第22話 勇者のピンチ
東京、永田町。
塔型ダンジョン「セントラル」、三十九層。
到達最深記録を、また一つ更新したその階層で――勇者一行は、死にかけていた。
「リョウマ! 右!!」
「見えてる!!」
紫の閃光が、床を薙いだ。
リョウマが転がって避けた跡の岩が、音もなく崩れて砂になる。
『やばいやばいやばい』
『あの魔法、掠っただけで岩が砂になってる』
『リョウマ隊がここまで押されてるの初めて見た』
『同時視聴者、五十万超えた』
『日本最強パーティのピンチだぞ、そりゃ集まる』
広間の最奥。
浮遊する、ボロボロのローブ。
その中に、金の装飾を纏った骸骨が、緑の炎の瞳で一行を見下ろしていた。
『我は魔王が配下、序列第七。エルダーリッチ・ヴォルギス』
しゃがれた声が、直接、脳に響く。
『よくぞここまで来た、人の子ら。褒美に、灰も残さず消してやろう』
「……喋るモンスターとか、聞いてないんだよなあ!!」
リョウマが吠えながら斬り込む。
だが、リッチの周囲に展開した六枚の魔法障壁が、剣戟をことごとく受け止めた。
「くそっ、硬い!!」
「リョウマ、下がって! 第二波来る!!」
盾役のゴウキが割り込み、大盾で紫の閃光を受ける。
大盾の表面が、じゅう、と溶けた。
ゴウキ「っ……この盾、特級品なんだぞ!!」
『盾が溶けてる』
『開幕の大魔法をヒーラーが庇って受けたのが痛すぎた』
『そう、それ カナデさんの状態やばいだろ』
広間の隅。
壁にもたれて座り込む、白いローブの女性――ヒーラーのカナデ。
その顔は蒼白で、呼吸は浅く、ローブの脇腹には黒い染みが、じわじわと広がり続けていた。
開幕の大魔法。全滅級の一撃を、彼女は防御結界と自分の身体で受け止めた。
仲間は守られた。彼女だけが、削られた。
カナデ「……大丈夫。まだ、補助くらいは……」
リョウマ「喋るな! 治癒を自分に回せ!!」
カナデ「私に回したら……前衛の強化が、切れる……そしたら、全員……」
『カナデさん……』
『自分の治癒を後回しにしてる』
『あの染み、広がり続けてるぞ』
『呪詛系のダメージだ 自然治癒しないやつ』
『まずい 本当にまずい』
リョウマは、歯を食いしばった。
目の前のリッチから、一瞬でも目を離せば、次の閃光が誰かを消す。
だが、このままでは、カナデが。
リョウマ「(くそ……! どうすれば……一体、どうすればいいんだ……!)」
その時、だった。
――ぎゃーてー、ぎゃーてー……。
低い、読経の声が、広間のどこかから、響き始めた。
しゃん、と鳴る鈴の音。
般若心経だった。
『……ん?』
『え?』
『お経??』
『!!!!!』
『『『来たあああああああああ!!!!』』』
『BGM持ちはあいつだ!!!』
『サンバじゃない!? 今日はお経!?』
『TPOに合わせてきたwww』
『相手がリッチだからだ!! アンデッドだから!!』
『選曲が的確すぎる』
『来た!! 来たんだよ!!』
戦闘が、揺らいだ。
リョウマが、剣を構えたまま、視線だけで音源を探す。
リョウマ「……お経? なんで、こんな場所で……」
ゴウキ「敵の攻撃か!? 精神干渉系!?」
そして、エルダーリッチもまた――明らかに、動揺していた。
『……何だ。この、音は』
緑の炎の瞳が、広間中を、探し回る。
『不快な……不快な響きだ!! 何処だ!! 姿を見せよ!! ……視えぬ、だと? この我の眼にィ!?』
『リッチにも見えてないww』
『序列第七の眼をもってしても視認不可』
『音だけ響く世界、敵も味方も平等に困惑してる』
『こっちだけが全てを見ている』
配信画面の端。
広間の入口から、それは、歩いてきた。
白い人型――ただし、いつもの姿ではない。
