表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/88

第二章 5 『隊列は止まらない』



 荷車の右後方で土が鳴り、千佳が木剣を低く構えたまま間合いへ踏み込んだ。


 開始地点にいたはずの彼女は、外周の木柵を回り込み、卓斗たちの視界から外れていた。狙いは最後尾の恵依ではなく、負傷者役の人形を載せた荷車だった。


「ラール、右!」


「あわわっ、白鋼展開です!」


 絵麻の声を受け、ラールは荷車の右側へ防壁を立てた。


 白鋼の魔素が縦長の板へ固まり、千佳の木剣と人形の間へ入る。刃のない訓練用武器でも、赤い布へ触れれば負傷者への攻撃判定になる。


 千佳は木剣を防壁へ打ち込まず、踏み込んでいた右足の向きを変えた。


 白鋼の壁が固定されているのは形状と地面へ接する下端だけだ。千佳は防壁の正面を避け、側面の土を踵で蹴り上げる。


 固められた土が削れ、白鋼の壁が荷車側へわずかに傾いた。


「えっ、そこを動かすんですか!?」


「壁が硬くても、支える場所が弱ければ倒せます」


 千佳は傾いた防壁の外側へ回り込み、木剣の切っ先を荷台へ伸ばした。


 ラールは壁の形を保ったまま、下端へ白鋼を追加する。厚みを増した支柱が地面へ食い込み、倒れかけた防壁を元の角度へ戻した。


 千佳の木剣は壁の縁へ触れ、赤い布まで十センチほど届かずに止まった。


「防いだ!」


 絵麻は荷車の取っ手を引き、左前方へ進み始めた。


 車輪が土を踏み、荷台の人形が小さく揺れる。ラールは防壁を解除すると、絵麻と荷車の右後方へ位置を戻した。


 卓斗の正面では、木柵の陰から出た騎士が木剣を上段に構えていた。


 荷車との距離は四メートル。騎士を避けて左右へ回れば、卓斗が決めた五メートルの範囲から外れる可能性がある。


「成瀬さん。一本いただきます」


「丁寧に殴ろうとすんの怖いって!」


 騎士の木剣が卓斗の左肩へ振り下ろされた。


 卓斗は身体を右へずらし、木剣の軌道から肩を外す。同時に弱い引力を鍔付近へ向け、振り下ろされた武器を自分の左側へ流した。


 切っ先が土へ触れ、騎士の上半身が前へ傾く。


 卓斗は倒そうとせず、その横を通り抜けた。目的は妨害役を倒すことではなく、荷車の前方から障害を外すことだった。


「絵麻、そのまま前!」


「言われなくても進んでる!」


 絵麻は荷車を引き、最初の木柵の右側へ向かった。


 左側は広いが、中央の石壁まで遮蔽物がない。右側の狭い道なら一度に接近できる騎士は少なくなると考えた。


 荷車が木柵へ近づいた時、中央で待っていた盾役の騎士が動いた。


 正面ではなく左側から斜めに走り込み、荷車の進路へ大型盾を差し込む。絵麻が選んだ右側の道は、木柵と盾によって完全に塞がれた。


「先に入られた!」


 絵麻は荷車を止め、盾役の騎士と木柵の隙間を見た。


 人一人なら通れるが、荷車の横幅では足りない。空間を広げようにも、盾役が動けば接続する二点を安定させられない。


「絵麻さん、左へ切り返してください!」


 恵依は荷車の後方から、開けた左側の経路を示した。


 しかし進路を変えるには、一度荷車を後ろへ下げなければならない。後方には千佳が残り、さらに右側の細い通路から三人目の騎士が近づいていた。


 隠れていた騎士は短い木杖を持ち、真っ直ぐ恵依へ向かってくる。


「流川さん、戦闘不能判定を狙います」


 木杖の先に青い魔素光が集まった。


 殺傷力のない訓練弾だが、身体へ二発当たれば戦闘不能判定になる。恵依は解析を使い、杖先から肩、足元へ流れる魔素を追った。


