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第三章 10 『鉄門前の拒絶』



 翌朝、ガルド鉱石領の南門へ続く岩道には、冷たい風が流れていた。


 群青の旗と白旗を掲げた二台の馬車は、門から五百メートルほど手前で速度を落とす。左右には切り立った岩壁が迫り、その上では鉄色の外套を着た弓兵と投槍兵が、一定の間隔を空けて配置されていた。


 先頭車両の出入口側に立つナーヴァは、南門へ近づく前に全員へ最後の確認を置いた。


「攻撃されるまで動かない。拒否されても、その場では戦わない。戻ってから正式に旗を出す」


 卓斗は固定された右手首を膝へ置き、左手だけを軽く上げた。


「分かってる。今日は本当に話すだけ」


 ティナは岩壁上に並ぶ兵士たちが見える窓の外へ視線を向けたまま、卓斗へ答えた。


「タクは、そう言った後で余計なことをするのよ」


「前科一回でずっと言われるの、普通に厳しいな」


「一回で十分でしょう」


 恵依は解析を使わず、岩壁上からこちらへ向けられた弓の角度と兵士たちの姿勢だけを確認した。


「卓斗くん。岩壁上の兵士はこちらを狙っていますが、まだ弦は引いていません。白旗は確認されています」


 絵麻は右脇腹を庇いながら、反対側の窓から狭い岩道を確認した。


「確認されてるからって安心はできないけどね。道が狭すぎる。上から落とされたら、避ける場所ないわよ」


 ナーヴァは左右の岩壁に挟まれた道と、その上に配置された兵士たちを確認して短く返した。


「その時は私が判断する。絵麻は先に空間を使わない」


「使わないって」


 ナーヴァは絵麻の隣に座るラールへ確認を移した。


「ラールも固定しない」


「はい!」


 ラールは元気よく返事をした後、先に白鋼を使わないよう自分の手を膝の上へ置いた。


「何も固定しません!」


「必要な時はして」


「はい!」


 絵麻は膝へ手を置いて待機するラールを見た。


「返事だけは完璧ね」


 馬車が南門前の検問所へ近づくにつれ、領内の様子が少しずつ見えてきた。


 黒鉄で補強された大門の向こうには、鉱石を積んだ大型荷車と、精錬炉へ続く運搬軌道が並んでいる。煙突からは灰色の煙が上がり、門の内側では作業員たちが群青の旗へ警戒した視線を向けていた。


