第二章 22 『月下の追跡者』
第四騎士団の騎馬隊は、旧街道の入口で一斉に速度を落とした。
先頭の女性が右手を上げると、後続の騎士たちは二列から半円状へ広がった。馬の蹄が人形の足跡を踏まない位置で止まり、街道の中央だけが空けられる。
ミネルヴァ・オルデルタは馬から降り、土へ残る重い足跡と細い補助輪の跡を確認した。顔立ちはアトゥムとよく似ているが、足元を見る眼差しには浮き立つような戦意がない。
「引き継ぎをお願いします。逃走対象、運搬物、負傷者の有無を順に」
「旧式の運搬用魔導人形が、本物の魔導核を奪ったのだ! 人形には黒い術式が上書きされているが、旧第五騎士団の認証も残っているのだ!」
アトゥムは水門から西門までの経緯を短く伝えた。後ろに控える第三騎士団員が、点検小屋の崩落と西門警備隊に重傷者がいないことを補足する。
「魔導核は運搬枠で保護されています。人形の制御核を壊した場合、魔導核まで固定される可能性があります」
恵依が説明すると、ミネルヴァは彼女とゲブへ視線を移した。確認した内容を記憶へ置くように一度だけ頷き、旧街道の先を見直す。
「承知しました。破壊ではなく、脚部か運搬機構を停止させます」
「私は水門へ戻るのだ。西門の旧認証も止めなければならないのだ!」
「そちらはお願いします。追跡はこちらで引き受けます」
双子の間に長い相談はなかった。アトゥムは自分の馬へ向かいかけ、卓斗たちを振り返る。
「水路と船ではよく動いたのだ! 次は姉上から、逃げるものの捕まえ方を習うのだ!」
「今から次の研修始まるの? こっち、休憩時間ゼロなんだけど」
「追跡対象は休んでくれません」
ミネルヴァの返答は丁寧だったが、休ませる意思は含まれていなかった。卓斗が助けを求めてティナを見ると、彼女は旧街道へ目を向けたまま反応しない。
「この姉妹、方向性違うのに厳しさだけ同じじゃん」
「タクが怠けているだけよ」
「味方判定どこ行った?」
アトゥムは楽しそうに笑い、第三騎士団を連れて西門へ戻った。水門の修復と点検小屋の保全を進めるため、彼女たちはここから追跡へ参加しない。
第四騎士団の後方から、二頭立ての小さな追跡車が進み出た。荷台は低く、左右に手すりがあり、通常の馬車より車輪の幅が広い。
「皆さんは乗馬の経験がありますか?」
「日本で馬に乗る高校生、かなりレアだと思う」
「ありませんと答えてください」
「ないです」
ミネルヴァは即答した卓斗から絵麻と恵依へ確認を移した。二人も首を横へ振ったため、追跡車の後部を開く。
「走れるからと、経験のない者を馬へ乗せることはできません。六人で追跡車へ。竜精霊の皆様も同乗してください」
「異世界来て数日で、船の次は夜道の馬車? 移動手段の研修だけ充実してない?」
「次に何へ乗るか楽しみね、タク」
「もう地面にいたい。普通に歩かせて?」
卓斗たちは追跡車へ乗り込み、前方の長椅子へ恵依とゲブ、中央へ卓斗とティナ、後方へ絵麻とラールが位置を取った。御者台には第四騎士団員が座り、別の騎士が左側の手すりへ立つ。
ミネルヴァは再び馬へ乗り、追跡車の前へ出た。残る騎士を左右の林と街道後方へ振り分け、中央の足跡を踏まないよう進行位置を示す。
「追跡で優先するのは、速く走ることだけではありません。残された痕跡を、自分たちで消さないことです」
彼女は馬上から土、草、街道脇の低木を順に示した。魔導人形の重い足跡だけでなく、補助輪が小石を押した向き、枝へ付着した泥、運搬枠から漏れる緑の魔素も追跡材料になる。
「俺ら、さっき普通に足跡の上走ってきたけど」
「次から避けてください」
「怒られ方が静かで余計刺さる」
「逃走対象ばかり見れば、横から来る危険を見落とします。成瀬さんは前方、流川さんは魔素、西野さんは退避できる空間を見てください」
卓斗たちの役割を決めると、ミネルヴァは馬を歩かせ始めた。追跡車が続き、左右の騎士は林の縁へ間隔を取る。
日は西の丘へ沈み、旧街道には月の光が届き始めていた。放置された石柱と草に覆われた道標が、青白い夜の中へ輪郭を浮かべる。
「流川様。魔導核の反応は西へ続いています。ただし、地面へ残る量は一定ではありません」
ゲブは追跡車の前方へ白銅を伸ばし、風と地面へ残る魔素を拾った。恵依は外縁集落で記録した本物の魔導核の波形を基準に、黒い術式の残滓を分ける。
