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第一章 23 『確認役』



 扉の向こうから響いた声に、中継地点の空気が変わった。


 魔獣の唸りとは違う。夜の街道を踏んで来た人の声だった。それでも、卓斗の肩には自然と力が入る。王都確認役。第六騎士団。ついさっき聞いたばかりの名前が、もう扉一枚の向こうにいる。


 管理人は入口の前に立ち、警備兵へ短く目配せした。


 警備兵は槍を完全には下げず、敵意を示さない高さで構えを整える。外にいるのは味方側のはずだ。だが、ここには竜精霊三柱と契約者三名がいる。中継地点の管理責任者として、無警戒に扉を開けるわけにはいかなかった。


「確認役殿、入られよ。中継地点内に、竜精霊様三柱と契約者三名を保護している」


 管理人が扉越しに答えた。


 外で金具が鳴った。馬具の音と、複数人の足音が少し離れる気配がする。中へ入る人数を絞っているのだろう。扉の前に残った気配は二つ。そのうち一つが、短く返した。


「承知した。代表一名が入る。外の二名は周辺警戒に回す」


 管理人は扉の閂を外した。


 重い木扉が開くと、冷たい夜気と馬の息、湿った土の匂いが室内へ流れ込んだ。外の魔導灯の光が、扉口で青白く揺れる。その中に、灰青色の外套をまとった騎士が立っていた。


 年は二十代後半から三十代前半ほどに見える。


 肩幅は広く、背筋はまっすぐで、腰には剣を帯びている。外套の左胸には、六角形を基調にした徽章が留められていた。表情は硬いが、威圧だけで押してくる顔ではない。室内に入る前に、彼は卓斗たち全員の位置を短く確認した。


「——第六騎士団所属、レオン・ガルディア。王都確認役として派遣された」


 レオンはそう名乗り、扉の内側へ一歩入った。


 彼は泥のついた靴を必要以上に踏み鳴らさず、入口付近で立ち止まった。奥へ不用意に踏み込まない。その動きだけで、相手の緊張を見ているのだと分かった。


「状況は報告で受けている。まず負傷者の確認を優先する」


 卓斗は長椅子に座ったまま、思わず小さく呟いた。


「開幕まともそうで逆に怖い」


 絵麻が横から低く言う。


「黙って様子見」


「はい」


 卓斗は素直に口を閉じた。


 レオンの視線が一瞬だけ卓斗へ向いた。聞こえていたのかもしれない。だが、彼はそれに反応して責めることもなく、まずティナ、ゲブ、ラールの方へ向き直った。


 フィリスティア王国の騎士として、そこは避けられないのだろう。


 レオンは片膝こそつかなかったが、深く礼をした。任務中の騎士としての礼であり、長い祈りではない。けれど、その動きには明確な敬意があった。


「白銀のティナ様、白銅のゲブ様、白鋼のラール様。伝承に名を残す三柱と拝見する」


 ティナは腕を組んだまま、短く返した。


「今は礼より確認を優先しなさい」


「承知しました」


 レオンはすぐに顔を上げた。


 ゲブは丁寧に頭を下げる。


「確認できた範囲では、状況は緊急性を継続しています。ご対応をお願いいたします」


 ラールは自分へ向けられた敬意に、少しだけ慌てた。


「あ、あの、様は、その、慣れてなくて……」


 絵麻が即座に横から言った。


「そこで挙動不審にならない」


「はいっ」


 ラールは背筋を伸ばした。


 そのやり取りに、レオンの目がわずかに動いた。竜精霊への畏敬と、目の前の小さな少女のような反応。そのずれを受け止めたのだろう。彼はそれ以上ラールを困らせず、次に卓斗たち三人へ向き直った。


「そして、契約者三名。成瀬卓斗殿、流川恵依殿、西野絵麻殿で相違ないか」


「相違ない、って言われると急に書類感あるな。成瀬卓斗で合ってる」


 卓斗は座ったまま答えた。


 恵依も姿勢を整え、はっきり名乗る。


「流川恵依です」


「西野絵麻」


 絵麻は短く答えた。


 レオンは三人の顔と名前を一致させるように視線を動かし、それから頷いた。


「確認した。まず、あなた方の意思を確認する。負傷や消耗があるなら、事情聴取より手当てを優先する」


 卓斗は少しだけ目を細めた。


 最初から尋問ではない。それだけで、警戒が完全に消えるわけではないが、少なくとも話を聞く姿勢はある。恵依がさっき言っていた通り、最初の位置取りが大事なのだと卓斗は思った。


