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第二章 17 『逆流する水門』



 西第二水門から押し戻された水が、川幅いっぱいに盛り上がった。


 逆流の先頭には、係留索を引きちぎられた二隻の保守船がある。どちらも無人だが、船尾を振りながら横向きに流され、その後ろでは荷を積んだ輸送船が制御を失っていた。


「第三騎士団、左右へ分かれるのだ! 一班は水門、二班は保守船を押さえろ! 輸送船にはまだ人がいるのだ!」


 アトゥムの命令に、甲板上の騎士たちが一斉に動いた。二人が舵へ走り、残る者は鉤付きの縄と長い竿を船縁から持ち上げる。


「卓斗たちは輸送船の人間を拾うのだ! 船を壊してもいいが、人間は落とすな!」


「指示の優先順位が豪快すぎるって! あと水の上で渋滞事故とか聞いてないんだけど!?」


「今、聞かせたのだ!」


「事前説明としては完全に手遅れなんよ!」


 卓斗が返す間にも、逆流は距離を削っていた。先頭の保守船までおよそ四十メートル、その後ろの輸送船までは六十メートルほどしかない。


 こちらの保守船は船首を水門へ向けている。正面から受ければ衝突し、避ければ後方の船着き場へ二隻を通すことになる。


「流川様。水面だけではありません。水中の圧力も、西側から押し戻されています」


 ゲブの白銅が船縁から水へ細い線を伸ばした。逆流の強い場所は濃く、比較的弱い場所は淡く示され、揺れる水面へ幾筋もの道が描かれる。


 恵依は線の重なりと、迫る船の向きを見比べた。二隻の保守船は同じ流れに乗っておらず、左の船だけが中央へ寄り始めている。


「左の保守船が先に接触します。右へ避けても、輸送船の進路と重なります」


「なら、左を先に止めるのだ! 右は流れを曲げて後ろへ回す!」


 アトゥムが船首へ踏み込み、両手を水面へ向けた。青い魔素が甲板の下を通り、水の流れだけでなく船体へ伝わる揺れまで捉える。


「海震領域〈トリアイナ〉!」


 保守船の正面で逆流が二つに割れた。盛り上がった水が左右へ分かれ、卓斗たちの船を挟むように走る。


 正面から受ける圧力は減ったが、船底には左右から異なる揺れが打ちつけた。甲板が大きく傾き、積まれていた縄と工具箱が右舷へ滑る。


「ラール、足元!」


「は、はい! 白鋼展開です!」


 ラールは甲板の上へ白鋼の細い隆起を作った。工具箱は船縁へ届く前に止まり、騎士たちの靴底にも滑り止めとなる枠が固定される。


 絵麻は傾いた船上で腰を落とし、右舷と迫る保守船の間を見た。アトゥムが流れを割っても、船体に残った勢いまでは消えていない。


「卓斗、あの船の向きだけ変えられない?」


「人を引くよりは話通じる。でも、船一隻は普通に重い!」


「タク。船体ではなく、船首の係留環を狙いなさい」


 ティナが示した先には、保守船の船首へ打ち込まれた鉄製の環があった。切れた縄の端が残り、水を吸って甲板を叩いている。


 卓斗は右手を上げ、係留環だけへ弱い引力を向けた。船全体を引き寄せず、船首を自分たちの左側へ向けるための力に絞る。


 鉄環が軋み、保守船の船首がわずかに回った。しかし船尾は逆流に押され、横向きになった船体が広い面で水を受ける。


「これ、向き変える途中が一番危ないやつじゃん!」


「気づくのが遅いわね。止めたら正面から来るわよ」


「続けても横から来るんだけど!?」


 ティナは卓斗の返事を待たず、白銀の魔素を保守船の船底へ通した。水との摩擦が一時的に増し、流される速度が落ちる。


 勢いを失った船首だけが卓斗の引力に従い、左へ回った。二隻の間に斜めの隙間が生まれ、アトゥムが割った流れの片側へ船体が乗る。


