第三章 4 『母の形見と九色の石』
エルザヴェート陣営の仮宿舎は、東演習場から二本の通りを挟んだ先にあった。
灰白色の石造りの建物を、群青の旗と簡易柵が囲んでいる。正面玄関には武装した騎士が二人立ち、裏手へ続く路地にも見張りが配置されていた。
卓斗たちはローデリヒの案内で玄関を通り、一階奥の会議室へ入った。
室内には長方形の卓と十二脚の椅子が置かれ、左右の壁には帝都周辺の地図と候補領を示す旗札が並んでいる。窓は二つ。出入口は入ってきた扉だけで、奥の壁には群青の布で覆われた細い棚があった。
「窓の外に二人。廊下に三人」
ナーヴァは室内へ入るなり、周囲の気配を確かめた。
「護衛です」
ローデリヒはエルザヴェートの斜め前へ立ち、卓斗たちとの距離を三メートルほど保った。
「皆様を拘束する意図はありません。ただし、エルザヴェート様の安全を預かる立場として、必要な配置は取らせていただきます」
「こっちも同じ」
ナーヴァは卓の手前側を選び、卓斗たちを背後へ隠さない位置へ立った。腰のデュランダルには触れていないが、エルザヴェートとローデリヒの両方を視界へ収めている。
「話す範囲は、私たちで決める」
「承知しました」
「座って話そう。立ったままでは落ち着かないだろう?」
エルザヴェートは卓の奥側へ回り、中央の椅子へ腰を下ろした。
公開訓練の時と同じく、口元には余裕のある笑みが浮かんでいる。胸元のネックレスは群青の上着の外へ出され、中央の青白い石が室内の光を反射していた。
「ローデリヒも座ったらどうだい?」
「私はこの位置で結構です」
「そう言うと思ったよ」
エルザヴェートの右隣にはミレーネが座り、演習場で使っていた記録紙を卓上へ置いた。
卓斗たちも反対側へ腰を下ろす。中央にナーヴァ、その右側に恵依とゲブ、左側に卓斗とティナ、その隣に絵麻とラールが並んだ。
「改めて名乗ろうか」
エルザヴェートは胸元へ片手を当てた。
「ボクはエルザヴェート・グリュンデューテ。剣聖候補の一人で、この群青旗を預かっている」
「預かってるって言い方なんだ」
卓斗は壁へ掲げられた旗を見た。
「自分の旗じゃないの?」
「ボク個人の所有物ではないからね。支持してくれる者たちが掲げている以上、好き勝手に扱えるものではないだろう?」
「候補者って、もっと俺について来いみたいな感じかと思ってた」
「そういう者も嫌いではないよ。強い自信を持つ者は、観察していて面白い」
「全部、観察基準なん?」
「知ることは楽しいからね」
エルザヴェートは笑みを深め、ナーヴァへ顔を向けた。
「それで、フィリスティア第六騎士団が追っている特殊な石について聞かせてもらえるかな?」
「先に確認」
ナーヴァは恵依の腰にある専用ケースへ視線を落とした。
「私たちは、あなたのネックレスを奪わない。許可なく触らない。外さない。持ち出さない」
ローデリヒの表情が僅かに動いた。
「その言葉を、どこまで信用すればよろしいのでしょうか?」
「信用しなくていい」
ナーヴァの返答に、室内の空気が一瞬止まった。
「確認して。監視して。条件を決める。その上で、必要なら協力する」
「随分と率直ですね」
「隠して、後で疑われる方が面倒」
卓斗はナーヴァの横顔を見て、僅かに眉を上げた。
「団長、そこだけ考え方が俺と似てない?」
「タクなら、もっと余計なことまで口にするわ」
ティナは即座に切り捨てた。
「まだ何もやらかしてないだろ」
「まだ、という自覚はあるのね」
エルザヴェートが喉の奥で笑った。
「悪くないね。信用を要求せず、確認する余地を残す。口先だけで安全を約束する者よりは話しやすい」
「エルザヴェート様」
ローデリヒが注意を促すように名を呼ぶ。
「警戒を解けとは言っていないよ、ローデリヒ」
