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第二章 4 『訓練は終わってない』



 市場東側の荷捌き場では、鎧角獣の拘束と並行して、負傷者の確認が進められていた。壊れた水槽から流れ出した水は石畳の溝へ入り込み、割れた木箱や果物の欠片を市場の端へ押し流している。


 卓斗たちは荷捌き場に設けられた臨時治療所へ移され、長椅子へ並んで座っていた。屋根代わりに張られた白布の向こうでは、第一騎士団員と市場の商人たちが、倒れた露店や荷車を片づけている。


「右手を出してください」


 治療担当の女性騎士に促され、卓斗は右腕を差し出した。


 手首には白銀の竜紋が残り、その周囲だけが薄く赤くなっている。指を曲げることはできるが、斥力を使った時の熱と痺れが、肘の近くまで残っていた。


「骨や筋には異常ありません。ただ、契約紋の周囲へ魔素が偏っています。今日はこれ以上、大きな出力を使わないでください」


「今日っていうか、できれば三日くらい休みたいんだけど」


「タクなら、一日で十分ね」


「本人より先に決めないでもらえる?」


 ティナは長椅子の横に立ち、卓斗の右手首を見ていた。


 いつもなら説明より先に白銀の魔素を流していたかもしれない。だが今回は、伸ばしかけた手を途中で止め、卓斗の顔へ視線を上げる。


「タク。契約紋の周囲を整えてもいいかしら」


 卓斗はすぐには返事をしなかった。


 ティナが許可を求めたことに驚き、右手首と白銀の瞳を交互に見る。強制契約で異世界へ連れて来た張本人が、今は自分の魔素へ触れてよいかと聞いている。


「……それ、断ったら?」


「しないわ。痺れはしばらく残るでしょうけど、命に関わる状態ではないもの」


「話通じるタイプになってる」


「失礼ね。私は最初から話は通じるわ」


「契約って同意いるんよ、って話は通じなかったけどな」


 ティナの眉がわずかに動いた。


 反論は返ってこなかった。卓斗が拒否したにもかかわらず契約を強行した事実は、どんな理由を並べても消えない。


 卓斗は右手首をもう一度見てから、ティナへ差し出した。


「今回はいい。痛み増えたらすぐ止めて」


「分かったわ」


 ティナの指先から、細い白銀の魔素が竜紋へ触れた。


 身体の内側へ押し込むのではなく、手首に滞留していた魔素の密度だけを薄く書き換えていく。熱を持っていた皮膚から力が抜け、指先を刺していた痺れも少しずつ弱まった。


「どう?」


「さっきよりマシ。……ていうか、これできるなら市場で走る前にやってほしかった」


「走っている最中に止まれば、鎧角獣を見失っていたわよ」


「正論で殴るのやめて?」


 卓斗が指を開閉すると、先ほどより動きは滑らかだった。


 それでも完全に回復したわけではない。魔素を再び強く流せば、同じ場所へ負担が集中する危険がある。


 長椅子の反対側では、絵麻が両目を閉じたまま、治療担当から渡された冷たい布を額へ当てていた。


 空間酔いによる目眩は落ち着き始めているが、視線を急に動かすと景色が遅れてついてくる。荷捌き場で座り込んだ時よりは軽いものの、短距離転移を使える状態ではなかった。


「絵麻ちゃん、お水です! ゆっくり飲んでください!」