 恵依は長椅子から立ち上がろうとせず、座ったまま口を開いた。


「確認の前に、前提を共有します。私たちは保護される側であって、所有される側ではありません」


 室内の空気が少しだけ硬くなった。


 管理人も女性職員も、その言葉を聞いて視線を上げる。警備兵は入口近くで外を警戒しながらも、耳だけはこちらへ向けていた。騎士であるレオンに対して、恵依は最初から線を引いたのだ。


 レオンは怒らなかった。


 むしろ、言葉を選ぶように少し間を置いた。


「その主張は記録する。続けてくれ」


 恵依は頷き、言葉を続けた。


「私たちは日本という、この世界とは異なる場所から来ました。会話は通じますが、文字は読めません。契約は、十分な納得を伴っていません。帰還手段を求めています」


 卓斗はその流れに合わせて、右手首を押さえた。


「あと、三人を別々にしないでほしい。話がズレたら困る」


 絵麻も続ける。


「契約者を竜精霊の付属物みたいに扱うのもなし」


 レオンは三人を順番に見た。


 軽く聞き流す様子はない。彼は腰の小さな記録札に触れ、室内の管理人へ確認するように視線を送った。管理人はすでに同じ内容を報告に入れていると示すように頷いた。


「分かった。少なくともこの場では、三名を分けない。契約者を個人として記録する」


 卓斗は少しだけ息を吐いた。


 絶対の保証ではない。王都に着いた後のことまで、目の前の騎士一人が全部決められるはずもない。だが、この場で三人を分けないと明言したことは大きかった。


 レオンはティナへ視線を移した。


「契約に不同意が含まれる可能性……これは重い」


 ティナは白銀の瞳でレオンを見返した。


「必要だったわ」


 卓斗はすぐに顔をしかめる。


「出た、必要だった」


 レオンはティナを責めるようには見なかった。


 ただし、卓斗の言葉も流さない。


「必要かどうかと、本人が納得したかは別に記録する」


 卓斗は思わずレオンを見た。


 その言い方は、予想していたよりずっとまともだった。竜精霊への敬意を示した騎士が、竜精霊側の事情だけを優先せず、契約者本人の納得を分けて扱うと言ったのだ。


「今の、ちょっと話通じる感じした」


 卓斗が正直に言うと、レオンは淡々と答えた。


「話が通じなければ、確認役として来た意味がない」


「正論が急に頼もしい」


 絵麻はまだ完全には警戒を解いていなかった。


 だが、先ほどより少しだけ肩の力が抜けている。少なくとも、いきなり縄を持ってきたり、竜精霊だけに話しかけ続けたりする相手ではなさそうだと判断したのだろう。


 レオンは卓斗へ向き直った。


「成瀬卓斗殿。報告では、引力と斥力に近い魔素反応で魔獣を押し返したとある。現時点で再現は可能か」


「無理。というか、やりたくない。さっき自分も吹っ飛んだ」


 卓斗は即答した。


 右腕にはまだ痺れが残っている。あれをもう一回やれと言われたら、普通に拒否したい。できるかどうか以前に、また魔獣や結界を変に引っ張る可能性がある。


 ティナも短く補足する。


「再現は危険よ。本人の制御が未熟すぎるわ」


「未熟すぎるって言い方」


「事実よ」


 卓斗が抗議しかけると、レオンが先に答えた。


「なら、実演は求めない。現場痕跡と証言を優先する」


「それ助かる。マジで」


 卓斗は本気で言った。


 レオンはそこで初めて少しだけ眉を動かした。目の前の少年が本当に消耗していることを確認したのだろう。彼の視線は卓斗の右手首、手のひらの擦り傷、背中をかばう姿勢へ順に動いた。