 卓斗は窓から見える岩壁上と門前の兵士を順に数えた。


「昨日より人が多いな」


 エルザヴェートは馬車の中で腕を組んだまま、岩壁上と門内に配置された兵士たちを見た。


「交渉相手が候補者だからね。ボクが逆の立場でも、このくらいは並べるよ」


 絵麻は群青の旗へ視線を向ける門内の兵士たちを見ながら尋ねた。


「怖くない?」


「警戒される理由が分かっているなら、怖さと判断は分けられるさ」


 馬車は検問所から三十メートル手前で止まった。


 ローデリヒとミレーネが先に降り、その後へエルザヴェート、ナーヴァ、卓斗たちが続く。群青側の護衛騎士は白旗の下へ整列し、剣へ手をかけずに待機した。


 鉄色側から現れたのは、煤の染みた外套を着た大柄な男だった。


 年齢は四十歳前後。腰には幅広の剣を下げているが、手は柄へ伸びていない。磨かれた軍装よりも、鉱山と守備隊の両方を知る現場責任者の雰囲気を持っていた。


 男は白旗、群青の旗、エルザヴェートの順に視線を動かした。


「ガルド鉱石領守備責任者、ドレイク・ハルトマンだ。書状は受け取った。だが、門を開けるとは返していない」


 エルザヴェートは検問所の前でドレイクと向き合い、笑みを崩さずに答えた。


「分かっているよ。今日は記録を見てもらいに来た。まずは、それだけでいい」


 ローデリヒが一歩前へ出て、群青の封蝋が押された正式書状を差し出した。


「ヴァルネ補給領で確認された領地核異常の記録です。欠損の発生時刻、供給量、地下導線の反応、斥候隊の接近時刻をまとめています」


 ドレイクはローデリヒから書状を受け取り、背後に控える鉄色側の記録官へ渡した。


「斥候隊の件はこちらも報告を受けている」


「では、彼らが異常を初めて見たことも?」


「聞いている。だが、それで鉄色側への疑いが消えるわけではないのだろう」


 エルザヴェートは腕を組んだまま、検問所の前に立つドレイクを正面から見た。


「消してはいないよ。斥候隊が仕掛けた証拠はない。バルタザール陣営全体が無関係だという証拠もない。だから、記録を確かめたい」


「候補戦の相手に、領地の地下記録を見せろと?」


 ミレーネは持参した記録箱から三枚の紙を取り出し、検問所に設けられた石卓へ並べた。


「全部ではない。ヴァルネへ続く旧地下導線の運用記録。管理所の開閉記録。停止中の導線へ流してる点検用魔素の記録。この三つだけ」


 恵依は自分の専用ケースへ手を触れず、石卓へ並べられた三枚の紙面だけを示した。


「領地核本体へは触れません。採掘場、精錬施設、住民区画へも立ち入りません。確認した内容は、鉄色側にも共有します」


 ドレイクは紙面を示す恵依へ視線を向けた。


「お前が、ヴァルネの欠損を読んだ者か」


「はい。流川恵依です」


「解析の魔素を持つと聞いている」


 恵依は専用ケースを開かず、その場での確認方法を明確にした。


「ここでは使用しません。記録紙と、許可された範囲だけで確認します」


「賢明だ」


 ドレイクは石卓へ並べられた記録へ目を落とした。


 ミレーネが最初の紙面を開く。青い線が領地核の出力、赤い線が地下欠損、黒い印が鉄色側の斥候隊が確認された時刻を示していた。


 ミレーネは記録紙に並ぶ時刻印を順に指した。


「最初の大きな欠損は、斥候隊が現れる二刻前。撤退した後も、同じ周期で減ってる。侵入中に領地核へ何かを加えた記録もない」


 ドレイクは石卓へ広げられた記録紙から顔を上げた。


「この記録が正しい保証は?」


