第52話 かまくら
「……っ、寒い……寒い……」
白かった。
画面の上下左右、すべてが、白かった。
吹き荒れる雪と、その向こうに、かろうじて見える岩肌。
ユキノ「……北方氷原型ダンジョン、四層。……ユキノです。……遭難、しました」
『やばい』
『氷原型は生存難易度最悪だぞ』
『視界がゼロだ』
『通報は?』
『した でもブリザード中は救助隊が入れないって』
『体感温度、マイナス三十度以下らしい』
ユキノ「装備は、あります。……でも、防寒具の想定を、超えてます。……この吹雪、予報になかった」
ユキノは、岩陰にうずくまり、震えていた。
ユキノ「……三時間、歩きました。……方角が、分からなくて。……配信、つけてるのは、その、記録のためです。……何かあった時の」
『縁起でもないこと言うな』
『まだ助かる』
『動くな 体力を使うな』
『でも動かないと凍える』
『どっちも正しいのが最悪なんだよ』
視界が、白く、塗り潰されていく。
ユキノの睫毛に、霜が、降りていた。
ユキノ「……あ。……手袋、感覚が……」
『まずい』
『凍傷の初期症状だ』
『誰か!! 近くにいる探索者いないのか!!』
『氷原型に人が入る季節じゃない』
『くそ……』
――と、その時。
吹雪の向こうに。
ぼんやりと、オレンジ色の、光が、見えた。
ユキノ「……え?」
『光?』
『何かある』
『こっちからも見える』
『ユキノさん、その光の方へ!!』
ユキノは、震える足で、立ち上がった。
光に向かって、雪をかき分けて、進む。
やがて、その正体が、見えた。
雪の丘に、ぽっかりと空いた、丸い入口。
その中から、暖かな光が、漏れていた。
――かまくら、だった。
『かまくらwww』
『氷原ダンジョンにかまくら!?』
『誰が作ったんだよ』
『いや、待て。この形。この仕上がり』
『入口の雪の積み方が丁寧すぎる』
『……あいつだ』
『あいつしかいない』
ユキノ「……かまくら? ……なんで、こんなところに……」
ユキノは、おそるおそる、身をかがめて、中を覗いた。
そして、固まった。
かまくらの中は、驚くほど、広かった。
中央に、小さな火が焚かれている。
その傍らには、七輪。
壁際には、丁寧に敷かれた、毛皮のような敷物。
そして――かまくらの、床の中央。
氷が、丸く、切り抜かれていた。
その穴の縁に、白い人型が、座っていた。
もこもこの帽子を被り、首にマフラーを巻いて。
短い竿を、氷の穴に、垂らして。
『穴釣りしてるwwww』
『ワカサギ釣りかよww』
『氷原に来て釣りをするな』
『いや、待て。前回も釣りしてたよな』
『釣りにハマってるんじゃないかあいつ』
『十二時間耐久の後だからな』
『味を占めたんだ』
ユキノ「……あの。……人? ……人が、いる? ……いや、これ、コメントの……」
ユキノは、震える手で、端末を、確認した。
『そうです』
『例の白いピクトグラムです』
『マフラーして帽子被って穴釣りしてます』
『そのかまくら、あいつの手作りです』
『多分、今日一日の暇つぶしで作ったやつ』
ユキノ「…………」
白い人型が、こちらを、見た。
そして。
かまくらの、自分の隣の場所を、ぽんぽん、と叩いた。
――どうぞ。
ユキノ「……っ、お、お邪魔します……!」
ユキノは、転がり込むように、かまくらの中へ、入った。
途端に、風が、消えた。
火の暖かさが、身体を、包む。
ユキノ「……あったかい……」
『よかった……』
『助かった』
『かまくらの断熱性、ガチだからな』
『中は零度前後まで上がるらしい』
『外がマイナス三十度なら、天国だ』
白い人型は、ユキノが落ち着くのを待ってから、火の傍らに置いてあった、鍋の蓋を、開けた。
湯気が、立ち上る。
中身は――澄んだ、出汁の効いたスープだった。
そして、その中に、串に刺さった、こんがりと焼き色のついた棒状のものが、浸かっていた。
『……きりたんぽ!?』
『きりたんぽだwww』
『なんで!?』
『氷原ダンジョンの地下四層で、きりたんぽ鍋!?』
『材料どこから持ってきたんだよ』
『考えるな』
『でも、寒い時にこれ以上ないだろ』
白い人型は、椀に、鍋の中身をよそって、ユキノに、差し出した。
ユキノ「……え、いいんですか? ……あの、私、何も」
白い人型は、首を横に振り、椀を、押し付けた。
それから、自分の分も、よそう。
ユキノ「…………いただきます」
ユキノは、椀を、両手で、受け取った。
一口。
出汁が、身体の芯まで、染みていく。
ユキノ「……っ、……美味しい……」
その一言の後、ユキノは、しばらく、喋らなかった。
肩が、震えていた。
寒さでは、なく。
