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第二章 19 『川底を走る箱』



 保守船が西へ向きを変えると、川底の箱型反応も進路を変えた。


 濁った水に姿は見えない。恵依とゲブがつないだ白銅の線だけが、船首から十数メートル先を移動する反応の位置を示している。


 水門が閉じるたびに、箱は川底からわずかに浮いた。門扉が持ち上がると生まれた流れへ乗り、古い金属線に沿って西へ数メートル進む。


「流川様。箱は一定の間隔で移動しています。門扉の開閉と一致していると思われます」


「流されているだけではありません。底の金属線から、箱へ短い魔素が送られています」


 恵依は水面下へ解析を広げ、箱と金属線の接点を追った。線は現在の水路設備より深い位置にあり、川底の石材へ埋め込まれている。


「あれが運搬用の道なら、行き先も決まってるってこと?」


「その可能性があります。ですが、現在の水路図には、この線がありません」


「また読めない地図に載ってない道? 異世界、初見殺し多すぎない?」


 卓斗は船縁につかまり、上下する水面へ目を凝らした。箱の姿が見えない以上、恵依とゲブの線を見失えば追跡は終わる。


「タク。初見でなくても、あなたは道に迷いそうね」


「迷ったらティナ置いて目印にするわ」


「沈めるわよ」


「竜精霊の扱い、物騒すぎるって」


 船首に立つアトゥムは、二人の応酬を気にせず右手を水面へ向けていた。保守船の進路を塞ぐ逆流だけを左右へ押し分け、箱へ続く線から距離を外さないよう船を進める。


「前方で水路が狭くなるのだ! 帆を畳め! 櫂へ切り替えるのだ!」


 第三騎士団員が帆を下ろし、左右の櫂へついた。水路の先では両岸が内側へ迫り、低い石橋が水面から二メートルほどの高さに架かっている。


 橋の下は流木と崩れた石で塞がれかけていた。保守船の幅では通れても、逆流を受けながら曲がる余地がない。


「箱の反応は、橋の先へ入ります」


「旧保守水路なのだ。今は使われていないが、西の沈砂槽まで続いているのだ」


 アトゥムは右岸に残る小さな船着き場を示した。杭へつながれた小型艇が二隻あり、どちらも四、五人が乗れる程度の大きさしかない。


「本船はここへ残すのだ! 救助者と負傷者を岸へ移し、別班は水門の制御室へ向かえ!」


「俺らは?」


「小型艇で箱を追うのだ!」


「魔獣の次は川底の箱と追いかけっこ? この任務、乗り物変わりすぎじゃない?」


「次は泳いでもいいのだ!」


「小型艇、めっちゃ快適そう。今すぐ乗ろう」


 卓斗が態度を変えると、絵麻は呆れたように小型艇へ視線を移した。小さくても泳ぐよりはましだという点では、反論できない。


 最初の艇にはアトゥム、卓斗、恵依、ゲブと第三騎士団員一人が乗った。二隻目には絵麻、ティナ、ラールと騎士二人が移り、二艇を短い縄でつなぐ。


 救助した船員たちは右岸へ降ろされ、負傷者も保守船の担架で運ばれた。人員の移動を確認したあと、二艇は石橋の下へ船首を向ける。


「何でティナが絵麻の方にいるの?」


「人数を分けただけよ。寂しいの?」


「いや、静かで助かる」


「流川様。ティナ様の魔素が強くなっています」


「ゲブ、報告しなくていい情報もあるから」


 ティナの白銀が二隻目から揺れ、卓斗の艇まで届いた。離れていても契約紋を通じて不機嫌さだけは伝わり、卓斗は右手首から視線を外す。


 小型艇が石橋へ近づくと、低い天井から水滴が落ちてきた。古い石材の継ぎ目には細い亀裂が走り、水門が動くたびに砂がこぼれている。


「橋の中央は避けてください。右側の支柱に、崩落しかけている箇所があります」


 恵依が石橋を解析し、ゲブが安全な進路を白銅の線で水面へ描いた。線は橋の左寄りを通り、その先で二艇が縦に並べる幅へ細くなる。


「二隻目、縄を外せ! 間隔を五メートル取るのだ!」