 ミレーネは記録紙の表面へ指先を近づけ、重ねられた記録層を示した。


「記録の魔素で残した原本だよ。後から書き換えれば、記録層の順番が崩れる。そちらの記録官でも確認できるはず」


 ドレイクが背後へ顎を動かすと、鉄色側の記録官が石卓へ進み出た。


 男は紙面へ魔素を流し、重なった記録層を一枚ずつ確認していく。しばらくして顔を上げ、検証結果を示すようドレイクへ小さく頷いた。


「改変の痕跡はありません」


 ドレイクは記録官の報告を受けた後も、石卓の紙面から目を離さなかった。


「記録が正しいとしても、地下導線がガルドへ続いているだけで、こちらが原因だとは証明できん」


 エルザヴェートはドレイクが示した記録上の限界をすぐに認めた。


「その通りだね。ボクたちも、鉄色側を犯人と決めてはいない」


「なら、ガルドへ入る理由にはならない」


「ヴァルネ側だけでは、経路の先を確かめられないからだよ」


 エルザヴェートの返答に、ドレイクの眉が僅かに動いた。


「候補者同士でなければ、もっと簡単だったかもしれないね」


「候補者同士だからこそ、簡単に見せられん」


「分かっているさ」


 エルザヴェートは胸元のネックレスへ触れず、門の奥にある管理塔へ視線を向けた。


「ボクが逆の立場でも、領地核へつながる管理所へ相手候補を入れることは躊躇うだろうね」


「それでも求めるのか」


「ヴァルネの住民を守るために必要だからね」


 ドレイクはしばらく黙り、今度はエルザヴェートの胸元で光るネックレスへ視線を移した。


「こちらには別の疑いもある」


 朝の光を受け、青白い石が淡く明滅していた。


 ドレイクはヴァルネで領地核と共鳴した青白い石を見たまま続けた。


「ヴァルネの領地核と強く共鳴したのは、その石だろう。異常が始まった場所へ候補者が現れ、領地核が反応した。なら、原因がそちらにある可能性もある」


 ローデリヒはエルザヴェートのネックレスへ向けられた疑いを聞き、表情を硬くした。


「エルザヴェート様の母君の形見を、原因と決めつけるおつもりですか」


「決めつけてはいない。疑う理由があると言っている」


 エルザヴェートが隣に立つローデリヒを短く呼ぶと、ローデリヒはそれ以上の反論を止めた。


「ローデリヒ」


 エルザヴェートはドレイクを見たまま、ネックレスへ向けられた疑いを認めた。


「疑う理由はあるよ。だから、こちらも隠さず記録を持ってきた」


 恵依はエルザヴェートが帝都にいた時間帯を記した二枚目の記録紙を開いた。


「エルザヴェートさんが帝都にいた時間帯にも、欠損は発生しています。ネックレスがヴァルネへ近づく前から、領地核の減少は始まっていました。離れた後も止まっていません」


「なら、石は無関係か」


 恵依は記録紙に残された共鳴後の欠損量を確認し、すぐには断定しなかった。


「無関係とは断定できません。石と領地核が共鳴した後、欠損量が一時的に増えています。異常の原因ではなくても、接続を強めている可能性はあります」


 ドレイクは恵依たちに不利となる記録まで提示された紙面を見た。


「自分たちに不利な記録も出すのか」


「分からないことを、都合よく消すつもりはありません」


 ドレイクは恵依の返答を聞き、もう一度石卓の記録へ目を落とした。


 完全に拒絶するには、提示された内容が具体的すぎる。かといって、候補戦の相手へ防衛設備を開くには危険が大きすぎる。その二つを量るように、彼は無言で記録紙の線を追った。


