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第二章 24 『追跡より先に』



 土へ隠されていた金属板が沈み、旧街道の左右に並ぶ石柱へ黒い術式が走った。


 先頭の騎士二人とミネルヴァの間で、街道の石床が壁のように持ち上がる。追跡車の後方でも鉄格子が地面から突き出し、後続の第四騎士団員を切り離した。


「追跡車を止めてください! 馬を中央へ寄せて!」


 ミネルヴァの命令を受け、御者が手綱を引いた。二頭の馬は前脚を上げて速度を落としたが、車輪脇の土から細い鉄杭が伸び始める。


 杭は車体を壊す角度ではなく、前輪と馬の後脚の間へ向いていた。移動手段だけを固定し、追跡隊を街道上へ残すための罠だった。


「絵麻、右の馬!」


「見えてる! ラールは左の車輪!」


 絵麻は右側の鉄杭と馬の後脚の間にある距離を引き延ばした。杭の伸びる速度は変わらないが、脚へ届くまでの時間が増える。


 ラールは左前輪の外側へ白鋼板を形成し、車軸の下まで支柱を回した。斜めから伸びた二本の杭が板へ当たり、硬い音を立てて止まる。


「あわわっ、下からも来ています!」


 追跡車の床下で金属音が続き、中央の杭が車軸へ向かって持ち上がった。白鋼板のない位置を狙い、車体ごと浮かせようとしている。


「タク、車体の上向きの慣性を弱めるわ。杭の根元をずらしなさい」


 ティナの白銀が追跡車の底へ広がり、持ち上げられた車体へ残る勢いを削った。卓斗は床下の杭ではなく、根元を支える金属金具へ引力を向ける。


 金具が右へ引かれ、中央の杭は車軸から十センチほど外れた。先端が車体の底を掠め、左側の白鋼支柱へぶつかる。


「馬車止める罠、多すぎない!? 徒歩を推奨する街道なの?」


「追跡者を通さないための街道です。文句はあとにしてください」


「ミネルヴァさん、敬語なのにずっと厳しいんよ」


 追跡車の前方では、ミネルヴァの馬が隆起した石壁へ進路を塞がれていた。壁は高さ三メートルまで上がり、先頭の騎士二人を月明かりの向こうへ隠す。


 壁の反対側から、馬の激しい嘶きが聞こえた。続いて石が擦れる音と、騎士の短い警告が響く。


「前方区画が谷側へ傾いています!」


 ミネルヴァは馬から降り、石壁の左端へ走った。壁と森の間には人一人が通れる隙間があるが、その先の地面も外側へ割れ始めている。


「先頭二名、状況を報告してください!」


「一頭が転倒! 騎手の右脚が鞍へ挟まれています! 石床は谷側へ傾斜中です!」


 壁越しの報告と同時に、街道全体が低く揺れた。先頭区画の石床は一枚の板のように傾き、谷へ落ちるための斜面へ変わろうとしている。


「人形の反応は前方へ移動しています」


 恵依は魔導核と罠の両方を解析し、進行方向を確かめた。緑色の反応はすでに数百メートル先へ進み、このまま救助へ時間を使えばさらに離れる。


「壁を壊せば追える?」


 絵麻は隆起した石壁を見上げた。中央を空間で抜ければ、人形の進路へ戻れる可能性はある。


「追跡対象は取り戻せます」


 ミネルヴァは石壁ではなく、向こう側で助けを求める馬の声へ意識を向けた。判断に迷う時間を使わず、弓を手に取る。


「ここで落ちた者は、同じ形では戻りません。先に二名と馬を救出します」


「了解。そっちの方が大事なら、早くやろう」


 卓斗は追跡車の手すりから降り、恵依と絵麻も同じ側へ移った。三人は石壁の手前に残り、別々の区画へ入らず救助を支える。


「流川さん。石床の傾き、騎士と馬の位置、罠の支点を確認してください」


「ゲブと共有します。少し時間をください」


「西野さんは退避距離の短縮。ラール様には足場をお願いします。成瀬さんは金属具だけを引いてください」


「役割決めるの早すぎ。もう現場見えてる?」


「見えないから、確認できる手段を先に置いています」


「はい、正論です」


 恵依は石壁の下を通して解析を広げ、ゲブが反対側の魔素流を白銅の線へ変えた。壁の向こうにある石床は横十二メートル、縦十五メートルほどで、谷側の二本の支柱がすでに外れている。


