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第三章 19 『白耀の剣』



 東部候補領の街道砦では、夜明け前から伝令室の灯りが落ちなかった。


 岩峡で得た戦闘記録、ガルドから届く地下欠損の定時報告、帝都から送られた候補戦速報が同じ卓上へ並び、どの紙にも違う種類の危険が刻まれている。


 窓の外では、帰還した群青の騎士たちが軍用荷車の損傷を確認していた。


 大きな被害はなかったが、セルケトの衝撃で歪んだ車輪や、イグニールが近づいた北路の固定痕は、そのまま次の警戒項目として残されている。


「ガルドから三回目の記録です」


 ミレーネは伝令鳥が運んだ細い筒を開き、前夜からの数値を広げた。


「地下の欠損は弱いまま続いてる。でも、岩峡で反応が強まった時刻だけ、ガルド側の戻り値も同時に下がってるね」


「距離は二日分あるのに、時刻差がほとんどありません」


 恵依はガルド、岩峡、ヴァルネの記録を横一列へ並べた。


 紙ごとに使われている計時印は同じ候補戦管理局の規格で、誤差は数秒以内に収まっている。


「地中を順番に流れたなら、もっと遅れるはずです。三地点が別々に同じ接続先へ引かれたと考える方が自然です」


「昨日見えた東向きの線も、その接続先へ続いていた可能性があります」


 ゲブは岩峡で拾った残響を、白銅で再現せず言葉だけで説明した。


「ただし、流川様が止めてくださったため、どこまで続いていたかは確認していません」


「追わなくて正解です」


 恵依はゲブへ頷き、未確認部分を空欄のまま残した。


「今の私たちは、地下網の形も、触れた時の影響も分かっていません。線を見つけるたびに追えば、相手側からこちらへ繋がれる可能性もあります」


「観測してるヴィヴィって奴もいたしな」


 卓斗は壁際の長椅子へ座り、固定布の巻かれた右手首を膝へ置いていた。


 岩峡で左手を使ったため肩の鈍さは残っているが、痺れや魔素の乱れは出ていない。


「地下の誰かとサリギアが別なら、面倒なの二組いるってことだろ」


「ヴィヴィの発言だけでは、別勢力と断定できません」


 恵依はすぐに区別した。


「嘘をついている可能性も、同じ組織内で行動を分けている可能性もあります。ただ、ガルド地下で確認された足跡と、昨日の三人の行動が一致していないことは事実です」


「鉄色の靴を履いた誰か、か」


 ミレーネはガルドの旧坑道見取り図へ小さな疑問符を書き込んだ。


「候補戦を大きく動かしたいのは同じでも、目的まで同じとは限らないね」


「分からない相手を一つにまとめない」


 ナーヴァは伝令室の中央で、三種類の報告書を順に見た。


「でも、別々だと思い込まない。両方残す」


「未確認のまま、警戒対象を二系統に分けます」


 ローデリヒは敵情報の記録紙を二つに分けた。


 一方にはヴィヴィ、セルケト、イグニールの名と外見、確認済みの攻撃だけを記し、もう一方には鉄色の靴を履いた地下の人物と古い導線の異常を記す。


「エルザヴェート様。昨日の自律刃について、今朝の状態はいかがですか」


 ローデリヒの問いを受け、エルザヴェートは窓際で腕を組んだまま目を閉じた。


