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第一章 32 『本人がいない席を、国が埋めるな』



 王城へ送られた報告の光は、検査棟の結界塔を抜け、白い王都の中心へ向かった。


 外郭検査棟の窓からは、王城の尖塔が遠くに見える。白石の街並みを越え、幾重もの結界光に守られたその場所は、ただ大きいだけではなかった。王国の判断が集まり、命令となって外へ流れていく中心だった。


 卓斗たちは、検査棟の一室で待機していた。


 白い検査室よりは少し落ち着いた部屋だが、安心できる場所ではない。壁には結界札があり、扉の外には騎士がいる。窓はあるが高く、外の通りへ出られるような構造ではなかった。閉じ込められているわけではないと説明されても、自由とは言いづらい場所だった。


 卓斗は椅子に座ったまま、右手首を見下ろしていた。


 行動制限案は、その場では適用されなかった。赤崎千佳が来て、本人の言葉を含めて王城へ報告すると言った。だが、それはまだ途中経過でしかない。王城からどんな返答が来るかで、自分たちの扱いは大きく変わる。


「王様の返事待ちって、人生で一番落ち着かない待機時間なんだけど」


 卓斗がぼやくと、絵麻が横から疲れたように返した。


「人生でそんな状況になると思わないし」


「それな。普通ない。異世界、イベント密度バグってる」


 卓斗は背もたれに体を預けた。


 検査、危険物扱い、日本人の騎士団長、アシェラという名前、王城への報告。中継地点から王都へ来ただけで、情報量が増えすぎている。スマホの画面一つで済んでいた現代日本の生活が、もう遠すぎた。


 恵依は部屋の中央に置かれた記録台を見ていた。


 彼女の表情は落ち着いているが、完全に安心しているわけではない。状況が動く前ほど、整理するべき点が増える。彼女は王城からの返答に何が含まれるべきか、頭の中で確認しているようだった。


「返答内容次第で、私たちの扱いが変わります」


「流川、そういう正確な不安要素は今いらない」


「必要な確認です」


 千佳が近くの壁際に立ったまま、静かに言った。


「必要な不安です」


「赤崎さんもそっち側か」


 卓斗は力なく返した。


 千佳は少しだけ表情を和らげたが、慰めだけは言わない。日本人の名前を持つ先輩。けれど、今は王国第一騎士団団長。彼女がこの場にいることで助かっているのは事実だが、何でも自分たちの都合よくしてくれる存在ではないことも、卓斗はすでに分かっていた。


 ティナは窓際に立ち、王城の方向を見ていた。


 白銀の髪が結界光を受けて淡く光る。彼女はフィオラが建てた国の王城を見ているはずなのに、感傷を表に出さない。だが、完全に無関心というわけでもなかった。フィオラの名が残る国が、卓斗をどう扱うのか。ティナもそれを見ている。


 ゲブは恵依の近くで、白銅の魔素を最低限に抑えている。


 ラールは絵麻の隣で、何か言おうとしてはやめていた。行動制限や王命の話に、どう声をかければいいのか分からないのだろう。絵麻はそれに気づいているが、今は何も言わず、ラールが慌てて余計なことを言わないよう横目で見ていた。



***************



 王城では、別の重さの空気が流れていた。


 王城中央の小会議室には、厚い白石の壁と高い窓があり、王都の結界光が静かに差し込んでいた。部屋の奥に立つ男は、王冠よりも先に、その沈んだ声と姿勢で王だと分かる人物だった。


 グレコ・ダンドール。


 フィリスティア王国の王であり、元第一騎士団団長。三十八歳の男は、広い肩と鍛えられた体つきを騎士の名残として残している。王衣は派手ではなく、白と濃紺を基調にしたものだった。けれど、その場にいる文官や騎士たちは、彼の沈黙だけで不用意な発言を避けていた。


 卓斗たちの報告は、いくつもの札に分けられて机上へ並べられていた。


 竜精霊三柱の帰還確認。契約者三名の異界由来反応。契約経緯に不同意の可能性。帰還希望。中継地点での結界異常と魔獣撃退。成瀬卓斗の引力・斥力系魔素。古封印記録アシェラとの部分照合。ただし本人は原因ではなく、反応者として記録。赤崎千佳とレオンは行動制限案を即時適用せず、本人の意思を含めて上申。


 封印記録官が、緊張を隠せない声で説明した。


「引力・斥力系統。古封印記録アシェラとの部分照合が出ています。王都外郭での行動制限は必要かと」


 王都防衛担当の騎士も、硬い表情で続ける。


「本人の意思とは別に、王都防衛上、管理下に置くべきです。現時点で暴走は確認されていませんが、アシェラと同系統の可能性は看過できません」


 文官が別の札を開いた。


「竜精霊三柱の契約者であり、分霊石探索にも関わる可能性が高い三名です。第六騎士団直轄で行動を制限し、必要時に探索へ協力させる形が合理的かと」


 グレコはすぐには答えなかった。


 彼の視線は机上の記録札を動き、最後に文官の顔で止まる。部屋の空気が少し重くなった。雷が落ちたわけではない。だが、天井の魔導灯が一瞬だけ小さく揺れたように感じた者もいた。


