表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/72

第二章 18 『揺れる船上の魔獣』



 左舷から現れた水棲魔獣が、青黒い鱗に覆われた背を反らした。


 水面へ出ている部分だけでも、人の背丈を超えている。前脚は鰭に近い形だが、先端には甲板を削れそうな爪が並び、細長い顎の奥から濁った水を吐いていた。


 同じ影が右舷側に二体、無人となった輸送船の下に一体ある。四体は暴れる水流に流されているのではなく、尾と鰭を使い、揺れる船の周囲を一定の距離で回っていた。


「救助した者は船の中央へ集めろ! 負傷者を囲んで、船縁から離れるのだ!」


 アトゥムの命令を受け、第三騎士団員が船員たちを中央の帆柱付近へ移した。二人が負傷者の左右へつき、残る騎士は長槍と鉤縄を持って外側を固める。


 卓斗たちは船首寄りに残った。左舷まで三メートル、右舷までは五メートルほどだが、甲板は水門から届く逆流を受けるたびに傾いている。


「で、あれって話通じるタイプ?」


「タクよりは静かね」


「比較対象そこ? 俺、魔獣以下の扱いされてない?」


 卓斗が返した直後、左舷の魔獣が顎を水へ沈めた。背中の鱗に走っていた青い光が、頭から尾へ向かって一度だけ強くなる。


「流川様。魔素が後脚と尾へ集まっています」


 ゲブの白銅が水中へ伸び、魔獣の身体を通る流れを淡い線として拾った。恵依は尾の角度と船までの距離を重ね、次の動きを読む。


「左から跳び上がります! 着地点は船首と帆柱の間です!」


「先に叩き落とすのだ!」


 アトゥムが左手を握ると、魔獣の真下で水面が沈んだ。直後に水柱が立ち上がり、跳躍する前の身体を下から突き上げる。


 魔獣は水柱に乗って甲板より高く浮いた。狙いは外れたが、巨体が船の中央へ落ちる軌道は変わっていない。


「いや、高くしただけじゃん!」


「落ちる前に殴ればいいのだ!」


「発想がずっと力技なんよ!」


 絵麻は空中の魔獣と甲板の間にある距離へ干渉した。着地点を大きく動かさず、魔獣が落ちる先を左舷側へ一メートルだけずらす。


「ラール、斜めに受けて! 甲板へ乗せないで!」


「は、はい! 左へ流します!」


 ラールは船縁から甲板へ向けて、傾斜のついた白鋼板を形成した。魔獣の腹が板へ落ち、衝撃が支柱を通って船体へ伝わる。


 保守船は左へ沈み、右舷が持ち上がった。白鋼板の表面を滑った魔獣は爪を立てたが、硬い板へ浅い傷を残しただけで水中へ落ちる。


 落下地点から高い水飛沫が上がり、甲板全体へ降り注いだ。濡れた床の上を、固定されていなかった縄と木桶が船尾側へ滑っていく。


「一体目、落としました!」


「倒してはいません。水中へ戻っただけです」


「恵依さん、成功判定厳しくないですか!?」


「再び接近しています。喜ぶのはまだ早いです」


 恵依の視線は、水中へ潜った影を追っていた。魔獣は落下の衝撃を受けても離れず、船底へ回り込んでいる。


 右舷を回っていた二体も深く潜り、甲板から姿が見えなくなった。水面に残る波だけが船体へ寄り、三方向から間隔を狭める。


「見えなくなるの、一番嫌なやつなんだけど」


「流川様、船底への反応が二つあります。前方から一つ、右後方から一つです」


 ゲブが拾った魔素流を、恵依が船の形へ重ねた。前方の一体は船首の下を通過し、右後方の一体は腹を見せるように身体を捻っている。


「体当たりが来ます! 右後方です!」


 警告から二秒後、船底へ鈍い衝撃が走った。


 保守船の右後方が持ち上がり、甲板は船首側へ傾いた。中央に集まっていた船員たちの足が滑り、負傷者を支えていた騎士も片膝をつく。


「ラール、中央を囲って!」


「あわわっ、足元と手すりを作ります!」


