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第二章 2 『傾いた防護線』



 搬入検査場の扉を吹き飛ばした影は、土煙を押し分けながら第一騎士団の訓練区域へ踏み込んだ。


 四本の太い脚が地面を踏むたびに、土床の表面が低く揺れる。


 全長は四メートルを超えていた。肩から背中へ岩のような甲殻が重なり、額から伸びた一本角には、ひしゃげた檻の鎖が絡みついている。


「全員、木箱から離れてください! 訓練を中止します!」


 千佳の声が訓練区域へ通った。妨害役だった三人の騎士は木剣を捨て、卓斗たちと鎧角獣の間へ移動する。


 卓斗は退避地点の白線から数歩下がり、鎧角獣との距離を測った。二十五メートルほど離れているが、あの体格で走られれば、間を詰められるまで長くはない。


「あれ、魔獣だよな? 第一騎士団の追加課題とかじゃないよな?」


「鎧角獣です。王都外で保護され、移送前の検査を受けていた個体でしょう」


 千佳は腰の武器へ手を伸ばさず、鎧角獣の脚と頭の向きを見ていた。身体を低くしているものの、特定の人間を狙う視線ではなく、破損した檻と周囲の音へ怯えている。


「殺傷攻撃は禁止します。刺激せず、搬入検査場の職員と訓練中の団員を退避させてください」


「あの角見ても、刺激しない方向でいくんだな」


「暴れている原因が敵意とは限りません」


 鎧角獣が首を振ると、角へ絡んだ鎖が甲殻を擦った。金属音とともに肩の傷が開き、黒ずんだ血が岩肌のような表面を伝う。


 痛みに反応した鎧角獣が前脚を打ちつけた。訓練区域を囲む結界光が瞬き、衝撃を外へ逃がすはずの防護線が右側へ大きく傾く。


 前へ出ていた第一騎士団員二人が盾を構えた。正面から突進を受け止めるため土床を踏み込んだが、足元へ返るはずの力が横へ滑り、二人の身体が別々の方向へ流される。


「踏ん張れない!」


 鎧角獣は空いた中央へ頭を向けた。太い角の先には、倒れた騎士と、その後ろに残る木箱が重なっている。


 千佳の周囲へ戦智の魔素が広がった。鎧角獣の前脚が沈む深さ、傷の位置、角度、倒れた騎士が起き上がるまでの時間を重ね、次の突進軌道を読み取る。


「左へ逃げてください。正面には残らないで」


 倒れた騎士たちが身体を転がした直後、鎧角獣が走り出した。千佳は軌道の先へ斜めの防壁を展開し、角を真正面から受けず、外側へ滑らせる。


 甲殻と防壁が擦れ、耳を打つ音が響いた。鎧角獣は二人の横を通り過ぎ、中央の木箱へ肩をぶつけて停止する。


 軽々と弾かれた木箱は土床を転がり、ラールが一度目の訓練で作った白鋼の壁へ衝突した。防壁に残っていた魔素が揺れ、黒い亀裂へ引かれるように外周へ流れていく。


「結界の向き、さっきよりずれてませんか?」


 絵麻は足元の違和感に気づき、靴底を土へ押しつけた。踏んだ力が真下ではなく斜め後ろへ逃げ、身体がわずかに傾く。


「はい。衝撃が入るたびに、外周の流れが変わっています」


 恵依は解析の魔素を訓練区域へ薄く広げた。正常なら同じ方向へ流れるはずの線が、一本だけ途中で折れ、搬入検査場側へ集まっている。


「流川様、外周の第三杭付近から別の流れが重なっていると思われます。ただ、今は鎧角獣の魔素と混ざっていて判別できません」


「原因を追うのはあとです。先に、人が残っていないか確認しましょう」


 恵依は結界から搬入検査場へ視線を移した。吹き飛んだ扉の内側には壊れた檻があり、その近くで二人の検査員が動けずにいる。


 一人は倒れた鉄枠へ足を挟まれ、もう一人は鎧角獣から見えないよう檻材の陰へ身を伏せていた。二人と訓練区域の間には鎧角獣が立ち、真っ直ぐ近づけば角の前を横切ることになる。