「一隻目、左へ抜けるのだ! 二班、縄を取れ!」


 第三騎士団の二人が鉤縄を投げた。鉤は保守船の手すりへ絡み、騎士たちは甲板の固定具へ縄を回して流れを受け止める。


 だが、右側を回すはずだった二隻目が、輸送船の船首に押されて進路を変えた。無人の船は船尾からこちらへ近づき、その角が右舷を狙う。


「絵麻さん、接触まで十二秒です!」


 恵依は船体の速度と距離を読み、ゲブがその結果を全員へ白銅の線でつないだ。迫る船の角から右舷へ、衝突予定地点を示す赤みのある線が伸びる。


「十二秒で船どかすとか、要求が引っ越し業者の範囲超えてない?」


「喋る前に動きなさい、タク」


「喋りながら動いてんの。効率いいだろ?」


 卓斗は引力を解除し、右手首を一度振った。まだ熱は強くないが、船を相手に何度も使えば先に腕が止まる。


 絵麻は右舷と二隻目の間へ空間の魔素を差し込んだ。二十メートルを超える距離を動かすのではなく、衝突する直前の数メートルだけを引き延ばす。


 迫っていた船尾の動きが目に見えて遅くなった。実際の速度は変わっていないが、こちらへ届くまでに通過する距離が増えている。


「長くは保たない! ラール、当たる場所だけ固めて!」


「わ、分かりました! 右側、後ろ寄りですね!」


 ラールは右舷の外側へ白鋼の支柱を三本作り、その間を斜めの板でつないだ。船体全体を覆わず、衝突予定地点だけに厚みを集める。


 引き延ばされた空間を越え、保守船の角が白鋼板へ触れた。硬い衝撃が船を横へ押し、右舷が水面近くまで沈む。


「流川様、左側の流れが空いています」


「アトゥムさん、今なら船首を左へ向けられます!」


「任せるのだ!」


 アトゥムは右手を引き、割っていた水流の片側を二隻目の船尾へ叩きつけた。衝突の力と横からの水圧が重なり、無人船は白鋼板を擦りながら左へ回る。


 ラールが固定を解除すると、保守船は卓斗たちの後方へ流れた。待機していた第三騎士団の小舟が追いつき、鉤縄で進路を岸へ向ける。


「二隻、抜けました。次が輸送船です」


 恵依の視線が、迫る大きな船へ移った。


 輸送船は保守船の倍近い幅があり、甲板には木箱と樽が積まれている。船首に二人、中央に三人、後方の舵付近に一人が残り、必死に縄と帆を扱っていた。


「六人確認しました。負傷者がいる可能性があります」


「荷は捨てさせろ! 全員、左舷へ集めるのだ!」


 アトゥムの声は水音を越えた。輸送船の船員が応じ、中央の木箱を固定していた縄を切る。


 自由になった荷が右舷側へ滑り、三つの木箱が続けて水へ落ちた。船体は少し軽くなったが、舵は逆流に取られたまま戻らない。


「あれ、船を止めるより人をこっちへ移した方が早くない?」


「その判断で合っています。ですが、二隻の距離が安定しません」


 恵依の解析では、船同士の間隔は五メートルから九メートルまで揺れていた。飛び移るには広すぎ、橋を固定するには変化が大きい。


「流川様。波の周期を共有します。七秒ごとに、船体が最も近づくと思われます」


 ゲブの白銅が二隻の揺れをつなぎ、甲板へ淡い光の輪を刻んだ。輪が重なる瞬間だけ、左右の傾きと高さが近くなる。


「絵麻さん。最接近時の距離を二メートルまで縮められますか?」


「一瞬ならできる。ずっとは無理」


「一瞬で十分です。ラールは、その時だけ足場を固定してください」


「は、はい! 船ごとは無理ですけど、橋なら作れます!」


 絵麻は輸送船の左舷へ座標を置き、自分たちの右舷との距離を捉えた。二隻が波で近づく瞬間に合わせ、間にある空間だけを折り畳む。


 ゲブの光輪が重なった。


