第一章 25 『石を動かすということ』
王都へ向けて飛んだ報告の光が消えると、中継地点の室内には、また魔導灯の淡い明かりだけが残った。
静かになったわけではない。外では第六騎士団の部下が警戒を続け、入口近くの警備兵も槍から手を離していない。受付台の上には結界札が置かれ、第三灯の反応を示す薄い光が、まだ不安定に揺れていた。
卓斗は長椅子に座ったまま、右手首を軽く握った。
熱は少し引いている。けれど、完全には消えない。サリギアという名を聞いてから、手首の奥に残った違和感は、ただの痛みや疲れとは違うものになっていた。自分が原因ではないと記録された。それでも、異常に反応する身体になってしまった事実は残っている。
「サリギアってのが、分霊石とか封印とか狙ってるんだよな」
卓斗が確認すると、レオンは受付台の前で結界札を見ながら答えた。
「王国が把握している範囲では、そうだ。分霊石そのものだけではなく、封印、古い魔導核、結界の要になるものへの干渉が複数確認されている」
「で、その分霊石って、フィオラ復活のために集める石なんだよな?」
卓斗はティナへ視線を向けた。
ティナは腕を組み、いつものように短く答えた。
「そうよ。九つ必要になるわ」
「でも今の話、結界とか封印にも関係してる感じしたんだけど」
卓斗の言葉で、室内の視線が一度集まった。
それは、今まで聞いてきた説明の隙間にある疑問だった。ティナたちはフィオラ復活のために九つの分霊石が必要だと言っていた。けれど、サリギアが狙う対象として出てきたのは、結界や封印や古い魔導核だった。
つまり分霊石は、ただ集めれば済む復活素材ではない可能性がある。
レオンは卓斗の疑問を軽く扱わなかった。
彼は記録札を閉じ、受付台から少し離れた。管理人も補足できる位置へ立ち、女性職員は結界札の光を確認しながら耳を傾けている。
「分霊石は、単なる宝石ではない。フィオラ様に関わる古い力の核であり、王国の伝承にも残る。ただし六百年の間に、そのもの、あるいはそれに連なる欠片や系統核が、各地の結界や封印、魔導施設の支えとして組み込まれているものがある」
卓斗は眉を寄せた。
「待て待て。じゃあ、取ったらどうなる?」
管理人が低い声で答えた。
「場所による。街道結界なら魔獣避けが弱る。封印地なら封じていたものが緩む。水脈や森の循環を支えているなら、土地そのものが荒れる可能性もある」
「話デカすぎるだろ」
卓斗は思わず言った。
九つの石を集める。言葉だけなら、ゲームの目的みたいに聞こえる。けれど、その石が街道を守り、封印を支え、土地の流れまで保っているなら、話はまるで違う。取れば終わりではなく、取った場所に被害が残る。
絵麻は長椅子の上で姿勢を変えた。
空間魔素の反動はまだ残っているはずだが、今の話には黙っていられないようだった。彼女はレオンではなく、ティナたち竜精霊の方を見た。
「それ、最初に言うべき話じゃないの?」
ラールがびくっと肩を跳ねさせる。
ゲブは表情を大きく変えないが、水色の髪の先がわずかに揺れた。ティナは絵麻の視線を正面から受け、すぐには返さなかった。
ティナにとって、分霊石はフィオラを戻すための核だった。
だが、六百年後の現代でどう扱われているかは、彼女がすべて把握しているわけではない。現代組織サリギアを知らなかったのと同じように、分霊石の今の役割も、フィリスティア王国側の記録に頼る部分がある。
「六百年前、分霊石はフィオラの力を分けた核だったわ。復活には必要になる」
「それは分かった。でも今は別の用途で使われてるんだろ?」
「……そのようね」
「そのようね、じゃないんよ。普通に重要インフラじゃん」
卓斗は声を荒げたわけではない。
けれど、言葉にははっきりした引っかかりがあった。街道の結界が薄くなって魔獣が来た。その結果、中継地点の職員も、警備兵も、自分たちも危険に晒された。今聞いた話は、その現実と直接つながっていた。
恵依はこめかみから手を離し、ゆっくり息を整えた。
解析負荷はまだ残っている。だが、今必要なのは魔素を見ることではなく、話を整理することだった。彼女はティナ、レオン、管理人の順に視線を動かし、言葉を選んだ。
「分霊石を動かすなら、まず役割の確認が必要です。結界核なのか、封印核なのか、自然循環の支点なのか。それによって影響が違います」
「要するに、勝手に持っていったら終わるやつ?」