 ラールは人々の周囲へ低い白鋼の枠を形成し、帆柱と床を太い支柱でつないだ。滑った身体は枠へ受け止められ、負傷者も甲板へ投げ出されずに済む。


 船首側では、固定を外されていた工具箱が卓斗へ向かって滑ってきた。避ければ後ろの恵依に当たり、受け止めれば傾いた足場で踏ん張れない。


 卓斗は箱ではなく、甲板に打ち込まれた固定金具へ引力を向けた。工具箱の取っ手へ結ばれた短い縄が金具へ引かれ、箱は卓斗の足元へ届く前に横向きで止まる。


「重心、右後ろに寄ってる!」


「タク、左の金具も引きなさい。力を分けるのよ」


 ティナは白銀の魔素を濡れた甲板へ薄く流し、卓斗たちの靴底付近だけ摩擦を高めた。さらに船体へ残る上向きの慣性を弱め、持ち上がった右後方を水面へ戻していく。


 卓斗は左舷の固定金具と積荷の縄を引き、船の中央へ重量を寄せた。船底から受けた衝撃は消せないが、傾きは転覆する直前で止まる。


「船酔いする前に、魔獣酔いしそうなんだけど!」


「口が動くなら余裕ね」


「俺の体調判定、雑すぎない?」


 船体が水平へ戻るより先に、水中の影が右舷へ浮上した。鱗の一部が割れた魔獣が口を開き、圧縮した水の塊を吐き出す。


 水弾は右舷から中央へ斜めに飛び、負傷者たちを守る白鋼の枠へ向かっていた。直径は人の頭ほどだが、船板を割るだけの魔素が内部で回転している。


「ラール、正面ではなく右上です!」


 恵依の解析結果を、ゲブが白銅の線に変えた。水弾の軌道と防壁を置く位置がラールへ共有される。


「わ、分かりました! 角度を合わせます!」


 ラールは中央の枠から右上へ、手のひらほどの白鋼板を重ねていった。水弾は斜めの板へ当たり、弾けずに上方へ軌道を変える。


 飛沫となった水が帆を濡らしたが、中央の船員たちまでは届かなかった。ラールは防壁を広げず、次の攻撃に備えて魔素を残す。


「流川様、先ほどの個体と魔素の動きが同じです。発光の後、尾へ集めるまで二秒ほどあります」


「跳躍も体当たりも、水中で尾を振る直前に予兆が出ています」


 恵依は四体の魔素反応を順に追い、攻撃前の共通点を整理した。水中にいる間は船より速いが、尾で進行方向を決めたあとは、攻撃が終わるまで大きく曲がれない。


「飛び出したあとなら、横へ避けられないってこと?」


「はい。跳躍させる方向を選べれば、甲板への侵入を防げます」


「なら、次は私が引きずり出すのだ!」


 アトゥムは船の左前方へ青い魔素を集めた。広く水を持ち上げるのではなく、一体の真下へ細い振動を通そうとしている。


「待ってください。そこから上げると船尾へ落ちます!」


 恵依が止めると、アトゥムは振動を放つ直前で右手を開いた。戦いを前にしても反発せず、ゲブが示す水流へ視線を移す。


「では、どこへ出せばいいのだ?」


「左舷から三メートル外側です。船と平行に跳ばせてください」


「分かったのだ。合図を出せ!」


 ゲブの白銅が、水中の魔獣からアトゥムの足元へ細い線をつないだ。恵依は尾へ魔素が集まる瞬間を待ち、左手を上げる。


「今です!」


 アトゥムが甲板を踏み、指先を跳ね上げた。魔獣の真下だけで水が震え、横向きの水柱が身体を左舷外側へ押し出す。


 水面から飛び出した魔獣は、船と平行に空中を進んだ。爪が左舷の外側を掠めるが、甲板へ向けて身体を捻る余裕はない。


「卓斗、押し返して!」


「人じゃないなら斥力いける。でも船まで巻き込む距離なんよ!」


 卓斗と魔獣の間は四メートルほどしかなく、その直線上には左舷の手すりがある。斥力を広げれば手すりと船体まで外側へ押し出してしまう。


「タク。手すりの外へ白銀の面を置くわ。そこから先だけ押しなさい」