 ラールは水の入った木製の杯を両手で持ち、絵麻の前へ差し出した。


 勢いよく近づけたため、水面が大きく揺れている。絵麻は冷たい布を外し、杯の縁からこぼれそうな水を見て顔をしかめた。


「先にあんたが落ち着きなさいよ。今渡されたら半分こぼれるでしょ」


「あわわっ、すみません! 止まります! 完全に止まります!」


「そこまで固まらなくていいから」


 ラールは両腕を伸ばした姿勢で動かなくなった。


 絵麻はため息をつきながら杯を受け取り、少しずつ水を飲む。冷たさが喉を通るにつれ、浅くなっていた呼吸も整っていった。


「次からは、私が着地点を固定してから跳んでください。絵麻ちゃん一人で連続して跳ぶのは危ないです」


 ラールは焦りを抑えようとしながら、いつもよりゆっくり言葉を選んだ。


 絵麻は杯から口を離し、心配そうな青い瞳を見る。市場ではラールの白鋼がなければ、商人を救出した時も、鎧角獣を誘導した時も、空間を保てなかった。


「分かった。次は先に言う」


「ほんとですか?」


「何よ、その疑い方」


「絵麻ちゃん、勢いがつくと先に跳んじゃうので……」


 絵麻は否定しようとしたが、市場で二度も先に動いたことを思い出し、口を閉じた。


 ラールは注意したことを怒られたと思ったのか、すぐに不安そうな顔になる。絵麻はその反応に気づき、残っていた水を飲んでから杯を返した。


「努力はする。だから、あんたも防壁の位置を間違えないでよ」


「はい! 次は絶対に間違えません!」


「絶対って言うと余計に不安なのよね」


 少し離れた椅子では、恵依が目元を押さえていた。


 解析の魔素を長時間使い続けた影響で、目の奥に鈍い痛みが残っている。外傷はないが、鎧角獣、住民、結界、空間の歪みを同時に見続けたため、処理した情報量が限界へ近づいていた。


「流川様。確認できた範囲では、解析の魔素は正常に収まっています」


 ゲブは恵依の隣に立ち、白銅の魔素を広げずに状態を見ていた。


 共鳴すれば恵依の魔素を整えることはできる。しかし今の恵依へ新しい魔素を重ねれば、収まりかけた情報の残響を再び引き出す可能性がある。


「今は共鳴を使わない方がいいと思われます。静かな場所で休めば、痛みは弱まる可能性があります」


「分かりました。無理に補助しないでください」


「はい。必要になった場合は、先に確認します」


 恵依は目を開き、ゲブへ視線を向けた。


 中継地点では、ゲブが自分への負担を無視して共鳴を維持しようとしていた。今は成功率だけで決めず、使わないという選択を自分から伝えている。


「ゲブも疲れているのではありませんか」


「私の消耗は軽度と思われます」


「確認できた範囲では?」


「……主観を含みます」


「では、あなたも休んでください」


 恵依の返答を受け、ゲブは少しだけ視線を下げた。


 自分は問題ないと続けることもできたが、それでは説明と確認を優先するという約束に反する。ゲブは恵依の隣へ座り、ようやく両手を膝の上へ置いた。


 治療担当が三人の状態を記録している間に、市場の片づけは進んでいた。


 鎧角獣が壊した露店には第一騎士団の補償札が取りつけられ、被害を受けた商人たちが品物を分けている。割れた器や泥に落ちた食材は処分され、無事だった商品だけが別の荷車へ移されていた。


