第二章 25 『逃げるほど濃く』
森の奥へ続く月痕は、夜が深まるほど銀色を強めていた。
魔導人形の足跡だけでなく、蹴られた石の側面や折れた根の断面まで淡く光っている。逃走を続けた時間が、そのまま道へ重ねられていた。
「距離は開いたのに、前より分かりやすくなってない?」
卓斗は追跡車の前方から、木々の間へ伸びる銀色の筋を見た。魔導核の緑色の反応は弱いが、人形が通った道だけは見失いようがない。
「逃げ続ける対象には、月狩の印が重なります。時間を稼いだ分だけ、自分の痕跡も濃くしている状態です」
「逃げるほど位置バレするとか、逃走側だけデバフ重くない?」
「逃げなければ濃くなりません」
「そしたらその場で捕まるじゃん。選択肢が終わってる」
ミネルヴァは卓斗の感想へそれ以上答えず、馬上から左右の森を確認した。月痕は一本のままだが、古い獣道が何度も街道と交差している。
追跡隊は速度を上げず、先頭二騎、ミネルヴァ、追跡車、後方班の順に進んだ。負傷した騎士と馬は最後尾へ下げ、別の騎士が歩調を合わせている。
「私は地面に残る流れを追います。流川様は、運搬枠から漏れる反応だけをご覧ください」
ゲブの白銅が地面と風へ広がり、運搬枠から漏れる緑色の魔素を拾った。恵依は月痕の濃さと反応が届く間隔を重ね、人形の速度を計算する。
「先ほどより遅くなっています。左膝の損傷に加え、魔導核を抱え続けたことで右脚への負担も増えています」
「走ってる人形にも疲労ってあるの?」
「筋肉の疲労ではありません。関節の摩耗と魔素消費です。左側を庇うたび、右足首へ余分な圧力がかかっています」
「そろそろ電池切れしてくれないかな」
ティナは人形の足跡へ白銀の魔素を触れさせ、残った圧力を確かめた。歩幅は乱れていても、一歩ごとに込められる力はまだ大きい。
「期待するのは自由よ。ただし、あれには停止する意思がないわ。先に壊れるのは関節でしょうね」
「夢のない現実を丁寧に返してくれてありがとう」
旧街道は次第に幅を失い、追跡車の左右を枝が擦り始めた。前方では倒木が道の半分を塞ぎ、車輪を通せる隙間がない。
「ここから徒歩へ切り替えます」
ミネルヴァは倒木の手前で馬を止め、後方へ合図を送った。追跡車は負傷者と共にこの場へ残し、二人の騎士が馬と退路を守る。
「乗り物研修、終了?」
「一時中断です。帰路では乗っていただきます」
「もう徒歩で帰りたいんだけど」
「王都まで何時間かかると思っているんですか?」
「知らないから希望言ってんの」
卓斗たちは追跡車から降り、三人と三竜精霊で同じ隊列を作った。卓斗とティナが前寄り、恵依とゲブが中央、絵麻とラールが後方につく。
第四騎士団員は馬を引き、街道の左右へ間隔を取った。木々の隙間を進む斥候も、月光信号が届く距離から外れない。
倒木を越えた先で、銀色の痕跡が三方向へ散った。人形の背面装甲、指の一部、補助輪の破片が別々の獣道へ投げ込まれている。
「また偽物?」
絵麻は左の茂みに落ちた金属片を見た。表面には月の印が残り、料金所で見た偽反応より本物に近い。
「今回は人形自身の部品です。ですが、本体ではありません」
ミネルヴァは足を止めず、中央の足跡を追った。捨てられた外装にも一時的な印は残るが、地面へ新しい痕跡を作っていない。
「月痕は金属を追うものではありません。逃走を続ける行動へ重なります」
中央へ続く印は一歩ごとに濃くなり、捨てられた部品の印は同じ場所で薄れ始めていた。恵依とゲブが魔導核の反応を重ねると、本体の進路だけが一本に絞られる。
「自分のパーツ捨てても駄目って、追跡性能ガチすぎない?」
「成瀬さん。声量を落としてください。距離が近づいています」
「はい。静音モード入ります」
卓斗は声を抑え、足元の枝を避けた。すぐ後ろでティナが何か言いかけたが、前方の金属音へ顔を向ける。
木々の奥から、一定ではない足音が聞こえた。左脚を引きずる重い音と、右足で地面を強く蹴る音が交互に続いている。
「右前方から足音を拾いました。距離は百二十メートルほどです、流川様」
「金属音の間隔も伸びています。走行速度は、私たちが追いつける範囲まで落ちています」
ミネルヴァは右側の騎士二人へ森を回るよう指示し、自分は街道の中央を進んだ。弓へ一本の矢をつがえ、木々の隙間が開く瞬間を待つ。