「負傷記録も取る。能力確認より先に治療だ」


 恵依が静かに頷く。


「妥当です」


 卓斗は恵依へ小声で言った。


「流川の妥当判定が出た」


「必要な判断です」


「うん、安心材料として受け取っとく」


 レオンは管理人へ向き直った。


「現場報告を改めて確認する」


 管理人は受付台の控え札を取り、簡潔に説明を始めた。


 竜精霊三柱と契約者三名を保護したこと。王都へ報告を送ったこと。魔獣撃退後、全員を屋内待機に切り替えたこと。契約者三名の不同意の可能性と帰還希望、異世界文字を読めない件も記録したことを、管理人は一つずつ伝える。


 女性職員は結界札を持って前へ出た。


「中継地点周辺の結界は一時安定しています。ただし、外部から結界流を引き、沈めた痕跡があります。王都方面の第三灯にも戻り遅れが出ています」


 レオンの表情がわずかに鋭くなった。


「第三灯か」


「はい。ここから王都方面へ二つ先の結界杭です。灯りの戻り方が、先ほどの異常と似ています」


 警備兵も入口付近から報告を加えた。


「大型寄り魔獣が結界の沈みを狙って侵入しました。竜精霊様三柱と契約者三名が連携して撃退。最終的には成瀬殿の反発で外側へ押し戻しました」


 レオンはそれらを聞き、少し考えた。


 彼の判断は早かったが、急がない。魔獣の撃退より、結界異常の広がりを重く見ているようだった。恵依が言っていた「魔獣は結果であって原因ではない」という整理に近い。


「魔獣は結果。原因は結界異常と見て動く」


 恵依がわずかに顔を上げた。


「同じ判断です」


 レオンは恵依へ頷いた。


「流川恵依殿。解析の負荷があると聞いている。これ以上、屋外での確認は求めない」


「ありがとうございます。現時点では、継続解析は危険です」


 恵依は素直に答えた。


 卓斗は少しだけ意外そうにレオンを見た。


 確認役と聞いていたから、もっと現場確認を急がせるのかと思っていた。だが、レオンは消耗した契約者を外へ出すつもりはないらしい。第六騎士団が特殊事案担当なら、現場の危険度も分かっているということなのだろう。


 レオンは扉の外へ一度視線を向けた。


「現場を確認する。契約者三名は屋内待機。負傷と消耗がある以上、外へ出す理由はない」


「そこは助かる」


 卓斗が言うと、絵麻も小さく呟いた。


「まともね」


 レオンは絵麻の言葉を拾ったのか、淡々と返す。


「まともでなければ、第六騎士団の確認役は務まらない」


「自分で言うタイプなんだ」


「事実を述べた」


 卓斗は思わず苦笑した。


 硬い。だが、話は通じる。少なくとも、今すぐ敵と決めつける相手ではない。ただし、国側の人間であることに変わりはない。レオン一人がまともでも、王都全体がどう判断するかはまだ分からない。


 その不安を見透かしたように、レオンが続けた。


「最終的には、王都での保護と事情確認が必要になる。だが、今すぐ移動させるつもりはない。夜間の結界異常が残る街道を、消耗した者を連れて動く方が危険だ」


 卓斗は顔をしかめた。


「王都行き、確定?」


「この中継地点では、長期保護も詳細確認もできない。王都へ移る必要はある」


「保護って言葉、まだ信用しきれてないんだけど」


 レオンはすぐには否定しなかった。


 保護だから安心しろ、と言わない。その代わり、正面から返す。


「なら、条件を出せ。守れるものと守れないものを分けて返答する」


 卓斗は恵依と絵麻を見た。


 三人の間に、短い確認が走る。第22話で話したことを、そのまま出すべき時だった。恵依がまず口を開く。


「三人を意図的に分断しないでください。契約経緯を正確に記録すること。帰還希望を王都側へ伝えること。私たちは異世界の文字が読めないため、読めない書類への署名は求めないこと」


