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第一章 22 『第六騎士団の名』



 中継地点の中に、少しだけ静かな時間が戻っていた。


 外では結界灯が淡く光っている。魔獣に踏み荒らされた街道の土は見えないが、扉の向こうに残る爪跡や土煙の匂いは、まだ卓斗の頭から離れなかった。室内の魔導灯は安定しているのに、どこか遠くの灯りだけが弱く揺れているような気がする。


 卓斗は長椅子に座り、右手首を軽く握っていた。


 熱は少し引いた。けれど、完全には消えない。指を開くと、まだ微かに震えている。魔獣を引き寄せた感覚も、押し返した時の反動も、身体の内側に残っていた。


「夜明け前後って、あとどれくらい?」


 卓斗が聞くと、受付台の向こうにいた管理人が、壁際の魔導灯と窓の外を見比べた。


「この灯りの減り方なら、まだ数刻はある」


「数刻って単位がもう分からん」


 卓斗は天井を見上げた。


 スマホの時計を見れば時間は分かる。だが、それがこの世界の夜明けまでどれくらいかとはつながらない。空の明るさも、魔導灯の減り方も、聞いたことのない単位も、全部が少しずつ不便だった。


 恵依は長椅子に座ったまま、こめかみに手を添えていた。


 ゲブの白銅の魔素が薄く彼女の周囲を流れている。頭痛は少し落ち着いたようだが、まだ顔色は戻りきっていない。それでも、恵依は管理人の言葉を聞き逃さず、確認するように視線を上げた。


「こちらの時間単位も確認が必要ですね」


「やること増えすぎ」


 卓斗が呟くと、絵麻が隣の長椅子で疲れた声を出した。


「文字も読めない。時間も分からない。帰り方も未確定。普通に詰んでるわね」


「そこまで綺麗に並べるな。心が折れる」


「折れても状況は変わらないでしょ」


「西野、現実の出し方が毎回強いんだよ」


 絵麻は足元を見たまま肩をすくめた。


 空間魔素を連続で使った反動は、まだ残っているらしい。座っていても、身体が自分の位置を少し疑っているようで、片手で長椅子の端を掴んでいた。ラールはその横で小さくなり、絵麻の様子をちらちら見ている。


 警備兵は入口の小窓から外を見張っていた。


 扉の前には、さきほどまでと違う緊張がある。魔獣に備える緊張ではない。王都から確認役が来る。しかも第六騎士団に連絡が回った。中継地点の者たちにとっても、それはただの巡回とは違う出来事らしかった。


 卓斗は警備兵の背中を見て、管理人へ視線を戻した。


「で、その第六騎士団って何? 名前の響きだけで面倒そうなんだけど」


 警備兵が小窓から目を離さずに答えた。


「王国直属の騎士団の一つだ。通常の街道警備では扱えない事案を確認する」


「通常じゃない扱い、もう確定?」


 卓斗が顔をしかめると、管理人が深く息を吐いた。


「竜精霊様三柱と契約者三名が現れ、結界異常と大型魔獣が重なった。通常であるはずがない」


「正論が重い」


 卓斗は背もたれに沈んだ。


 ティナ、ゲブ、ラールがただの小さな少女に見えないことは、ここに来てから嫌というほど分かった。王国の伝承に残る竜精霊。フィオラの契約精霊。そこへ、日本から連れて来られた契約者三人と結界異常が重なっている。普通に考えても面倒事の塊だった。


 恵依は管理人の説明を受け、冷静に続けた。


「複数の騎士団があるのですね」


「そうだ。第一騎士団は王城と王都防衛の中心。第二騎士団は街道や周辺警備にも関わる。ほかにも役割ごとに分かれている」


 管理人は言葉を選びながら説明した。


 卓斗たちが異世界の文字も制度も知らないことを、彼はもう理解している。だから、難しい役職名を並べるのではなく、中継地点の者にも説明できる範囲へ落としていた。


「第六騎士団は、古い伝承、魔素異常、契約や竜精霊様に関わる事案など、通常の警備では判断できないものを扱うことが多い」


「特殊案件担当みたいな?」


「その言い方が正確かは分からんが、近い」


「やっぱり面倒そう」


 卓斗がそう言うと、ティナが長椅子の横で腕を組んだ。


「面倒で済むならいい方ね」


「もっと嫌な言い方ある?」


「王国があなたたちをどう扱うか、ここから分かるということよ」


 卓斗は黙った。


 保護対象。そう報告では呼ばれている。だが、保護という言葉が安全と同じとは限らない。相手が国の組織なら、優しい顔で囲まれても、帰れない場所へ運ばれればそれは拘束と変わらない。