 後方の騎士が連結縄を外し、絵麻たちの艇が少し速度を落とした。先頭艇は橋の左側へ寄り、櫂を畳んで流れに乗る。


 卓斗の頭上を石の継ぎ目が通過した。橋を抜ける直前、右の支柱から拳ほどの石が外れ、後方艇の船首へ落ちる。


「絵麻ちゃん、前です!」


 ラールは船首の上だけへ白鋼板を形成した。石は板に当たって右へ弾かれ、水面へ落ちる。


 その衝撃で周囲の亀裂が広がり、さらに大きな石材が橋の下へ傾いた。後方艇が通過する前に落ちれば、船体の中央を直撃する。


「止まったら余計危ない。ラール、前だけ守って!」


 絵麻は艇と落下中の石材の間にある距離を引き延ばした。石が落ちる速度は変わらないが、船まで届く経路が長くなり、数秒の猶予が生まれる。


 騎士二人が左右の櫂を強く引き、後方艇を橋の外へ進めた。ラールは船首から頭上へ斜めの白鋼板を伸ばし、崩れた小石だけを外側へ流す。


 船尾が橋を抜けた直後、石材が水面へ落ちた。大きな水飛沫が艇を後ろから押したが、ティナが慣性を弱め、急加速による横転を防ぐ。


「抜けた! でも、帰り道塞がれたんだけど!」


「あとでどかせばいいわ。今は前を見なさい」


 絵麻が振り返ると、崩れた石材が橋の半分を塞いでいた。人なら岸を通れるが、小型艇を戻すには除去が必要になる。


 旧保守水路は石橋の先でさらに細くなり、両側を古い護岸に挟まれていた。幅は十メートルほどしかなく、水底の浅い場所では割れた石材が水面近くまで出ている。


「流川様。箱の反応は前方二十五メートルです。先ほどより移動速度が上がっています」


「水門の開閉間隔が短くなっています。次の流れが来る前に距離を縮めます」


「騎士さん、もうちょい速くできる?」


 卓斗が後方を振り返ると、櫂を扱う第三騎士団員は前方から目を離さず、力を込め直した。小型艇は速度を上げたが、水面下の石を避けるたびに進路が左右へずれる。


「成瀬殿、これ以上は船底を擦ります!」


「丁寧に無理って言われた。アトゥムさん、水だけ押せない?」


「この狭さで強く押せば、護岸も一緒に崩れるのだ!」


「団長でも無理なもんあるんだ」


「壊していいならできるのだ!」


「それをできる判定に入れないでもらっていい?」


 恵依は二人の会話を聞きながら、箱へ続く金属線の位置を探った。線は水路の中央ではなく、左岸寄りの川底を走っている。


 箱は水流だけで進んでいなかった。底面の金具を古い線へ接触させ、魔素を受けるたびに前方へ引かれている。


「卓斗くん。箱ではなく、川底の線へ引力を使えますか?」


「沈んでて見えないけど、位置分かれば多分」


「私とゲブが対象を絞ります。線をこちらへ引くのではなく、箱が進む方向と逆向きに力をかけてください」


「注文が細かい。でも箱丸ごとよりは軽そう」


 ゲブが箱と金属線の接触点を白銅の線として卓斗へつないだ。恵依は余計な水路設備を解析対象から外し、長さ三十センチほどの区間だけを示す。


 卓斗は右手を水面へ向け、見えない金属線へ引力をかけた。自分の方へ引き上げず、箱の進行方向に対して後ろへ力を向ける。


 川底から鈍い振動が返り、箱の反応が一度止まった。金属線が石材の中で軋み、泥が水面へ細く立ち上る。


「止まった?」


「完全には止まっていません。ですが、速度は半分以下です」


「じゃあ追いつける。騎士さん、今だけ強めにいこう!」


 櫂が水を掻き、小型艇は箱まで十五メートルへ近づいた。後方艇も絵麻が水中の石との距離を調整しながら追従する。


 箱の輪郭が濁った水の下に見え始めた。人一人で抱えられるほどの大きさで、四隅を金属板に覆われ、上面から短い鎖が伸びている。


「普通の箱じゃん。もっと自分で泳ぐ感じのやつ想像してた」


「箱に何を期待しているのですか?」


「異世界の箱なら脚くらい生えるかなって」


「生えたら殴りやすいのだ!」


「そこ乗ってくるんだ」


 箱まで十メートルを切った時、水門の方角から重い金属音が響いた。開閉を繰り返していた門扉が、今度は最下部まで落ちた音だった。