 胸元のネックレスは静かで、青白い石も昨夜から光を弱めている。


「通常どおりだよ」


 エルザヴェートの周囲へ三本の自律刃が現れ、互いに異なる高さで静止した。


「ボクの意思で出した。地下へ向かう様子もない」


「消せますか?」


「もちろん」


 三本の刃は同時ではなく、一本ずつ輪郭を薄くして消えた。


 最後に残った刃も床へ向きを変えず、空中で光を失う。


「昨日だけの反応だったと判断しますか?」


 恵依が尋ねると、エルザヴェートは首を横へ振った。


「それは早いね。昨日はセルケトの出力、イグニールの魔素、岩峡地下の欠損、この石の光が重なっていた。どれが引き金だったか分からない」


「候補者同士の戦闘でも起こる可能性があります」


 恵依は前夜の推測を改めて口にした。


「ガルド攻略中も、高出力魔法が増えるほど欠損が大きくなりました。領地核の近くで候補者が戦うほど、古い地下網へ負荷が集まる構造かもしれません」


「候補戦そのものが、地下の仕掛けを動かしている?」


 卓斗は机上の勢力図を見た。


 四人の候補者を示す旗札が帝国内の候補領へ散らばり、その下を古い導線が境界を無視して横切っている。


「本来の制度がそう作られているのか、誰かが後から利用しているのかは分かりません」


 ミレーネは候補戦管理局から届いた制度資料を開いた。


「現行の領地核は、帝国全土の防衛結界へ繋がってる。でも、六百年前より前の地下導線については、ほとんど記録がないんだよね」


「昨日届いたのは閲覧許可だけです」


 ローデリヒは帝都の封印が押された書状を示した。


「古文書そのものは、帝都記録院から本日中に届く予定です。持ち出しが認められない資料は、写本官が必要箇所を複製しています」


「届くまで寝てていい?」


 卓斗が気の抜けた声で尋ねると、ナーヴァは即座に答えた。


「いい」


「え、いいの?」


「休むのも任務」


「そこまで即答されると、逆にサボりづらいんだが」


「なら寝る」


「命令になった」


 絵麻は卓斗の向かいで椅子の背へ寄りかかり、小さく鼻を鳴らした。


「寝ればいいじゃん。昨日、左手使ったんでしょ」


「絵麻に言われたくない」


「私は転移使ってないし」


「使おうとはしただろ」


「止めたから偉い」


「自分で言う?」


「卓斗よりは偉い」


「何基準?」


「怪我人基準」


「二人とも、怪我人同士で優劣を決めないでください」


 恵依が記録紙から顔を上げると、卓斗と絵麻は同時に口を閉じた。


 ゲブは二人の間へ置かれていた水差しを静かに恵依側へ移し、紙へ水滴が落ちない位置へ置き直す。


「絵麻も休む」


 ナーヴァが続けると、絵麻は目を細めた。


「私、まだ何も言ってないけど」


「顔で言ってる」


「その判定ずるくない?」


「ラール。見る」


「はい!」


 ラールは絵麻の横へ立ち、逃がさないように両手を広げた。


「絵麻ちゃんは、お昼まで座ります! 空間確認も禁止です!」


「何でラールが急に看守みたいになってんの」


「守る係です!」


「言い方だけ可愛いの腹立つ」