 ティナは左舷の外側へ、空間を硬化させた薄い足場を作った。船体と魔獣の間を区切る面が、斥力を向ける基準になる。


 卓斗は硬化した空間より外側にいる魔獣へ意識を絞った。右手首の竜紋が熱を持ち、斥力が魔獣の腹へぶつかる。


 巨体は船から離れる方向へ弾かれ、アトゥムの水柱が作った流れへ落ちた。水面を二度跳ねたあと、船から十メートル以上離れた場所へ沈む。


「一体、遠ざけました!」


「次も同じようにやるのだ!」


「待って。こいつら、何か変」


 絵麻は右舷側を回る二体へ視線を向けていた。片方は何度も船へ近づこうとしているが、もう片方は攻撃せず、水門側へ戻ろうとしては逆流に押し返されている。


 四体の動きは揃っていない。誰かの命令で狙いを統一しているのではなく、川底から追い出され、近くにある船へ興奮をぶつけているように見えた。


「恵依。黒い術式、あいつらにもついてる?」


「確認します。ゲブ、個体ごとの魔素を分けてください」


「承知しました、流川様。ただし、水門の魔素が重なっているため、断言には時間が必要です」


 ゲブは広げていた白銅の線を四本へ分け、それぞれの魔獣へ接続した。恵依は鱗の発光、心臓付近の魔素、水門から伸びる黒い術式を順に比較する。


 黒い魔素は魔獣の身体へ入っていなかった。水門の開閉によって川底へ送られる振動が、魔獣の巣と魔素流を乱しているだけだった。


「操られてはいません。水門の振動で追い出され、興奮しています」


「なら、殺す必要はないのだな?」


 アトゥムは両腕へ集めていた魔素を止めた。戦うことを楽しんではいるが、不要な攻撃まで続けるつもりはないらしい。


「下流側へ逃げ道を作れば、離れる可能性があります。ただ、今の逆流では水門から遠ざかれません」


「流れは私が作るのだ。卓斗たちは船へ戻ってくる個体を外へ押せ!」


「今の俺ら、魔獣の交通整理させられてない?」


「嫌なら四体まとめて殴るのだ!」


「交通整理でお願いします。命大事に、安全運転で」


 卓斗が即答し、絵麻は呆れたように彼を見た。それでも選ぶべき方針は同じで、三人は船尾側へ位置を移す。


 アトゥムは船の左右へ分けていた水流を一度弱めた。正面の逆流が戻りかけたところで、右腕を船尾へ振り抜く。


「海震領域〈トリアイナ〉! 道を一本、下流へ通すのだ!」


 船の両側で渦巻いていた水が、中央から後方へ向かう細い流れへ組み替えられた。川幅全体を変えず、保守船の周囲だけに下流へ続く水路を作る。


「流川様。三体が流れへ反応しました。一体だけ船底に残っています」


「残った個体は右前方から上がります。絵麻さん、出口までの距離を短くしてください」


 絵麻は船尾から下流へ続く流れへ座標を置き、魔獣が逃げ切るまでの距離を折り畳んだ。川そのものを短くせず、水流が通る範囲だけを一時的につなげる。


 ラールは船体と下流側の流れの間へ、白鋼の壁を二枚立てた。船へ戻る横道を塞ぎ、魔獣が進める方向を一つに絞る。


 水中の三体が、新しくできた流れへ順に乗った。最初に斥力で遠ざけられた一体も浮上し、船へ戻らず下流側へ尾を向ける。


「一体、来ます!」


 残っていた魔獣が右前方から飛び出した。狙いは船上の人間ではなく、流れを変えているアトゥムだった。


 魔獣の顎が開き、青く光る牙がアトゥムの肩へ迫る。彼女は避けず、右拳を腰まで引いた。


「避けて! 甲板で殴ったら船まで壊れる!」


「分かっているのだ!」


 アトゥムは拳を打ち込まず、魔獣の顎の下へ掌を当てた。接触した一点から短い振動を流し、頭の向きだけを上へ跳ねさせる。


 牙がアトゥムの髪を掠め、魔獣の胸が右舷へ乗り上げた。前脚の爪が手すりへ食い込み、船体が右へ大きく傾く。


「卓斗、今なら身体の半分が外!」


「見えてる!」


