第一章 35 『第六騎士団団長』
資料室の扉の向こうで、小さな足音が止まった。
騎士が告げたのは、第六騎士団団長の到着だった。サリギアが分霊石を狙い、アシェラ・イラトの復活を目的としている可能性が高い。その話を聞いた直後に、正式な管轄部署の責任者が来る。流れとしては分かるが、卓斗の頭はもう何度目か分からない警戒を始めていた。
「なあ、今さらだけどさ」
卓斗は扉から目を離さず、低く呟いた。
「第六騎士団の団長って、普通の人だよな?」
レオンは答えなかった。
千佳もすぐには答えない。その沈黙だけで、卓斗の嫌な予感はかなり強まった。普通なら普通と言えばいい。答えにくいということは、つまり普通ではないのだ。
ティナだけが、どこか面白がるように卓斗を見た。
「タク。普通を期待するだけ無駄よ」
「終わったわ」
卓斗がそう言った直後、扉が開いた。
入ってきたのは、小さな少女だった。
身長は卓斗の腰より少し上くらいに見える。年齢はどう見ても小学生低学年程度。淡い色の髪を短く整え、表情はほとんど動かない。体格に合わせた騎士服を着ているが、肩章や胸元の徽章は明らかに簡易なものではなく、正式な団長級の装飾だった。
彼女の背には、細身の剣があった。
子どもの体格には少し不釣り合いなほど存在感のある剣だ。鞘は暗く、金具には細かな紋が刻まれている。抜かれていないのに、資料室の結界光がその周囲だけわずかに硬く見えるような気がした。
レオンが姿勢を正した。
「第六騎士団団長、ナーヴァ・オスティン殿です」
卓斗は数秒、何も言えなかった。
レオンの声は真面目だった。千佳も、検査官も、室内の騎士たちも、誰一人として冗談を言っている様子はない。つまり、この小さな少女が本当に第六騎士団の団長なのだ。
「……子どもじゃん」
卓斗の口から、素直な感想が漏れた。
絵麻も隣で同じ方向を見たまま言う。
「どう見ても子どもね」
恵依は驚きを表情に出しすぎないようにしていたが、それでも確認は必要だと判断したらしい。
「年齢確認が必要です」
少女は卓斗たちを順に見た。
感情の起伏は薄い。だが、こちらの反応を見ていないわけではなかった。むしろ、無駄な反応を省いて、必要な情報だけを拾っているように見える。
「七歳」
「自己申告早いな!?」
卓斗のツッコミにも、少女は表情を変えなかった。
「事実」
その短さに、卓斗は逆に詰まった。
七歳。本人がそう言った。しかも、誰も訂正しない。王国第一騎士団団長の千佳も、第六騎士団確認役のレオンも、当然のように彼女を団長として扱っている。
少女は一歩だけ進み、資料室の中央で止まった。
「ナーヴァ・オスティン。第六騎士団団長」
名乗りも短い。
余計な飾りがない。堂々としているというより、必要なことだけを置いていくような話し方だった。
「いや、団長って言われても、見た目が完全に小学生なんだけど」
「小学生。知らない」
「あ、そこからか」
卓斗は頭を押さえたくなった。
異世界の人物に小学生と言っても通じるはずがない。分かっているのに、見た目の衝撃で日本の感覚が先に出た。七歳の団長。しかも、特殊魔素、古封印、竜精霊、異界由来者、分霊石を扱う部署の責任者だという。
千佳が静かに補足した。
「成瀬さん、日本の年齢感覚で見ると混乱しますが、ナーヴァ団長は正式な第六騎士団団長です」
「日本の年齢感覚じゃなくても混乱すると思うんですけど」
卓斗はレオンを見た。
レオンは否定しなかった。否定しないところが、さらに卓斗の混乱を深める。つまり、王国側の感覚でも普通ではないが、それでも彼女は団長なのだ。
ナーヴァは机上の資料へ視線を落とした。
アシェラ・イラトの石板、分霊石の模型、フィオラの肖像。卓斗たちが聞かされた重い情報が、そのまま並んでいる。だが、ナーヴァは長く眺めない。必要な位置だけを確かめ、すぐにレオンへ視線を向けた。
「報告」
レオンはすぐに要点をまとめた。