エルザヴェートはネックレスへ指を添えたが、石を外そうとはしなかった。
「ただ、彼らが何を持ち、なぜこれと反応するのかは知っておきたい。ボク自身の問題だからね」
ナーヴァは卓斗へ顔を向けた。
「説明できる範囲で」
「俺?」
「最初に石を持ったのは、卓斗」
「いや、そうだけど」
卓斗は恵依と絵麻を一度見た。
二人が止めないことを確認してから、右手首の契約紋へ左手を添える。国境で魔素を使った影響は残っているが、指の痺れはすでに治まっていた。
「——俺たちは、フィオラっていう原初の人間を復活させるために、九つの分霊石を探してる」
ローデリヒの視線が鋭くなる。
「原初の人間を復活させる?」
「そこだけ聞くと、普通にヤバい集団っぽいよな」
「卓斗。話を逸らさないで」
絵麻が卓斗の横顔を睨んだ。
「分かってる。ちゃんと話すって」
卓斗は椅子へ座り直し、言葉を選んだ。
「フィオラは六百年前に封印されてて、ティナたちは昔、フィオラと契約してた。復活させるには分霊石が必要らしい。でも、石は今、土地の結界とか国の設備とか、そういうのに使われてる」
「必要だからと抜き取れば、周囲へ被害が出るということ?」
ミレーネは記録紙へ指を置き、卓斗の説明を整理するように問い返した。
「そう。最初に見つけた石も、旧街道の結界を支えてた」
卓斗は恵依の専用ケースへ視線を向けた。
「だから、本体はそのまま残した。俺たちが持ってるのは、石から託された接続核みたいなもの。詳しい使い方は、まだ分かってない」
「土地を支える石を残したまま、別の石を得たということかい?」
エルザヴェートは専用ケースを見ながら尋ねた。
「見た目は、そうなる」
「複製ではありません」
恵依が卓斗の説明を引き継いだ。
「本体と同じ出力を持つものではなく、接続と権限の一部を託されたものだと考えています。卓斗くん、私、絵麻さんの三人と、契約している竜精霊へ反応しています」
「三人のうち、誰か一人だけが扱えるものではない?」
「少なくとも、現時点ではそうです」
エルザヴェートは恵依の腰にあるケースを見た。
「それを、ここで見せてもらうことはできるかな?」
ローデリヒがすぐにエルザヴェートへ視線を向けた。
「エルザヴェート様。未知の物品です」
「卓上へ置く必要はないよ。ケースを開けず、反応だけ確認すればいい」
「こちらが先に確認します」
ナーヴァは席を立ち、恵依の隣へ移動した。
恵依は腰から専用ケースを外し、膝の上へ置く。留め具には触れず、外側の布だけを少し下げると、内部から九色の淡い光が漏れた。
光は室内へ広がらず、エルザヴェートの胸元へ細く伸びる。
ネックレスの青白い石が応じ、表面へ幾つもの色が浮かび上がった。
「昨日より近いから、分かりやすいわね」
絵麻は自分の契約紋へ触れた。
「私の方にも反応が来てる」
「俺もだ」
卓斗の右手首でも、竜紋の輪郭が白銀に明滅している。
エルザヴェートは興味深そうに石を見下ろした。恐怖はない。自分の胸元で起きている変化を一つも見落とさないよう、呼吸まで静かに整えている。
「母上から受け取った時には、こんな反応はなかった」
「お母さんの形見なの?」
絵麻の問いに、エルザヴェートはネックレスを持ち上げた。
「そうだよ。幼い頃から、ほとんど外したことがない」
「その石の由来は?」
ナーヴァが続けて尋ねる。
「詳しくは知らない。母上も、グリュンデューテ家に伝わる古い石だとしか教えてくれなかった。ボクの自律の魔素と相性がいいから、身につけておくようにと言われたんだ」
「能力が現れたのは、いつ?」
「ネックレスを譲られた後だね」
エルザヴェートの答えに、ミレーネが手元の記録紙をめくった。
「正確には、ネックレスを受け継いで三か月後。最初は一本だけだったよね?」
「一本だけさ。しかも、机の上の林檎へ向かって飛んでいった」