 一発目は胸元ではなく、逃げる方向を制限するための足元狙いだった。


「ゲブ。軌道だけ共有してください」


「承知しました、流川様」


 ゲブの白銅が恵依の解析結果を細い線としてつなぎ、魔素弾の進行方向を示した。


 恵依は荷車の左後方へ半歩移動する。青い弾は右足があった場所を通過し、後方の土へ当たって淡く弾けた。


 二発目は恵依の移動先を予測し、左肩へ向けて放たれた。


 恵依は荷車の側面へ身体を寄せた。魔素弾が荷台の端を掠め、負傷者役の人形に巻かれた赤い布の近くへ青い痕を残す。


「恵依、後ろ任せていい?」


 絵麻は盾役から目を離せなかった。


 卓斗も正面の騎士を抜けたばかりで、すぐには後方まで戻れない。恵依が倒されれば、荷車の後ろが完全に空く。


「今は避けられます。ですが、荷車を下げないでください」


「下げないと左へ出られない!」


「なら、盾を外すしかありません」


 恵依の返答を聞き、絵麻は正面の盾役へ視線を戻した。


 自分は左側を守る。卓斗は前方を空ける。恵依は後方から敵を見る。開始前に決めた役割を守っているはずなのに、三人の間隔は少しずつ広がっていた。


 千佳がラールの防壁から離れ、荷車の左後方へ回る。


 恵依は木杖の騎士と千佳の両方を見る必要が生まれた。解析対象を一人へ限定すると申告したため、二人の動きを同時に読むことはできない。


 卓斗は前方から引き返そうとしたが、最初の騎士が体勢を整え、木剣を横へ構えて道を塞いだ。


「決めた場所を守るだけなら、配置を読まれます」


 千佳の声が、荷車を挟んで三人へ届いた。


「相手が皆さんの役割を知れば、動けない場所を作るのは難しくありません」


「初心者相手に弱点突くの早くない!?」


「訓練ですから」


「便利だな、その言葉!」


 卓斗は木剣を避けながら、荷車までの距離を測った。


 まだ五メートル以内にはいる。それでも騎士を相手にしている限り、絵麻が塞がれた進路を開けず、恵依の援護にも戻れない。


 恵依は二発目の魔素弾を避けたあと、千佳の木剣が荷車へ向く気配を捉えた。


 全員が役割通りに動いていること自体が、千佳に次の行動を教えている。卓斗を前へ置けば後方が薄くなり、絵麻を荷車の横へ固定すれば盾で止められる。


「役割を入れ替えます!」


 恵依は荷車の取っ手へ手を伸ばした。


「絵麻さんは前へ。卓斗くんは一度、荷車まで戻ってください。後方は私とゲブで維持します」


「恵依が荷車を引くの?」


「止まっているよりは進めます」


 絵麻は取っ手から手を離し、正面の盾役へ向き直った。


 恵依が代わりに荷車を持ち、少しだけ後ろへ引く。車輪が木柵から離れ、左へ向きを変えるための空間が生まれた。


「ラール、荷車じゃなくて恵依を守って!」


「は、はい! 絵麻ちゃんは?」


「私は前をどかす!」


 絵麻は盾役の右側へ意識を向け、騎士と木柵の間の距離を引き延ばした。


 見た目の隙間は変わらない。それでも騎士が木柵へ背を寄せようとした一歩は、通常より長い距離を必要とする。


 盾役の移動が遅れ、身体と盾の間にわずかな隙間が生まれた。


 絵麻はそこへ踏み込み、盾の内側へ肩を入れる。押し倒す力はないが、騎士が盾を正面へ戻す動きを止めるには十分だった。


「卓斗、今!」


「呼ばれると思った!」


 卓斗は正面の騎士が突き出した木剣を左へ避け、引力の対象を武器から盾へ切り替えた。


 盾の上端が卓斗の方へ引かれる。内側へ入った絵麻とは反対方向へ力がかかり、盾役の腕が外へ開いた。


 絵麻は盾の縁を押し、荷車が通れるだけの幅を作る。


「恵依、左から抜けて!」


 恵依は荷車の取っ手を引き、木柵の左側へ進んだ。