「今です!」


 二隻の間が一気に縮まり、ラールの白鋼が右舷から輸送船へ伸びた。幅一メートルほどの板が船縁同士をつなぎ、その両側に低い手すりが形成される。


「一人ずつ渡るのだ! 走るな、荷物は置け!」


 最初の船員が橋へ足を乗せた。左右の船は別々に揺れているが、ラールは板の両端を固定せず、中央の形だけを保って傾きへ追従させる。


 二人目、三人目が渡り、第三騎士団員が腕を取って甲板へ引き入れた。四人目は脇腹を押さえており、自力では手すりをつかめない。


「俺が行く」


 卓斗は橋へ踏み出した。白鋼板は硬いが、足元では川面が左右へ走り、視界の端で船体が上下する。


「タク。落ちたら拾わないわよ」


「そこは相棒として拾え? 契約者、川に捨てる気?」


「泳げるでしょう?」


「異世界来てから待遇ずっと雑なんだよな!」


 軽口を返しながら輸送船へ渡り、卓斗は負傷した船員の右腕を自分の肩へ回した。脇腹には切れた縄が当たったらしく、服の上から血が滲んでいる。


 戻ろうとした時、水門の方角から低い振動が届いた。黒い術式が絡みついた歯車が再び動き、半ば閉じていた門扉が一段落ちる。


 流れが急に細まり、水位が船体の下で沈んだ。次の瞬間、溜め込まれた水が門扉の隙間から噴き出し、輸送船を下から突き上げる。


「絵麻さん、空間を解除してください! 高さが合いません!」


 恵依の声に、絵麻は折り畳んでいた距離を戻した。二隻が離れ、ラールの白鋼橋が中央から大きく撓む。


「あわわっ、固定が外れます!」


「外して! 橋に引っ張られたら両方傾く!」


 ラールは両端の白鋼を解除した。橋は卓斗と負傷者を載せたまま片側だけが落ち、輸送船の船縁へぶつかる。


 卓斗は手すりを左腕でつかみ、負傷者の身体を船体へ押しつけた。甲板までは戻れたが、こちらの船との間は再び八メートル以上に広がっている。


「あと三人、向こうに残っています!」


 絵麻が数えた直後、輸送船の後方で帆柱を支えていた縄が切れた。濡れた縄の端が甲板を払い、舵の近くにいた船員の脚へ絡みつく。


 船体が傾き、男の身体が船縁を越えた。


「救命索を投げるのだ!」


 第三騎士団員が、腰に浮具を結んだ縄を投げた。しかし船と水面の高低差が変わり、輪は男の手前へ落ちる。


 卓斗は反射的に右手を向けかけ、人間へ引力を使えないことに気づいた。対象を変え、男の身体ではなく、水面へ落ちた浮具の金具を引く。


「そっちじゃない! こっち見て、縄つかんで!」


 浮具が水を切り、男の胸元へ寄った。男は一度沈みかけながらも両腕で輪を抱え、流れに身体を持っていかれる前に縄へしがみつく。


「取ったのだ! 引け!」


 騎士たちが縄を引いたが、逆流は男の身体を水門側へ押し返す。濡れた縄が船縁の金具へ食い込み、一本だけでは切れる危険があった。


「ゲブ。流れの弱い場所を!」


「流川様、右へ二メートルです。アトゥム団長の領域と重なる場所があります」


 ゲブは水中の圧力を読み、男から右斜めへ白銅の線を伸ばした。恵依がその経路を卓斗と絵麻へ共有する。


「絵麻、浮具の進む距離を短くできる?」


「できる。でも引くのはそっちでやって!」


「分業が明確で助かる!」


 絵麻が浮具と安全な水域の間を縮め、卓斗は金具へ横向きの引力をかけた。男の身体が流れを斜めに横切り、アトゥムの領域が作った緩い水面へ入る。


 縄への負荷が下がり、騎士たちが一気に引き上げた。男は船縁を越えて甲板へ転がり込み、咳き込みながら水を吐く。


「救命索って、説明された時は地味だと思ってた。めちゃくちゃ重要じゃん」


「道具は派手さで選ぶものではありません」