ユキノ「……っ、……すみません。……私、もう、駄目かもって、思ってて……」
白い人型は、何も言わなかった。
(言えなかった)
ただ、椀を持つユキノの手に、自分の椀を、こつん、と当てた。
乾杯の、ような仕草だった。
『乾杯してるw』
『言葉がない代わりに、それか』
『泣かせにくるな』
『いや、泣くのはこっちなんだよ』
しばらく、二人は、無言で、鍋を食べた。
外では、吹雪が、荒れ狂っている。
中では、火が、静かに、燃えていた。
白い人型は、時々、氷の穴を覗いては、竿先を、調整していた。
ユキノ「……釣り、してるんですね」
ユキノが、少しだけ、笑った。
ユキノ「……こんな状況で、釣り。……なんか、すごいですね」
『あいつの日常だからな』
『遭難者を保護しながら趣味を続ける』
『器の大きさか、マイペースさか』
『多分後者』
――そして、白い人型の竿が、ぴくり、と、動いた。
合わせる。
上がってきたのは、手のひらサイズの、銀色の魚。
三匹。
白い人型は、それを手際よく処理し、串を打って、七輪に、並べた。
じゅう、と音がして、香ばしい匂いが、かまくらに満ちる。
『焼き始めたw』
『釣ってすぐ焼くの、贅沢すぎる』
『こんなん美味いに決まってる』
『氷原の遭難現場が、いつの間にか料理番組に』
ユキノ「……あの。……もしかして、あなた、いつも、こういうことしてるんですか? ……ダンジョンで、釣ったり、焼いたり」
白い人型は、こくり、と頷いた。
それから、少し考えて、指を折って数え始めた。
一。二。三。
――たくさん、というように、両手を広げた。
『日常だってさ』
『毎日どこかで何かしてるんだよな』
『緑化したり、ゴミ拾いしたり、釣ったり』
『そのついでに人を助けてる』
『ついで扱いされてるの、逆に安心する』
二時間後。
吹雪の音が、少しずつ、弱まってきた。
ユキノ「……あの。……風、収まってきましたね」
白い人型が、かまくらの入口から、外を覗いた。
しばらく、空を(正確には、氷の天井を)見上げてから、頷いた。
ユキノ「……帰れますかね。……私、まだ、方角が分からないんですけど」
白い人型は、椀と串を片付け、火を丁寧に始末してから――立ち上がった。
そして、かまくらの外へ出て。
両手を口元に当て、大きく息を吸う、あの仕草をした。
『あ』
『呼ぶぞ』
『来るぞ』
『でも今回、氷原だぞ? 鶏が走れるのか?』
『雪の中じゃ厳しくないか』
――遠く。
吹雪の名残の向こうから。
――「「「「「コケコッコオオオオオオオオォォォォ!!!」」」」」
『来たwww』
『氷原にまで来るのかよ!!』
『でも、どうやって……』
雪煙を上げて、それは、現れた。
五羽の、巨大ニワトリ。
――ただし、その頭には。
枝分かれした、大きな、角の飾りが、装着されていた。
そして、先頭の一羽の鼻先には。
赤い、丸い、飾りが。
さらに、五羽の後ろには――
木製の、ソリが、繋がれていた。
『『『wwwwwwwwww』』』
『角wwww』
『赤い鼻www』
『トナカイの真似www』
『鶏だろお前ら!!!』
『ソリまで引いてるww』
『装備どこから調達したんだよ』
『季節、真夏なんだが』
『外が夏だろうが関係ないらしい』
ユキノ「……え。……角の生えた、巨大な鶏が、五羽……? ……ソリを引いて……?」
『そうです』
『あなたの迎えです』
『ご乗車ください』
ユキノ「…………夢、じゃないですよね」
『残念ながら現実です』
『こっちも毎回そう思ってる』
白い人型は、ソリの座席部分に敷かれた毛皮を、ぽんぽん、と叩いた。
それから、ユキノを、指差す。
ユキノ「……乗って、いいんですか」
白い人型が、頷いた。
そして、自分は、御者台に、ひらりと乗った。
どこから取り出したのか、手には、手綱。
その姿は――いつの間にか、赤い、もこもこの衣装に、なっていた。
白い縁取りの、帽子と、上着。
『衣装まで変えたwwww』
『赤い服の人www』
『完全にあの人じゃんww』
『名前を言うな!! 権利がややこしい!!』
『いや、あの人は多分大丈夫……いや、やめとこう』
『「赤い服のおじさん」でいこう』
『それだ』
ユキノ「……あの、これ、季節が……真夏、なんですけど」
白い人型は、こちらを振り返り、肩を、すくめた。
それから、外の雪景色を、指差す。
『「ここは冬だろ」ってさw』
『理屈は通ってる』
『氷原ダンジョンでは常に冬なので、常にシーズンです』
『年中無休の運行です』
ユキノが、ソリに乗り込んだ。
毛皮に、身を包む。
温かかった。
白い人型が、手綱を、振った。
――コケエエエエエェ!!