「本人は何と言った」


 低い声が落ちた。


 文官は一拍遅れて答える。


「本人は帰還希望と契約解除の確認を求めています。ただ、現在の優先は王都防衛と分霊石の――」


「本人は何と言った」


 二度目の声は、一度目よりも短かった。


 文官は口を閉じた。


 王城の小会議室に、しばらく沈黙が落ちる。グレコは怒鳴っていない。だが、言葉を逸らすことが許されない空気があった。


 別の側近が、慎重に記録札を読み上げた。


「成瀬卓斗は、帰る方法を探したい、契約を解除できるか知りたい、本人抜きで本人の扱いを決められたくない、と発言しています。また、分霊石を勝手に奪うことを拒み、サリギアが奪って被害が出るなら見なかったことにはできない、とも」


 グレコは短く頷いた。


「他の二人は」


「流川恵依は、三名を分断しないこと、本人の意思と魔素の危険性を分けること、帰還手段をフィオラ復活とは別に調べることを求めています。西野絵麻は、勝手に連れて来られた側をさらに閉じ込めるような扱いを拒み、成瀬卓斗だけを危険物として分けることにも反対しています」


 グレコはその報告を最後まで聞いた。


 王都防衛担当が、重い沈黙に耐えかねたように口を開く。


「王よ。本人の希望を尊重するには、危険が大きすぎます。引力・斥力の魔素は、六百年前の災厄と同系統です。ここは国が先に扱いを決めるべきです」


 グレコの視線が、静かに上がった。


「本人がいない席を、国が埋めるな」


 会議室が凍った。


 声は荒くない。だが、そこにいる全員が、その言葉の重さを理解した。王としての命令であり、元第一騎士団団長としての断定でもあった。


 グレコは続けた。


「危険を止めることと、本人の未来を決めることは違う」


 封印記録官が、慎重に口を開いた。


「しかし、アシェラとの照合は――」


「軽く見ろとは言っていない」


 グレコはすぐに返した。


「監視は付けろ。だが、檻に入れるな」


 防衛担当の騎士が姿勢を正した。


 グレコの言葉は、甘い判断ではない。卓斗の危険性をなかったことにはしていない。王都防衛上の警戒は必要だと認めたうえで、本人抜きで未来を決めるなと言っている。


「測定は続けろ。だが、本人に実演を迫るな」


 グレコは机上の報告札へ視線を落とす。


「三人を分けるな。読めない文書に名を書かせるな」


 文官の手が、記録へ走った。


 グレコはさらに続ける。


「帰還希望と契約不同意は、削るな」


 その言葉で、何人かの文官が顔を上げた。


 王国にとって、竜精霊三柱の契約者は重要だ。フィオラ復活や分霊石探索へ関わる可能性もある。だからこそ、彼らの帰還希望や契約不同意は、王国にとって都合の悪い記録になる。だが、グレコはそれを削るなと命じた。


「分霊石は奪わせない。サリギアと同じ道を王国が選ぶな」


 会議室の誰も、すぐには返事をしなかった。


 分霊石はフィオラ復活に必要なものだ。王国にとっても、建国者に関わる重大な存在である。だが、現代では結界や封印、魔導施設の支えとして組み込まれている可能性がある。奪えば、守るべき民を危険に晒す。


 グレコは最後に、赤崎千佳とレオンの報告札へ視線を落とした。


「赤崎の判断を採用する。レオンの現場記録も残せ」


 文官がためらいがちに聞く。


「よろしいのですか。上層協議を待たずに」


「王都に入れた時点で、国は関わった」


 グレコの声は低く、重かった。


「なら、最初に国がやるべきことは、本人の席を奪うことではない」


 その言葉で、会議は決した。


 王城からの通達は、すぐに外郭検査棟へ返された。



***************



 待機室では、卓斗が椅子から半分立ち上がりかけて、また座り直していた。落ち着かない。落ち着く理由がない。王様の返事待ちという状況は、現代日本の高校生活のどこにもなかったものだ。


 扉の外で、足音が止まった。


 レオンが通達札を受け取り、千佳へ渡す。千佳は内容に目を通し、表情を大きく変えないまま、しかしわずかに肩の力を抜いた。悪い返答ではないのだと、卓斗はそれだけで察した。