「流川様。転倒した馬は石床の右側です。騎士は鞍の下へ右脚を挟まれ、谷まで残り四メートルほどと思われます」


「もう一人の騎士は左奥です。馬を支えていますが、足元の亀裂が広がっています」


「支点は?」


「王都側の二か所だけが残っています。このままでは三十秒以内に外れる可能性があります」


 ミネルヴァは壁の左端から石床の一部を視認し、弓へ四本の矢を並べた。月光が矢尻から矢羽根までを包み、それぞれ別の角度へ向けられる。


「——月影四縫〈テトラ・セレネ〉」


 四本の矢が一度に放たれ、石壁の左右を回り込んだ。二本は傾く石床の谷側へ、残る二本は左右の岩壁へ突き刺さる。


 矢同士を結ぶ月光の線が張られ、落ちかけた石床の四隅を岩壁へ縫い留めた。傾斜は完全に戻らないが、谷へ沈む動きが一度止まる。


「長くは保ちません。救出を始めます」


「絵麻さん、壁の左端から騎士までの距離をつなげられますか?」


 恵依はゲブの白銅で位置を示し、石壁の左側へ淡い線を伸ばした。直線では壁に遮られるため、森側の隙間を回る経路になっている。


「騎士の姿は見えないけど、入口と位置が分かればできる。ラール、先に足場を入れて!」


「は、はい! 壁の左から曲げます!」


 ラールは石壁の手前から白鋼の板を伸ばし、森側の隙間へ沿わせた。板は壁の向こうへ曲がり、傾いた石床より水平な救助用の足場になる。


 両側には腰ほどの手すりを作り、谷側へ身体が流れないよう支える。足場の先端は転倒した馬から一メートル手前で止まった。


「あと一メートル、私が縮める!」


 絵麻は白鋼の足場と負傷した騎士の間を短くした。見た目の隙間は残るが、足場を進む騎士が一歩踏み出せば、転倒した馬の横へ届く。


「中央から一名、救助へ入ってください。命綱を二重に」


 第四騎士団員が腰へ二本の縄を結び、白鋼の足場へ踏み出した。石壁の角を曲がり、月光で縫い留められた石床へ入る。


 転倒した馬は谷側へ横倒しになり、脚を動かすたびに蹄が石を削っていた。騎士の右脚は鞍と地面の間へ挟まり、自力では抜けない。


「馬を直接起こすと、石床へ重さが移ります。先に鞍を外してください!」


 恵依は鞍の金具と騎士の脚の位置を解析し、ゲブが外す順番を白銅で救助役へ送った。腹帯、右鐙、胸当ての三か所が騎士を固定している。


「卓斗くん、右鐙の金属環を引けますか?」


「壁越しだけど、場所つないでくれたらいける」


 ゲブは右鐙から石壁の端を回り、卓斗の右手へ白銅の線を伸ばした。卓斗は人間や馬ではなく、騎士の足首を挟む金属環へ引力を絞る。


 鐙が鞍の外側へ引かれ、騎士の靴から外れた。救助役が腹帯を切り、胸当てを持ち上げると、挟まれていた右脚に隙間が生まれる。


「一人、外れました!」


 救助役は騎士の胸当てに補助縄をつなぎ、白鋼の足場へ身体を移した。負傷した騎士は右脚を引きずるが、意識はあり、自分の左足で進める。


 石床の左奥では、もう一人の騎士が立ったままの馬を押さえていた。馬は谷を見て怯え、後退するたびに亀裂へ蹄を取られている。


「先に馬を戻します。成瀬さん、鞍の後部環を中央側へ引けますか?」


「人じゃなくて金具ならいける。でも、馬ごと引くには重い」


「タク。谷側へ残る慣性を弱めるわ。引き上げる必要はないわよ」


 ティナは白銀を石壁の向こうへ通し、馬が後退するたびに生まれる谷側への勢いを抑えた。蹄が滑っても身体が大きく下がらず、騎士が手綱を扱える余裕が生まれる。


 卓斗は鞍の後部環へ引力をかけ、白鋼の足場へ向かう方向だけを示した。馬は金具へ引かれる力に合わせて前脚を置き直し、足場の先端へ身体を向ける。


「絵麻さん、馬の前だけ距離を短くしてください!」


「分かった。足場の幅は変えない!」


 絵麻は馬の前脚と白鋼板の間を短くした。馬が踏み出した一歩は通常より先へ届き、四本の脚が足場へ乗る。


 騎士は手綱を引いて馬を壁の裏へ誘導した。卓斗も鞍の金具を弱く引き続け、馬と騎士は中央区画へ戻る。


 最後に負傷した騎士と救助役が足場を渡り終えた。ラールが白鋼を解除するより早く、月光の四本線が激しく震え始める。


「支点が外れます!」


 ミネルヴァは四本の矢へ流す魔素を止め、全員が戻ったことを確かめた。次の瞬間、縫い留めを失った石床が谷側へ傾き、大量の土と石を落とす。


 石壁の向こうから轟音が響いたが、人も馬も中央側へ戻っていた。残された街道の半分が崩れ、追跡隊の前方には大きな段差ができる。


「前は助かったけど、後ろもまだ閉じてる!」