 ティナは卓斗の隣へ腰を下ろし、右手首の固定布へ触れずに魔素の熱だけを確かめた。


「タクも横になりなさい」


「ここで?」


「客室へ行けばいいでしょう」


「古文書来たら起こして」


「内容によるわ」


「いや、起こしてよ」


「休ませる価値より高ければね」


「俺の判断権どこ行った?」


「今、眠いと言った本人の言葉を尊重しているのよ」


「そう返されると弱いな」


 エルザヴェートは三組のやり取りを眺め、いつもの興味深そうな笑みを浮かべた。


 岩峡で敵を前にした時も、誰かが一方的に命令するのではなく、互いの限界を確かめて止まっていた。


「君たちは、戦う前より休む時の方がよく話すね」


「戦う時に長く喋ってたら死ぬだろ」


 卓斗は立ち上がりながら答えた。


「だから事前に決めるんです」


 恵依は卓斗の言葉を補った。


「戦場で迷う時間を減らすために、停止条件と役割を先に共有します」


「合理的だ。でも、相手に全部読まれたら?」


 エルザヴェートが尋ねると、恵依は一拍だけ考えた。


「共有するのは固定した役割ではありません。変える条件も含めて共有しています」


「誰が守るかまで決め切らないってこと?」


「はい。昨日も担当路へ戻らず、中央で状況を見ました。最初の配置は役割であって、本人を縛る命令ではありません」


 エルザヴェートは胸元の石へ視線を落とした。


 自律刃は、彼女が動かなくても戦場を埋め、敵の意図を先に読み、最適な迎撃を選ぶ。


 それでも昨日は、彼女より先に地下へ向かおうとした。


「役割が自分より先に動き始めたら、止める必要がある」


 エルザヴェートは独り言のように呟いた。


「ボクの剣にも、同じことが言えるのかもしれないね」


「エルザヴェート様の剣は、これまで一度も命令へ逆らっていません」


 ローデリヒは慎重に言葉を選んだ。


「昨日の反応も、外部干渉による一時的なものと考えられます」


「だからこそ、例外を無視しない方がいい」


 エルザヴェートはローデリヒへ穏やかな笑みを向けた。


「一度も逆らわなかったから、次も絶対に逆らわない。そう決める方が危険だろう?」


「……承知しました」


「心配しなくても、一人で試したりはしないよ」


「先に言われると、かえって不安になります」


「信用が足りないね」


「積み上げてください」


 ミレーネが小さく笑い、伝令室の張り詰めた空気が僅かに緩んだ。


 卓斗と絵麻が客室へ下がってから一刻ほど経った頃、帝都記録院の紋章を付けた箱馬車が街道砦へ到着した。


 護衛騎士四名と写本官二名が同行し、封印箱は伝令室ではなく、砦内の小会議室へ運び込まれる。


 箱には三重の封印が施され、候補戦管理局、帝都記録院、現地責任者の三者が揃わなければ開けられない。


 ナーヴァ、ローデリヒ、管理局の記録官が順に印を重ねると、古い金具が低い音を立てて外れた。


「原本ではありません」


 白髪の写本官は箱から分厚い紙束を取り出した。


「建国以前の地下施設図、六百年前の領地核設置記録、現行候補領へ転用された旧防衛拠点の抜粋です。文字の欠損が多いため、解釈ではなく線と印の位置を優先して複写しています」