 一人の年配の女性商人が、布に包んだ籠を持って臨時治療所へ入ってきた。


「騎士様。あの子を助けてくれたのは、あんたたちだろう?」


 女性の視線は千佳ではなく、長椅子に座る卓斗たちへ向いていた。


 荷捌き場で助けられた男の子は、彼女の孫だったらしい。膝の擦り傷を治療されたあと、今は家族と一緒に市場の待機所へ移っている。


「助けたっていうか、赤崎さんと第一騎士団がほぼ全部やったんで」


「でも、あの荷車を動かしたのは金髪の兄ちゃんだって聞いたよ」


「金髪で特定されるの早いな」


 卓斗は王都の住民を見回し、自分と同じ髪色がほとんどいないことに気づいた。


 異世界へ来てから着替える余裕もなく、現代日本の服装と染めた金髪のままである。市場を走れば、どう考えても目立つ。


 女性は籠を開き、少し形の崩れたパンと果物を長椅子の前へ並べた。


「売り物には戻せないけど、食べる分には問題ない。あんたたちで食べておくれ」


「いや、被害出たばっかで貰うのは悪くない?」


「捨てるより食べてもらった方がいいよ。それに、孫が無事だった礼だ」


 卓斗は断りきれず、女性から細長いパンを一本受け取った。


 表面が少し潰れているだけで、焼けた香りは残っている。朝から訓練と鎧角獣の追跡を続けていたため、匂いを意識した瞬間、空腹が急に強くなった。


「じゃあ、ありがたく。普通に腹減ってた」


「最初からそう言いなさいよ」


 ティナは籠の中から丸い果物を一つ取り、表面を眺めた。


 赤と黄色が混ざった皮は林檎に似ているが、形は細長い。卓斗がどんな味か聞こうとする前に、ティナは小さくかじった。


「甘いわね」


「毒見なしでいくんだ」


「市場で普通に売られている果物よ」


「俺、この世界の普通をまだ知らないんだけど」


 卓斗はパンをちぎりながら、絵麻と恵依へ籠を回した。


 絵麻は柔らかい焼き菓子を選び、恵依は果物を一つ受け取る。ゲブとラールも契約者に確認してから、それぞれ別のものを手に取った。


「こうやって座って食べるの、異世界に来てから初めてじゃない?」


 絵麻の言葉に、卓斗は昨日からの出来事を思い返した。


 中継地点では結界異常と魔獣への対応があり、王都へ着いてからは検査、王城会議、資料室、記録室と移動が続いた。食事を取る時間はあっても、三人と竜精霊が揃って落ち着く余裕はなかった。