 ラールは荷車の右後方ではなく、恵依と木杖の騎士の間へ防壁を作る。三発目の魔素弾が白鋼へ当たり、青い光となって散った。


 千佳は防壁を避け、空いた左側へ回り込もうとした。


「ゲブ。千佳さんの足元を共有してください」


「確認できた範囲をつなぎます」


 ゲブは千佳の動きを直接止めず、土を踏む位置と次に進む方向だけを白銅の線に変えた。


 情報は恵依から卓斗と絵麻へ流れる。二人は千佳を見ていなくても、荷車の左後方から接近していることを知った。


「絵麻、赤崎さんそっち行った!」


「見えてないけど分かってる!」


 絵麻は盾役から離れ、荷車の左後方へ戻った。


 役割を固定せず、必要な場所へ移る。前方の盾が外れた今、そこへ残って戦い続ける理由はなかった。


 千佳の木剣が恵依の背後から伸びる。


 絵麻は二人の間へ空間の歪みを作り、木剣が進む距離をわずかに引き延ばした。切っ先の速度は落ちないが、赤い布へ到達するまでの時間が増える。


「ラール、左へ壁!」


「あわわっ、間に合わせます!」


 ラールは右側の防壁を解除し、荷車の左後方へ白鋼を再形成した。


 千佳の木剣が空間の歪みを越えた時には、防壁が赤い布の前へ入っていた。切っ先は白鋼の表面へ触れ、硬い音を立てて止まる。


「今度は地面まで固定しました!」


「はい。先ほどより安定しています」


 千佳は無理に押し込まず、木剣を引いて距離を取った。


 その間に荷車は最初の木柵を抜け、中央の石壁へ向かう。開始地点から三十メートルほど進み、青い旗まで残り五十メートルになった。


「通れた。でも、もう疲れたんだけど」


 卓斗は荷車の前方へ戻りながら、右手首を押さえた。


 強い痛みはないが、盾を引いた時に契約紋の周囲が熱を持った。引力だけに限定しても、対象が重ければ負担は増える。


「タク。次に熱が強くなったら止めなさい」


「分かってる。斥力は使わない」


「引力も同じよ。使えることと、使い続けていいことは別だわ」


 ティナは卓斗の右手首へ勝手に触れず、隣を走りながら状態だけを見ていた。


 卓斗は返事の代わりに右手を一度開き、痺れがないことを確かめる。まだ動かせるが、余裕が多くないことは理解できた。


 中央の石壁は訓練区域を左右に分け、通路は二本だけ設けられていた。


 左側は幅が広い代わりに、木杖の騎士と盾役が先回りしている。右側は荷車が一台通れるほど狭く、正面から騎士に入られれば引き返せない。


「右へ行きます」


 恵依は石壁と騎士たちの位置を確認し、狭い通路を選んだ。


「二人が左へ集まっています。右を抜ければ、同時に攻撃される人数を減らせます」


「でも、赤崎さんが右から来たら終わらない?」


 絵麻は荷車の取っ手を恵依から受け取り、右側へ向きを変えた。


 千佳の姿は石壁の手前から消えている。外周を回って右通路の出口へ先回りしている可能性もあった。


「その場合は、また役割を変えます」


「恵依、ちょっと雑になってない?」


「全てを予測する時間がありません」


「開き直り方が強い」


 卓斗は狭い通路へ先に入り、出口までの障害を確認した。


 石壁の間は十メートルほど続き、足場は乾いた土で安定している。出口の向こうには背の低い木柵と、奥の青い旗が見えていた。


「出口まで誰もいない。今のうちに通ろう」


 三人は荷車を右通路へ進めた。


 卓斗が前、絵麻が取っ手、恵依とゲブが後方につく。ラールは荷車の右側へ薄い防壁を沿わせ、車輪が石壁へ当たらないよう進路を固定した。


 荷車の前半分が通路を越えた瞬間、出口右側の石壁から千佳が姿を現した。