「助かります」


 ミレーネは手袋を着け、最上段の図面を慎重に広げた。


 現在の帝国地図とは縮尺も方角の取り方も異なり、山脈や河川より先に太い地下線が描かれている。


「古いね。領地名が今と全然違う」


「六百年前の設置記録より、さらに前の図面です」


 写本官は欄外の年代印を指した。


「正確な年代は不明ですが、帝国建国初期にはすでに存在していた可能性があります」


「大帝は、この地下網を知っている?」


 ナーヴァが尋ねると、写本官は姿勢を正した。


「わたくしからはお答えできません。記録院の所蔵情報と、大帝陛下ご本人の認識は別です」


「分かった」


 恵依とゲブは現行図面を古い地下図の横へ置き、共通する刻印を探した。


 ガルド管理塔の壁にあった三重円、ヴァルネ接続核の裏面に刻まれた欠けた星形、岩峡の石杭に残っていた折れ線が、古図の複数地点へ繰り返し描かれている。


「同じ印です」


 恵依はガルド、ヴァルネ、岩峡の位置へ透明な薄紙を重ねた。


「ただし、一本の線で順番に繋がっているわけではありません。三地点から別々の導線が伸びて、この中央環へ接続しています」


「中央環の位置は?」


 ミレーネが現行地図へ照らし合わせる。


「帝都ではないね。西寄り……ハイゼン城塞領の地下に近い」


 ローデリヒは候補戦速報の白い旗札へ視線を移した。


 前夜、ジークヴァルト陣営が制圧したばかりの西部城塞領である。


「ジークヴァルト陣営が掌握した領地ですね」


「偶然とは言い切れません」


 恵依は古図の線を指で追わず、視線だけを動かした。


「ハイゼン城塞領の地下に中央環があるなら、ガルドとヴァルネの欠損がそこへ集まっている可能性があります」


「でも、岩峡で見えた線は東へ向かっていたよ」


 ミレーネが指摘すると、ゲブは古図の中央環からさらに伸びる細い線を示した。


「中央環は終点ではありません。複数の環が連結されています」


「帝国全体に?」


 ナーヴァの問いに、恵依は古図の端まで視線を動かした。


 線は西の城塞領から北の国境領、南の市街領、東の旧補給領へ枝分かれし、現在の候補領と重なる場所で何度も小さな環を作っている。


「少なくとも、現在確認できる範囲ではそうです」


 恵依は断定の範囲を限定した。


「この図面に描かれていない延長がある可能性もあります。地下網は、候補領より先に存在していました」


「後から領地核を置いた時、古い網へ接続した?」


 ナーヴァが尋ねる。


「その可能性が高いです」


 恵依は六百年前の設置記録を開いた。


 そこには、古い導線を封鎖せず、帝国防衛結界の補助経路として再利用したことを示す記述が残っている。


「領地核は独立していません。候補領を守る核であると同時に、帝国全体の防衛網へ出力を渡す中継点です」


「候補戦で領地核の所属を変えるたび、古い地下網にも命令が流れる」


 ミレーネは現行制度と古図を重ねた。


「旗を立て替える行為そのものが、接続先の切り替えになってるのかもしれない」


「だから候補者が戦い、領地核へ高出力が集まるほど欠損が増える」


 ローデリヒの表情が硬くなる。


「候補戦を利用すれば、帝国全域の防衛網へ合法的に干渉できるということですか」


「まだ、できるとは断定できません」


 恵依は言葉を慎重に選んだ。


「ただ、領地核を一つずつ直接壊さなくても、候補戦による切り替えを重ねれば、古い地下網へ大きな流れを作れる可能性があります」


「サリギアが候補者を動かしたがってた理由、それかもな」


 入口から卓斗の声がした。


 右手首を庇いながら小会議室へ入り、後ろにはティナが続いている。


「起きたの?」


 ミレーネが尋ねると、卓斗は古図の大きさを見て肩をすくめた。


「廊下まで人増えてたし。普通に寝てる場合じゃない雰囲気だった」


「私が起こしたわけではないわ」


 ティナは先に断った。


「タクが勝手に起きたのよ」


「目覚まし代わりに言い訳入れないでくれる?」


「左肩は?」


 ナーヴァが尋ねる。


「さっきより軽い。使わないけど」


「右手は?」


「熱なし。痺れなし」


「座る」


「はい」


 卓斗は素直に空いていた椅子へ腰を下ろした。


 少し遅れて絵麻とラールも現れたが、絵麻はナーヴァに見られる前に自分から壁際の椅子へ座る。


「私は見るだけ」


