第二章 23 『偽物の反応』
三本の旧街道には、同じ銀色の足跡と緑色の魔素反応が続いていた。
中央は丘の奥へ上り、右は木々の密集する森へ入り、左は乾いた谷へ下っている。月光の届き方は違っても、魔導人形の足跡と補助輪の幅に差はなかった。
「三隊に分かれれば、全部確認できるんじゃない?」
絵麻は料金所の前から三方向を見比べた。人形との距離が開き続けるなら、一つずつ調べるより同時に追った方が速い。
「分かれません」
ミネルヴァは即座に却下し、三人の契約者へ順番に視線を向けた。第四騎士団の騎士なら道ごとに送れるが、卓斗たちを別々の道へ置くつもりはないらしい。
「偽反応を三つ用意した目的が、追跡者の分断である可能性があります。用意された形に、そのまま従う理由はありません」
「正論。じゃあ全員で適当に一本選ぶ案は?」
「ありません」
「選択肢が秒で消えた」
卓斗が肩を落とす横で、恵依は追跡車から降りた。ゲブも隣へ移り、三方向から届く魔素の強さを確かめる。
「逃げた先だけではなく、ここで三つへ分かれた原因を調べるべきです」
「流川様の判断に同意します。反応は料金所の前まで一つでした。分岐後ではなく、この場所に仕掛けがあると思われます」
ミネルヴァは第四騎士団員を各分岐へ一人ずつ配置した。進ませるのは料金所から五十メートルまでとし、必ず月光信号が見える位置に残す。
「反応が動いても追わないでください。道、地面、周囲の仕掛けを確認し、結果を持ち帰ることを優先します」
三人の騎士は馬を降り、足跡を避けてそれぞれの道へ入った。残る騎士は料金所の外周と追跡車を守り、卓斗たちは建物の正面へ集まる。
「急に追跡から推理パート始まったんだけど。探偵役、誰?」
「成瀬さんは、まず足跡を踏まない役をしてください」
「役職の格差ひどくない?」
卓斗の右足は銀色の車輪跡まで二十センチほどの位置にあった。ミネルヴァに見られ、何も言われる前に一歩後ろへ戻る。
「自覚があるなら結構です」
「怒られてないのに怒られた感じする」
「タクが勝手に失点しているだけよ」
ティナは卓斗を置いて料金所の入口へ進んだ。崩れた屋根の下には受付台が残り、床へ三本の細い溝が刻まれている。
溝は料金所の奥で一つに重なり、外へ出るところで三方向へ分かれていた。泥と草で隠されているが、現在の足跡と同じ幅で金属板が埋め込まれている。
「これ、昔から三つに分ける仕組みがあったってこと?」
絵麻は床へ触れず、入口から溝の先を見た。補助輪の跡は土の上だけでなく、料金所の石床にも薄く残っている。
「黒い術式が新しいだけで、装置自体は古いものだと思われます」
恵依は床下へ解析を通し、ゲブが金属板へ残る魔素流を拾った。三本の溝の下には歯車と細い搬送線があり、左右の道へ何かを送り出す構造になっている。
「流川様。中央の装置から、左と右へ同じ波形が送られています。魔導核の反応を短く写した可能性があります」
「本物の魔素を分けたわけではありません。波形の一部を複製し、別の媒体へ移しています」
「コピーした反応を、左右へ走らせてる?」
「その可能性が高いです。ただし、偽反応器の形と移動方法はまだ分かりません」
恵依は三方向の波形を一つずつ比較した。外縁集落で記録した本物の魔導核には、土地の生命循環へつながる細かな揺れが含まれている。
左と右の反応は大きな周期だけを再現し、細部が同じ間隔で繰り返されていた。本物に似ていても、変化し続ける土地の流れまでは複製できていない。
「三つとも同じじゃないの?」
「遠くから見れば同じです。ですが、左と右は同じ情報を繰り返しています。中央だけが少しずつ変化しています」
「なら中央が本物?」
「魔素だけで決めるのは早いです。中央にも別の偽反応を置いた可能性があります」
ミネルヴァは結論を急がず、料金所の外へ戻った。最初に左の谷道へ入り、入口から続く銀色の跡の脇へしゃがむ。
魔導核の反応は左が最も強かった。月痕追標で浮かび上がった足跡も深く見えるが、指先で土を払うと、沈んでいるのは表面だけだった。
「人形の重量がかかれば、周囲の土も内側へ崩れます。この跡には、それがありません」
「形だけ押して作ってるってこと?」
卓斗は足跡から少し離れた地面へ自分の靴を押しつけた。体重をかけると靴底だけでなく、縁の土も外へ盛り上がる。