 ドレイクは記録紙に残された欠損と共鳴の時刻を確認した後、開示できる範囲を告げた。


「旧導線の表面記録だけなら見せる。管理所への立ち入りは認めない。領地核周辺へも入れん」


 エルザヴェートは提示された制限を押し返さず、その場で受け入れた。


「十分だよ。まずは記録から始めよう」


 ドレイクの指示で、記録官が帳簿を取りに門内へ戻った。


 待っている間も、岩壁上の弓兵は位置を変えない。群青側の騎士たちも剣へ触れず、白旗の下で立ち続けていた。


 ナーヴァは白旗の下で待機する卓斗の右腕が持ち上がっていることに気づき、小声で呼んだ。


「卓斗。右手、上がってる」


「何もしてないけど」


 卓斗は胸の前へ持ち上がっていた右腕に気づき、固定布ごと膝へ戻した。


「見られてると落ち着かないんよ」


「だから動かない」


「分かってる」


 ティナは岩壁上の兵士たちへ正面を向いたまま、卓斗へ注意を置いた。


「タク。岩壁上を睨まないことね」


「睨んでないって」


「面倒そうな顔をしているわ」


「それはいつもだろ」


「それが問題なのよ」


 絵麻は卓斗とティナのやり取りに小さく息を漏らしたが、すぐに右脇腹へ手を添えた。


「笑わせないで」


「勝手に笑ったじゃん」


 恵依は白旗の下で待機する卓斗と絵麻へ声を落として注意した。


「二人とも静かにしてください」


 恵依の声で、卓斗と絵麻は同時に口を閉じた。


 やがて記録官が厚い帳簿二冊と、細長い記録板を持って戻ってきた。


 石卓へ置かれた帳簿には、地下導線ごとの供給量と点検時刻が記されている。ヴァルネへ続く旧導線の欄は一か月間すべて停止となっており、正式な供給量もゼロだった。


 ドレイクは帳簿へ押された停止処理の印と、細長い記録板を照らし合わせた。


「停止処理に偽りはない。管理所の開閉記録にも異常はない」


 ミレーネは帳簿の下段に記された微量供給の欄へ指を置いた。


「点検用魔素は?」


「導線を完全に乾かさないための微量供給だ」


 記録上は、毎刻同じ量が送られ、同じ量が戻っていることになっている。


 しかし、細かく見れば戻り値に小さな差があった。一定周期で、送った量より僅かに少なくなっている。


 ミレーネは点検用魔素の戻り値が減っている箇所を指し、ヴァルネの記録紙を帳簿の横へ並べた。


「ここ、減ってる。第五刻、第二刻、第六刻。全部、ヴァルネの欠損が開いた後に近い」


「誤差の範囲だ」


「一回だけならね」


 恵依は帳簿へ近づきすぎず、点検用魔素の減少時刻を順に追った。


「周期が似ています。完全な一致ではありませんが、偶然として処理するには偏りがあります」


 絵麻は石卓へ並べられた帳簿とヴァルネ側の記録紙を見比べた。


「ガルド側でも抜かれてる?」


「可能性があります」


 ドレイクは点検用魔素の戻り値が減っている記録へ目を落とした。


「なら、こちらも被害側ということか」


 ドレイクの声が僅かに低くなった。


 恵依は帳簿に残る周期だけでは被害側と確定できないため、首を振った。


「まだ断定はできません。ただ、ヴァルネだけの異常ではない可能性は高まりました」


 ミレーネは一冊目の帳簿から、別方向へ延びる旧導線の記録へ確認を移した。


「旧鉱山側の記録は?」


 記録官は持参した二冊目の帳簿を開き、閉鎖された旧鉱山へ続く導線の欄を示した。


 閉鎖された旧鉱山へ続く導線も、正式には停止している。しかし、点検用の微量魔素だけが同じように減っていた。


 卓斗はヴァルネ側と旧鉱山側の二つの記録を見て、ガルドと旧鉱山を結ぶ地図へ目を落とした。


「二方向とも生きてる。ヴァルネから来て、ここで分かれてるんじゃなくて、両方から取られてる可能性もある?」


 恵依はヴァルネ、ガルド、旧鉱山の三地点に残された記録を重ねて答えた。


「あります。地下網全体から、少量ずつ集めているのかもしれません」


 ドレイクの表情から、最初の余裕が消えた。


 ドレイクは二方向の導線で魔素が減っている帳簿を閉じず、そのまま記録官へ指示した。


「記録官。この帳簿は複写して内部調査へ回せ」


「はっ」


 エルザヴェートは内部調査を命じたドレイクへ、改めて管理所への立ち入りを確認した。


「それでも、管理所へは入れない?」


「入れん」


 ドレイクの返答は変わらなかった。


「異常がある可能性は認める。だが、候補戦の相手へ領地核の防衛経路を見せる理由にはならない」


「こちらが見なければ、ヴァルネ側との照合ができない」


「鉄色側で調べる」


「ボクのネックレスとの共鳴は?」