「まだ何も言ってない」


 ナーヴァが答えると、絵麻は不満そうに眉を寄せた。


「先に言った方が勝ちかと思って」


「勝負じゃない」


「知ってる」


 ラールは絵麻の隣へ立ち、古図へ身を乗り出しすぎないよう肩へ手を添えた。


「これ、全部地下ですか?」


「全部ではありません」


 恵依は図面の欠損部分を示した。


「確認できる範囲だけです。ただ、ガルド、ヴァルネ、岩峡、ハイゼン城塞領が同じ系統へ繋がっていることは、ほぼ間違いありません」


「次の場所でも欠損が出る可能性があるってこと?」


 絵麻が尋ねる。


「はい。特に、候補戦直後のハイゼン城塞領は調べる価値があります」


「でも、今はジークヴァルトの領地だろ」


 卓斗は白い旗札へ視線を向けた。


「勝手に地下見せてくださいって入れる相手じゃないよな」


「彼なら、話は聞くだろう」


 エルザヴェートは小会議室の入口から現れ、腕を組んだまま古図を見下ろした。


「ただし、こちらの調査へ無条件で協力するとは限らない」


「悪い奴じゃないんだよね?」


 卓斗が尋ねると、ミレーネは候補戦速報の別紙を取り出した。


「悪人ではないよ。むしろ、帝国の多くが理想の剣聖だと思ってる」


「軍部と大貴族から支持される本命候補です」


 ローデリヒはジークヴァルト陣営の情報を説明し始めた。


「ジークヴァルト・オルタシア。二十四歳。二つ名は『白耀の騎士』。極光の魔素を持ち、能力名は不滅極光〈インヴィクタ〉です」


「能力は?」


 絵麻が尋ねると、ローデリヒは白い旗札の横へ一本の剣印を置いた。


「剣へ膨大な極光を収束し、一振りで城塞や戦場を消滅させると記録されています。発動中は致命傷や状態異常を無効化し、負傷も短時間で再生する」


「それ、候補戦で使っていい強さ?」


 卓斗は思わず古図から顔を上げた。


「出力制限は現剣聖レオニード殿の戦力天秤〈リブラ〉で調整されます」


 ローデリヒは続けた。


「しかし、制限下でも正面から受け切れる者はほとんどいません」


「ほぼ無敵じゃん」


「能力だけ見ればね」


 ミレーネはハイゼン城塞領の制圧記録を広げた。


「でも、昨日の攻略でジークヴァルトは最大出力を使ってない。副官のヘレナが鏡界で守備側の射線を屈折させて、外門だけを極光で切断した。城壁も住民区画も残してる」


「力があるのに、使わないところを選んだ」


 恵依は制圧記録の被害欄を確認した。


「負傷者も少ないです。守備側が降伏した後は、避難民を城内へ保護しています」


「じゃあ、エルザヴェートと似てる?」


 ラールが首を傾げると、エルザヴェートは楽しそうに笑った。


「守る点はね。でも、守り方はかなり違う」


「ジークヴァルトは、先に圧倒的な勝敗を見せます」


 ローデリヒが説明を引き取った。


「抵抗を続ければ被害が増えると相手へ理解させ、降伏を選ばせる。その後で、敵味方を区別せず保護する」


「ボクは相手の選択肢を残しすぎる、とよく言われる」


 エルザヴェートは自分の旗札へ視線を落とした。


「彼は、選べる答えを早く一つへ絞る。だから速い」


「それでも、無理やり奪うわけではないんですね」


 恵依が尋ねると、ミレーネは小さく頷いた。


「少なくとも、本人はね。分霊石についても、帝国の国防に関わるなら国家が管理すべきだと考えてる。でも、持ち主の意思を無視した接収には反対してる」


「本人の意思は尊重する。でも、最終的には国へ預けるべきって考えか」


 卓斗はエルザヴェートのネックレスを見ないようにしながら言った。


「悪くない理屈だから、余計やりづらいな」


「そうだろう?」


 エルザヴェートは嬉しそうに目を細めた。


「悪人なら、斬れば話が早い。でも、正しい理由を持つ相手とは、どちらの正しさを選ぶかまで戦うことになる」


「楽しそうに言うことじゃなくない?」


「ボクは楽しいよ。強い相手の能力と思想を同時に見られるんだから」


「エルザヴェート様」


 ローデリヒが低く呼ぶと、エルザヴェートは笑みを少しだけ薄めた。


「分かっている。遊びではない」


 エルザヴェートはハイゼン城塞領へ置かれた白旗を見た。


「ガルドを取ったことで、ボクたちは守る場所を増やした。ジークヴァルトは同じ二日で、城塞と周辺補給線をまとめて手に入れた。このまま地下だけを追えば、候補戦では彼に置いていかれる」