「何で林檎?」
卓斗が首を傾ける。
「ボクが食べようとしていたからじゃないかな」
「自動で皮を剥いてくれたとか?」
「芯ごと八つに分かれたよ」
「便利判定していいか微妙だな」
「ボクは感動したけれどね」
ローデリヒは会話へ加わらず、九色の光とネックレスの間を見ていた。
敵意がないことを理解していても、エルザヴェートの胸元へ未知の魔素がつながっている状況を受け入れ切れてはいない。右手は剣の柄から離れているが、いつでも前へ出られるよう片足を半歩引いている。
「調べるなら、どうする?」
エルザヴェートが恵依へ尋ねた。
「触れる必要はありますか?」
「いいえ。まずは二メートル以上離れた位置から、表面へ現れている魔素の流れだけを確認します」
「危険が出た場合は?」
「即座に中断します。ゲブにも共鳴を広げさせません」
「分かった。やってみよう」
「エルザヴェート様」
ローデリヒの制止へ、エルザヴェートは穏やかに顔を向けた。
「無理に外すわけではない。ボクの能力に何が混ざっているのかを、知らないままにしておく方が危険だろう?」
「私が隣に立ちます」
「もちろんだよ」
エルザヴェートは椅子から立ち、卓の奥側へ二歩下がった。
ローデリヒが右斜め前、ミレーネが左後方へ移動する。ナーヴァも恵依の手前へ立ち、異常が起きた場合に双方を遮れる位置を取った。
卓からエルザヴェートまでは約三メートル。左右には椅子があり、背後には窓、右側には唯一の出入口がある。
「始めます」
恵依は専用ケースを閉じたまま膝へ戻し、エルザヴェートの胸元へ意識を向けた。
瞳の奥へ解析の魔素が集まり、ネックレスから伸びる細い経路が視界に浮かび上がる。
青白い石の内側には、単一ではない光が幾重にも重なっていた。外周を巡るのはエルザヴェート自身の自律の魔素。そのさらに奥に、古く密度の高い流れがある。
「流川様。私も表層のみ確認します」
ゲブが白銅の魔素を一本だけ伸ばした。
線はネックレスへ直接触れず、恵依が読み取った経路の外側へ沿う。二人の間で情報が重なり、石からエルザヴェートの胸元、両肩、背中、そして室内の空間へ広がる複数の線が浮かんだ。
「ネックレスの石は、エルザヴェートさんの魔素へ長期間つながっています」
恵依は流れを追いながら告げた。
「外部から力を与えるだけではありません。エルザヴェートさんの魔素も石へ流れ、戻ってきています」
「循環しているのかい?」
エルザヴェートは自分の胸元へ視線を落とした。
「はい。能力の発動経路の一部になっている可能性があります」
「外した場合、どうなる?」
ナーヴァが恵依へ尋ねた。
「断言できません」
恵依はネックレスと肩口の接続線を見た。
「ただ、無理に切り離せば、自律刃の制御や魔素循環へ影響する危険があります。少なくとも、装飾品だけを外すようには扱えません」
「やっぱり、すぐ取って渡して終わりじゃないのね」
絵麻は腕を組み、椅子の背へ寄りかかった。
「最初から、そのつもりはない」
ナーヴァが短く返す。
「本人の一部に近いなら、なおさら」
エルザヴェートは笑みを保っていたが、指先だけがネックレスの鎖へ触れた。
「興味深いね。ボクはずっと、これは刃を増やす補助具だと思っていた」
「数だけではありません」
恵依の視界で、石から伸びた線が室内の壁へ触れた。
「周囲の動きや敵意を判断する経路にも接続しています。エルザヴェートさんが意識する前に、石側で反応を拾っている可能性があります」
「つまり、ボクより先に刃が動く?」
「その可能性があります」
ミレーネは卓上の記録紙を素早くめくり始めた。
「待って。それなら、最近の記録と合うかもしれない」
「何が記録と合うんだい?」
エルザヴェートがミレーネへ顔を向けた。
