて、逃げようとしたこともあった。……だが」
ゲン「だが?」
ゾルド「……三歩で、鶏に囲まれた」
ゾルド「……そして、そこの白いのが来て、また、縛られた」
『何回やってるんだよww』
『脱走の常習犯』
『でも毎回鶏に阻まれてる』
『鶏、優秀すぎるだろ』
『番犬(鶏)』
ゾルド「……昨日など、五回だ」
ゲン「……五回」
ゾルド「五回、逃げた。……五回、捕まった」
ゾルド「……我は、疲れた」
『疲れてるww』
『そりゃ疲れるわ』
『鶏に追い回される毎日』
『魔王軍の兵が、鶏に管理されてる』
ゲンが、ふ、と笑った。
ゲン「……そりゃあ、大変だったな」
ゾルド「……分かってくれるか」
ゲン「まあ、分かる。……鶏ってのは、しつこいからな。うちの実家にもいたが、あいつら、覚えた顔は絶対に忘れん」
ゾルド「……そうなのか」
ゲン「そうだ。……で、まあ」
ゲンは、カップを傾けた。
ゲン「今日くらいは、ゆっくりしていけ。……ここには、鶏はいない」
ゾルド「…………」
ゾルドは、しばらく、黙っていた。
そして。
ゾルド「…………助かる」
『いい話にするな』
『魔族が人間にねぎらわれてる』
『しかも、ねぎらいの理由が「鶏に追われてお疲れ様」』
『何を見せられてるんだ俺たちは』
――そして、しばらく、三人(二人と一体)は、黙ってコーヒーを飲んでいた。
ランプの火が、時々、ぱちりと鳴った。
白い人型が、荷物から、携帯スピーカーを取り出した。
ゲンの私物である。
勝手に、スイッチを入れた。
静かなジャズが、流れ始めた。
ゲン「……おい。人の荷物を勝手に」
白い人型は、悪びれもせず、サムズアップを返した。
ゲン「……まあ、いい。……好きなんだろ、これが」
『前回の曲だw』
『覚えてたんだな』
『二十四層バー、二回目の開店です』
ゾルド「……これは、音楽か」
ゲン「ジャズだ」
ゾルド「……ジャズ」
ゾルド「……我らの国には、こういうものは、ない。……戦のための太鼓なら、ある」
ゲン「そりゃ、味気ないな」
ゾルド「……ああ。……味気ない」
『魔界に音楽がないのかw』
『太鼓だけって、それは寂しい』
『音楽隊、輸出できるぞ』
『貿易品目が増えていく』
――そして、二杯目。
ゲンが、二種類目の豆を、挽き始めた。
ゲン「……で、ゾルドさんよ。せっかくだ、少し聞かせてもらってもいいか」
ゾルド「……何をだ」
ゲン「あんたら魔王軍の、内側の話だ。……そこの白いのが、あんたを連れ回してる理由も、多分そこだろう」
白い人型が、こくり、と頷いた。
ゾルド「…………」
ゾルドは、しばらく、カップの中を、見ていた。
ゾルド「……我は、序列なしの兵だ。……大した話は、知らん」
ゲン「知ってる範囲でいい」
ゾルド「…………」
長い、沈黙。
そして。
ゾルド「……最近、魔王様の、御様子が、変わられた。……という、噂がある」
ゲン「変わった、というのは」
ゾルド「……我も、直接お目にかかったことは、ない。……兵の身では、当然だ」
ゾルド「……ただ、古参の幹部たちが、こぼしているのを、聞いたことはある」
ゾルド「……以前の魔王様は、無駄な戦を好まれなかった、と」
ゾルド「……戦をするなら、必ず、理由を語られた。……兵の一人一人にまで、届く言葉で」
ゾルド「……だが、ここ数十年、そういうことが、なくなった」
ゲン「……ふむ」
ゾルド「……命令だけが、下りてくる。……理由もなく、説明もなく」
ゾルド「……そして、古参の幹部たちは、次々と、遠方へ送られていく」
ゾルド「……我のような下っ端に、分かるのは、そこまでだ」
『……』
『バルガスの話と、繋がるな』
『「魔王様が変わられた」』
『でも、こっちはもっと曖昧だ』
『そりゃそうだ、下っ端だからな』
『噂話のレベルだ』
ゲン「……そうか」
ゲンは、それ以上、追及しなかった。
二杯目を、ゾルドのカップに注いだ。
ゲン「……悪かったな、辛気臭い話をさせて」
ゾルド「……いや。……我も、誰かに話したかったのかもしれん」
ゾルド「……魔王軍の中では、こういう話は、できん。……不忠と、取られる」
ゲン「どこも同じだな。……人間の会社も、そんなもんだ」
ゾルド「……会社」
ゲン「……いや、こっちの話だ」
『魔界にも組織の悩みがあるw』
『どこも同じ』
『上司が変わって職場の雰囲気が悪くなるやつ』
『魔王軍、普通に労働環境の話をしてる』
『情報としては大したことないな』
『そうだな 「なんか変わったらしい」だけだ』
『でも、下っ端まで感じてるってことは、相当だぞ』
白い人型は、その話を、じっと、聞いていた。
そして、ゾルドが話し終えると――
小さく、肩を、すくめた。
それから、こちらへ、両手を広げてみせた。
『「大した話じゃなかったな」だ』
『二週間かけてこれかよw』
『いや、下っ端なんだから仕方ない』
『そもそも尋問が下手だったからな』
『くすぐりで気絶させた奴が言えたことか』
――そして、三杯目。
ゲンが、三種類目の豆を、挽いた。
その頃には、ゾルドの網は、いつの間にか、完全に、外れていた。
白い人型が、外したらしい。
ゾルド「……む。……外れて、いる」
ゾルドは、自由になった身体を、見下ろした。