「でも、候補戦だけ進めれば地下が動く」


 ナーヴァが言った。


「そうだね」


 エルザヴェートは古図と勢力図を並べて見た。


「だから、次は両方が重なる場所へ行く」


「ハイゼン城塞領ですか?」


 ローデリヒが確認する。


「まずは会う。候補戦管理局を通して、地下調査の共同確認を申し入れよう」


「断られた場合は?」


「その時は、候補戦の相手として城塞領の外から見る」


 エルザヴェートは腕を組んだまま、穏やかに続けた。


「彼が守る領地が、本当に誰も置き去りにしない形なのか。ボクたちが攻めた時も同じ判断をするのか。それを見なければ、次の手は決められない」


「攻める前提なんだ」


 卓斗が呟くと、エルザヴェートは笑みを戻した。


「候補戦だからね。話し合いだけで旗を譲ってくれるとは思わない方がいい」


「そりゃそうだけど」


「卓斗くん」


 恵依が古図の西側を指した。


「ハイゼン城塞領へ向かうなら、私たちにも確認できることがあります。岩峡で見た地下波形と、城塞領の領地核反応を比較できます」


「また地下から引かれるかもだけど」


「その場合は、昨日と同じく追いません。反応の有無だけを確認します」


「ティナは?」


 卓斗が尋ねると、ティナは古図の空間構造を見つめた。


「城塞領の地下に中央環があるなら、白銀へ引かれる可能性は高いわ。でも、私も一人で触れない。タクと先に停止条件を決める」


「右手治るまでは、引力で探らない」


「治っても、許可なく探らない」


「そこ追加される?」


「必要よ」


「……分かった」


「絵麻ちゃんも、地下へ飛ばないです!」


 ラールが先回りして言うと、絵麻は目を細めた。


「私、飛ぶなんて一言も言ってないけど」


「今、考えました!」


「何で分かるの?」


「顔です!」


「ナーヴァと同じこと言い始めた」


「成長です!」


「私にとっては監視強化なんだけど」


「絵麻さん。今回はラールの判断が正しいです」


 恵依が静かに告げると、絵麻は反論しかけてから口を閉じた。


「……分かってる。空間の向きだけ見る。接続はしない」


「ゲブも広域共鳴なし」


 ナーヴァが確認すると、ゲブは恵依の隣で頭を下げた。


「承知しました。流川様と確認した範囲だけを読みます」


「決まりだね」


 エルザヴェートはハイゼン城塞領の白旗へ、群青の細い交渉札を置いた。


「ジークヴァルトへ共同調査を申し入れる。同時に、候補戦上の偵察も始める」


「交渉文は私が作成します」


 ローデリヒが書類をまとめる。


「地下異常の記録はどこまで開示しますか?」


「ガルド、ヴァルネ、岩峡の時刻一致までは見せる。ネックレスの反応と自律刃の異常は、会ってからボクが話す」


「エルザヴェート様ご自身が?」


「ボクの剣の話だからね。誰かに代わりに説明させるつもりはないよ」


「承知しました」


 ミレーネは交渉文へ添付する地図を選び、恵依は推測と確認済み事実を分けて整理した。


 候補戦の敵へ情報を渡しすぎず、それでも共同調査の必要性が伝わる範囲を探る作業は、ガルド攻略前の交渉より慎重さを要した。


 午後には、帝都便の伝令騎士が二通の書状を持って西へ出発した。


 一通は候補戦管理局への正式申請、もう一通はジークヴァルト本人へ宛てたエルザヴェートの直書である。


 街道砦の見張り台からは、西へ続く山道の先に白い稜線が見えた。


 ハイゼン城塞領はその向こう側にあり、巨大な外壁と複数の防衛塔で西部街道を押さえている。


「直接会えたら、何話すの?」


 卓斗は見張り台の手すりへ左腕だけを置き、隣に立つエルザヴェートへ尋ねた。


「まず、城塞の守り方を聞く」


「地下の話じゃないんだ」


「本人が何を守ろうとしているか分からないまま、地下だけ見せてほしいと言っても意味がないだろう?」