「はい。少なくとも、勝手に動かすべきではありません」
恵依の答えは明確だった。
それは、フィオラ復活を否定する言葉ではない。だが、目的があるからといって手段を飛ばすことを認める言葉でもなかった。恵依はこの世界に来てからずっと、必要なことと許されることを分けようとしている。
絵麻が低く言った。
「それ、私たちを勝手に連れて来たのと同じでしょ。必要だからって、相手の都合を無視するやつ」
ラールの顔から血の気が引いたように見えた。
絵麻はラールを責めたいだけではない。けれど、言葉は確実に刺さった。必要だった。フィオラのためだった。そう言われても、連れて来られた側には人生がある。分霊石のある土地にも、そこに守られている人々がいる。
ゲブが静かに口を開いた。
「確認できた範囲では、流川様の整理は妥当と思われます。分霊石を動かす場合、代替となる魔素流の確保、影響範囲の確認、現地の管理者との合意が必要です」
卓斗はゲブを見た。
「ゲブ、それ、かなり大変じゃない?」
「はい。容易ではないと思われます」
「だよな。九個集めろって時点で終わってるのに、一個一個そんな手続き必要とか、普通に無理なんだが」
卓斗は頭を抱えかけた。
ただ、それでも手続きを飛ばせば誰かが危険になる。そこはもう、さっきの魔獣戦で分かってしまった。面倒くさい。最悪に面倒くさい。けれど、面倒だからといって無視していい問題ではない。
ラールが小さく手を上げた。
「あの、フィオラ様のためには必要ですけど……でも、勝手に取ったら駄目、ですよね」
言いながら、ラールは絵麻を見た。
先に答えを求めるのではなく、自分で言葉を止めて選び直している。以前なら、フィオラ様のためだからと勢いで言い切っていたかもしれない。だが、今は少なくとも、絵麻たちがどう感じるかを考えている。
絵麻は少しだけ目を細めた。
「そう。今のは自分で止まれたから、前よりマシ」
「前よりマシ……!」
「褒めてる」
「た、たぶん褒められました!」
ラールは不安そうにしながらも、少しだけ嬉しそうだった。
卓斗はそのやり取りを見て、わずかに肩の力を抜いた。全部がすぐに解決するわけではない。竜精霊側の目的と、日本人三人の怒りや不安は、まだ簡単には重ならない。それでも、少しずつ止まって考えようとしているなら、まだ話は続けられる。
ティナは黙っていた。
彼女が黙ると、逆に室内の空気が重くなる。普段ならすぐに辛辣な言葉を返すはずだ。けれど、今は六百年の間に変わった分霊石の扱いと、卓斗たちが突きつけた現代の被害を測っているようだった。
やがて、ティナは短く言った。
「フィオラを戻さなければならない。それは変わらないわ」
卓斗はすぐに返した。
「俺はまだそこに納得してない」
「でしょうね」
「分かってるなら押し切るなよ」
「押し切るつもりなら、今ここで説明など聞いていないわ」
卓斗は一瞬、言葉に詰まった。
それは確かにそうだった。ティナが完全に目的だけを優先するなら、レオンや管理人の説明を聞く必要はない。分霊石がどこにあろうと、奪って集めればいいと言い切れば済む。だが、彼女は少なくとも、現代での扱いを聞いている。
「……それもそうだけど、言い方が腹立つ」
「あなたも十分面倒よ、タク」
「お前にだけは言われたくない」
卓斗の軽口に、ティナは小さく鼻を鳴らした。
険悪さは消えていない。けれど、ただぶつかっているだけでもなかった。卓斗はフィオラ復活に納得していない。ティナはフィオラ復活を諦めていない。その間で、分霊石をどう扱うかという新しい問題が、二人の前に置かれていた。
レオンはそのやり取りを見届けてから、静かに口を開いた。
「成瀬卓斗殿の指摘は正しい。分霊石を力任せに回収すれば、王国の大義は崩れる」
「急に騎士に肯定されると身構えるな」
「正しい点を正しいと言っただけだ」
レオンの返しは淡々としている。
卓斗はそれに少し苦笑した。レオンは王国側の人間だ。フィオラを敬う国の騎士であり、第六騎士団の確認役でもある。その彼が、分霊石を力任せに回収してはいけないと言うなら、少なくとも今の王国には、その線引きを考える人間がいる。
レオンは続けた。
「サリギアが危険視される理由もそこにある。必要な核を必要な場所から外すことをためらわない。結界が弱れば旅人が死ぬ。封印が緩めば周辺の村が危険に晒される。それでも目的のためなら動く」