 卓斗は魔獣の胸へ斥力を向けた。船上に残る前脚まで押せば手すりを壊すため、水面側へ出ている腹と尾だけへ力を絞る。


 斥力を受けた尾が外へ流れ、魔獣の爪が一本ずつ手すりから外れた。しかし最後の右前脚だけが残り、身体が船縁へ引っかかる。


「ラール、その爪の下だけ滑らせて!」


「白鋼の位相をずらします!」


 ラールは爪が食い込んだ箇所へ薄い白鋼を差し込み、表面の向きを外側へ傾けた。支えを失った爪が滑り、魔獣の巨体が船外へ落ちる。


 絵麻は落下地点と下流への流れを接続した。着水した魔獣は船底へ戻れず、先に逃げた三体の後を追って押し流されていく。


 四つの影が保守船から離れ、川の中央を下流へ進んだ。水門の振動が届かない場所まで行けば、魔獣たちの鱗から攻撃前の青い光も消えていく。


「追い払い、完了です」


 恵依は解析を弱め、ゲブも四体へ伸ばしていた白銅の線を切った。卓斗は斥力を解除し、熱を持った右手首を左手で押さえる。


「実質ノーダメで勝ったってことでいい?」


「船は傷つき、全員が消耗しています」


「でも死者なし、魔獣も生きてる。効率で見たら大勝ちじゃん?」


「その点は否定しません」


「よし、恵依から勝利判定もらった。今日はもう帰ろう」


「水門が止まっていないわよ、タク」


 ティナが示した先では、黒い術式の絡んだ門扉が再び上下していた。船を押し流した逆流は弱まっているが、川底へ伝わる振動だけは間隔を短くしている。


「はい、終わりです。帰宅申請、却下されました」


 卓斗が肩を落とした時、右舷の白鋼板に硬いものが当たった。魔獣が落ちた場所から浮いてきた、手のひらほどの金属片だった。


 絵麻が鉤竿で引き寄せ、甲板へ置いた。黒ずんだ金属の片側には魔獣の鱗が挟まり、反対側には細い線を重ねた古い刻印が残っている。


「これ、魔獣についてたの?」


「鱗の隙間へ長く挟まっていたようです。先ほどの斥力で外れた可能性があります」


 恵依は金属片へ解析を向け、ゲブが内部に残る魔素を読み取った。現在使われている水路保守具とは波形が異なり、長期間、水中へ沈んでいた痕跡がある。


「流川様。微弱ですが、同じ魔素反応が川底にあります」


「一つではありません。線状に続いています」


 恵依は船の下へ意識を広げた。金属片と似た反応が川底を横切り、その先で箱ほどの大きさにまとまっている。


 まとまった反応は、門扉が落ちるたびに泥の中から浮き、開くたびに西側へ移動していた。水流に運ばれているだけではなく、川底へ敷かれた古い金属の線を辿るように進んでいる。


「何か動いています。箱型の魔導具だと思われます」


「盗まれた魔導核を運んだものか?」


「まだ断定できません。ただ、この金属片と同じ古い構造が使われています」


 ゲブは箱型の反応へ白銅の線を伸ばした。接続した瞬間、反応は保守船の真下を通り、流れの深い場所へ速度を上げる。


「流川様、西へ移動します。このままでは水路の深部へ入ります」


「アトゥムさん、追えますか?」


「当然なのだ! 魔獣を起こし、船を流したものが川底にあるなら、逃がす理由はないのだ!」


 アトゥムが舵を西へ切るよう命じ、第三騎士団員が帆と櫂を整え直した。救助した船員たちは後方の小舟へ移され、負傷者にも応急処置が施される。


 保守船が向きを変える間にも、箱型の反応は水門の振動を利用して川底を進んでいた。魔獣との戦いで荒れた水面の下に、自然の流れとは異なる一本の道が浮かび上がる。


 卓斗たちは濡れた甲板からその道を見下ろした。水棲魔獣を追い出した川底では、古い金属の反応だけが、彼らをさらに深い西水路へ導こうとしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