 絵麻が振り返ると、追跡車の後方では鉄格子が完全に上がっていた。後続の騎士たちは格子の向こうに残り、左右の林から開いた矢筒へ囲まれている。


「後方班、矢筒の向きを報告してください!」


「左右に四基! 中央区画へ二基向いています!」


 ミネルヴァは街道脇の石柱へ上がり、鉄格子越しに罠の配置を確認した。後方の騎士も馬を木の陰へ移し、弓で矢筒を狙える位置へつく。


「右奥から順に停止させます。中央の二基は私が受けます」


 黒い術式が矢筒へ届き、左右から十二本の矢が放たれた。ミネルヴァは石柱の上から矢を連射し、中央へ来る六本を空中で落とす。


 後方の騎士たちは木と馬を守りながら射線を分け、右奥の発射軸を破壊した。残る矢は追跡車へ向かったが、ラールが車体の後ろへ白鋼板を作って受け止める。


「流川様。罠の制御は、追跡車の真下に集まっています」


 ゲブの白銅が石床へ潜り、石壁、鉄格子、矢筒をつなぐ魔素流を追った。古い制御板へ黒い術式が重なり、罠を順番に起動している。


「装置を壊すと、石壁と鉄格子が固定されたままになります。黒い術式の循環だけを止めます」


「真下って、どうやって触るの?」


 卓斗は追跡車の床を見た。制御板は地面から一メートルほど下にあり、車体を動かさなければ直接見えない。


「鉄杭を抜き、追跡車を前へ一メートル動かします。ラールは車軸を支えてください」


「また馬車動かす作業? この一日で運送業に詳しくなりすぎだろ」


「成瀬さん、手を動かしてください」


「はい」


 卓斗は左前輪を止める杭の金具へ引力をかけ、外側へ抜いた。ティナが杭に残る上向きの勢いを抑え、馬や車体へ当たらない位置へ落とす。


 絵麻は右の杭と追跡車の距離を短くし、引き抜く方向を横へ固定した。ラールが車軸を白鋼で支えている間に、第四騎士団員が縄をかけて杭を倒す。


 自由になった馬が一歩進み、追跡車も前へ動いた。土の下から黒い線の走る制御板が現れる。


「接続点は四つです。ゲブ、古い魔素と黒い魔素を分けてください」


「承知しました、流川様。右手前から順に共有します」


 ゲブが四本の黒い線を浮かび上がらせ、恵依は循環の始点を特定した。ミネルヴァが矢尻を制御板へ差し込み、古い刻印を傷つけず黒い線だけを切る。


 術式の光が消え、矢筒の蓋が閉じた。鉄格子は途中で止まり、石壁を押し上げていた力も失われる。


 第四騎士団員が格子を縄で引き下ろし、後方班と再合流した。先頭区画の石壁もラールの白鋼で亀裂を固定し、中央だけを崩して人と馬が通れる道を作る。


 負傷した騎士は右足首を捻っていたが、骨に異常はなかった。第四騎士団員が添え木と包帯を巻き、別の馬へ乗せて追跡車の後方へ下げる。


 転倒した馬にも脚の擦り傷があった。走らせず後方の騎士が手綱を引き、別の騎兵が先頭へ入る。


「魔導核の反応、かなり弱くなりました」


 恵依は丘の先へ解析を伸ばしたが、緑色の波形は途切れかけていた。救助と罠の停止に時間を使った分、人形との距離は大きく開いている。


「逃げられたけど、見捨てて追うよりはマシでしょ」


 卓斗は応急処置を受ける騎士と、歩ける状態へ戻った馬を見た。魔導核を取り戻す必要は消えていないが、そのために誰かを谷へ落とす選択は最初からなかった。


「はい。追跡を中断した判断を、失敗として扱う必要はありません」


 ミネルヴァは弓を背へ戻し、再編した隊列を確認した。負傷者を守る後方班と、追跡を続ける先頭班の距離を近くする。


「第四騎士団は、逃げる敵を追う部隊です。ただし、味方を置き去りにするための部隊ではありません」


「了解。追いつく前に、こっちが減ってたら意味ないもんな」


 追跡車が再び動き、崩れた街道の中央を越えた。ミネルヴァは人形が進んだ方向へ月の魔素を伸ばし、残された印を拾い直す。


 魔導核の反応は弱いままだが、足跡へ残る銀色の月痕は先ほどより濃くなっていた。逃走を続けた時間だけ月狩の印が重なり、石や木の根にも細い光が残っている。


「距離が開いたのに、見えやすくなってる?」


「逃げ続ける対象ほど、月の印は濃くなります」


 ミネルヴァは馬を夜の森へ向け、一本に集まった銀色の痕跡を見た。人形は追跡隊を止めるために罠を使ったが、逃げた事実まで消すことはできていない。


「逃げ続けた分だけ、次は近づけます」


 再びつながった追跡隊は、森の奥へ伸びる濃い銀色の道へ入った。救助に使った時間は失われたのではなく、人形が残す月痕を、隠しきれないほど深く積み重ねていた。




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