「成瀬さんの跡には、押した方向と体重移動が残ります。左の跡は上から同じ形を落としただけです」
「人生で初めて、足跡を褒められた気がする」
「比較に使っただけです」
「分かってたけど、もう少し夢見させて?」
左の谷道を確認していた騎士が戻り、手のひらほどの車輪跡を写した布を差し出した。道の先には深い足跡が一つもなく、小さな金属音だけが谷の奥へ移動しているという。
「小型の偽反応器が走っている可能性があります。追えば谷側へ誘導されます」
ミネルヴァは左を候補から外し、右の森道へ移った。こちらには人形と同じ深さの足跡があり、木の根を踏んだ箇所まで形が崩れている。
「こっちは本当に重そうだけど」
絵麻は森道の入口へ立ち、足跡から足跡までの距離を見た。歩幅も人形が搬送路で走っていた時とほぼ同じだった。
「流川様。水路由来の泥が確認できません」
ゲブの白銅が地面から微弱な魔素を拾い、恵依へ渡した。右の足跡には料金所周辺の乾いた土しかなく、水路の金属や魔導核の緑色の残滓も表面に塗られているだけだった。
「本物の人形なら、脚部の隙間に入った泥が歩くたびに落ちます。右の道には一つもありません」
「足跡の立体コピーってこと?」
「床下の装置に、足跡を押すための型があると思われます」
右の森から戻った騎士は、道の端で細い金属板を発見していた。板には人形の足裏と補助輪を模した型が並び、床下の搬送線に引かれて動いている。
「足跡まで自動生成。敵の無駄に高い技術力、どうなってんの?」
「元は敵の装置ではありません」
料金所の壁に残る文字を読んでいた第四騎士団員が、古い説明板を布で拭った。卓斗たちには読めないが、ミネルヴァは刻まれた内容を確認する。
「旧第五騎士団が、追跡してくる魔獣や盗賊を分散させるために使った経路偽装装置です。現在は黒い術式で起動されています」
「味方の便利設備が、敵に再利用されまくってない?」
「その事実も、王都へ戻った後に整理します。今は本物の道を選びます」
第四騎士団員は説明板の下から、三枚の小さな経路札を取り出した。左と右の札には偽装用を示す古い刻印があり、中央の札だけが正規搬送路として登録されている。
ただし、経路札の並びは差し替えられる構造だった。現在の中央札が本物の道を示す保証はなく、ミネルヴァは文字情報だけで判断することを避ける。
「書かれているから正しい、とは限りません。相手が装置を使えるなら、札を入れ替えることもできます」
「文字読めない俺ら、逆に騙されなくて強い説ある?」
「読める者へ確認しなければ何も分からないだけよ」
「ティナ、前向きな解釈を即死させるの得意だよな」
ミネルヴァは経路札を証拠袋へ収め、中央の丘道へ残る物理的な痕跡を優先した。記録、魔素、足跡のどれか一つではなく、互いに矛盾しない情報だけを残していく。
ミネルヴァは中央の丘道へ向かい、最初の足跡を調べた。こちらは左右より魔導核の反応が弱く、運搬枠の保護膜に隠されて何度も途切れている。
足跡の縁には深い亀裂が入り、坂を上る方向へ土が押し出されていた。重い荷を抱えた人形が、前へ体重を移した痕跡と一致する。
「水路の泥もあります。人形が本当に通った可能性は、中央が最も高いです」
恵依は足跡の奥から黒い泥と小さな金属片を拾った。直接触れず解析で確認すると、旧保守水路の箱に付着していた成分と一致する。
「でも、それも左右に撒けたんじゃない?」
絵麻は納得せず、中央の丘道を見上げた。偽反応まで用意できる相手なら、泥を落として本物らしく見せることもできる。
「その通りです。一つの痕跡だけで決めません」
ミネルヴァは足跡の左側にある石へ月光を集めた。地面から膝ほどの高さに、細い銀色の擦過痕が残っている。
さっき放った矢は、人形の左膝の装甲へ浅く刺さった。矢尻が石壁へ触れながら逃げれば、同じ高さへ一定間隔で傷が残る。
「私の矢が残した傷です。足型装置には、人形の左膝へ刺さった矢まで複製できません」
中央の道には銀色の擦過痕が三か所続き、四つ目の石には矢羽根の細片が付着していた。ミネルヴァはそれを回収し、自分が使った矢と一致することを確認する。
「魔素、重量、水路の泥、左脚の傷。中央を本物と判断します」
「探偵役、ミネルヴァさんだったわ」
「成瀬さんは足跡を踏まない役を続けてください」