「記録を提出しろ。必要なら、こちらから質問を送る」


「ボク自身は入れない?」


「認めない」


 エルザヴェートはすぐに言い返さず、鉄色の旗と門の奥にある管理塔を見た。


 ドレイクの判断は、単なる敵意ではない。彼が守備責任者である以上、候補者と国外騎士を領地核へ近づけないのは当然だった。


 その時、門内から一騎の伝令が駆けてきた。


 鉄色の外套を着た兵士は馬を降り、封蝋された書状をドレイクへ渡す。封にはバルタザール陣営の軍務印が押されていた。


 伝令兵はバルタザール陣営の軍務印が押された書状を両手で差し出した。


「バルタザール様からです」


 ドレイクは伝令兵から書状を受け取り、封を切って内容を最後まで読んだ。


 視線が一度だけエルザヴェートへ上がる。


「正式命令が届いた」


「答えは?」


 ドレイクはバルタザールから届いた正式命令を手にしたまま、群青側へ内容を伝えた。


「地下導線の調査は鉄色側のみで行う。群青側と国外騎士の領内立ち入りは認めない」


 ローデリヒは正式に立ち入りを拒否された命令を聞き、目を細くしたが、剣へ手は伸ばさなかった。


「ヴァルネの記録は受領する。異常が確認された場合は、結果を候補戦管理局へ提出する」


 ミレーネは調査結果が提出されるまでの期間を確認した。


「調査の期限は?」


「定められていない」


 恵依はヴァルネの欠損記録が置かれた紙面を押さえた。


「それでは、ヴァルネの結界が先に落ちる可能性があります」


「分かっている」


 ドレイクはヴァルネ側の危険を否定せず、短く答えた。


「だが、こちらにも守る領地と住民がいる」


 エルザヴェートは数秒だけ目を閉じた。


 押し通せば、記録を見せてもらった事実まで侵入の口実へ変わる。ここで剣を抜けば、話し合いへ来たという自分の選択そのものを裏切ることになる。


 エルザヴェートは目を開き、検問所の前に立つドレイクへ穏やかな声で答えた。


「分かった。今日は退くよ」


 ローデリヒは立ち入りを拒否されたまま退く判断を確認するため、エルザヴェートの名を呼んだ。


「エルザヴェート様」


「これ以上押せば、交渉じゃない」


 エルザヴェートは検問所の前へ掲げられた白旗へ視線を向けた。


「ボクたちは話すために来た。ここで戦うためじゃない」


 ドレイクは彼女の返答を聞き、僅かに眉を寄せた。


「この件を口実に、領地を攻めるつもりか」


 エルザヴェートは南門の上に掲げられた鉄色の旗を正面から見た。


「調査する道が閉ざされたままで、ヴァルネの異常も止まらないなら、候補戦の規則で、この領地を取りに来る」


 岩壁上の兵士たちへ緊張が走った。


 それでも、群青側は誰も武器へ手を伸ばさない。エルザヴェートも腕を組んだ姿勢を崩さなかった。


 エルザヴェートは岩壁上と門前の兵士が警戒を強める中でも、今日の交渉と今後の候補戦を分けた。


「でも、今日ここでは戦わない」


「宣言を出してから来るということか」


「そうだよ」


「随分と律儀だな」


「順番を守らずに奪えば、取った後に誰も信用してくれないからね」


 ドレイクはしばらくエルザヴェートを見た後、ヴァルネ側から提出された記録紙を石卓から持ち上げた。


「ヴァルネの記録は預かる」


 ミレーネはドレイクが持ち上げた記録紙に残る記録層の印を示した。


「写しだよ。原本はこちらに残す。改変があれば分かるからね」


「承知した」


 ローデリヒは検問所前に整列する群青側の護衛騎士へ、来た時と同じ状態での撤収を命じた。


「白旗を維持。隊列を崩さず、馬車へ戻れ」


 群青側は来た時と同じ順序で検問所を離れた。


 南門が閉じられる音を背後に聞きながら、卓斗は一度だけ鉄色の旗を振り返る。話は完全に無駄ではなかったが、門は開かなかった。


 馬車へ乗り込んだ卓斗は、向かいの座席に座るエルザヴェートへ尋ねた。


「結局、戦うことになる?」


 エルザヴェートは馬車の窓の外へ流れていく岩壁を見た。


「たぶんね」


「嫌そうじゃないな」


「戦いたいわけじゃないよ」


 エルザヴェートは窓の外に続くガルド鉱石領の岩壁から視線を外さずに答えた。


「でも、ヴァルネを守るために必要なら、避けるつもりもない」


「今度は白旗じゃない?」


「次は候補戦の旗だね」


 その日の夕方、一行はガルド鉱石領から二キロ離れた外部宿営地へ戻った。


 天幕の中央には領地図、南門の配置、運搬軌道、精錬施設、管理塔までの経路が並べられる。交渉班として同行していた候補戦管理局の立会人も、決裂までの経緯を正式記録へ残していた。


