第14話 ヒール
「えへへ……見てくれてる人、ありがとうございます。配信八回目、ミサキです」
画面の中で、若い女性が小さく手を振った。
装備は新品。動きはまだ硬い。
同時視聴者、31人。
ミサキ「今日は二層で、薬草採取をやっていきます。戦闘はまだ怖いので……地道にコツコツです」
『こつこつ偉い』
『無理しないのが一番』
『採取メインの配信、癒されるから好き』
『新人ちゃん頑張れ』
ミサキがしゃがみ、岩陰の薬草を丁寧に摘んでいく。
平和な配信だった。
その平和は、背後の足音で終わった。
「……お、いたいた」
通路の奥から、男が歩いてきた。
探索者装備ではない。防具もなく、手には金属バット。
目が、据わっていた。
ミサキ「……え? あ、あの、こんにちは……?」
「配信やってんだろ、あんた。見たことあるわ」
ミサキ「は、はい……えっと」
「いいよなあ、お前らは。可愛いってだけでチヤホヤされて、金もらえて」
男が、一歩、距離を詰めた。
「俺はもう全部終わってんだよ。仕事もねえ、金もねえ、失うもんもねえ。……だからよ、最後に、いい思いさせてくれや。なあ?」
バットの先が、ミサキの方を向いた。
ミサキ「……っ、や……来ないで……!」
『!?』
『おいおいおいおい』
『やばいやばいやばい』
『通報!! 運営通報した!!』
『警察も! 二層の採取エリアだ!』
『ミサキちゃん逃げて!!』
『無敵の人じゃんこいつ……最悪だ』
『間に合わない、入口から遠い』
ミサキが後ずさる。
背中が、岩壁に当たった。
「逃げんなって。優しくしてやるから」
男が、下卑た笑みでさらに近づく。
ミサキの手が震え、採取袋が地面に落ちた。
『誰か! 近くの探索者いないのか!』
『二層の奥は人通りないんだよ……!』
『くそ、見てることしかできないのか』
『……待て』
『え?』
『野郎の後ろ』
『後ろ!!!』
男の背後。
通路の暗がりから、音もなく、それは歩いてきていた。
焦茶色の人型。
太い腕。厚い胸板。
先日の増量を、まったく落としていない仕上がりのままの――あいつだった。
『いた!!!!』
『来た!! 来てくれた!!』
『しかも焦茶のままだ!!』
『増量期継続中!!』
『頼む!! そいつをやってくれ!!』
焦茶の人型は、男の真後ろで立ち止まった。
そして、ゆっくりと首を回した。ごきり、と鳴りそうな仕草で。
次に、両腕を組み、男を見下ろした。
その立ち姿は、明確に、怒っていた。
『完全にキレてる』
『チャラ男を転ばせた時と気配が違う』
『公序良俗の権化が降臨した』
『やれ!! 容赦するな!!』
「さあ、大人しく――」
男がミサキへ手を伸ばした、その瞬間。
焦茶の右腕が、風を切った。
ラリアット。
男の後頭部側から首へ、丸太のような腕が炸裂した。
「ごっ……!?」
男の身体が、真横に一回転して吹き飛んだ。
バットが手を離れ、からんからんと転がる。
『入ったあああああ!!』
『必殺ラリアット!!』
『プロテイン鳥を浮かせた腕だぞ、人間が耐えられるか!!』
『ざまあみろ!!』
ミサキ「……え? え?」
伸ばされていた手が消え、目の前で男が吹っ飛んだ。
ミサキには、それしか見えていない。
ミサキ「な、なに? なにが……?」
男が、よろよろと起き上がった。
「な……んだ、今の……誰だ! 誰がやりやがった!!」
誰もいない空間に向かって、男が喚く。
焦茶の人型は、その正面に、仁王立ちしていた。
そして、両手をくいくい、と手前に曲げた。
――かかってこい。
『挑発したww』
『「来いよ」のジェスチャー』
『見えてないから伝わってないけどな』
『いいんだよ、こっちに伝わってるから』
男がバットを拾い、闇雲に振り回した。
焦茶の人型は最小の動きでかわし、男の懐へ。
両腕が男の胴に回る。
そのまま、後方へ反り投げた。
ブリッジの弧を描いて、男の背中が地面に叩きつけられる。
『ジャーマン!!!』
『ジャーマン・スープレックスだ!!』
『綺麗に反ってる!!』
『フォームが完璧なんよ』
『どこで覚えたんだよ……いや、あの三人か』
『マッスル坊主'zの英才教育の成果』
「がはっ……な、なんなんだよぉ……!」
男が這って逃げようとする。
焦茶の人型はその足首を掴み、ずるずると引き戻した。
仰向けにひっくり返し、両足を取り、自分の足を絡めて――捻った。
「いだだだだだ!! 痛い痛い痛い!! 折れる折れる!!」
『足4の字wwww』
『関節技まであるのかよ』
『技のデパート』
『レフェリーいないからロープブレイクもないぞ』
『地獄で草』
『いいぞもっとやれ』
『こいつミサキちゃんに何しようとしたか忘れるな 同情の余地なし』
技が解かれ、男がのたうつ。
立ち上がろうとしたところへ、焦茶の人型が助走をつけて跳んだ。