「まだその役なんだ」
判断が決まりかけた時、料金所の床下から歯車の回転音が響いた。止まっていた三本の搬送線へ黒い魔素が流れ、左右の偽反応が急に強くなる。
「流川様。左と右の反応が移動を再開しました。料金所から遠ざかっています」
「追わせるために、調査へ反応した可能性があります」
床下の金属板が動き、料金所の左右に残る古い矢筒が開いた。黒い術式が偽装装置だけでなく、周辺の防衛罠まで起動している。
「全員、料金所から離れてください! 騎士は馬を建物の裏へ!」
ミネルヴァの命令を受け、第四騎士団員が手綱を引いた。追跡車の馬も動き始めたが、右側の矢筒が先に開く。
六本の矢が低い位置から放たれ、馬の脚と追跡車の車輪へ向かった。殺傷よりも移動手段を止めるための角度になっている。
「絵麻さん、馬までの距離を延ばしてください!」
「ラール、車輪の前!」
絵麻は飛来する矢と二頭の馬の間を引き延ばした。矢の速度は落ちないが、脚へ届くまでの時間が増える。
ラールは左右の車輪から斜め前へ白鋼板を出した。三本の矢が板へ当たって上へ弾かれ、残る一本は車体の下を通る。
「タク、左から二本来るわよ」
ティナは左側の矢から慣性を弱め、空中で進む勢いを落とした。卓斗は矢を直接引かず、矢筒の内部へ残る金属棒を引き抜く。
発射機構の支点を失い、二本目の矢は筒の中で止まった。すでに放たれた一本も追跡車の手前へ落ち、土へ浅く刺さる。
料金所の屋根側から、さらに八本の矢がミネルヴァと騎士たちへ向けて放たれた。ミネルヴァは弓へ三本の矢を同時につがえ、最初の三本を空中で弾く。
左右の騎士も射線を分け、残る矢を撃ち落とした。最後の一本だけが料金所の柱へ当たり、古い木片を散らす。
「装置を壊せば止まる?」
絵麻は右手を料金所へ向けたが、恵依が首を横へ振った。床下には偽装装置だけでなく、旧街道の経路記録も残っている。
「黒い術式との接続だけを外します。ゲブ、遠隔起動の線を探してください」
「確認します、流川様。古い装置の魔素とは分けてつなぎます」
ゲブは料金所の床下へ白銅を広げ、歯車を動かす古い魔素と、外部から入る黒い魔素を二層に分けた。黒い線は中央の受付台を通り、屋根裏の術式札へ集まっている。
「術式札は受付台の真上です。古い装置を止めず、札との線だけ切れます」
ミネルヴァは一本の矢をつがえ、恵依とゲブが示した線へ狙いを合わせた。屋根と受付台の隙間は狭いが、月光が黒い接続点を淡く照らしている。
矢は崩れた梁の間を通り、術式札の下端だけを貫いた。札本体が裂けると、床下へ流れていた黒い魔素が途切れる。
矢筒の蓋が閉じ、左右へ進んでいた偽反応も急速に弱まった。古い偽装装置は壊れず、料金所の床下で静かに停止する。
「中央の反応だけ残りました」
恵依は三方向を確認し、本物の魔導核が進んだ丘道へ解析を絞った。弱くても変化し続ける緑色の波形が、坂の奥へつながっている。
「では、中央を追います。左と右へ入った騎士も呼び戻してください」
ミネルヴァは追跡隊を再編し、先頭に騎兵二人、その後ろへ自分と追跡車、左右の森へ一人ずつ、後方へ二人を置いた。全員が月光信号を確認できる距離を保つ。
卓斗、恵依、絵麻と三竜精霊は、同じ追跡車へ戻った。三方向へ分かれる罠を越えても、三人の配置は崩していない。
「結局、足跡以外も見ないと駄目ってことか」
「魔素が強い道だけを選んでいれば、左へ誘導されていました」
「分かりやすい答えほど罠って、性格悪くない?」
「タクは分かりやすい答えへ飛びつくものね」
「俺への攻撃だけ正確すぎるだろ」
追跡車は中央の丘道へ入り、料金所を後方へ残した。道は次第に狭くなり、左右の林から枝が張り出している。
数百メートル進むと、街道の両側へ古い石柱が現れた。等間隔に並ぶ柱の根元には金属板が埋まり、人形の足跡はその中央を通っている。
「速度を落としてください。旧街道の分断罠です」
ミネルヴァは先頭騎士へ合図を送ったが、最初の馬はすでに土へ隠れた金属板へ前脚を置いていた。
踏まれた板が沈み、左右の石柱へ黒い術式が走る。
先頭騎士とミネルヴァの間で地面が隆起し、後方では追跡車の車輪脇から鉄格子が持ち上がり始めた。
料金所で三つの道を見破った追跡隊は、今度は一本の道の上で、前後から切り離されようとしていた。