「恵依、たまに正論で人を殴るよな」


 卓斗は負傷者を支え直し、残る二人と共に輸送船の中央へ移った。向こうでは絵麻が再び距離を測り、ラールが新しい橋を作る準備をしている。


 だが、水門の振動は止まらなかった。閉じた門扉が今度は持ち上がり、川底を削るほどの流れが生まれる。


「おかしいです。破壊が目的なら、開いたまま固定する方が早いはずです」


 恵依は水門へ伸びる黒い術式と、水面下の魔素流を同時に追った。門扉は閉じるたびに圧力を溜め、開くたびに川底へ強い振動を送っている。


「流川様。振動の中心が移動しています。水門そのものではなく、川底へ向けられている可能性があります」


「何かを壊そうとしてる?」


 絵麻の問いに、恵依はすぐには答えなかった。川底には保守用の魔導具と結界線があり、そのどちらを狙っているのか、まだ判別できない。


「少なくとも、船を流すだけの術式ではありません。逆流を繰り返して、川底を揺らすことも目的に含まれています」


「じゃあ、この事故ごと仕込みってこと?」


「その可能性が高いです」


「普通に性格悪すぎるだろ。水門壊す、船流す、人も巻き込むって、嫌がらせのセット売りじゃん」


 卓斗が吐き捨てた直後、ゲブの白銅の線が大きく乱れた。水中を走っていた圧力が、川底の一点から放射状に広がる。


「流川様。下から、複数の魔素反応があります」


 アトゥムも水面へ向けていた手を止めた。割っていた流れを維持したまま、川底から伝わる別の揺れへ意識を向ける。


「生き物なのだ。それも、一匹ではないのだ」


「その言い方、絶対よくないやつじゃん」


「だが、先に人を移すのだ! もう一度、船を寄せる!」


 アトゥムが流れを左へ押し、輸送船の船首をこちらへ向けた。絵麻は最接近する二点をつなぎ、ラールが二本目の白鋼橋を形成する。


 残る船員が先に渡り、卓斗は負傷者を騎士へ預けて最後に橋を走った。背後で水面が盛り上がったが、振り返らず右舷へ飛び込む。


「全員、移乗を確認しました!」


 恵依の報告と同時に、ラールが橋を解除した。無人になった輸送船は流れを横から受け、卓斗たちの船からゆっくり離れていく。


「第三騎士団、輸送船を岸へ流すのだ! 水門班には術式を切るなと伝えろ! 仕組みを見ずに止めれば、溜まった圧力が別へ逃げるのだ!」


 アトゥムは負傷者と救助した船員を一度確かめ、満足したように口元を上げた。船を救った直後とは思えないほど、目は次の戦いを待っている。


「何でちょっと楽しそうなの?」


「水の上で、流れも足場も敵なのだ。面白くなってきたのだ!」


「こっちは開始十分で帰りたいんだけど。温度差エグいって」


「タク。帰るなら泳ぎなさい」


「味方が誰も帰路を用意してくれない!」


 卓斗の抗議を押し流すように、船の左側で水が弾けた。


 川底から現れた黒い影が、甲板より高く背を持ち上げる。ぬめる鱗の間から青い魔素光が漏れ、長い尾が水面を叩いた。


 さらに右舷側で二つ、離れた輸送船の下で一つ、水面を押し上げる影が浮かぶ。黒い術式による振動は、川底に潜んでいたものまで逆流の中へ追い立てていた。


 救助を終えた船は、まだ暴走する水門の正面にある。逃げ道となる後方では無人の輸送船が流れを塞ぎ、前方では目を覚ました水棲魔獣がゆっくりと船首へ向きを変えた。


 アトゥムが青い魔素を両腕へ集める一方で、卓斗たちは濡れた甲板に足場を取り直した。人を救うために割った流れは、今度は魔獣たちを四方から船へ運び始めていた。



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