両足を揃えた飛び蹴りが、胸板に突き刺さる。
男は五メートル飛んで、壁で止まった。
そして、そのまま、ずるずると崩れ落ち――白目を剥いて動かなくなった。
『ドロップキックでフィニッシュ!!』
『壁ドン(物理)』
『完全にKO』
『3カウント入りました』
『原型は留めたか』
『留めた 留めたけど当分立てないだろあれ』
『ヒールに正義の鉄槌が下った瞬間である』
『この世にヒールは栄えないんだよなあ、あいつがいる限り』
静寂。
ミサキは壁を背にしたまま、へなへなと座り込んだ。
ミサキ「……お、終わった……の? なにが、起きたの……?」
『終わったよ』
『もう大丈夫だ』
『ミサキちゃん、落ち着いて聞いてね』
『君の目の前に、見えない守護者がいます』
ミサキ「見えない……守護者……?」
焦茶の人型は、男が完全に沈黙しているのを確認すると、画面の端へ小走りに消えた。
すぐに戻ってくる。
その手には、大きな網。
『網ww』
『出た、捕縛セット』
『襲撃事件の時のやつだ』
『簀巻きのお時間です』
焦茶の人型は、慣れた手つきで男を網に包んだ。
ぐるぐる巻きにして、担ぎ上げ、通路の入口方向を指差す。
それから、座り込んだままのミサキの前に片膝をつき、そっと手を差し出した。
ミサキには見えない。
けれど、コメント欄が翻訳した。
『ミサキちゃん』
『今、目の前に手が差し出されてる』
『「立てるかい」って』
『入口まで送ってくれるってさ』
ミサキ「……て、手……この辺、ですか……?」
ミサキがおそるおそる、宙に手を伸ばした。
その手が、何かに、そっと支えられた。
ミサキ「……あったかい」
ミサキが立ち上がる。
焦茶の人型は、片手で網の男を担ぎ、もう片方の手でミサキの手を引いて、ゆっくりと入口へ歩き出した。
『エスコートだ』
『片手に簀巻き、片手に女の子』
『絵面がすごいことになってるけど尊い』
『映像だと網と女の子が浮いて移動してるんだよな』
『それはそう』
道中、ミサキはずっと、支えられた手の感触だけを頼りに歩いた。
ミサキ「あの……あなたが、助けてくれたんですよね。コメントのみんなが、そう言ってて」
返事はない。
けれど、手が、きゅっと少しだけ強く握られた。
ミサキ「……ありがとう、ございます。怖かった……本当に、怖かったです……っ」
歩きながら、ミサキの目から涙がこぼれた。
焦茶の人型は足を止め、空いている手で――担いでいた網をいったん地面に置いてから――ミサキの頭を、ぽんぽん、と撫でた。
『泣いていい』
『よく頑張った』
『網を一回置いてから撫でるの律儀すぎる』
『簀巻きは地面でいいんだよ』
入口が見えてきた。
通報を受けた警備員たちが、駆け込んでくるところだった。
「大丈夫ですか! 通報を受けて――」
警備員たちは、そこで固まった。
泣き腫らした顔の配信者と。
その隣に浮かぶ、ぐるぐる巻きの気絶した男と。
「……ええと。状況を、説明してもらっても?」
ミサキ「わ、私にも、よく分かんないです……でも、この網の人が犯人で……網にしてくれたのは、その、見えない、いい人で……」
「…………はい?」
『説明できるわけないんだよなあ』
『アーカイブ見せるのが一番早い』
『警備員さん、この界隈じゃ有名なやつなんです』
網が、そっと警備員の足元に置かれた。
配達完了。両手をぱんぱんと払う仕草。
それから焦茶の人型は、ミサキに向き直り、サムズアップをした。
ミサキ「あ……行っちゃう、んですか?」
『帰るってさ』
『サムズアップは「もう大丈夫」の意味だと思う』
ミサキ「……っ、あの!」
ミサキは、涙を袖でぬぐって、背筋を伸ばした。
そして、コメントが教えてくれた方向へ、深々と頭を下げた。
ミサキ「助けてくれて、ありがとうございました! 私、配信、続けます! 強くなって、いつか、自分の身くらい自分で守れるようになります! だから……見てて、ください!」
焦茶の人型は、その言葉に、力こぶを作るポーズで応えた。
――鍛えろ。
『返事が力こぶww』
『「鍛えろ」って言ってるw』
『説得力の塊みたいな腕で言われたらな』
『ミサキちゃん、明日からスクワットだ』
焦茶の人型は背を向け、ダンジョンの暗がりへ、肩を揺らして歩いていった。
行進のリズムを、少しだけ響かせて。
ミサキ「……見えないのに、なんでかな。……すっごく、格好よかった気がします」
『格好よかったよ』
『今日のあいつは今までで一番ヒーローだった』
『切り抜きタイトル決めた 「公序良俗の権化」で』
『それ採用で』
『視聴者31人だったのが今2万人います』
ミサキ「に、2万!?」
『君の配信はもう安泰だ』
『あと警備員さんがずっと困惑したままなので説明してあげて』