「異界由来者三名。成瀬卓斗、流川恵依、西野絵麻。竜精霊三柱、白銀のティナ様、白銅のゲブ様、白鋼のラール様の契約者です。成瀬卓斗は引力・斥力系魔素を持ち、古封印記録アシェラ・イラトと部分照合。王命により行動制限は即時適用なし。三名分断なし、読めない文書署名なし、能力実演なし。サリギアの目的はアシェラ復活と判断され、第六騎士団での保護、同行、調査判断が必要です」
ナーヴァは最後まで聞いた。
途中で表情は変わらない。ただ、視線だけが卓斗、恵依、絵麻、ティナたちへ順に動く。見た目は幼いのに、その目は妙に静かだった。驚きも恐れも見せず、目の前の情報を分類している。
「分かった」
卓斗は思わず口を挟んだ。
「分かったの早くない?」
「長い。要点は少ない」
「その切り方、俺より効率厨じゃん」
ナーヴァは卓斗の言葉に少しだけ首を傾けた。
「効率。必要」
「そこは通じるんだな」
卓斗は複雑な気分になった。
七歳の少女に効率で負けた気がする。しかも、ただ話を短くしているだけではない。中身の中心だけを抜き取っている。見た目だけで判断していい相手ではないと、少しずつ理解し始めていた。
ナーヴァは卓斗の前に近づいた。
距離は近すぎない。だが、正面から目を見る位置に立つ。身長差があるため、ナーヴァは少しだけ顔を上げる形になる。それでも不思議と、卓斗が見下ろしている感じはしなかった。
「成瀬卓斗」
「はい。急にフルネーム呼び怖い」
「閉じ込められたい?」
卓斗は一瞬、返答に詰まった。
質問があまりにも直球だった。行動制限案、保護、監視、王命。これまでいくつもの言葉で包まれていたものを、ナーヴァは一言で切った。
「いや、絶対嫌だけど」
「なら、なし」
「軽っ! いや、ありがたいけど軽っ!」
ナーヴァは表情を動かさない。
「本人抜き、なし」
その短い言葉に、卓斗は口を閉じた。
グレコ王の判断、千佳の記録、レオンの現場対応。その流れと同じものを、ナーヴァはさらに短く言った。本人抜き、なし。それだけで、卓斗の胸に溜まっていた警戒の一部が少しだけ崩れた。
ナーヴァは恵依と絵麻へ視線を移した。
「流川恵依。西野絵麻。分けられたい?」
恵依はすぐに姿勢を正した。
「望みません。情報と状況判断のためにも、三人の分断は避けたいです」
絵麻は腕を組んだまま、はっきり言う。
「嫌に決まってるでしょ」
「分けない」
ナーヴァは即答した。
短すぎるが、迷いはなかった。恵依はその返答を受けて、少しだけ目を伏せた。絵麻も言い返す言葉を探したようだったが、結局、何も言わなかった。
ナーヴァは再び卓斗を見た。
「成瀬卓斗。危険」
「ですよねー」
卓斗は顔をしかめた。
分かっていても、七歳の少女に正面から言われると別の刺さり方をする。だが、ナーヴァはそこで終わらせなかった。
「でも、敵じゃない」
卓斗はすぐに顔を上げた。
「そこ大事。めちゃくちゃ大事」
「危険は見る。本人は消さない」
ナーヴァの言葉は短い。
だが、余計な言い訳がない分、真っ直ぐだった。危険性は見る。監視もする。記録もする。けれど、それで卓斗本人を消したり、敵として扱ったりはしない。
恵依が慎重に確認する。
「つまり、魔素の危険性は監視しつつ、本人の意思と分けて扱うということですね」
「そう」
ナーヴァは短く答えた。
その時、机上の記録札が淡く光った。
最初は小さな反応だった。アシェラ・イラトの石板と、卓斗の測定記録を写した札の間に、細い光が走る。王都の資料室に組み込まれた自動防衛術式が、古封印記録との照合反応を拾ったのだろう。
卓斗の右手首が、微かに熱を持った。
「え、何これ」
卓斗が腕を引くより早く、結界札から細い光が伸びた。
それは縄のように卓斗を縛ろうとしているわけではない。もっと細い、対象を指定するための線だった。だが、その線が右手首の竜紋へ届けば、資料室の防衛術式が卓斗を警戒対象として固定するかもしれない。
レオンが動いた。
「自動防衛術式だ。止める」