「赤崎さん、検査員が二人残っています。奥の人は足を挟まれています」


 千佳は鎧角獣と検査員の位置を確認した。第一騎士団員へ回り込ませようとしたが、傾いた防護線が足場を不安定にし、盾を構えたまま進める経路がない。


「救出を優先します。成瀬さんたちは封鎖線まで下がっても構いません」


「下がってる間にあの二人へ行かれたら、普通に後味悪いんだけど」


 卓斗は右手首を押さえ、鎧角獣の身体と検査員の位置を見比べた。巨体を丸ごと押せば二人から遠ざけられるが、転倒した鎧角獣が檻へ突っ込む危険もある。


「恵依、あいつが人を狙ってるか分かる?」


 名前を呼ばれた恵依は、鎧角獣の視線と魔素の揺れを絞って解析した。興奮は強いが、人間へ向けた攻撃衝動より、甲殻へ食い込む鎖と周囲の結界音へ反応している。


「人を追っているわけではありません。背中の鎖が傷へ当たるたび、魔素が急激に乱れています」


「じゃあ、鎖を外せば少しは落ち着く?」


「可能性はあります。ただ、今は検査員の救出が先です」


 絵麻は檻材の陰にいる検査員と、自分の足元を交互に見た。空間跳躍で直接近づけば早いが、傾いた結界の中では到着位置がずれる可能性がある。


「恵依、あの人の近くで足場が安定してる場所、見つけられる?」


「檻の左側なら、結界の流れが弱いです。ただし、鎧角獣から見える位置になります」


「だったら卓斗に向きを外してもらう。ラール、私が着く場所だけ先に固めて」


「はい! 今度は通路を塞がないようにします!」


 ラールは両手を前へ出し、檻の左側へ白鋼の魔素を伸ばした。硬質な光が土と石片の上へ薄く重なり、一人分の着地点を固定する。


 卓斗は鎧角獣の頭部へ右手を向けた。直接吹き飛ばすのではなく、角の先へかかる圧力だけを横へずらし、検査員とは反対側へ顔を向けさせる。


「ティナ、足場だけ頼む。身体の方はそのままでいい」


「タクの右足の下だけ硬くするわ。それ以上は変えない」


「それで頼む」


 返事を待ってから、ティナは白銀の魔素を土床へ流した。卓斗の右足の下だけが竜鱗のように硬化し、斥力の反動を受けても靴底が滑らない足場になる。


 見えない圧力が鎧角獣の角を横から押した。巨体そのものは動かないが、頭部が数十センチ外れ、検査員へ通じる短い経路が開く。


「絵麻、今なら行ける!」


「分かってる!」


 絵麻は空間を短く折り、ラールが固定した足場へ移動した。着地した瞬間、傾いた結界が足元へ流れ込んだが、白鋼の板が形を保ち、位置のずれを止める。


 檻材の陰にいた検査員へ手を伸ばし、空いた訓練区域の端へ座標をつないだ。二人の姿が一瞬だけ揺らぎ、次には封鎖線近くの石畳へ移る。


「まず一人! 足を挟まれてる方は、このままじゃ動かせない!」