 エルザヴェートは群青の旗札を、領地図に記されたガルド鉱石領の南側へ置いた。


「制圧宣言を出す。目的は二つ。地下導線管理所を確保して、ヴァルネの異常を調べること。もう一つは、候補戦の領地としてガルドを取ること」


 ナーヴァは領地図上の住民区画、採掘場、精錬炉へ除外印を置いた。


「住民区画、採掘場、精錬炉は攻撃対象外。降伏者、戦闘不能者も攻撃しない」


 ローデリヒは南門から領内へ延びる運搬軌道を見た。


「運搬軌道は?」


 恵依は南門から中央精錬区画へ続く二本の線を確認した。


「完全には止めません。住民用の物資と燃料は通します。守備兵へ送られる武器と結界石だけを識別できれば、補給量を制限できます」


 ミレーネは物資の確認場所となる東側荷場へ印をつけた。


「現地で荷札を確認する必要があるね。斥候班を先に出して、運搬経路と住民の避難先を記録する」


 ナーヴァは南門、東側荷場、住民の退避路が記された領地図を見ながら、絵麻の役割を決めた。


「絵麻は斥候と救助。空間操作は緊急時だけ。先に住民の退避路を見る」


「了解」


 ナーヴァは次に、地下導線と領地核への経路が記された箇所を示した。


「恵依とゲブは結界と領地核への経路」


「はい」


 ナーヴァは補給路と前衛の配置が記された領地図へ指を移した。


「卓斗とティナは補給路と前衛支援。でも、右腕は禁止。左も小出力だけ」


「分かった」


 エルザヴェートは群青側本隊の配置を確認しながら、ローデリヒの担当を定めた。


「ローデリヒは正面防衛線。ボクは本隊中央。自律刃は兵士と住民を分ける。武器を捨てた者は追わない」


 ローデリヒは正面防衛線の位置を確認し、エルザヴェートの周囲を守る役割も引き受けた。


「エルザヴェート様の周囲は、私が守ります」


 エルザヴェートは残る敵配置と全体の連絡役を確認した。


「ミレーネは敵配置と地形記録。ナーヴァは全体の接続役」


 ナーヴァはエルザヴェートが指揮する群青陣営と、自分が限界を判断する卓斗たちの境界を明確にした。


「群青側の指揮はエルザヴェート。卓斗たちの限界判断は私。どちらかが撤退を決めたら、無理に残さない」


「受け入れるよ」


 作戦の骨格が固まると、候補戦管理局の立会人が正式書式を卓上へ置いた。


 制圧対象は、バルタザール陣営保有のガルド鉱石領。開始時刻は翌朝の第一鐘。南門、東側荷場、北西採掘路の三方向から候補戦区域へ入ることが認められる。


 エルザヴェートは制圧対象と開始時刻、進入可能な三方向を最後まで確認し、書面へ群青の封蝋を押した。


「これで、次は戦いだね」


 ナーヴァは封蝋が押された制圧宣言の書面から目を離さなかった。


「まだ止められる。バルタザール側が調査を認めれば、開始前に撤回できる」


 エルザヴェートは管理所への調査が認められた場合の撤回を迷わず受け入れた。


「そうなれば、その方がいい。でも、たぶん来ないだろうね」


 夜になると、群青側の天幕では白旗が下ろされ、候補戦用の群青旗へ付け替えられた。


 騎士たちは武器と防具を点検し、治療役は搬送用担架と止血具を確認する。補給担当は住民用物資と軍用物資を分ける荷札を用意し、ミレーネは南門周辺の地形を何度も記録紙へ重ねた。


 同じ頃、ガルド鉱石領の南門では、ドレイクが守備隊を三列へ分けていた。


 門前へ重盾兵、岩壁上へ弓兵、門内の狭路へ槍兵を配置する。精錬区画と住民区画の間には退避線が引かれ、戦闘が門を越えた場合に備えて作業員の移動も始まっていた。


 伝令兵は群青側から届いた制圧宣言の書面を、南門の守備配置を進めるドレイクへ差し出した。


「群青側、制圧宣言を提出しました。開始は明朝第一鐘です」


 ドレイクが書面の内容を確認していると、門内から低い笑い声が響いた。


「話で入れねえなら、旗を取りに来るってわけか」


 大柄な女が、肩へ長柄の戦斧を担いで歩いてくる。


 赤褐色の髪を後ろで束ね、鉄色の胸当ての上から短い外套を羽織っていた。バルタザール陣営副官、フェルダ・クロイツはドレイクから制圧宣言を受け取り、豪快に口角を上げた。


「エルザヴェートらしいじゃねえか」


 ドレイクは守備隊の配置を進めながら、制圧宣言を手にするフェルダへ告げた。


「遊びではありません」


「分かってるよ」


 フェルダは肩へ長柄の戦斧を担いだまま、南門の外へ視線を向けた。


「だから面白いんだろ。話す順番を守って、その後で正面から来る。あの剣姫が、どこまで自分で選んで進めるか見せてもらおうじゃないか」


 夜明け前、南門を挟んで群青と鉄色の旗がそれぞれの陣地へ掲げられた。


 白旗はもうない。


 ヴァルネを守るための調査は、候補戦の規則に則った最初の領地制圧へ姿を変えようとしていた。



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