立ち上がろうと思えば、立ち上がれた。
逃げようと思えば、逃げられた。
――だが。
ゾルドは、その場に、座ったままだった。
三杯目のカップを、両手で、受け取って。
ゲン「……逃げないのか」
ゾルド「…………」
ゾルド「……三杯目が、まだだ」
ゲン「……そうか」
『wwww』
『コーヒーで足止めされてるww』
『魔王軍の兵、豆に敗北』
『三種類飲み比べを完遂したいらしい』
『気持ちは分かる』
『分かるけど、お前捕虜だぞ』
白い人型は、その様子を見て。
満足げに、頷いていた。
そして、また、自分のカップを、傾けた。
ジャズが、流れ続けている。
ランプの火が、揺れている。
二十四層の岩窟に、人間が一人と、魔族が一体と、正体不明の何かが一体。
誰も、喋らなかった。
ただ、コーヒーを、飲んでいた。
『……この光景、何なんだ』
『分からん』
『分からんが、いい』
『同時視聴者、また増えてるぞ』
『何も起きてないのに』
『何も起きてないのがいいんだよ』
『前回もそうだった』
――一時間ほど、経った。
ゲンが、カップを片付け始めた。
ゲン「……さて、そろそろ店じまいだ」
ゾルド「……もう、か」
ゲン「腰を上げる時ってのは、いつでも早い」
ゲンは、火を落とし、荷物をまとめた。
そして、立ち上がる前に、ふと、思い出したように。
ゲン「……ああ、そうだ」
ゲンは、荷物から、小さな袋を、取り出した。
豆の、袋だった。
ゲン「……こいつは、余った分だ。持っていけ」
ゲンは、それを、ゾルドの前に、置いた。
ゾルド「……我に、か」
ゲン「……お前さん、また来るだろ」
ゾルド「……いや、我は、捕虜だ。……自分の意志では」
ゲン「……そうか?」
ゲンは、少しだけ、笑った。
ゲン「……網、さっきから外れてるぞ」
ゾルド「…………」
『指摘したw』
『ゲンさん、気づいてたのか』
『そりゃ気づくだろ』
『でも黙ってたんだな』
ゾルドは、しばらく、豆の袋を、見ていた。
そして、それを、大きな手で、そっと、拾い上げた。
ゾルド「…………礼を言う」
ゲン「おう」
それだけだった。
――そして、帰り道。
白い人型は、ゾルドを、縛り直さなかった。
ただ、隣を、歩かせた。
ゾルドは、豆の袋を大事そうに抱えて、その隣を、のしのしと歩いていた。
時折、周囲を、警戒するように見回して。
ゾルド「……なあ、白いの」
白い人型が、見上げる。
ゾルド「……鶏どもは、今、どうしている」
白い人型は、少し考えて――
地上の方向を指差し、それから、両手で、寝る仕草をした。
ゾルド「……寝ている、のか」
白い人型が、頷いた。
ゾルド「……ならば、今のうちに、逃げれば」
白い人型が、首を、横に振った。
そして、指を、五本、立てて。
それから、耳を澄ます仕草。
――遠くから。
どすん、どすん、と、地響きが、近づいてきた。
――「「「「「コケコッコオオオオオオォォ!!!」」」」」
ゾルド「…………起きて、いるではないか」
『起きてたww』
『迎えに来たww』
『鶏、有能すぎるだろ』
『脱走を許さない体制が完成してる』
『ゾルドくん、諦めろ』
五羽の巨大ニワトリが、通路の奥から、駆けてきた。
そして、ゾルドを、取り囲んだ。
ぐるりと。
ゾルド「……ぐっ。……また、これか」
――コケッ。
一羽が、ゾルドの背中を、くちばしで、つついた。
歩け、というように。
ゾルド「……分かった。……分かったから、つつくな」
『護送されてるww』
『鶏に護送される魔王軍の兵』
『絵面が最高すぎる』
『でも、あいつ、豆の袋だけは死守してるぞ』
『それだけは渡さない構え』
白い人型は、その様子を見て、肩を震わせていた。
笑っていた。
そして、一号機の背に、ひらりと跨る。
一人と一体と五羽が、通路の暗がりへ、歩いていく。
その最後尾で。
ゾルドが、ぼやいた。
ゾルド「……我は、魔王軍の兵、なのだがな」
『そうだよ』
『そうなんだけどな』
『でも、もう誰もそう思ってないぞ』
『鶏に管理されてるコーヒー好きだと思ってる』
『本人もそろそろ受け入れた方がいい』
――そして、その姿が、消えた後。
ゲンは、一人、残っていた。
ランプの灯りの中で、荷物を、担ぎ直す。
ゲン「……さて。本日の講座のまとめだ」
ゲンは、カメラに向き直った。
ゲン「……深層で生き残りたきゃ、いい豆と、いい音楽を持て。……前回と同じだな」
ゲン「……あと、一つ足すか」
ゲンは、少しだけ、考えて。
ゲン「……敵か味方かで、席を分けるな。……それだけだ」
ゲン「……講座終わり。解散」
『いい講座だった』
『何一つ戦闘の役に立たない講座』
『でも今日も、一番大事なことを言ってた気がする』
『ゲンさん、あなた何者なんですか』
『二十四層に一人で通う男に聞くことじゃないな』
『銃の謎も未解決だしな』
『それはまた今度の講座で(やらない)』
『登録者、十一万から十四万です』
ゲン「……増えたな。まあ、あいつらのおかげだろ」
『魔族が客として座ってる配信、他にないからな』
『世界初だぞ、多分』
『協会にどう報告するんだこれ』
『「魔王軍構成員と喫茶」』
『怪文書が今日も生まれた』