 エルザヴェートは遠い白い山並みへ視線を向けた。


「ジークヴァルトは帝国を守ると言う。でも、帝国という言葉の中に、目の前の一人がどこまで残っているかは聞かなければ分からない」


「分霊石を国で管理するって話?」


「それもあるね」


「エルザヴェートは、石だって分かったらどうしたい?」


 卓斗が尋ねると、エルザヴェートはすぐには答えなかった。


 胸元のネックレスへ触れず、白い城塞のある方角を見たまま考える。


「まだ、これが分霊石だと確定していない」


「確定したら?」


「その時に、ボクが決める」


 エルザヴェートの声から、いつもの軽い笑いが消えた。


「母の形見だから手放さない、と言うかもしれない。帝国の危険を止めるために託すかもしれない。どちらを選ぶにしても、石だからではなく、ボクが選んだ答えにしたい」


「なら、ジークヴァルトともそこがぶつかるか」


「彼はボクの意思を無視しない。でも、国家へ預けるべき理由を、きっと正面から並べるだろうね」


「正論で殴ってくるタイプ、普通に苦手なんだが」


「君は正論に弱いのかい?」


「納得できる部分あると、雑に否定できないから面倒」


「それは弱いんじゃなくて、考える余地を残しているんだよ」


「エルザヴェートに褒められると、観察結果みたいで微妙」


「実際、観察した結果だからね」


「ほら」


 エルザヴェートは楽しそうに笑った。


 だが、その視線はすぐに西へ戻り、白耀の騎士が待つ城塞領を真っ直ぐ見据える。


「守るだけでは勝てない」


 エルザヴェートは静かに言った。


「ガルドで、ボクたちは民を守りながら領地を取った。でも、次の相手は同じように民を守り、それより速く勝つ」


「じゃあ、もっと速く守る?」


「それだけでは足りない」


 エルザヴェートは腕を組み直した。


「相手が用意した正しい勝ち方を崩して、それでも誰も置き去りにしない。次は、そこまでやらなければ勝てないだろうね」


 卓斗は白い稜線を見た。


 悪意で壊しに来るサリギアとは違い、次に向き合う候補者は自分なりの正しさで帝国を守ろうとしている。


「悪人じゃない相手と戦うの、やっぱ面倒だな」


「でも、逃げないんだろう?」


「地下も石も絡んでるなら、見なかったことにはできない」


「実に君らしいね」


「それも観察結果?」


「もちろん」


 夕方、ジークヴァルト陣営からの返答を待つ間にも、白い旗は勢力図の西側で動き続けていた。


 ハイゼン城塞領周辺の二本の補給路が正式に白耀陣営の管理下へ入り、避難民の受け入れと城壁修復が同時に進められている。


 群青陣営はガルドを得た。


 白耀陣営は城塞と補給線を得た。


 領地数だけを見れば差はまだ小さいが、次にどちらが動くかで西部全体の流れが変わる。


 同じ頃、ハイゼン城塞領の最上階では、白い外套を纏った青年が群青陣営から届いた書状を開いていた。


 広い執務室の壁には、修復中の城門、避難民の収容区画、周辺街道の警備状況が整然と並んでいる。


 窓の外では白い旗が夕陽を受け、その下を城塞兵と元守備隊が同じ列で巡回していた。


「エルザヴェート・グリュンデューテから、共同調査の申し入れです」


 透明な鏡片を肩の周囲へ浮かべた女性、ヘレナ・ヴォルフェンが書状の控えを手にしていた。


「ガルド、ヴァルネ、岩峡で同時刻の地下欠損。ハイゼン城塞領の旧導線にも接続の可能性がある、と」


「候補戦の敵から届いた情報としては、随分と率直ですね」


 ジークヴァルトは書状を最後まで読み、机上へ静かに置いた。


 淡い金髪と柔らかな物腰は、城塞を半日で制圧した人物とは思えないほど穏やかである。


「罠だと思いますか?」


 ヘレナが尋ねると、ジークヴァルトは首を横へ振った。