 絵麻の声に反応し、鎧角獣が檻の方へ顔を向けた。まだ角には鎖が絡んでおり、首を動かした痛みで前脚が土を削る。


「絵麻さんを見ています。卓斗くん、鎧角獣そのものではなく、手前の盾を引けますか?」


 恵依が示したのは、倒れた騎士が残した訓練盾だった。卓斗が引力を向けると、盾は土床を擦りながら鎧角獣の左側へ滑り、石畳へぶつかって乾いた音を立てる。


 鎧角獣の視線が音へ外れた。絵麻はその隙に倒れた鉄枠へ近づき、足を挟まれた検査員の姿勢と負傷箇所を確認する。


 倒れた鉄枠は太く、検査員の膝下へ斜めに食い込んでいた。無理に身体だけを動かせば、足を傷つける可能性がある。


 ゲブは恵依が示した鉄枠へ白銅の魔素を沿わせた。周囲を巡る魔素の流れを読み、鎧角獣の動きで再び崩れそうな部分と、持ち上げても安全な位置を分ける。


「流川様、鉄枠の右端であれば、動かしても檻全体は崩れないと思われます」


「卓斗くん。鉄枠だけを引けますか? 検査員の身体へは力を広げないでください」


「やってみる。絵麻は、外れたらすぐその人を動かして」


 卓斗は斥力を収め、今度は鉄枠へ引力を向けた。鎧角獣の角へ絡んだ鎖まで引けば再び暴れさせるため、検査員の足を押さえている一本だけに意識を絞る。


 鉄枠が土を削りながら数センチ浮いた。絵麻は生まれた隙間から検査員の身体を引き、ラールが作った足場の上へ移す。


 検査員の足が完全に抜けた瞬間、絵麻は安全な石畳へ座標をつないだ。二人が封鎖線の内側へ消えた直後、鉄枠が元の場所へ落ちて大きな音を立てる。


 鎧角獣が音へ反応して振り向いた。だが、そこにはもう検査員も絵麻もおらず、土煙と壊れた檻だけが残っている。


「二人、救出できました!」


 ラールが声を上げると、石畳側の騎士が検査員を受け取り、治療担当のいる待機所へ運んだ。足を挟まれていた一人は顔を歪めていたが、意識はあり、出血も多くない。


 千佳は救出を確認すると、鎧角獣を搬入検査場へ戻すための配置へ騎士たちを動かした。正面から押さえ込まず、盾と仮設柵で左右を囲み、檻のあった場所へ進ませる方針だった。


「成瀬さんは、突進した場合だけ方向を外してください。西野さんは市場側の搬入路を狭められますか?」


「完全に閉じるのは無理だけど、通る距離を少し伸ばすくらいならできる」


「お願いします。流川さんは、興奮が強まる前兆を見てください」


 三人は自然に役割へ移った。先ほどの訓練と違い、何を守るのかは最初から揃っている。検査員と騎士を傷つけず、鎧角獣も殺さずに搬入検査場へ戻すことだった。


 ラールは左右へ二枚の白鋼壁を作り、鎧角獣から壊れた檻へ続く広い通路を形にした。絵麻は市場側の搬入路へ空間の歪みを置き、真っ直ぐ走っても出口まで届きにくい迂回を作る。