月明かりの下を緑色の光が横切った。魔導人形は魔導核を胸部へ抱え、左膝を曲げきれないまま前へ進んでいる。
「見えた。今度こそ当てられる?」
「射線を確認します。魔導核と重なる間は撃ちません」
人形が右の木を避け、身体を左へ向けた。運搬枠が右側へずれ、右足首だけがミネルヴァから見える。
矢が放たれ、地面すれすれを月光が走った。矢尻は人形の右足首へ斜め後方から入り、外側の関節板を貫く。
魔導人形は一歩を踏み外し、右膝を地面へついた。胸部の運搬枠は両腕で支えられ、魔導核に衝撃は届いていない。
「止まった!」
「まだです。左脚が動いています」
ミネルヴァの言葉通り、人形は左手を地面へついて身体を起こした。右足首を固定したまま、左脚と両腕の補助で再び進み始める。
「根性の方向が機械じゃないって」
「黒い術式が、停止より運搬を優先させています。関節が壊れるまで進む可能性があります」
追跡隊は速度を上げ、人形までの距離を八十メートルへ縮めた。だが、街道の先には森を分ける深い谷と、一本の古い木橋が見えている。
橋は荷車一台が通れる幅を持つが、左右の手すりは半分以上失われていた。四隅を支える鎖も錆び、歩くたびに中央が沈む構造になっている。
「人形が橋へ入ります!」
恵依は橋と人形の重量を解析した。魔導核を含めても一度は耐えられるが、追跡隊と馬が続けて乗れば崩れる可能性が高い。
「騎馬は速度を落としてください! 一度に橋へ入らないで!」
ミネルヴァが命じる間に、人形は橋の中央を越えた。傷ついた脚でも足を止めず、対岸まで残り五メートルへ進む。
右腕の一部が開き、内部から短い刃が出た。人形は対岸側の固定鎖へ刃を当て、上から下へ切断する。
「橋、落とす気だ!」
右側の鎖が切れ、橋床が谷側へ大きく傾いた。続いて左の鎖にも刃が入り、木板を支える二本の縄が限界まで張る。
先頭の第四騎士団員は橋へ入る直前で馬を止めた。人形は対岸へ踏み出し、左の固定鎖まで切り終える。
木橋の対岸側が外れ、中央から谷へ落ち始めた。残った王都側の鎖だけで吊られ、橋板が垂直へ近づいていく。
「ラール、橋板をまとめて! 一本ずつ固定しなくていい!」
「中央三枚をつなぎます! 絵麻ちゃん、対岸の支点をお願いします!」
ラールは落下中の橋へ白鋼を伸ばし、中央に並ぶ板を一本の細い足場として固定した。左右の壊れた板は支えず、人が通る幅だけを残す。
白鋼の足場も対岸の支点を失い、谷側へ引かれた。橋全体の落下を止めるには、切れた固定鎖を元の位置へ戻す必要がある。
「絵麻さん、橋と対岸の距離を縮められますか?」
「支点が見えるならできる! でも、橋を上げる力はない!」
「距離だけで十分です。卓斗くんが鎖を引きます」
ゲブは谷の向こうに残る固定金具と、落下中の鎖の先端を白銅でつないだ。絵麻が二点の距離を縮めると、垂れ下がった鎖が対岸へ近づく。
卓斗が右手を上げるより先に、ティナの白銀が橋板へ広がった。谷底へ向かう勢いだけが削られ、鎖の先端が空中で一瞬止まる。
「重さは残したわ。引くなら今よ」
卓斗は右手を対岸へ向け、切れた鎖の先端にある金属環へ引力をかけた。金属環は絵麻が縮めた距離を進み、対岸の固定杭へ届く。
「届いた! でも、誰が留めるの?」
「私が行きます」
ミネルヴァは馬から降り、王都側に残る鎖を足場にして橋へ踏み込んだ。ラールが作った白鋼の中央路を走り、対岸へ跳ぶ。
着地と同時に固定杭へ鎖を回し、矢を留め具の穴へ差し込んだ。完全な修復ではないが、鎖が戻らないための仮の栓になる。
「一人ずつ渡ってください! 馬は騎士が引き、間隔を十メートル取ります!」
第四騎士団員が先に渡り、次に卓斗たちが白鋼の足場へ入った。橋板は足元で揺れるが、ティナが急な傾きだけを抑えている。
「下、見ない方がいいやつ?」
ティナは答えず、卓斗の靴底へ白銀を薄く通した。濡れた板との摩擦が増し、踏み出した足が横へ滑らなくなる。
「答えの代わりに足元固めるの、優しいのか雑なのか分かんないな」
「喋れるなら、そのまま進めるわね」
卓斗は対岸から目を外さず、恵依と絵麻も同じ足場を進んだ。ゲブとラールは契約者の隣を離れず、白銅の進路と白鋼の固定を維持する。
三組が渡り終えたあと、騎士たちは馬を一頭ずつ導いた。最後の馬が対岸へ着くと、ラールは白鋼の補強を薄くし、元の鎖と板だけで最低限保つ形へ戻す。