頭には、深く傾けた網代笠。
身体には、旅塵を思わせる墨染めの僧衣の輪郭。
右手に錫杖、左手には数珠。
諸国を巡る、旅の僧侶のピクトグラムだった。
一歩ごとに、錫杖の環が、しゃん、しゃん、と鳴る。
『旅のお坊さんだwwww』
『新衣装!!!』
『笠まで被ってる!! 芸が細かい!!』
『そんな図柄あるのかよ』
『巡礼路の看板とかにありそうではある』
『[¥50,000] 待ってた!!!!』
『[¥10,000] ここからが本番だ!!』
『[¥10,000] 笠に錫杖、渋すぎる』
『開幕からスパチャ乱舞www』
『大盤振る舞いすぎるw』
『五十万人が財布を開いた音がする』
リョウマ隊には、何も見えない。
彼らに分かるのは、読経と錫杖の音が、広間の隅――カナデの方へ、ゆっくり移動していることだけ。
リョウマ「音が……動いてる? ゴウキ、何か見えるか!?」
ゴウキ「何も! 何もいない!!」
カナデ「……音が、こっちに……」
『気づけカナデさん、それは援軍だ』
『リョウマ、コメント見ろ!!』
『あ、そうか この人たちセントラルの深層に潜りっぱなしで』
『世情に疎いんだ あいつのこと知らないんだ』
『日本で一番有名な怪異を日本最強が知らないの、逆に面白い』
『攻略に人生捧げすぎなんよ』
僧侶の人型は、カナデの前に膝をついた。
錫杖を静かに床へ立て、数珠を掛けた手を、黒い染みの広がる脇腹へ、そっと当てる。
笠が、深く、傾いた。
読経が、一段、深くなった。
染みの広がりが――止まり、薄れ、消えていく。
蒼白だった頬に、色が戻った。
カナデ「……っ!? 温かい……脇腹の、痛みが……引いてく……!?」
リョウマ「カナデ!?」
カナデ「治って……治ってる! 呪詛が、消えて……嘘、なんで……!?」
『まず治療から!!』
『そう、それでいい 優先順位が完璧』
『呪詛ダメージを読経で祓うの、理屈が通ってるのが怖い』
『[¥30,000] カナデさんが助かった、それだけで十分です』
カナデは、震える手で、記録用に固定していた端末を掴んだ。
画面の中。
自分の傍らに、笠を被った墨染めの人型が、映っている。
カナデ「……リョウマ。画面に……お坊さんが、映ってる。笠を被った、旅のお坊さんみたいな人が、私のすぐ横に」
リョウマ「は?」
カナデ「コメントが……『味方だ』って。『日本中が知ってる』って。……『任せて戦え』って、流れてる」
僧侶の人型は、立ち上がった。
そして、エルダーリッチに向き直ると、錫杖を、床に、打ち付けた。
――しゃん。
環の音が、広間全体に、波紋のように広がる。
読経の声が、朗々と、強くなった。
『――ォ、オオ……!?』
リッチの浮遊が、目に見えて、沈んだ。
六枚の魔法障壁が、明滅を始める。
纏う瘴気が、読経の波が届くたび、薄く、剥がれていく。
『何だ……何なのだこの経は!! 我が力が……我が障壁がァ!!』
『効いてる!!!』
『リッチが弱ってる!!』
『デバフだ!! 読経が全体デバフになってる!!』
『アンデッドに般若心経、そりゃ効くわ』
『特効武器すぎる』
『[¥100,000] 旅僧モード最強すぎる』
『十万wwww』
『金銭感覚が完全に崩壊してる』
僧侶の人型は、それ以上、前に出なかった。
その場で錫杖を鳴らし、経を唱え続けながら――数珠を持つ手で、リョウマたちを、そして弱っていくリッチを、指し示した。
――弱らせておく。斬るのは、お前たちだ。
『!』
『前に出ない!!』
『戦闘は勇者に任せる気だ!!』
『役割分担が完璧すぎる』
『リョウマ、行け!! 今のあいつなら斬れる!!』