「候補戦が始まってから、自律刃の初動が少しずつ早くなってるの」
ミレーネは三枚の紙を並べた。
空中へ魔素を流すと、過去の訓練が淡い線と人影として再生される。最初の記録では、相手が武器を振り上げた直後に刃が現れていた。二枚目では踏み込みと同時。三枚目では、相手の足が動く前から進路上へ刃が出ている。
「相手の動きを先に読んでいるだけじゃないの?」
卓斗は身を乗り出し、三枚の記録を見比べた。
「それなら説明できることもある。でも、こっちは違う」
ミレーネは別の記録を出した。
再生された兵士は、エルザヴェートへ背を向けている。武器も抜いていない。それでも、腰へ手を回した瞬間、背後の床へ刃が現れていた。
「この人は予備の短剣を確認しただけ。攻撃する意図はなかったって、訓練後に聞いてる」
「警戒しすぎて、攻撃だと判断したってこと?」
絵麻は記録の中で止まった刃を見た。
「当時は、刃が警戒しただけだと思った。でも、同じことが起きる回数が増えてる」
「ボクが命じる前に動くこと自体は、昔からあったよ」
エルザヴェートは記録紙へ近づいた。
「それが自律の魔素だからね。ただ、ボクが止めようと思えば止まっていた」
「最近、止めるのが遅れる時があるでしょ?」
ミレーネの声から明るさが消える。
「ほんの一瞬だけど、記録には残ってる」
エルザヴェートは答えず、三枚の記録紙を見比べた。
その沈黙と同時に、恵依の専用ケースが大きく震えた。
「流川様。流入が増えています」
ゲブが白銅の線をすぐに引き戻す。
九色の光がケースの隙間から溢れ、ネックレスへ向かって一気に伸びた。青白い石の内部でも複数の色が回転し、エルザヴェートの肩から室内へ広がる経路が強く明滅する。
「解析を止めます」
恵依は瞳へ集めていた魔素を閉じた。
だが、二つの石の間に生じた光は切れなかった。
室内の空気が張り詰める。
卓斗の右手首が熱を帯び、絵麻の契約紋も白く浮かび上がった。ティナたち三竜精霊の周囲には、それぞれの魔素が薄く広がっている。
「全員、動かない」
ナーヴァがデュランダルを抜いた。
刃先は誰にも向けず、床へ斜めに下げている。
エルザヴェートの背後で、壁の石材が小さく鳴った。
見えない刃が一本、窓の前へ現れる。次に扉の上、天井の中央、卓の左右へ続けて刃が生まれた。
刃そのものは透明に近いが、周囲の光が僅かに歪むことで輪郭だけが分かる。
「エルザヴェート様!」
ローデリヒが彼女の前へ踏み込んだ。
右足が床へ着く瞬間、重圧の魔素が周囲へ広がる。卓の脚と椅子が重く沈み、動き出しかけた不可視の刃にも上から圧力がかかった。
しかし、刃は停止しなかった。
窓前の一本が横へ滑り、外へ続く隙間を塞ぐ。扉の上に現れた二本は交差し、出入口を封鎖した。
「ボクは命じていない」
エルザヴェートは腕を下ろし、周囲の刃へ意識を向けた。
「消えろ」
普段なら命令と同時に消えるはずの刃が、薄く震えるだけで残り続ける。
「敵意への迎撃ではありません」
恵依は解析を閉じたまま、表面に漏れる流れを追った。
「二つの石が接続先を探しています。周囲の空間全体を、防衛領域として固定しようとしています」
「この部屋を閉じるつもりなの?」
絵麻が椅子から立ちかける。
「絵麻さん、動かないでください」
恵依は天井の刃を見た。
「移動へ反応する可能性があります」
天井付近の一本が、絵麻の動きへ合わせて角度を変えた。
先端が真下へ向く。
ラールが両手を上げ、絵麻の頭上へ白鋼の板を作りかけた。
「待って」
ナーヴァがラールの動きを制した。
「防御へ反応するかもしれない」
「あ、あわわ……止めます!」
ラールは形成途中の白鋼を崩し、魔素を引き戻した。
卓斗は右手を上げず、椅子へ座ったまま刃の位置を確認する。