 水路を流れていた水が一瞬だけ止まり、二艇の周囲で水位が下がる。船底が隠れていた石へ触れ、木材を擦る硬い音が続いた。


「門扉が閉じたままです!」


 恵依は箱から水路全体へ解析を切り替えた。行き場を失った水圧が、西第二水門と旧保守水路の分岐へ溜まり始めている。


 数秒後には圧力が弱い場所へ流れ込み、この細い水路を一気に押し広げる。古い護岸が耐えられなければ、両岸の地盤まで崩れる可能性があった。


「流川様。後方から高い圧力が来ます。到達まで二十秒ほどと思われます」


 ゲブの白銅が、水路の後方を濃い線で染めた。箱は前方八メートルにあるが、回収へ向かえば二艇とも圧力の正面に残る。


「アトゥムさん、箱を取ってから逃げる時間は?」


「ないのだ! 護岸を先に守る!」


 アトゥムは迷わず船尾側へ向き直った。追ってきた箱を目前にしながら、戦う対象を水圧へ切り替える。


「箱は?」


「流れてもあとで追うのだ! ここが崩れれば、王都西側の水路まで沈むのだ!」


「了解。そっちの方が被害デカいなら、先に止めよう」


 卓斗も川底の線へかけていた引力を解除した。自由になった箱は次の揺れを受けて浮き、旧水路の奥へ進み始める。


「後方艇、右岸へ寄せるのだ! ラールは護岸を固定しろ! 絵麻は崩れている部分から距離を取らせるのだ!」


 絵麻たちの艇が右岸へ向かい、ラールは亀裂の広い石壁へ白鋼の支柱を展開した。水路全体を塞がず、石材同士の継ぎ目だけを外側から固定する。


「絵麻ちゃん、左側も割れています! 一度に両方は無理ですぅ!」


「右を先に固定して! 左は私が水との距離を広げる!」


 絵麻は左岸と中央の水流の間へ空間を差し込み、押し寄せる水が護岸へ届く距離を延ばした。恒久的には保たないが、ラールが右岸を固める時間は作れる。


「流川様、圧力は二方向へ逃がせます。左前方に古い放水路があります」


 ゲブの白銅が、左岸の水面下へ細い分岐を示した。恵依が解析すると、石蓋で閉じられた穴と、その奥へ続く空洞が見つかる。


「放水路は塞がれていますが、内部は残っています。蓋を開ければ圧力を逃がせます」


「開けるのだ! 場所を示せ!」


 アトゥムが左手を水へ沈め、ゲブの線へ魔素を重ねた。放水路の入口だけへ細かい振動を送り、固着した泥と石蓋の縁を崩していく。


「卓斗くん、石蓋の金具を引いてください。正面ではなく、水路の奥側へ回す構造です!」


「引けば開くんじゃなくて回すの? 水路設備、ギミック多くない?」


 卓斗は水中に沈んだ金具へ引力を向けた。恵依の解析とゲブの誘導が、見えない取っ手の角度を右手首へ伝える。


 最初の引力では、石蓋は動かなかった。泥と錆が噛み合い、金具だけが軋む。


「タク。蓋と石壁の摩擦を下げるわ。引く方向を変えないで」


 二隻目からティナの白銀が水中へ広がった。石蓋の縁にある摩擦だけが弱まり、固着していた面へ細い隙間が生まれる。


「今度こそ開け!」


 卓斗が引力を強めると、金具が弧を描いて奥へ動いた。石蓋が軸を中心に回転し、黒い水を吸い込む穴が現れる。


「開いたのだ! 全員、船へつかまれ!」


 直後、後方から溜まっていた水圧が旧保守水路へ流れ込んだ。濁流の先端が二艇を持ち上げ、護岸の石材へ叩きつけようとする。


 アトゥムは両手を広げ、押し寄せる水の中央へ海震の魔素を通した。流れを止めず、左右と放水路の三方向へ分ける。


「分潮三叉〈トリア・ロエ〉! 流れは三つ、岸は揺らすな!」


 中央へ集まっていた水圧が割れ、一部が開いた放水路へ吸い込まれた。残る流れは二艇の左右を通り、ラールの固定した右岸と、絵麻が距離を延ばした左岸へ分散する。


 先頭艇は三方向から異なる流れを受け、船首が左へ振られた。騎士が櫂を立てても間に合わず、側面が護岸へ近づく。


「ティナ、こっちの艇も頼める?」


「頼み方が軽いわね。沈みたいの?」