だが、レオンが一歩踏み出すより早く、ナーヴァの手が背の剣へ触れた。
音はほとんどなかった。
卓斗には、剣が抜かれた瞬間すら見えなかった。ただ、空気が薄く一枚ずれたような感覚があり、次の瞬間には右手首へ伸びていた光の線だけが途中で途切れていた。
記録札は壊れていない。
結界札も割れていない。
卓斗の竜紋にも傷はない。
ただ、卓斗を対象として固定しようとした細い光だけが、そこから先へ進めなくなっていた。
「対象指定線。切った」
ナーヴァは剣を戻しながら言った。
卓斗は自分の右手首を見て、それからナーヴァを見た。
「今、何した?」
千佳が静かに説明する。
「危険が進む線だけを切りました」
「線だけ? 俺じゃなくて?」
ナーヴァは卓斗を見上げた。
「人は切らない。今は」
「今はって言うな。怖い」
卓斗は反射的に返したが、背筋は少し冷えていた。
今の一瞬で、この少女がただの役職持ちではないことがはっきり分かった。七歳に見える小さな手が、卓斗へ伸びた拘束の線だけを断ち、他のものを何一つ傷つけなかった。雑に斬ったのではなく、斬る対象を選んでいた。
恵依は途切れた光の残滓を見て、息を整えながら確認した。
「本体ではなく、進行する指定だけを切ったということですか」
千佳は頷く。
「はい。ナーヴァ団長の神器はデュランダル。今切ったのは、成瀬さんを拘束対象へ進める術式線です」
卓斗はナーヴァの背の剣を見た。
「それ、普通にすごいやつじゃん」
「普通じゃない」
「自己認識あるタイプだった」
「ある」
ナーヴァは淡々と答えた。
その短い返答に、卓斗は少しだけ笑いそうになったが、すぐに思い直す。笑える状況ではない。今の自動防衛術式は、ナーヴァがいなければ卓斗を拘束対象にしていたかもしれない。王命で止められていても、古い術式や資料室の反応は別に動くのだ。
レオンは術式札の反応を確認し、補助の記録札へ封じた。
「防衛術式の自動反応だ。王命に反した意図的な拘束ではないが、調整不足はこちらの不備だ」
ナーヴァは短く言う。
「次、切る前に止める」
レオンは深く頭を下げた。
「承知しました」
卓斗はそのやり取りを見て、ナーヴァが本当に第六騎士団の団長なのだと実感した。
レオンが自然に指示を受けている。千佳も当然のように団長として扱っている。見た目は七歳でも、この場の責任者は彼女なのだ。
ナーヴァは机の前へ戻り、卓斗たち三人と竜精霊たちを順に見た。
「第六で保護」
卓斗は少しだけ身構えた。
「第六騎士団で、ってこと?」
「そう。三人一緒。竜精霊も一緒」
恵依がすぐに確認する。
「能力実演は?」
「求めない。必要なら説明。本人同意」
絵麻も聞いた。
「分霊石は?」
「奪わない。調べる。守る。サリギアが来たら止める」
卓斗は思わず口を開いた。
「めっちゃ短いけど、分かりやすいな」
「長い説明、苦手」
「苦手で済む立場じゃない気もするけど、分かるから困る」
ナーヴァの方針は単純だった。
ただし、単純化しているだけで、雑ではない。三人を一緒にする。竜精霊も一緒にする。能力実演は求めない。分霊石は奪わず、調べて守る。サリギアが来たら止める。卓斗たちが中継地点から何度も確認してきた条件を、彼女は短い言葉でまとめた。
ティナはナーヴァを見た。
「フィオラ復活は?」
ナーヴァはティナの視線を受けても、表情を変えなかった。
「石の役割、確認後。本人たちに説明。決める」
ティナは少しだけ不満そうに目を細めた。
だが、反論はしなかった。フィオラを戻したい気持ちは変わらない。それでも、分霊石が何を支えているのか確認せずに動かせないという現実は、もう無視できない。
卓斗はナーヴァへ視線を戻した。
「七歳で団長って、この国どうなってんの?」
ナーヴァはほんの少しだけ首を傾けた。
「必要だった」
「必要だったで片付くことじゃないと思うんだが」
「片付かない。でも、やる」
その返しで、卓斗は言葉を失った。