「異世界二日目の朝食が、魔獣に追い回された市場の廃棄予定パンなの、人生としてどうなん?」


「助けた人からのお礼なんですから、言い方を考えてください」


 恵依は果物の皮を確かめながら、卓斗へ真面目に返した。


 卓斗はパンを持ったまま恵依を見る。こうして名前で呼び合うようになってからも、彼女の返しが変わるわけではない。


「恵依って、こういう時も真面目だよな」


「食べ物をくださった方への礼儀です」


「そこ真面目に返す?」


「冗談だとは思いました。ただ、内容に合理性がありません」


「出た。冗談を合理性で処理するやつ」


 絵麻が小さく笑ったため、卓斗はそちらへ顔を向けた。


 絵麻はすぐに焼き菓子で口元を隠したが、笑ったことは隠せていない。卓斗が指摘しようとすると、先に睨み返される。


「何よ」


「いや、笑うんだなって」


「笑うわよ。あんた、私を何だと思ってるの?」


「常時キレ気味の人」


「殴るわよ」


「右手負傷中なんで左側からお願いします」


「注文つけるな!」


 絵麻が拳を上げると、額から冷たい布が落ちかけた。


 ラールが慌てて受け止め、絵麻の頭へ戻す。卓斗はそれ以上弄るのをやめ、残ったパンを口へ運んだ。


 臨時治療所に、先ほどまでなかった穏やかな空気が広がる。


 市場には壊れた露店が残り、サリギアの術式も見つかっている。それでも、走り続けた三人には、次の判断をする前に息をつく時間が必要だった。


 籠の中身が半分ほど減った頃、ナーヴァが黒い布包みを持って治療所へ戻ってきた。


 その後ろには千佳と、結界杭を調べていた第一騎士団の術式担当がいる。ナーヴァは卓斗たちの前へ来ると、空いている机へ布包みを置いた。


「追加。分かった」


 卓斗は持っていたパンを置き、机上の石片へ視線を向けた。


 黒い術式線は先ほどより薄くなっていたが、完全には消えていない。亀裂の内側には細かな紋様が刻まれ、結界から流れ込んだ魔素を受けた部分だけが焼け焦げている。


「まず、術式に観測機能はありませんでした」


 千佳は卓斗たちの表情を確認しながら、術式担当の調査結果を伝えた。


 遠くから訓練区域の様子を見る機能も、三人の魔素を追跡する仕組みもない。誰かが今朝の訓練を見ながら操作した痕跡も確認されていなかった。


「じゃあ、俺らが今日そこにいるって知ってたとは限らない?」


「はい。少なくとも、この術式だけでは判断できません」


 卓斗は少しだけ肩の力を抜いた。


 日本から連れて来られた直後に、敵組織から居場所まで把握されていたとなれば、どこへ行っても落ち着けない。だが、安心できるのはそこまでだった。


 ナーヴァが石片の黒線を指した。


「負荷で開く。人が多い時。防護結界を使った時」


 術式は時間で発動するのではなく、訓練用結界へ一定以上の魔素が流れた時に亀裂を広げる仕組みだった。


 普段の維持だけでは反応しない。訓練が始まり、攻撃や防御の衝撃を結界が受けた瞬間にだけ、流れを外側へ傾ける。


「守るために結界を使った時ほど、壊れやすくなるよう仕掛けられていたということですか」


 恵依は黒線の構造を見ながら、問いを確かめた。


 ナーヴァは短く頷く。中継地点で魔獣を結界内へ通そうとした術式と同じく、守りの仕組みそのものを利用して内側から薄くする干渉だった。


「性格悪いっていうか、効率的に嫌なとこ突いてくるな」


「そうね。壊すだけなら、騎士団は壊れた場所を直すでしょう」


 ティナは石片へ向けていた視線を細めた。


「守ろうとした結果、別の場所へ被害が出たなら、自分たちの判断まで疑うことになるわ」


 卓斗は市場で使った力を思い返した。


 鎧角獣を止めようとして斥力を使えば、周囲の荷車や住民を巻き込む危険があった。結界を信じて訓練を続ければ、その負荷が亀裂を広げる。サリギアの術式は、正しい行動を選ぶほど安全が崩れる状況を作っていた。