 先回りして待っていたのではない。壁面に設けられた整備用の足場へ上がり、卓斗たちが通る頭上を移動していた。


「上は聞いてない!」


「戦場で、相手が地上から来るとは限りません」


 千佳は足場から飛び降り、卓斗と荷車の間へ着地した。


 土が跳ね、進路が一人分の身体で塞がれる。卓斗が立ち止まった直後、千佳は彼を狙わず、横を抜けて荷車の取っ手へ手を伸ばした。


「絵麻、離して!」


 卓斗の声に、絵麻は反射的に取っ手を放した。


 千佳の手が取っ手をつかみ、荷車の進行を止める。奪われたと判定されるまで数秒の猶予はあるが、そのまま引き戻されれば失敗になる。


「斥力で離せる?」


 絵麻は荷車の左側へ回りながら聞いた。


 千佳と荷車の距離はほとんどない。卓斗が斥力を使えば千佳だけでなく、荷台と人形まで押し出す可能性がある。


「無理。荷車ごと吹っ飛ぶ」


「じゃあ、どうするの?」


「荷車をこっちへ引く」


 卓斗は千佳ではなく、荷車の前輪をつなぐ金属軸へ引力を向けた。


 右手首へ熱が集まるが、重い盾を引いた時より対象は軽い。荷車は千佳の手から奪い返されず、取っ手を中心に前側だけが卓斗へ向きを変えた。


 車輪が通路の出口へ斜めに滑り、荷車の側面が石壁から離れる。


「ラール、車輪を固定しないで! 今は動かす!」


「は、はい! 人形の脚だけ固定します!」


 ラールは荷車全体へ広げかけた白鋼を絞り、負傷者役の右脚と荷台の接触部分だけを硬化した。


 進路が急に変わっても人形は大きく揺れず、壊れやすい板も折れない。荷車そのものは自由に動き、卓斗の引力に従って出口へ向く。


 千佳は取っ手を離さず、踏み込んだ左足で荷車を止めた。


 卓斗の引力と千佳の腕力が金属軸と取っ手を挟んでぶつかる。荷車は前後へ揺れ、車輪が土へ浅い溝を作った。


「力勝負したら負ける!」


 絵麻は石壁の出口から青い旗までの距離へ干渉した。


 荷車を直接転移させるのではなく、進行方向にある数メートルを短く折り畳む。車輪が一度回れば、通常より先へ進める空間を作った。


「恵依、進める方向を教えて!」


「今の角度から、左へ二十度です。卓斗くん、前輪を少し左へ引いてください!」


 恵依は荷車の車輪と絵麻が短くした空間の接続位置を解析した。


 ゲブはその角度を白銅の線として卓斗へ伝える。卓斗は引力の方向を正面から左斜めへ変え、前輪を折り畳まれた距離へ乗せた。


 荷車が千佳の手を軸に回転する。


 取っ手を握ったままでは腕を捻られる角度になり、千佳は一度手を離した。奪取判定へ入る直前に、荷車の自由が戻る。


「今、押して!」


 三人はそれぞれ別の位置から荷車を動かした。


 卓斗が金属軸を前へ引き、絵麻が左後方から荷台を押す。恵依は取っ手をつかみ、絵麻が短くした空間の中心へ車輪を通した。


 荷車は石壁の通路を抜け、一度の回転で五メートル近く進んだ。


 千佳は着地の姿勢からすぐに身体を起こし、荷車の後方へ追いつく。絵麻が短くした空間は一度通れば元へ戻るため、千佳との距離は三メートルも離れていなかった。


「まだ来るの!?」


「出口へ到達するまでが訓練です」


 絵麻は空間操作を続けようとしたが、視界の端がわずかに揺れた。


 市場で起こした空間酔いは休息で軽くなったものの、完全には消えていない。ここで連続使用すれば、再び座標と距離の感覚を失う危険がある。


「絵麻。次は使わなくていい」


 卓斗は前方を走りながら、振り返らずに告げた。


「でも、このままだと追いつかれる!」


「もう旗まで二十メートル。普通に走った方が早い」


 絵麻は反論しかけたが、恵依も荷車を押しながら同じ判断を示した。