五羽が、一斉に、雪原を蹴った。
ソリが、滑り出す。
ユキノ「わっ、わあああ!?」
『発進したw』
『速い速い速い』
『雪の上だと鶏より速いんじゃないか、これ』
『ソリの構造上、抵抗が少ないからな』
『物理的に正しい選択だった』
白銀の世界を、ソリが、駆け抜けていく。
吹雪は、すっかり、やんでいた。
雲の切れ間から、氷の天井を通した、淡い光が差し込み、雪原を、きらきらと、輝かせている。
ユキノ「…………きれい」
ユキノは、毛皮にくるまったまま、その景色を、見ていた。
ユキノ「……さっきまで、この景色が、怖かったのに。……今は、きれいだって、思えます」
『いい言葉だな』
『同じ場所でも、状況が変われば違って見える』
『あったかい飯と、送ってくれる相手がいるだけでな』
『映像も綺麗だわ 今日のアーカイブ、保存決定』
やがて、遠くに、ゲートの光が、見えてきた。
ソリが、その手前で、静かに、停止する。
ユキノ「……着いた」
ユキノは、ソリから降り、御者台の――見えない――誰かに向かって、深く、頭を下げた。
ユキノ「……ありがとうございました。かまくらも、きりたんぽも、ソリも。……本当に、本当に、ありがとうございました」
白い人型は、赤い帽子のつばに手を当てて、応えた。
それから――ソリの荷台から、何かを取り出し、ユキノに、差し出した。
小さな、包みだった。
ユキノ「……これは?」
白い人型は、包みと、ユキノの口を、交互に、指差した。
それから、両手で、家の形を作る。
ユキノ「……お土産? ……家で、食べろって?」
白い人型が、頷いた。
ユキノが、包みを開けた。
中には、串に刺さった、きりたんぽが、三本。
そして、小さな、出汁の瓶が、一つ。
ユキノ「…………」
ユキノは、包みを、胸に、抱きしめた。
ユキノ「……はい。……いただきます。……家で、ちゃんと」
『プレゼントだw』
『赤い服の人が、迷子をお家に届けて、プレゼントも渡していった』
『職務に忠実すぎる』
『季節外れの配達員』
『しかも配達物が本人w』
白い人型は、手綱を、握り直した。
そして、ユキノに向かって、最後に、大きく、手を振った。
――コケエエエェ!!
五羽が、駆け出す。
角の飾りと赤い鼻を揺らして、ソリを引いて、白い雪原の彼方へ。
やがて、その姿は、光の中に、溶けて、消えた。
ユキノ「…………」
ユキノは、しばらく、そこに、立っていた。
それから、ゆっくりと、カメラに向き直った。
ユキノ「……えー。本日の配信、まとめます」
その顔は、涙で、ぐしゃぐしゃだった。
だが、笑っていた。
ユキノ「……遭難しました。……そして、かまくらで、きりたんぽを、ごちそうになって。……角の生えた鶏の、ソリで、送ってもらいました」
『まとめが意味不明すぎる』
『でも全部事実なんだよなあ』
『アーカイブ見れば分かるから』
『いや、見ても分からんかもしれん』
ユキノ「……あと、一つだけ、言わせてください」
ユキノは、ダンジョンの入口を、振り返った。
ユキノ「……もし、あの人に、届くなら。……あのかまくら、また、行っていいですか。……今度は、私が、コーヒーを、持っていくので」
『いいと思うぞ』
『きっと、また作ってる』
『あそこ、あいつの別荘みたいなもんだろ』
『氷原の別荘』
『しかも中で釣りができる』
『物件としては最高だな』
『内見に行きたい』
『いや、遭難しないと辿り着けないから諦めろ』
『それが唯一にして最大の欠点だ』