カナデ「リョウマ!! コメントが、『今なら障壁が薄い』って!! 補助、載せる!! 全員、行って!!」
回復したカナデの強化魔法が、三人の前衛に灯った。
リョウマ「……分からねえことだらけだが!! 好機だってことだけは、分かる!!」
リョウマが、駆けた。
ゴウキが、続いた。
明滅する障壁、その一枚目に、聖剣が噛みつく。
特級剣を弾き続けた障壁が――今度は、砕けた。
『割れた!!!』
『さっきまでビクともしなかったのに!!』
『二枚目!!』
二枚。三枚。
リッチが後退しながら、骨の槍を召喚する。
だが、その数も、速度も、明らかに鈍っていた。
ゴウキの大盾が槍の雨を防ぎ、その陰からリョウマが四枚目を割る。
『おのれ……おのれェ!! この耳障りな経さえ、経さえ止めればァ!!』
リッチの眼窩の炎が、燃え上がった。
『――《万象看破》ァァァ!!』
緑の光が、リッチの瞳から放たれ、広間全体を、走査するように薙いだ。
その光が、広間の隅で経を唱え続ける、笠の人型を――捉えた。
『……視えた。視えたぞ、異物ゥ!! 貴様かァ!! その笠の下の何かが、元凶かァァ!!』
『見つかった!!』
『看破された!!』
『骸骨回と同じだ やっぱり看破系持ちには視えるんだ』
『まずい、狙われる!!』
リッチの残る魔力が、一点に収束した。
紫の閃光――岩を砂に変える、あの魔法が、僧侶の人型へ向けられる。
僧侶の人型は、逃げなかった。
その場を動かず、経を、止めなかった。
止めれば、デバフが切れる。
切れれば、前衛が押し返される。
だから、動かない。
笠の下で、ただ、経だけが続いている。
『避けろ!!』
『いや、避けたら経が途切れる……!』
『あいつ、分かってて動かないんだ』
『誰か!!』
閃光が、放たれる――その寸前。
リッチの伸ばした腕に、聖剣が、突き立った。
リョウマ「――させるかよ!!!」
五枚目の障壁を突き破ったリョウマが、リッチの腕ごと、狙いを天井へ跳ね上げていた。
閃光は、あらぬ方向の天井を砂に変えて、消えた。
ゴウキ「リョウマだけに、いい格好はさせん!!」
返す反対側から、ゴウキの大盾が、フルスイングでリッチの胴を打ち据える。
『『『うおおおおおお!!!』』』
『守った!! 勇者が僧侶を守った!!』
『「させるかよ」いただきました!!』
『[¥50,000] 今日という日に立ち会えてよかった』
『あいつが守られる側に回るの、初めて見たかもしれん』
『信頼関係が一戦闘で完成してる』
『経は一度も途切れてないぞ あいつも仕事を全うしてる』
リッチは、もう、浮いていられなかった。
残るは、最後の一枚。
六枚目の障壁が、経の波に炙られ、罅割れながらも、リッチの前で最後の輝きを放っていた。
『これだけは……この最後の護りだけはァ!! 破らせぬぞ、人の子らァァ!!』
罅割れた障壁に、リッチの全魔力が注がれ、罅が、塞がり始める。
リョウマ「硬え……! 塞がる方が早い!!」
『まずい、修復されてる』
『経のデバフでも追いつかない』
『火力が一手、足りない……!』
その時。
読経の声が、途切れぬまま――僧侶の人型が、初めて、動いた。
錫杖を、大きく、振りかぶる。
槍投げの姿勢。
笠の下から、その視線が、リョウマの背中と、障壁の一点を、まっすぐに結んだ。
『!?』
『構えた!!』
『投げる気だ!!』
『錫杖を!?』
リョウマ「(……音が、変わった。真後ろで、何かが、来る――)」
理屈ではなかった。
戦い続けた者の勘だけが、リョウマに、それを告げた。
リョウマ「……合わせろって、ことだな!!!」
リョウマが、大上段に、聖剣を振りかぶる。
読経が、最高潮に達した。
――ぎゃーてー、ぎゃーてー、はーらーぎゃーてー……!