「空間操作は解除してください。残りは全員で運びます」


 絵麻は折り畳んでいた距離を戻し、荷車の左側へついた。


 ラールも人形の脚だけに残していた白鋼を薄くし、絵麻の隣から荷台を支える。魔素で全てを解決せず、残った距離を身体で進む選択へ切り替えた。


 前方では、最初に卓斗を止めた騎士が青い旗の手前へ回り込んでいた。


 木剣を横へ構え、出口の中央を塞いでいる。左右には低い木柵があり、荷車が通れる幅は騎士の正面にしかない。


「俺がどかす。荷車は止めないで!」


 卓斗は荷車から離れすぎない速度で前へ出た。


 右手首の熱は強くなっている。引力を使えるのは、おそらくあと一度か二度だった。


 騎士の木剣が卓斗の胸元へ突き出される。


 卓斗は右へ避けず、身体を低くして切っ先の下へ入った。肩の上を木剣が通過し、騎士との距離が一歩分まで縮まる。


 接近した状態では、引力で武器を大きく動かす必要がない。


 卓斗は木剣の先端を自分の左側へ弱く引き、騎士の腕が伸びた方向を数センチだけ外した。空いた右側をすり抜け、騎士の背後へ回る。


「今、そのまま抜けて!」


 絵麻と恵依が荷車を押し、騎士の横を通過する。


 ラールは荷車の左側へ白鋼の薄板を作り、木柵へ車輪が当たるのを防いだ。荷車は速度を落とさず、青い旗まで残り十メートルへ入る。


 千佳の足音が後方から近づいた。


 盾役と木杖の騎士は石壁の向こうに残り、追いつけていない。最後に荷車へ届く可能性があるのは千佳だけだった。


「流川様。赤崎団長は右後方から接近しています」


 ゲブの白銅が千佳の進路を細い線として示した。


 恵依は振り返らず、荷車の右側に残る空間を確認する。ラールが防壁を作れば一度は防げるが、午前と同じく地面や側面を利用して抜かれる可能性がある。


「ラール。壁ではなく、木剣が触れる場所だけを固定できますか?」


「や、やってみます! でも、位置を教えてください!」


「ゲブが線をつなぎます。赤い布の右側です」


 ゲブは千佳の木剣と荷台の間にある魔素の流れを読み、白銅の補助線をラールへ渡した。


 ラールは広い防壁を作らず、赤い布の右側へ手のひらほどの白鋼板を形成する。守る範囲を狭めた分だけ、硬度と固定速度を上げた。


 千佳が荷車の右後方へ追いつき、木剣を横から突き出した。


 狙いは人形の身体ではなく、胸元の赤い布だった。白鋼板が切っ先へ重なり、最初の一撃を弾く。


 千佳はその反動に逆らわず、木剣を下から回した。


 白鋼板のない左側へ切っ先が移り、荷車の揺れに合わせて赤い布へ近づく。ラールが防壁を作り直すより、木剣の方が速い。


「卓斗くん、木剣を!」


 恵依の声が届いた。


 卓斗は右手を千佳へ向けたが、人ではなく木剣だけに意識を絞る。最後に残っていた引力を切っ先へかけ、自分の方へ引いた。


 右手首の竜紋が熱を持ち、腕の内側へ痛みが走る。


「タク、それ以上は駄目よ!」


「一瞬だけ!」


 木剣の切っ先が、赤い布から数センチ外れた。


 千佳は握ったまま軌道を戻そうとしたが、その一瞬で荷車の前輪が青い旗の線を越える。続いて後輪も出口側へ入り、負傷者役の人形を載せた荷車全体が目的地点へ到達した。


 訓練終了の鐘が鳴った。


 卓斗はすぐに引力を解除し、右腕を下ろした。手首には熱と痺れが戻っているが、指は動き、竜紋にも新しい異常は出ていない。


 千佳は木剣を止め、荷車から距離を取った。


「訓練終了です。負傷者役の到達を確認しました」


「勝った……!」


 絵麻は荷車の取っ手へ身体を預け、荒い呼吸を整えた。