「これ、サリギアがやったって確定?」


「同系統。確定は、まだ」


 ナーヴァは断定しなかった。


 術式の方向は一致しているが、実行者を示す魔素や名前は残っていない。王国側はサリギアの関与を強く疑っているものの、調査記録には可能性として残すことになる。


「調査は第一騎士団と第六騎士団で続けます。皆さんへ参加を求める予定はありません」


 千佳は三人へ向き直り、治療担当が残した記録を確認した。


 卓斗の右手首には魔素偏重があり、絵麻には空間酔いが残り、恵依も解析を続けられる状態ではない。午前の訓練を終える理由としては十分だった。


「本日の訓練は、ここで終了して構いません。第六騎士団の宿舎へ戻り、休息を取ってください」


「終わり?」


 卓斗は確認するように聞き返した。


 待ち望んでいたはずの言葉だった。異世界へ来た翌朝から訓練に参加し、市場まで走り回ったのだから、すぐに宿舎へ戻って眠りたい気持ちはある。


 それでも、卓斗の視線は机上の黒い石片へ戻った。


「帰ったら、次の訓練はどうなる?」


「皆さんが希望するなら、状態を確認したうえで別日に再開します」


「別日までに、同じこと起きたら?」


「今回の術式痕は各騎士団へ共有します。訓練区域と結界杭も再点検します」


 千佳の答えに不足はなかった。


 それでも、卓斗自身が次に同じ状況へ巻き込まれた時、今日より上手く動ける保証はない。今回は住民にも鎧角獣にも死者が出なかったが、偶然に助けられた場面も多かった。


「……偶然で何とかなったまま終わるの、効率悪くない?」


 卓斗の呟きを、恵依と絵麻も聞いていた。


 恵依は目元から手を離し、自分の状態を確かめる。今すぐ解析を続けるのは難しいが、休息を挟めば軽い訓練には参加できる。


「私も、継続した方がいいと思います。市場では状況を見つけることに集中しすぎて、絵麻さんと卓斗くんの消耗を把握できていませんでした」


 絵麻は額の冷たい布を外した。


 目眩は残っているが、座ったままなら視界は揺れない。無理をして空間跳躍を繰り返したことは理解しており、次の訓練では使い方を変える必要がある。


「私もやる。今度は倒れない範囲で」


「絵麻ちゃん、ほんとに範囲を守ってくださいね!」


「分かってるってば」


 千佳は三人の意思を確認し、すぐには訓練再開を決めなかった。


「今から一時間、休息を取ってください。その後、治療担当が参加可能と判断した場合のみ、別の訓練区域へ移動します」


「能力を使うかどうかも、皆さんが個別に決めてください。訓練を続けることと、全ての能力を使うことは同じではありません」


 恵依はその条件を聞き、静かに息を吐いた。


 続けると選んだからといって、限界を越えることまで求められない。自分たちで使用範囲を決められるなら、午前の失敗を確かめる意味はある。


「その条件なら、参加します」


「私も」


 卓斗は二人の返答を聞いてから、長椅子の背へ身体を預けた。


「じゃあ俺も。右手使わずに済む内容だと助かる」


「内容を聞いてから決めてください」


「嫌な予感する言い方なんだけど」



***************



 一時間後、卓斗たちは第一騎士団の西側訓練区域へ移動した。


 午前に使った場所より狭いが、地面は平らで、外周の結界杭も新しい。入口から奥の門まで約八十メートルあり、途中には木柵、石壁、二本の細い通路が配置されている。


 訓練区域の手前には、車輪のついた小型荷車が置かれていた。


 荷台には負傷者役の人形が一体横たわり、赤い布が胸元へ巻かれている。人形の右脚には壊れやすい板が固定され、荷車へ強い衝撃が入れば折れる仕組みだった。


「午後は、この負傷者役を奥の門まで運んでもらいます」


 千佳は荷車から八十メートル先にある青い旗を示した。


 第一騎士団から三人が妨害役として参加し、木剣、盾、魔素弾を使って進路を塞ぐ。荷車を奪われるか、人形の脚が折れるか、卓斗たち全員が戦闘不能判定を受ければ失敗となる。