 鎧角獣が市場側へ一歩踏み出すと、絵麻の歪みがその距離を引き延ばした。同じ歩幅で進んだはずなのに、巨体は出口へ近づかず、白鋼壁の間へ緩やかに向きを変える。


 空間のずれを維持する絵麻の額へ、薄く汗が浮かんだ。知らない場所へ飛ぶほどの危険はなくても、鎧角獣の重さと傾いた結界の両方が空間へ負荷をかけている。


「絵麻さん、無理に長く維持しなくて大丈夫です。鎧角獣が通路へ入ったら解除してください」


「分かってる。閉じ込めるまで持たせればいいんでしょ」


 第一騎士団員たちが盾を打ち鳴らさず、ゆっくりと鎧角獣の後方へ回った。刺激を抑えたまま退路だけを狭めると、鎧角獣は檻の方向へ一歩ずつ動き始める。


「このままなら戻せそうです。ですが、鎖が傷へ触れるとまた暴れます」


 恵依の視線は、角から肩へ垂れた太い鎖を追っていた。鎧角獣が首を動かすたび、ひしゃげた檻材が引かれて甲殻の隙間へ食い込んでいる。


「タク、鎖を引くなら、甲殻に触れていない端だけにしなさい」


「分かってる。あいつごと引っ張ったら意味ないしな」


 卓斗は鎖の先につながる壊れた檻扉へ引力を向けた。金属板が地面を擦って近づき、角に絡んだ鎖の輪が少しずつ緩む。


 ティナは卓斗の腕へ魔素を重ねず、足場の硬化だけを維持した。卓斗自身が引く位置を調整し、鎖が甲殻の突起を越えたところで引力を止める。


 鎖が角から落ち、重い音を立てて土床へ転がった。鎧角獣は首を大きく振ったあと、先ほどまでの荒い呼吸を少しずつ緩める。


 土を削っていた前脚も止まり、低く構えていた頭がわずかに上がった。少なくとも、先ほどのように目に入るものすべてへ突進する状態ではない。


「いける。そのまま柵を閉じてください」


 千佳の指示で、第一騎士団員が搬入検査場側の仮設柵を動かした。左右の白鋼壁と柵がつながれば、鎧角獣を一時的に囲い込める。


 柵の脚が土床へ固定された瞬間、外周の第三杭で黒い亀裂がさらに広がった。


 訓練区域を巡る魔素が一度だけ強く脈打ち、ラールの右側の防壁へ流れていた白鋼を横へ引く。空間の基準もわずかにずれ、絵麻が搬入路へ置いた歪みが形を保てなくなる。


「ラール、壁が動いてる!」


「わ、私じゃないです! 固定してるのに、外から引っ張られてます!」


 白鋼の壁が土床を擦り、鎧角獣の前から外れた。絵麻が作っていた迂回も消え、市場へ続く搬入路が真っ直ぐ開く。


 ナーヴァはデュランダルを抜き、第三杭から伸びる異常な線へ刃を向けた。しかし黒い干渉は訓練用結界の本体へ重なり、どこまでが亀裂で、どこからが正常な防護線か判別できない。


「今は切れない。結界本体、巻き込む」


 鎧角獣は開いた搬入路を見つけ、身体の向きを変えた。後方の騎士たちが盾で道を塞ごうとしたが、傾いた防護線に足を取られ、十分な列を作れない。


 卓斗は鎧角獣へ右手を向けた。正面から斥力をぶつければ止められるかもしれないが、巨体が横転すれば、搬入路沿いの建物と騎士を巻き込む。


「成瀬さん、押さないでください! 人を退避させます!」


 千佳の判断を受け、卓斗は斥力を止めた。絵麻とラールは搬入路脇の職員を石畳側へ逃がし、恵依とゲブは鎧角獣が走る経路から騎士を外す。


 鎧角獣は仮設柵を肩で押し倒し、搬入路へ駆け出した。重い足音が連続し、開いた門の向こうから市場のざわめきと悲鳴が重なる。


 千佳は第一騎士団の追跡班へ、市場の住民を先に避難させるよう命じた。ナーヴァは第三杭の前へ残り、広がる黒い亀裂と防護結界を見比べている。


「私、ここを止める。赤崎団長、鎧角獣を追って」


「承知しました。成瀬さん、流川さん、西野さんは、ここへ残ることもできます」


 卓斗は市場の方角へ遠ざかる足音を聞いた。初めての訓練で肩を打ち、続けて本物の魔導獣へ対応し、もう十分働いた気はする。


 それでも、門の向こうでは人々が逃げ始めている。ここで残れば楽だが、あとで被害を聞いて気分よく休めるとも思えなかった。


「いや、行く。あれ逃がした原因、俺が弾いた訓練弾にもあるし」


「卓斗くんだけの責任ではありません。ですが、私も行きます」


「私も。ここまでやって市場を壊されたら、普通に腹立つし」


 三人が走り出すと、ティナ、ゲブ、ラールもそれぞれの契約者へ続いた。千佳と第一騎士団の追跡班が先頭に立ち、開いた搬入門から王都市場へ向かう。


「いや、初訓練の難易度じゃないだろ、これ!」


 卓斗の声は、遠くで上がった次の悲鳴にかき消された。朝の市場へ逃げ込んだ鎧角獣を追い、三組は訓練区域の外へ飛び出した。




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