 恵依も隣で肩を上下させている。解析を短時間に絞ったため頭痛は強くなっていないが、荷車を引いた体力の消耗は隠せなかった。


 ラールはその場へ座り込み、ゲブも白銅の共鳴を静かに切った。


 ティナは卓斗の右手首を見たあと、勝手に触れずに顔を上げる。


「整える?」


「頼む。さっきと同じ範囲で」


「分かったわ」


 ティナが白銀の魔素を流すと、契約紋の周囲へ集まった熱が少しずつ薄くなる。


 卓斗は治療を受けながら、荷車の横に立つ千佳を見た。彼女は息を乱しておらず、本気で戦っていなかったことは明らかだった。


「つまり、俺らが赤崎さんに勝ったってことでいい?」


「私を倒したわけではありません」


「でも荷車は届いた」


「はい。訓練には成功しました」


「じゃあ実質勝ちで」


 卓斗が勝手に結論づけると、千佳は困ったように笑った。


 絵麻は疲れて反論する気力もないのか、荷車へ寄りかかったまま卓斗を見る。恵依は成功条件と勝敗は違うと説明しかけたが、今は訂正する必要がないと判断して口を閉じた。


「最初の配置は、悪くありませんでした」


 千佳は訓練区域を振り返り、三人が通った経路へ視線を向けた。


「ただし、役割を決めたことで、その場所から動いてはいけないと思い込んでいました。相手に配置を読まれた時、同じ役割を守り続ければ不利になります」


 卓斗は最初の木柵で足止めされた場面を思い返した。


 前を任されたから前へ残り、絵麻は荷車の左側を離れず、恵依は一人で後方を守ろうとした。誰も間違ったことはしていなかったが、三人の間にできた隙を千佳に使われた。


「隊列は、決めた場所を守るためのものではありません。守る対象へ危険が近づいた時、必要な者が必要な位置へ入るための形です」


「途中から、ぐちゃぐちゃだったけど」


 絵麻は荷車から身体を起こし、木柵と石壁の間を見た。


「ぐちゃぐちゃでも、誰が何をするかは分かっていました」


「卓斗くんが戻り、私が荷車を引き、絵麻さんが前へ出ました。形は変わりましたが、負傷者役を運ぶ目的は変わっていません」


 恵依の言葉に、絵麻は小さく頷いた。


 開始前に決めた役割を捨てたのではなく、必要に応じて渡し合った。市場では偶然に近かった連携を、今回は自分たちの判断で選ぶことができた。


「そこまで理解できていれば十分です」


 千佳は木剣を訓練用の棚へ戻し、三人へ向き直った。


「本日の訓練はここまでにします。明日は第一騎士団での最終訓練を行います」


 卓斗は右手首を整えてもらいながら、露骨に顔をしかめた。


「まだ最終残ってんの?」


「はい。三人で訓練区域へ入り、三枚の退避札を回収してください」


 千佳が示した次の訓練区域は、今日使った直線的な場所とは異なっていた。


 複数の石壁、建物を模した木造物、細い路地、二階部分の足場が組まれた市街戦用の区画だという。退避札はそれぞれ別の場所に置かれ、三枚全てを持って出口へ到達すれば成功となる。


「妨害役は?」


「私一人です」


 卓斗は少しだけ考え、今日より人数が少ないことに気づいた。


「団長に勝てじゃないなら、まだ可能性あるか」


「私が出口を守ります」


「はい、終わりです」


 卓斗が即座に肩を落とすと、絵麻が疲れた顔のまま笑った。


 恵依は市街戦用区画の配置を聞き、すでに三枚の札をどう探すか考え始めている。竜精霊たちもそれぞれの契約者の隣で、明日の使用範囲を相談していた。


 綺麗に並ぶだけだった最初の隊列は、状況に合わせて動く形へ変わり始めた。


 その形が千佳の守る出口を越えられるかは、まだ分からない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