「罠であれば、彼女はもっと楽しそうな書き方をするでしょう」


「候補戦の記録だけで、そこまで分かるのですか」


「ガルドでの交渉記録を読めば十分です。自分が面白いと思ったことを、隠す必要がない人物なのでしょう」


 執務机の反対側では、政務官オスカー・ベルトラムが候補戦の勢力図を見ていた。


 魔素を持たない彼は、書状よりも、それが届いた時期と群青陣営の位置を重視している。


「共同調査を受け入れれば、群青陣営を城塞内へ招くことになります」


 オスカーは白い旗札の南側へ群青の小札を置いた。


「地下異常が事実であっても、候補戦上の偵察を兼ねていると考えるべきでしょう」


「当然です」


 ジークヴァルトは穏やかに答えた。


「私たちも、彼女たちを見る機会を得る」


「分霊石と思われる石を持つ候補者でもあります」


「だからこそ、門前で追い返すべきではありません」


 ジークヴァルトは窓の外へ目を向けた。


 城塞下層では、昨日まで敵だった守備兵が避難民へ毛布を配り、白耀陣営の兵が崩れた外門を補修している。


「帝国の防衛に関わる石であれば、国家が管理するべきだと私は考えています」


「では、接収を提案なさいますか?」


 オスカーが確認すると、ジークヴァルトは静かに首を横へ振った。


「本人の意思を抜いて進めれば、守るための制度が人を奪う制度になる。それでは意味がありません」


「エルザヴェートが拒否した場合は?」


「理由を聞きます。その上で、帝国へ預ける必要を説明する」


「それでも拒否すれば?」


 ジークヴァルトは少しだけ目を細めた。


 声音は柔らかいままだが、答えには迷いがない。


「候補戦で私が勝ち、剣聖として帝国を守れることを示します」


「力で従わせるのですか」


 ヘレナの問いに、ジークヴァルトは否定も肯定も急がなかった。


「選択を奪うつもりはありません。ただ、私の答えが帝国を守るために必要だと、結果で示すだけです」


 ジークヴァルトは群青陣営から届いた書状をもう一度手に取った。


 末尾には、地下調査の申し入れと同時に、候補戦上の敵であることを隠さない一文が添えられている。


「ガルド鉱石領を制圧し、その後も旧守備隊へ管理を残したそうですね」


「はい」


 ヘレナが答えた。


「民を守りながら領地を取った、と候補戦管理局は評価しています」


「彼女らしい」


 ジークヴァルトの口元へ、僅かな笑みが浮かんだ。


「守るものを増やせば、それだけ剣は遅くなる。それでも彼女は、手放さない道を選ぶのでしょう」


「警戒なさいますか?」


「もちろんです」


 ジークヴァルトは窓辺へ立ち、西の山道の先にある群青領の方角を見た。


「遅い剣が弱いとは限りません。守るものが多いほど、折れない理由も増える」


 夕陽が白い外套と机上の書状を同時に照らした。


 ジークヴァルトは返書用の紙を引き寄せ、穏やかな筆致で最初の一文を書き始める。


「歓迎すると伝えてください」


「城塞内への立ち入りも認めますか?」


 オスカーが尋ねる。


「共同調査区域に限ります。候補戦上の偵察を防ぐため、ヘレナが同行してください」


「承知しました」


「それから」


 ジークヴァルトは筆を止め、群青の名が記された書状へ視線を落とした。


「エルザヴェート本人と、直接話す時間を設けてください」


「地下異常についてですか?」


「それだけではありません」


 ジークヴァルトは静かに笑った。


「彼女が何を守るために剣聖を目指すのか。今度こそ、聞いてみたい」


 白い城塞の上で、極光を宿す剣がまだ鞘に収まっている。


 その刃が抜かれる前から、群青と白耀の戦いは、互いの守り方を測る言葉の中で始まりつつあった。




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