「運搬枠の保護膜が、魔導核の反応を隠したり漏らしたりしています。反応だけでは、森へ入った場所を見落とす可能性があります」
「では、足跡と重ねます」
ミネルヴァは街道中央へ馬を寄せ、右手を月へ向けた。淡い銀色の魔素が指先へ集まり、地面に残る一つの足跡へ落ちる。
「——月痕追標〈イクノス〉」
月光を受けた足跡の縁が銀色に染まった。光は次の足跡へ移り、補助輪の跡と折れた草へ順番につながる。
逃走対象が進んだ方向ほど印は濃くなり、古い人や獣の痕跡は光らなかった。月影狩猟の魔素が、逃げ続ける対象の残した変化だけを街道から拾い上げている。
「便利。最初からそれだけで追えないの?」
「痕跡が別のものへ重なれば、印も揺れます。能力だけを信じれば、作られた道へ誘導されます」
「何でも一発解決する便利機能、異世界にもないんだな」
「タクが求めすぎなのよ」
銀色の痕跡は旧街道を百メートルほど進み、壊れた荷場の手前で右へ曲がった。魔導人形は街道を外れ、草地へ入っている。
ミネルヴァは右側の騎士二人を先行させ、左側には街道上の痕跡を確認させた。追跡車は速度を落とし、足跡を避けて荷場の外周を回る。
「人形、わざと道から外れてる?」
絵麻は後方の荷場と、草地へ続く補助輪の跡を見比べた。柔らかい土では重い足跡が深く残り、隠すどころか追いやすくなっている。
「隠すためではないと思います。街道上の何かを避けています」
恵依は草地の先へ解析を広げた。古い街道には結界杭の跡が等間隔に残り、人形の旧認証へ反応する微弱な検査線が生きている。
「検査線に現在地を記録されないため、外へ出た可能性があります」
「逃げながら記録まで避けるとか、あの人形だけ仕事できすぎない?」
「黒い術式が経路を選んでいるのでしょう。人形自身が考えているとは限りません」
草地の先で足跡が街道へ戻った。銀色の追跡印も同じ場所へ重なり、魔導核の緑色の反応が再び濃くなる。
「距離は?」
「断言はできませんが、一キロ以内と思われます。先ほどより反応が強くなっています」
ゲブの返答を聞き、ミネルヴァは右手を上げた。左右の騎士が林から街道へ戻り、追跡車を守る形で前後へつく。
「ここから速度を上げます。御者は痕跡の左側を通ってください」
二頭の馬が駆け始め、追跡車の車輪が乾いた土を踏んだ。卓斗は右の手すりをつかみ、上下する荷台から前方を見る。
「船より揺れるんだけど!」
「まだ舗装されている方よ」
「このガタガタで舗装判定なの?」
ティナは追跡車の床へ白銀を薄く通し、急な上下動だけを弱めた。完全に揺れを消せば車輪が地形を捉えられなくなるため、身体が浮くほどの反動だけを抑える。
旧街道は緩い下り坂へ入り、右側に森、左側に石の斜面が続く。月痕は道の中央を外れず、丘の向こうまで伸びていた。
「前方に金属反応。人形です!」
恵依の声を受け、卓斗は坂の先へ目を凝らした。木々の間を緑色の光が横切り、魔導核を抱えた人形の背中が一度だけ見える。
「見えた。追いつけるんじゃない?」
「急いで踏み込まないでください。街道脇の木に、不自然な縄があります」
ミネルヴァは速度を保ったまま、斜面側へ視線を動かした。右の森から左の斜面へ、土色に塗られた太い縄が低く張られている。
人形が縄の下を通過した直後、背面から伸びた金属片が結び目を切った。右側の斜面で固定を失った丸太と石材が、追跡隊へ向かって転がり始める。
「先頭二騎、左へ! 追跡車は止めず、右端を抜けてください!」
ミネルヴァの命令で、前を走る騎士が左右へ分かれた。追跡車の進路には、人の胴ほどある丸太が三本と、車輪ほどの石が二つ迫る。
「止めないって普通に無理なんだが!?」
「止まれば後続の石に追いつかれます。進んでください」
「丁寧に無茶言うのやめて?」
絵麻は追跡車と先頭の丸太の間へ空間の魔素を差し込んだ。転がる速度を変えず、車体へ到達するまでの距離を引き延ばす。
「ラール、馬と車輪を守って! 上は卓斗に任せる!」
「は、はい! 前輪の外側へ出します!」
ラールは左右の前輪へ沿わせるように白鋼板を形成し、車軸と馬の後脚の間へ低い防壁を立てた。広い壁で街道を塞がず、横から入る石だけを外へ流す形にする。
左から来た最初の石が白鋼板へ当たり、斜め後方へ弾かれた。追跡車は衝撃で右へ振られ、右輪が街道の縁へ乗り上げる。