「じゃあ、私たちが同じことしたら最悪じゃない」
絵麻の声は鋭かった。
恵依が静かに頷く。
「フィオラ復活の目的があっても、被害を出してよい理由にはなりません」
「俺ら、復活のために来たっていうより、勝手に連れて来られた側だしな。そこでさらに誰かの生活壊したら、もう何やってんのって話だろ」
卓斗はそう言ってから、自分の言葉の重さに少しだけ気づいた。
今までフィオラ復活は、ティナたちの目的だった。卓斗にとっては、勝手に巻き込まれた話でしかない。だが、サリギアが分霊石や結界核を狙い、魔獣が通れる道を作るなら、そこには関係ない人々の被害が出る。
それを知ったうえで、見なかったことにできるのか。
卓斗はまだ、フィオラのために戦うとは言えない。けれど、結界を薄くされて魔獣が入る現実を、もう見てしまっている。
管理人が受付台の上の結界札へ視線を落とした。
「この中継地点の結界も、街道を通る者の命を預かっている。一本の灯りが落ちるだけで、夜の道は変わる」
その声には、現場を守る者としての重みがあった。
卓斗は結界札を見た。読めない文字が並び、薄い光が第三灯の異常を示している。文字は分からない。だが、そこに人の命がかかっていることは、もう分かった。
レオンは卓斗たち三人を見た。
「王都には分霊石に関する記録がある。すべてではないが、この中継地点よりは詳しい。サリギアの情報も、帰還手段や契約解除の手がかりも、ここでは確認できない」
「結局、王都行きは避けられないってことか」
卓斗は長椅子の背に体を預けた。
保護のため。事情確認のため。それだけでも王都へ行く理由はあった。だが、今はそれに、分霊石の現代での役割、サリギアの情報、帰還方法、契約解除の可能性まで加わっている。
行きたくないと言って済む段階ではなくなっていた。
絵麻は腕を組む。
「行くとしても、条件は必要でしょ。王都でまた勝手に決められたら困る」
恵依も同じ方向を見ていた。
「はい。王都へ行くことと、王国にすべて従うことは別です。次に確認すべきは、私たちがどの条件で移動するかです」
卓斗は少しだけ笑った。
「流川、もう次の議題に行ってる」
「必要です」
「だよな。今回は真面目にそう思う」
卓斗は軽く返したが、その声は前より落ち着いていた。
王都へ行くことは避けられない。けれど、何も言わずに連れて行かれるわけではない。三人を分断しない。帰還手段を調べる。契約不同意を記録する。分霊石を奪わない。言うべきことは、少しずつ形になってきている。
レオンは記録札を開いた。
「王都へ移る前に、三名の条件は改めて記録する。私が保証できる範囲と、王都で確認が必要な範囲を分ける」
「話通じるのは助かるけど、範囲って言葉が怖いな」
「私一人で王国全体を保証することはできない」
「そこ正直なのも怖い」
「虚偽の安心よりはましだ」
卓斗は苦笑した。
それは確かに、嘘の安心よりはましだった。大丈夫だと言われて裏切られるより、保証できる範囲を最初に分けられる方が、まだ判断できる。
ティナは壁の伝承画へ視線を向けていた。
そこにはフィオラらしき女性と、三つの竜精霊の紋様が描かれている。六百年前の目的は、今も変わらずティナの中にある。だが、その目的が現代の結界や人々の生活とぶつかるなら、同じやり方では進めない。
ゲブは恵依の横で、白銅の魔素を静かに整えている。
ラールは絵麻の隣で、何度も小さく頷いていた。自分に言い聞かせているようにも見える。フィオラ様のためでも、勝手に取ってはいけない。その理解は、まだぎこちないが、確かにそこにあった。
卓斗は結界札の淡い光を見た。
さっきまで分霊石は、ティナたちが集めろと言う遠い目的の石だった。九つ必要だと言われても、正直なところ実感はなかった。世界中から石を集める。そんな話は、自分とは離れた異世界の大きすぎる目的にしか聞こえなかった。
だが、第三灯が消えた。
結界が薄くなれば、魔獣が通る。
石を動かすということは、どこかの安全を動かすということなのだ。
「……やっぱ、勝手に奪うのはなしだろ」
卓斗の声は大きくなかった。
けれど、室内の誰にも届いた。
ティナはすぐには答えなかった。レオンはその言葉を記録札に残し、恵依は静かに頷いた。絵麻も、今度は何も茶化さなかった。
中継地点の外では、まだ王都方面の結界灯が不安定に揺れている。
次に王都で確認すべきことは、少しずつ増えていた。