淡々としているのに、急に重い。七歳の少女が第六騎士団団長である理由は、きっと簡単なものではない。必要だった。片付かない。でも、やる。その三つだけで、彼女の背後にある事情が軽くないことは分かった。
「……急に重い返しするじゃん」
卓斗が小さく言うと、ナーヴァは少しだけ瞬きをした。
「事実」
「この国、事実って言えば何でも重くしていいルールある?」
「あるかも」
「あるのかよ」
千佳がそこで少しだけ表情を緩めた。
だが、彼女はすぐにナーヴァへ向き直る。第一騎士団団長である千佳が、第六騎士団団長であるナーヴァへ、正式な確認を取る姿勢になった。
「ナーヴァ団長、第六騎士団としての受け入れ手続きは、王命に基づき進めます」
「お願い」
卓斗は二人のやり取りを見て、また複雑な顔になった。
「赤崎さんも普通に団長扱いなんですね」
「当然です。ナーヴァ団長は第六騎士団の責任者です」
「見た目で判断するとバグるやつだ」
千佳は否定しなかった。
「その通りです」
「そこは否定してほしかった」
卓斗は軽口を叩いたが、もうナーヴァをただの子どもとは見ていなかった。
さっき彼女は、卓斗の右手首へ伸びた拘束線だけを切った。人を切らず、契約を切らず、記録を壊さず、危険が進む道だけを止めた。それが偶然ではなく、彼女の判断と技術によるものだと分かった以上、見た目だけで判断する方が危ない。
ナーヴァは卓斗、恵依、絵麻の名前を順に呼んだ。
「成瀬卓斗。流川恵依。西野絵麻」
三人の視線が集まる。
ナーヴァは短く告げた。
「第六騎士団へ来る」
卓斗はすぐに聞き返した。
「拒否権は?」
「ある」
「あ、あるんだ」
卓斗は素で驚いた。
これまで勝手に契約され、勝手に転移させられ、危険物扱いされかけた流れの中で、拒否権があると言われるだけで逆に驚く。ナーヴァはその反応にも動じず、淡々と続けた。
「でも、来た方が安全」
「その言い方、ずるいな」
「事実」
卓斗はしばらくナーヴァを見た。
断ることはできる。だが、断れば安全ではない。王都での監視、サリギア、アシェラと部分照合した魔素、分霊石、帰還手段、契約解除。どれも自分たちだけでどうにかできる話ではない。第六騎士団に行くことは、今のところ一番現実的な選択肢だった。
恵依は卓斗の横で静かに言った。
「第六騎士団に行くことで、情報と保護が得られるなら、選択肢としては妥当です。ただし、条件の記録は維持する必要があります」
絵麻も腕を組んだまま言う。
「行かないって言っても、他に行く場所ないでしょ。勝手に決められるのは嫌だけど、自分で選んで行くならまだ違うわ」
卓斗は二人の言葉を聞き、息を吐いた。
自分だけの話ではない。三人一緒に来た。三人一緒に扱うと決まった。なら、三人で選ぶ必要がある。卓斗は右手首を見てから、ナーヴァへ視線を戻した。
「第六に行く。けど、フィオラ復活のために全部従うって意味じゃない」
ナーヴァはすぐに頷いた。
「分かった」
「分かったの早いな」
「条件。記録する」
その言葉に、卓斗は少しだけ肩の力を抜いた。
七歳の少女は、第六騎士団団長だった。
見た目だけなら、卓斗たちよりずっと幼い。
けれど、彼女は卓斗の右手首へ伸びた拘束線だけを切り、人を切らず、契約を切らず、危険が進む道だけを止めた。
ナーヴァは短く告げる。
「第六で保護。三人一緒。竜精霊も一緒」
続けて、分霊石の模型へ視線を向けた。
「分霊石。奪わない。調べる。守る。サリギアが来たら止める」
卓斗は右手首を見た。
危険扱いは消えていない。
アシェラの名前も、サリギアの目的も、重いままだ。
それでも、本人抜きで閉じ込められる道は切られた。
「……普通に、情報量エグいんだが」
卓斗が呟くと、ナーヴァは少しだけ首を傾けた。
「慣れる」
「慣れたくはない」
だが、選択肢は見えた。
この世界で、自分たちの扱いを勝手に決めさせないために。
分霊石を奪わせず、サリギアを止めるために。
卓斗たちは、第六騎士団という場所へ進むことになる。