「今は普通に助けてほしい!」


 ティナは白銀の魔素を先頭艇へ通し、横滑りする慣性を弱めた。船体は護岸まで一メートルを残して速度を落とす。


 卓斗は岸へ打ち込まれた古い係留環へ引力を向け、船首の向きを水路と平行へ戻した。右手首に熱が集まったが、船体を直接引くより負担は抑えられている。


 後方艇では、ラールの白鋼が右岸の亀裂を支えていた。水が石材の隙間へ入り込むたびに支柱が震え、表面へ細い割れ目が増えていく。


「絵麻ちゃん、右側はあと少しだけです!」


「左を戻す! 水が減ったら、そっちの壁も固定して!」


 絵麻は左岸との距離を元へ戻し、延ばしていた空間へ残る水を放水路側へ逃がした。ラールは右岸の支柱を薄くし、余った白鋼を左岸の亀裂へ移す。


 二人が守る場所を切り替えた直後、最後の大きな波が水路を通過した。左右の護岸は低く軋んだが、石材が崩れ落ちることはなかった。


「圧力、下がっています!」


 恵依は水門と旧保守水路の間を解析し、流れの変化を確かめた。閉じた門扉の手前に溜まっていた水は、開放した放水路と本流へ分散している。


「流川様。水門の開閉反応も止まりました。制御室側で黒い術式を固定した可能性があります」


「止まったのだ! 放水路は開いたまま維持しろ! 本船へ状況を送れ!」


 アトゥムが命じると、騎士は携帯用の魔導具へ魔素を流した。水門を完全に修復したわけではないが、門扉の暴走と旧保守水路の崩壊は止められた。


 卓斗は右手を下ろし、奥へ流れた箱を探した。白銅の線は途切れ、濁った水には古い石材と泥しか見えない。


「で、箱は?」


「反応を見失いました」


「はい、追跡失敗です。あそこまで頑張って逃がしたの、効率悪すぎて泣ける」


「水路を守ったのだから、失敗ではないわ」


「正論だけど、箱にもそう伝えて戻ってきてもらえる?」


 ティナは答えず、濡れた髪を手で払った。二艇が流れを受け切るまで白銀を使ったため、彼女の周囲にも淡い魔素が残っている。


「流川様。完全には消えていない可能性があります」


 ゲブは目を閉じ、水面へ両手を向けた。箱へ一度つないだ魔素波形を基準に、旧水路の奥へ細い白銅を広げる。


 最初に拾ったのは、護岸へ埋め込まれた金属線だった。その先で微弱な反応が下へ落ち、同じ場所から動かずにいる。


「前方四十メートルです。水路の底が深くなっている場所に、先ほどの反応があります」


「沈砂槽です。箱は流れに乗り切れず、底へ落ちたと思われます」


 恵依が現在の水路構造と古い金属線を重ね、反応の位置を確定した。箱は逃げたのではなく、旧保守水路の終点で止まっている。


「なら、まだ追えるのだ! 艇を前へ出せ!」


「帰り道塞がってる問題、忘れてない?」


「箱を取ってから考えるのだ!」


「問題の後回しが豪快すぎるって」


 二艇は再び縦に並び、流れの落ち着いた旧水路を進んだ。崩れた護岸の破片を避けながら四十メートル進むと、水路の幅が円形に広がる。


 沈砂槽の水面は周囲より暗く、底まで五メートル以上あった。溜まった泥の中央に、箱型の輪郭が半分ほど沈んでいる。


 アトゥムが水流を弱く回し、箱の上に積もった泥を外側へ払った。金属で補強された蓋と、中央に刻まれた紋章が濁りの下から現れる。


 それは現在の第一から第六まで、どの騎士団が使っている印とも異なっていた。けれど、剣と五本の線を組み合わせた古い意匠には、騎士団のものだと分かる形が残っている。


「アトゥムさん。この紋章、知っていますか?」


 恵依の問いを受けたアトゥムは、すぐには艇を進めなかった。戦いの最中にも消えなかった笑みが薄れ、沈砂槽の底へ沈む箱だけを見下ろす。


「——古い第五騎士団の印なのだ」


 暴走した水門と魔獣の下を通り抜けた防水箱は、旧第五騎士団の紋章を向けたまま、沈砂槽の底で止まっていた。




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