 絵麻が続けた。


「卓斗の魔素を、本人の意思と分けて扱うこと。制御できてないからって、本人ごと危険物みたいに扱うのはなし」


 卓斗も右手首を押さえながら言う。


「あと、疲れてる状態で能力の実演を求めないこと。俺も危ないし、周りもたぶん危ない」


 レオンは一つずつ聞いた。


 即答はしない。できる範囲とできない範囲を分けるためだろう。少しの沈黙の後、彼ははっきりと言った。


「この中継地点から王都到着まで、三名を意図的に分断しない。読めない書類への署名は求めない。能力実演は求めない。契約経緯と帰還希望は、私の報告に明記する」


 絵麻はすぐに聞き返した。


「王都に着いた後は?」


「私一人で保証できる範囲を超える。ただし、ここでの記録と私の報告は残る」


 恵依はその答えを受け、静かに判断した。


「十分ではありませんが、現時点では前進です」


「流川の判定、今日かなり重要だな」


 卓斗が言うと、恵依は小さく息を吐いた。


「今は感情だけで決めるべきではありません」


「それができるの、普通にすごいわ」


 卓斗は本心から言った。


 レオンは次にティナへ向き直った。


「ティナ様。フィオラ様の復活と分霊石について、王都報告では最低限の記述しかない。確認してよろしいか」


 ティナの表情が少しだけ硬くなる。


 ここは彼女にとって、卓斗たちとは別の中心だ。フィオラ。分霊石。六百年を越えて戻って来た理由。だが、卓斗たちがいる以上、以前のように竜精霊だけの目的として押し切るわけにはいかない。


「九つの分霊石が必要よ」


 レオンの目が鋭くなった。


「王国の伝承に残る分霊石か」


 卓斗は思わず口を挟んだ。


「また王国の伝承に俺らの人生が巻き込まれてる」


 レオンは卓斗へ視線を戻した。


「その確認も王都で行う。ただし、契約者本人の意思を飛ばして進めるべきではない」


 卓斗は少しだけ言葉に詰まった。


 話は通じる。けれど、だからといって全部安心できるわけではない。レオンは誠実そうだが、王国の騎士だ。分霊石が王国の伝承に関わるなら、国としての都合も必ず出てくる。


 その時、外から短い足音が近づいた。


 扉の外で待機していた騎士の一人だろう。警備兵が反応し、レオンもすぐに扉へ視線を向けた。まだ開いていない扉越しに、外の騎士の声が響く。


「レオン確認役、第三灯が落ちました。王都側二つ先、反応が薄いです」


 室内の空気が一瞬で変わった。


 管理人が結界札へ走る。女性職員も札の光を確認し、顔を強張らせた。恵依は立ち上がろうとしたが、ゲブが静かに支える。卓斗の右手首が、まだ何もしていないのに、じんと熱を帯びた。


 レオンはすぐに判断した。


「全員、屋内待機を維持。中継地点を閉じろ。確認は第六騎士団が行う」


「来てすぐ仕事増えてるじゃん」


 卓斗が思わず言うと、レオンは扉へ向かいながら返した。


「特殊事案とはそういうものだ」


「最悪な納得感」


 レオンは扉の前で一度振り返った。


 その視線は卓斗の右手首へ向いていた。先ほどまでの報告を聞いたうえで、当然の警戒だった。卓斗自身も、その熱を無視できない。


「成瀬卓斗殿。今は動くな。あなたの魔素が反応しても、こちらが確認するまで外へ出ないでほしい」


「反応する前提なの怖いんだけど」


「先ほどの報告を聞けば、警戒するのが当然だ」


 その言葉が終わる前に、卓斗の右手首がまた熱を持った。


 遠くの結界灯が落ちた方角。


 そこから、何かに引かれるような微かな感覚が届く。魔獣を引き寄せた時ほど強くはない。けれど、結界の流れが沈み、どこかが外側へ引かれているような気配が、右手首の奥に触れていた。


「……最悪。もう反応してるっぽい」


 ティナの白銀の瞳が、扉の向こうへ向いた。


 ゲブも静かに顔を上げる。


「確認できた範囲では、成瀬様の魔素が、遠方の結界流の乱れに反応しています」


 絵麻が眉を寄せた。


「外に出るとか言わないでよ」


「言わねえよ。今は」


 卓斗は右手首を押さえた。


 レオンはその返事を聞き、短く頷いた。


「屋内待機を守れ。私が外を確認する」


 扉が開く。


 冷たい夜気が再び室内へ流れ込む。外では、王都方面の灯りが一つ、完全に消えていた。




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