窓に一本。扉に二本。天井に三本。卓の左右に四本。どれも人間の急所へ向いてはいないが、誰かが動けば進路を塞ぐ位置にある。
「閉じ込めるだけなら、斥力でどかせるかも」
「タク、何もしないで」
ティナはエルザヴェートの周囲へ視線を固定していた。
「あれは攻撃を受ければ迎撃へ切り替わる。力で押せば、全ての刃があなたへ集まるわ」
「それ先に聞けて助かった」
「私が遅くする」
ティナの白銀の魔素が、床と壁の境界へ薄く流れた。
刃そのものへ触れず、室内の空間密度だけを僅かに高める。動きを封じれば敵対と判断される可能性があるため、刃が通る空間を重くし、速度だけを落とした。
天井の刃が絵麻へ向けて下がる。
だが、空気の中へ沈むように進みが鈍り、輪郭がはっきりと見えるようになった。
「止めてはいないわ。時間を作っただけよ」
「十分だ」
エルザヴェートはローデリヒの肩越しに、天井の刃を見上げた。
「これはボクの刃だ。誰かに守らされるためのものじゃない」
胸元の石へ右手を添え、自分の魔素だけを引き戻す。
室内へ広がっていた自律の線が、窓、扉、天井から一つずつ剥がれ始める。ネックレスの奥にある古い流れは残っているが、その外側を巡るエルザヴェート自身の魔素が、刃との接続を選び直していく。
最初に卓の右側の刃が消えた。
続いて左側、窓前の一本が薄く崩れる。扉を塞いでいた二本は抵抗するように震えたが、エルザヴェートが指先へ力を込めると、交差した中心から砕けるように消滅した。
最後に残ったのは、天井から絵麻へ向いていた刃だった。
「エルザヴェート様、無理をなさらず」
「大丈夫だよ、ローデリヒ」
エルザヴェートの声から笑みが消えていた。
「ボクが出したものなら、ボクが止める」
彼女が左手を開く。
刃の先端が絵麻の頭上二メートルで止まり、向きを変えた。そのまま誰もいない床へ降り、石材へ触れる直前に光の粒となって消える。
室内を満たしていた圧力が抜けた。
ティナは空間密度を元へ戻し、ローデリヒも重圧の魔素を解く。椅子と卓の脚が僅かに軋み、沈んでいた床の石材が元の高さへ戻った。
「怪我は?」
ナーヴァが卓斗たちを順に見回した。
「俺はない」
卓斗は右手首の熱が引いていくことを確かめた。
「私も平気」
絵麻は頭上を見上げたまま、ゆっくり椅子へ座り直した。
「でも、今のは普通に怖かったわ」
「俺も同じ」
卓斗は扉と窓を塞いでいた刃の位置を見た。
「動いたら斬られる会談とか、難易度高すぎだろ」
「敵意はなかったんだよ」
エルザヴェートは胸元のネックレスを見下ろした。
「それでも、ボクの命令より先に部屋を閉じた」
ローデリヒはエルザヴェートの前から退かず、ネックレスへ厳しい視線を向ける。
「今すぐ外すべきではありません」
「今の見て、外そうとする人いる?」
卓斗が思わず口を挟んだ。
「接続が切れたら何が起こるか分からない。取るなら、先に安全な方法見つけないと駄目だろ」
「あなた方が分霊石を必要としていても、ですか?」
ローデリヒはエルザヴェートを背後へ庇ったまま、卓斗へ問いを向けた。
「必要だからって、本人ごと壊したら意味ないだろ」
卓斗はローデリヒの視線を正面から受けた。
「石が欲しいのは本当。でも、渡すかどうかを決めるのはエルザヴェートだし、外せる状態にするのが先。無理なら、別の方法を探す」
「別の方法が見つからなければ?」
「その時に考える。今、答えを出す必要はないし」
「随分と曖昧ですね」
「分かんないことを断言するよりマシじゃない?」
ローデリヒは返答せず、卓斗を見たまま数秒黙った。
エルザヴェートは二人の間へ視線を動かし、僅かに笑みを戻した。
「ボクは気に入ったよ」
「何が?」
卓斗が警戒を残したまま問い返す。
「石を集める者が、石より先に持ち主の都合を考えることがさ」