「帰りにまた渡るの?」
「修復班を呼びます。今の状態では、負傷者を通せません」
「帰路の問題、ちゃんと後回しにしない人で助かる」
橋を越えたことで人形との距離は一度広がったが、銀色の月痕はさらに濃くなっていた。右足首を損傷した人形は速度を上げられず、前方五十メートルほどで再び姿を見せる。
人形の走り方は、橋の手前から明らかに変わっていた。右足を地面へ置く時間が短くなり、その分だけ左腕を振って上半身の傾きを補っている。
「右足首の流れが途切れかけています。流川様、次の着地だけを詳しく読みませんか?」
「ですが、関節が外れた場合は腕を脚の代わりに使う構造へ切り替わります。停止するとは限りません」
「予備動作まであるの? 運搬人形にしては生存能力高すぎない?」
「荷を目的地へ届けるための機能でしょう。人形自身を守っているわけではありません」
恵依は魔導核を囲む保護膜も確認した。左膝と右足首が傷ついても、胸部の緑色の反応に乱れはなく、運搬枠は衝撃を外側へ逃がし続けている。
「脚を完全に壊しても、魔導核への衝撃は抑えられると思われます。ただし、胸部を斜め下から攻撃しないでください」
「戦う前から禁止方向増えてるんだけど」
「必要な情報です。覚えてください」
「はいはい。胸は避けて、脚と外側だけ」
第四騎士団員二人が左右の林へ入り、先回りする進路を取った。ミネルヴァと卓斗たちは旧街道の中央から人形を追う。
「前方に広い空間があります。古い荷替え場だと思われます」
恵依の解析が、岩壁に囲まれた円形の土地を捉えた。正面の旧街道に加え、左へ細い道、右へ崩れた斜面が続いている。
「出口が三つ。また偽物とかじゃないよね?」
「今度は実際の道です。人形が選ぶ前に、二つを塞ぎます」
ミネルヴァは左へ回った騎士へ月光信号を送り、右側の騎士には斜面の上を取らせた。追跡隊は速度を落とさず、荷替え場へ入る。
魔導人形は中央で一度止まり、左の細道へ身体を向けた。正面にはミネルヴァ、後方には卓斗たちが迫り、右斜面では第四騎士団員の矢が足元へ刺さる。
「絵麻さん、左道を!」
「分かってる!」
絵麻は人形と左の出口の間にある距離を引き延ばした。人形が一歩進んでも出口は近づかず、傷ついた脚だけが土を削る。
「ラール、右を塞いで!」
「右は私が持ちます! 絵麻ちゃんは左から目を離さないでください!」
ラールは右の崩れた斜面へ二枚の白鋼壁を立てた。岩壁そのものへ固定せず、倒れた木と大石を支点にして、人形が通れる幅だけを消す。
正面出口では、ミネルヴァと第四騎士団員が横一列へ広がった。矢を人形へ直接向けず、地面と左右の岩壁へ撃ち込み、進める場所を中央だけに絞る。
人形は左道への前進を止め、正面へ向き直った。逃走経路を探すように頭部の魔素灯が左右へ動いたが、三つの出口は全て塞がれている。
「追いついた。もう逃げ道ないよな?」
「逃げ道がなければ、次は排除へ移る可能性があります」
「恵依、安心させてから落とすのやめて?」
恵依の予測どおり、人形の胸部で黒い術式が組み替わった。西へ向かって伸びていた命令線が途切れ、追跡者へ向けた複数の線へ分かれる。
「流川様。逃走命令から迎撃命令へ変化しています」
魔導人形は緑色の魔導核を運搬枠ごと胸部へ固定し、両腕を左右へ広げた。腕の外装が開き、鋼線、固定杭、太い打撃用の金属腕が展開される。
「壊す場所を間違えないでください」
ミネルヴァは正面で弓を構え、人形の脚部と肩の接続部へ狙いを分けた。魔導核と古い制御核には、一本の矢も向けない。
「停止させるのは脚部と黒い命令線です。魔導核と元の制御核は回収します」
「了解。人形だけ止めて、荷物は無傷。相変わらず注文細かいな」
「できない場合は?」
「できる範囲で一番マシなの探す」
卓斗は人形の後方で右手を上げ、絵麻とラールは左右の退路を維持した。恵依とゲブは黒い術式の流れを追い、ティナは人形と魔導核の間へ白銀を届かせられる位置を探る。
正面をミネルヴァと第四騎士団、左右を白鋼と月光の矢、後方を三組が塞いでいる。逃げ道を失った人形は、最も近い卓斗たちへ頭部の魔素灯を向けた。
右腕から射出された鋼線が月光を切り、卓斗の胸元へ真っ直ぐ伸びた。追跡の終わりは、そのまま魔導核を奪い返すための戦闘へ変わった。