「タク、右後ろの慣性を消すわ。車体を左へ戻しなさい」
ティナが横滑りする力を弱めると、卓斗は右側から迫る丸太の鉄輪へ引力を向けた。追跡車へ引かず、街道外の立ち木へ向かって軌道をずらす。
丸太の先端が右へ振れ、車体の前を横切った。立ち木へぶつかって止まり、後続の丸太一つを巻き込む。
「一個残ってる!」
絵麻が引き延ばした距離を越え、最後の丸太が追跡車の左前へ迫った。ラールの防壁は石を受けた衝撃で傾き、作り直す時間がない。
ミネルヴァは馬上で弓を引き、丸太を固定する左側の鉄輪へ矢を放った。矢は月光の筋を残して輪の隙間へ入り、木材との接合部を正確に割る。
鉄輪を失った丸太は左側だけ土へ沈み、その場で大きく回転した。追跡車は浮いた右端の下を通り、丸太を後方へ残す。
「全員、負傷は?」
「いません。車輪も動きます!」
御者の報告を受け、ミネルヴァは人形の進路へ向き直った。罠へ足を止めなかったため、緑色の光はまだ丘の下に見えている。
「右の二騎は罠の確認へ。再使用できないよう固定してください。残りは追跡を続けます」
「人数減らして大丈夫?」
「帰路で同じ罠を受ける方が危険です。追いつくだけが追跡ではありません」
ミネルヴァは馬の速度を上げ、丘の下へ向かった。追跡車も続くが、左右の林へ残した騎士の分だけ隊列は短くなる。
魔導人形は前方二百メートルの石壁沿いを走っていた。運搬枠の緑色の膜が月明かりを受け、胸部から足元までを淡く照らしている。
ミネルヴァは馬上で二本目の矢をつがえた。狙いは魔導核を抱える上半身ではなく、後ろへ伸びる左脚の膝関節だった。
矢が放たれ、人形の左膝へ向かって飛ぶ。魔導人形は矢を見ることなく、石壁の裏へ身体を滑り込ませた。
矢は壁の角を掠め、外側の装甲へ浅く刺さった。人形の速度はわずかに落ちたが、脚部の停止には至らない。
「もう一発いける?」
「射線上に魔導核が重なります。ここからは撃ちません」
「当てられそうでも?」
「追いつくことと、回収できる状態で止めることは別です。魔導核を傷つける射撃に意味はありません」
ミネルヴァは弓を下ろし、人形が入った石壁の反対側へ騎士を一人回した。追跡車は壁沿いの細い道を進み、出口を確認する。
石壁の向こうに人形の姿はなかった。地面には補助輪の跡が残り、閉鎖された旧料金所へ続いている。
「流川様。魔導核の反応は前方です。ただ、黒い術式の残滓が増えています」
「罠を作動させた時に使った魔素が、街道へ残っているようです。ここから先は反応が重なります」
旧料金所は三本の街道が交わる場所に建ち、屋根の半分が落ちていた。中央の道は丘の奥へ、右は森へ、左は乾いた谷へ分かれている。
ミネルヴァは料金所の手前で隊列を止めた。馬を降り、銀色に光る人形の足跡を追って分岐の中央へ進む。
月痕は料金所の入口まで一本だった。崩れた受付台の前で銀色の印が一度重なり、そこから三方向へ同じ濃さで分かれている。
「三体に増えたわけじゃないよね?」
絵麻は追跡車から降り、右の森へ続く光を見た。足跡の形も補助輪の幅も、中央と左の道に残るものと一致している。
「人形の金属反応は一つです。ですが、魔導核に似た反応が三方向全てにあります」
恵依は中央の道へ解析を向け、ゲブが右と左へ白銅を広げた。本物の魔導核と完全には一致しないが、遠距離から判別するには似すぎている。
「流川様。月の印にも三方向から同じ逃走反応が返っています。黒い術式が痕跡を複製した可能性があります」
「足跡も魔素も三つ。適当に選んだら、二回は外れるってこと?」
「単純な確率で道を決めるつもりですか?」
ミネルヴァの静かな問いに、卓斗は三本の暗い道を見比べた。どれも同じ銀色と緑色の反応を残し、夜の奥へ続いている。
「言ってみただけ。多分、怒られると思った」
「では、次は考えてから言ってください」
「やっぱアトゥムさんより厳しくない?」
ミネルヴァは返答せず、料金所の壊れた床と三方向の痕跡へ順に視線を移した。逃走した道だけを探せば、相手が用意した三択へ従うことになる。
「ここからは、逃げた道ではなく、偽物を置いた理由を見ます」
三本の旧街道には、同じ足跡、同じ車輪跡、同じ魔導核の反応が残されていた。月光に照らされた偽りの道は、本物の人形が進んだ一本を隠したまま、卓斗たちの前で夜の森と谷へ分かれていた。