「能力は使っていいの?」


 絵麻は荷車と障害物の位置を見ながら確認した。


「使用して構いません。ただし、今の状態で安全に扱える範囲を自分で申告してください」


「私は空間跳躍を使わない。距離を少し変えるのと、攻撃をずらすだけにする」


「私は短時間の解析に限定します。複数の対象を同時には見ません」


 恵依と絵麻が使用範囲を決めると、千佳はその内容を記録係へ伝えた。


 卓斗は右手首を回し、痛みが増えないことを確かめる。斥力は契約紋への負担が大きいため使わず、軽い引力で物や盾の方向を変える程度に抑えることにした。


「俺は引力だけ。人には直接使わない」


「承知しました。途中で痛みが出た場合は、すぐに中止してください」


 千佳は三人の申告が記録されたことを確認し、竜精霊たちへも視線を向けた。


 ティナは卓斗の足場と反動の補助だけに限定する。ゲブは恵依が解析した流れの共有に留め、ラールは荷車周囲の防壁と構造固定を担当することになった。


 午前と違い、開始前に使う力と使わない力が言葉にされていく。


「で、隊列はどうする?」


 卓斗は荷車の取っ手へ手を置き、恵依と絵麻へ顔を向けた。


 午前の訓練では、千佳から指定された位置へ並んだだけだった。今度は誰がどこへ立つかを、自分たちで決めなければならない。


「私は荷車の後方から、進路と妨害役を確認します」


 恵依は地面へ描かれた訓練区域の簡略図を見ながら、最初の石壁までの経路を選んだ。


「絵麻さんは荷車の左側をお願いします。右側より障害物が多いので、距離を調整できる絵麻さんの方が対応しやすいです」


「卓斗は?」


「前方で妨害役の盾や武器を外してください。ただし、荷車から離れすぎないでください」


「何メートルまで?」


「五メートル以内です。それ以上離れると、左右から入られた時に戻れません」


 卓斗は荷車から五歩ほど前へ進み、振り返った。


 絵麻が左側、ラールが荷車の右後方、恵依とゲブが後ろに立つ。ティナは卓斗のすぐ横に入り、必要な時だけ足場を作れる位置を取った。


「午前より、だいぶ隊列っぽくない?」


「形だけなら、です」


「恵依、褒める時は素直に褒めて?」


「まだ始まっていません」


「それはそう」


 絵麻は荷車の取っ手を握り、車輪の重さを確かめた。


 石畳ではなく固めた土の上を進むため、引き始めれば重さは軽くなる。ただし急に方向を変えれば荷台が揺れ、人形の脚へ衝撃が入る。


「速度は私に合わせて。卓斗が先に走っても、荷車はついていけないから」


「俺を勝手に暴走担当にしないでもらえる?」


「市場で一番走ってたでしょ」


「それ鎧角獣から逃げ遅れただけなんよ」


 三人が話している間に、妨害役の騎士たちが配置へついた。


 一人は開始地点から二十メートル先の木柵の陰に隠れ、二人目は中央の石壁付近で盾を構える。三人目の姿は見えず、右側の細い通路か奥の門付近に潜んでいるらしい。


「確認できたのは二人です。三人目の位置は分かりません」


 恵依は解析を使わず、目視できる範囲だけを卓斗たちへ伝えた。


 開始前から能力を広げれば、訓練が本格化する前に負荷が増える。見えない一人は不確定なまま残し、動きが出てから解析することを選んだ。


「じゃあ、二人に意識向けすぎない。三人目が荷車狙いで来る前提でいく」


 卓斗の提案に、恵依と絵麻が同意した。


 午前の隊列訓練では、三人がそれぞれ正しいと思うことを優先し、開始前に目的を揃えなかった。今は負傷者役を奥まで運ぶことを最優先にし、敵を倒すことは条件へ入れていない。


 千佳は開始線の外から、三人と竜精霊の配置を見ていた。


 戦う力はまだ不安定で、体力も十分ではない。それでも、誰が何を見るか、どこまで力を使うか、失敗した時に誰が補うかは、午前より明確になっている。


「最後に、妨害役を一人追加します」


 千佳の言葉に、卓斗は木柵の陰を見た。


 新しい騎士が入ってくると思ったが、入口付近に待機していた者は動かない。代わりに千佳が腰の剣を外し、用意されていた木剣を手に取った。


「……赤崎さんがやるの?」


「はい。私は後方から参加します」


「待って。第一騎士団長本人が初心者三人を潰しに来るの、バランスおかしくない?」


「安心してください。攻撃は加減します」


「それ、強い人が言う一番信用できないやつ」


 千佳は木剣の重さを確かめ、開始地点の外側へ移動した。


 正面から三人を倒すのではなく、荷車が進み始めてから訓練区域へ入るという。どの方向から現れるかは告げられず、卓斗たちは妨害役四人を警戒しながら進むことになる。


「タク。嫌なら、今からでも断れるわよ」


 ティナは卓斗の右手首ではなく、顔を見て確認した。


 卓斗は千佳の木剣と、奥の青い旗を見比べる。楽に終わる訓練ではなさそうだが、ここで続けると決めたのは自分たちだった。


「いや、やる。団長相手に勝てって話じゃなくて、荷車を届ければいいんだろ」


 卓斗は荷車の前へ戻り、五メートルの距離を取り直した。


 恵依は後方から全員の位置を確認し、絵麻は取っ手を握り直す。三人の目的は、今度こそ最初から揃っていた。


 訓練開始を告げる鐘が鳴った。


 木柵の陰にいた騎士が飛び出し、卓斗の正面へ木剣を構える。絵麻が荷車を引き、恵依とゲブが後方から続く中、千佳の姿だけは開始線から消えていた。


 卓斗は前方の騎士へ意識を向けながら、見えない後方を警戒する。


「はい、もう怖い。赤崎さんがどこにもいないんだけど!」


 返事はなかった。


 代わりに荷車の右後方で土が鳴り、誰かが一気に間合いへ踏み込む気配が近づいた。




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