「持ち主っていうか、今のほぼ身体の一部だろ」
「そうかもしれないね」
エルザヴェートは椅子へ戻り、ネックレスを服の上へ静かに下ろした。
「なら、提案がある」
ナーヴァがデュランダルを鞘へ戻す。
「聞く」
「候補戦の間、ボクの陣営に協力してほしい」
ローデリヒが僅かに振り返る。
「エルザヴェート様?」
「彼らがこの石を調べるには、ボクの近くにいる必要がある。ボクも、自律刃がなぜ命令より先に動くのか知りたい」
エルザヴェートは卓斗たち三人と三竜精霊を順に見た。
「それに、公開訓練で見せてもらった力は候補戦でも有用だ。分析、位置の操作、攻撃軌道への干渉。ナーヴァ団長の剣も含めて、興味が尽きない」
「最後、本音出てない?」
卓斗が呆れた顔を向ける。
「最初から隠していないよ」
「ああ、そうだったな」
卓斗は公開訓練で能力を観察された時の笑みを思い出し、椅子の背へ寄りかかった。
ナーヴァはすぐに了承しなかった。
「エルザヴェート陣営へ所属はしない」
「構わない」
「指揮権も渡さない。目的と条件が合う時だけ協力する」
「それもいい」
「分霊石を渡す約束を、条件にしない」
「当然だね。渡すかどうかは、調べてからボクが決める」
「民間人を犠牲にする作戦には参加しない」
「ボクも選ばないよ」
「ネックレスの扱いは、エルザヴェート本人が決める。国、家、陣営が先に決めない」
ローデリヒの目が僅かに細くなる。
「エルザヴェート様は、グリュンデューテ家の令嬢であり、剣聖候補です。ご本人だけで決められない問題もあります」
「相談するのと、本人を外して決めるのは別」
ナーヴァはローデリヒから目を逸らさなかった。
「国の防衛に関わるなら、帝国とも話す。でも、本人がいないところで、身体から石を外す決定はさせない」
ローデリヒの口元が引き締まる。
反論を探しているというより、ナーヴァの言葉がどこまでエルザヴェートを守るものか測っているようだった。
「ボクは、その条件を受け入れる」
エルザヴェートが先に答えた。
「エルザヴェート様」
「ローデリヒ。家や帝国へ報告が必要なのは分かっている。でも、これを外すかどうかについて、ボク抜きで結論を出されるつもりはないよ」
「……承知しました」
ローデリヒは深くはないが、明確に頭を下げた。
「ただし、危険が確認された場合は、エルザヴェート様の安全を最優先します」
「それでいい」
ミレーネは止めていた記録を再開し、双方の条件を一枚の紙へ書き込んでいく。
「明日、陣営本部の解析室を使おう。訓練記録も全部持っていく」
「領地核との接続も確認できますか?」
恵依がミレーネへ尋ねた。
「簡易核ならあるよ。本物の領地核ほど出力はないけど、候補戦用の魔素経路は再現できる」
「ネックレスの反応が、自律の魔素だけに限られるのか確認したいです。帝都の防衛結界や領地核ともつながっている場合、今日より大きな共鳴が起きる可能性があります」
「なら、周囲を空けておこう」
「退避路も必要です」
恵依が解析室の安全条件を続けると、ラールが勢いよく手を上げた。
「私が固定します!」
椅子の背へ当たりかけた右腕を慌てて引き、ラールはもう一度手を上げ直した。
「今度はちゃんと角度も確認します!」
「最初から確認して」
絵麻が呆れた声を出す。
「だ、大丈夫です! たぶん!」
「たぶんを付けないで」
ミレーネは笑いながら、記録紙へ退避路の項目を書き加えた。
「白鋼の壁が使えるなら、解析室の外側に追加の通路を作れるかも。あとで建物の形を見てもらおうかな」
「はい! 今度こそ完璧に作ります!」
「今度こそってことは、前は失敗してるの?」
ミレーネが興味を示すと、ラールは両手を胸元へ寄せた。
「す、少しだけです!」
「少しじゃないでしょ」