「王命です」


 千佳が言うと、卓斗たち三人の視線が集まった。


 ティナも窓際から離れ、ゲブとラールもそれぞれ契約者の近くへ寄る。王命という言葉は、この国では軽くない。さっきまで検査棟の判断だったものが、今度は王の判断になる。


 千佳は通達札を読み上げた。


「成瀬さんの行動制限案は即時適用しない。第六騎士団同行下で保護継続。第一騎士団は王都防衛上の監視協力を行う。三名を分断しない。読めない文書への署名を求めない。能力実演を求めない」


 卓斗は思わず息を吐いた。


「そこまで入ってるの、普通に助かる」


 千佳は頷き、続けた。


「帰還希望、契約不同意、分霊石を奪わない方針を記録から削らないこと。本人の言葉を聞く前に、国が扱いを決めないこと」


 部屋の空気が変わった。


 卓斗は少しの間、何も言えなかった。危険扱いが消えたわけではない。監視も残る。第六騎士団同行下での保護という言葉も、自由とは違う。それでも、本人の言葉を聞く前に国が扱いを決めない。その一文は、確かに卓斗の呼吸を軽くした。


「……王様、話通じるタイプ?」


 卓斗が聞くと、レオンが答えた。


「少なくとも、本人抜きで決めることを嫌う方だ」


 千佳も静かに補足する。


「グレコ王は、危険を見ない方ではありません。ですが、危険だけを見て本人を消す方でもありません」


「王様って聞いたから、もっと命令で全部決められるかと思った」


「命令で止める方です。本人がいない席で未来を埋める流れを」


 卓斗は通達札を見た。


 もちろん読めない。だが、今度は読めない文字が全部敵に見えるわけではなかった。少なくとも、その札には自分の言葉を消すなという命令が書かれている。


 恵依は静かに確認した。


「私たちの条件は、王命として維持されるのですね」


 千佳は頷いた。


「現時点では、そうです。王城での正式確認は今後必要になりますが、少なくとも、ここで即時行動制限や分断は行われません」


 絵麻は腕を組んだまま、少しだけ息を吐く。


「まだ安心はできないけど、最悪よりはだいぶマシね」


「西野の評価、今日も厳しめ」


「甘く見て流されたら困るでしょ」


「それはそう」


 卓斗は素直に認めた。


 ティナが、王城の方角へ視線を向けた。


「フィオラの名を継ぐ国の王としては、悪くない判断ね」


 卓斗はすぐに反応した。


「お前、上からすぎ」


「竜精霊だもの」


「出た、便利な竜精霊マウント」


 ティナは涼しい顔のままだった。


 だが、その表情はどこか、ほんの少しだけ柔らかいようにも見えた。フィオラの国の王が、本人抜きで未来を決めないと判断した。それはティナにとっても、何かしら意味のあることなのだろう。


 ゲブは恵依の横で、静かに言った。


「流川様、現時点では条件が維持されたと判断できます」


「はい。ただし、今後の確認で変わる可能性はあります」


「その可能性も記録すべきと思われます」


「そうですね」


 恵依とゲブのやり取りは、いつものように冷静だった。


 ラールは絵麻の隣で、少しだけ安心したように胸に手を当てている。


「絵麻ちゃん、すぐに別々にされなくてよかったです」


「本当にね。あんたも変なこと言って、勝手に私をどこかに連れて行こうとしないでよ」


「あわわっ、しません! 今度はちゃんと聞きます!」


「今度は、ね」


 絵麻の言い方は刺々しいが、ラールを見る目は少しだけ柔らかかった。


 レオンは記録札を閉じ、次の段階へ進むために卓斗たちを見た。


「次に確認するのは、フィオラ様の記録だ。分霊石、封印、アシェラ。その前提を知らなければ、あなたたちは判断できない」


 卓斗は思わず肩を落とした。


「やっと本編っぽい説明が来た」


 恵依は真面目に頷く。


「私たちが判断するためにも必要です」


 絵麻はすぐに釘を刺した。


「ただし、長すぎる説明は無理」


 千佳が少しだけ笑った。


「必要な範囲から始めます。まず、フィリスティア王国がなぜフィオラ様の国と呼ばれるのか」


 卓斗は窓の外へ目を向けた。


 王都の結界光が、白い街並みの上で静かに揺れている。中継地点からここまで、ずっと流されるように来た。契約も、転移も、検査も、危険扱いも、自分の意思より先に世界が動いていた。


 だが、王命はその流れを一度止めた。


 本人の言葉を聞く前に、国が扱いを決めない。


 その一文だけで、卓斗は少しだけ息がしやすくなった。


「……じゃあ聞くしかないか。フィオラの国ってやつを」


 卓斗は右手首を見た。


 白銀の竜紋は静かに沈んでいる。


 危険扱いは終わっていない。


 けれど、自分抜きで決められる流れは、一度止まった。フィオラの国の歴史を聞くことは、その次へ進むために必要なことになっていた。





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