錫杖が、投げ放たれた。
しゃん、と環を鳴らしながら、一条の光のように広間を貫き――
修復されかけた障壁の中心へ、突き立った。
罅が、一瞬で、障壁全体に走る。
そこへ。
リョウマ「うおおおおおおおお!!!」
振り下ろされた聖剣が、錫杖の突き立った、まさにその一点を、打った。
六枚目の障壁が――粉々に、砕け散った。
『『『割れたああああああ!!!』』』
『錫杖投げからの聖剣!!!』
『合わせ技!!! 完璧な合わせ技!!!』
『[¥100,000] 音だけで連携を成立させた勇者もすごい』
『初共闘でこれができるのかよ!!』
ゴウキ「――仕上げだ!!」
がら空きになったリッチの胴へ。
リョウマの返す聖剣が、右から。
ゴウキの大盾の全力の一撃が、左から。
挟撃の二撃が、エルダーリッチを、打ち砕いた。
――ォォォ……経の、届く場所で……戦うべきでは、なかった……。
断末魔と共に、金の装飾が砕け、ローブが崩れ、緑の炎が、ふ、と消えた。
骨の残骸だけが、静かに、床へ降り積もる。
読経が、止んだ。
砕けた障壁の跡に突き立ったままの錫杖だけが、余韻のように、しゃん、と小さく鳴った。
『『『討伐オォォォォォ!!!!』』』
『やった!!! やりやがった!!!』
『序列第七、撃破!!!』
『[¥50,000] 歴史に立ち会った』
『[¥100,000] 錫杖と聖剣のクロス、一生忘れない』
『スパチャの流れが止まらんww』
『今日の総額、過去最高いくぞこれ』
リョウマは、剣を下ろし、荒い息のまま、床に突き立つ――彼には見えない――錫杖の方を、見た。
僧侶の人型が、静かに歩み寄り、錫杖を引き抜く。
しゃん。
リョウマ「……そこに、いるんだよな。ずっと経で、あいつを弱らせて……最後は、俺に合わせてくれた……あんたが」
僧侶の人型は、錫杖を手に、こくりと頷いた。
カナデが、端末の画面を、リョウマに見せる。
初めて見る、自分たちの恩人の姿。
笠を被った、墨染めの、白い人型。
リョウマ「……画面越しにしか、見えねえのか。……なあ、あんた。最後、狙われた時、なんで逃げなかった」
僧侶の人型は、少し考えてから、リョウマたちを順に指差し、それから自分の口元で、経を唱える仕草をした。
――経を止めたら、君たちが危なかった。
『……』
『そういうことだよな』
『デバフ切れたら前衛が押し返されてた』
『お互いがお互いを守った戦いだった』
『泣かせにくるじゃん』
僧侶の人型は、それから、一行を見回して、笠に手を添え、深く、一礼した。
そして、背を向ける。
錫杖の環を、しゃん、しゃん、と規則正しく鳴らしながら、広間の出口へ、静かに歩いていく。
リョウマ「……おい! 名前は!! 名前くらい、教えていけ!!」
人型は、足を止めず、片手だけを上げて、ひらひらと振った。
――名乗るほどの者じゃない。
笠の姿と環の音が、通路の暗がりに、消えていった。
『名乗らずに去るのかっこよすぎるだろ』
『旅の僧は名乗らないものなんだよ』
『名前、俺たちも十九スレかけて決められてないんだよな』
『「白いやつ」で通じるのが答えだ』
静けさの戻った広間で、四人は、しばらく座り込んでいた。
やがて、ゴウキが、ぽつりと言った。
ゴウキ「……なあ。今日の戦い、何が一番効いた?」
リョウマ「……弱体化、だな。障壁があのままだったら、俺たちの火力じゃ、削り負けてた」
カナデ「開幕の呪詛も……あの人が来なかったら、私、多分」
リョウマ「……俺たちさ。火力、防御、回復。この三つで日本最強って言われてきたけど」
リョウマは、天井――砂になった穴を、見上げた。
リョウマ「……デバッファーも、必要だな」
ゴウキ「今、まさにそれを言おうと思ってた」
カナデ「募集、かける? 『弱体化専門、経が読めれば尚可』って」
リョウマ「条件が特殊すぎるだろ」
『それな』
『あいつ基準で募集かけるな』
『般若心経でリッチを弱体化できる人材、日本に一人(?)しかいません』
『しかもその一人、無所属フリーランスです』
『雇用契約を結べる存在なのかも不明です』
リョウマ「……とりあえず、帰ったらあの白いのの映像、全部見る。共闘した相手のことくらい、知っときたいからな」
『全部あるぞ』
『wikiも充実してる』
『初出は治療回だけど、まずニワトリ回は心の準備をしてから見ろ』
『ニワトリ?』
『見れば分かる 五羽いる』
リョウマ「……ニワトリ?」