絵麻が即座に返し、卓斗は二人のやり取りを見ながら肩の力を抜いた。
会談が始まった時より、室内の警戒は薄れている。
それでも、ネックレスの問題が消えたわけではない。第二の分霊石である可能性が高まり、同時に、簡単には切り離せないことも分かった。
「ところで、協力するなら報酬とか出る?」
卓斗が尋ねると、絵麻が呆れた顔を向けた。
「今聞く?」
「大事だろ。国外任務で現地協力まで増えるんだぞ」
「フィリスティアから給料出てるでしょ」
「それとこれとは別じゃない?」
「タク、あなた本当にそういうところだけ現実的ね」
「生活は現実なんよ」
エルザヴェートは面白そうに卓斗を見た。
「報酬は用意しよう。情報提供と解析協力も含め、正式な契約書を作らせる」
「話通じるタイプだ」
「ただし、働きに見合わなければ減額するよ」
「急に厳しくない?」
「候補戦は遊びではないからね」
「そこは普通に正しいわ」
絵麻はエルザヴェートの条件に納得し、椅子の背から身体を起こした。
卓斗が不満そうに口を閉じる横で、ナーヴァはミレーネの記録紙を確認した。
「今日はここまで。全員、能力を使った。戻って休む」
「それがいいと思います」
恵依は解析を閉じてから視界の状態を確かめた。
白い明滅は出ていないものの、複雑な流れを追った影響で目の奥が重い。絵麻も椅子から立つ際、右脇腹へ手を添えていた。
「明日は何時に来ればいいですか?」
恵依がエルザヴェートへ確認する。
「第一刻の終わりに迎えを出そう」
エルザヴェートは立ち上がり、卓斗たちを見送るため扉へ向かった。
扉の前には、先ほど消えた不可視の刃の痕跡が薄く残っている。石壁も木枠も傷ついていないが、空間だけが細く冷えていた。
エルザヴェートはその場所へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「ボクの命令より先に、守る場所を決めたか」
「怖い?」
卓斗が尋ねる。
「少しはね」
エルザヴェートは誤魔化さずに答えた。
「自分の剣だと思っていたものが、ボクの知らない理由で動いている。面白いだけでは済まないだろう?」
「まあ、そうだな」
「でも、だから調べる」
彼女は胸元のネックレスを握らず、指先で石座の縁だけをなぞった。
「母上が何を残したのか。ボクの剣が何を見て動いているのか。知らないまま、誰かを守れるとは思わないからね」
ローデリヒはその言葉を聞き、エルザヴェートの横へ並んだ。
「明日は私も全ての確認に立ち会います」
「頼りにしているよ」
会議室を出る直前、ミレーネが一枚の古い記録紙を卓上から拾い上げた。
先ほど並べたものより古く、端が僅かに黄ばんでいる。そこには、幼いエルザヴェートが初めて複数の自律刃を出した日の動きが残されていた。
ミレーネは廊下へ出かけた足を止め、記録を再生する。
幼いエルザヴェートの前で、訓練用の人形が倒れる。
その直前、本人が手を動かすよりも早く、胸元の石から細い光が伸びていた。
「……最初から?」
ミレーネの小さな声に、エルザヴェートが振り返る。
「どうしたんだい?」
「ううん。明日、昔の記録も全部持っていく」
ミレーネは紙を閉じた。
笑顔は戻っていたが、記録紙を持つ指には力が入っている。
卓斗たちは群青の旗が並ぶ廊下を抜け、宿舎の外へ出た。
九色の石は専用ケースの中で静かになっている。それでもエルザヴェートのネックレスがある建物から離れるまで、三人の契約紋には細い熱が残り続けた。
第二の分霊石は、ただ保管されているのではない。
一人の少女の魔素と長い時間をかけて結びつき、本人より先に敵を見つけ、本人より先に守る場所を決めようとしている。
翌日、卓斗たちはエルザヴェート陣営の解析室で、ネックレスと領地核のつながりを調べることになった。