「保護って言っても、向こうが勝手に決めたら拘束と何が違うんだよ」


 卓斗が低く言うと、恵依がすぐに反応した。


「そこは確認が必要です。私たちの意思、帰還希望、契約経緯は最初に伝えるべきです」


 絵麻も椅子の上で体勢を変え、会話へ入った。


「あと、三人を別々にしないこと。変に分けられて話を作られたら困る」


「西野、その警戒は助かる」


「助けてるつもりじゃない。私も困るから言ってるだけ」


「そういうとこブレないな」


 卓斗は少しだけ息を吐いた。


 ただ、絵麻の警戒は正しい。ここに来てから、三人は別々に事情を聞かれていない。だから認識を合わせられている。もし王都側が別々に事情を聞き、それぞれの言葉を都合よく切り取れば、巻き込まれた側という前提が薄まるかもしれない。


 恵依は膝の上で手を組み、確認役へ伝えるべきことを整理し始めた。


「確認役が来たら、最初にこちらの前提を揃えます。私たちは保護される側であって、所有される側ではありません」


「言い方が強いけど、めっちゃ大事」


 卓斗は頷いた。


 恵依の言葉は硬い。けれど、その硬さが今は頼りになる。感情だけで怒っても流される。だからこそ、最初に言葉を決めておく必要があるのだろう。


 絵麻もすぐに続けた。


「それ、最初に言って。後から言うと流される」


 ゲブは恵依の隣で丁寧に声を添えた。


「流川様、その整理は妥当と思われます。記録される最初の前提は、後の判断に影響する可能性があります」


 ティナも静かに頷いた。


「言いたいことがあるなら、最初に言いなさい。王国側は記録を重視するわ」


「お前がそれ言うの、ちょっと腹立つな」


「事実よ」


 卓斗は言い返そうとして、やめた。


 腹は立つが、ティナの言う通りでもある。今この中継地点でも、管理人は記録を重視している。文字が読めない卓斗たちにとって、その記録がどう残るかは、目に見えない拘束にもなり得る。


 恵依は言葉を続けた。


「伝えるべきことは、私たちが日本から来たこと、会話は通じるが文字は読めないこと、契約は十分な納得を伴っていないこと、帰還手段を求めていることです」


 管理人は受付台の向こうで、その内容を聞きながら控え札を見た。


 恵依はさらに、卓斗の右手首へ視線を落とす。


「結界異常については、外部から結界流を引いて沈めた痕跡があること。成瀬くんの魔素は引力と斥力に近いが未制御であり、外部干渉の残留魔素とは一致しないこと。ここも分けて伝える必要があります」


「そこ混ぜられたら、俺が犯人っぽくなるやつだもんな」


 卓斗が言うと、恵依ははっきり頷いた。


「はい。なので、最初に分けます」


「そこは全力でお願いしたい」


 絵麻が少し前へ身を乗り出した。


「それと、三人は竜精霊の付属物じゃない。協力はしたけど、連れて来られた側。そこも入れて」


「入れます」


 恵依は迷わず答えた。


 ラールは絵麻の横で少しだけ肩を落とした。


 自分が絵麻を連れて来た側だということを、何度も突きつけられている。悪気がなかったことと、相手の人生を動かしてしまったことは別だ。ラールはその違いを少しずつ理解し始めていた。


 卓斗はティナへ顔を向けた。


「ティナ、この国って信用していいのか?」


 室内の空気が少し静かになった。


 管理人も、女性職員も、警備兵も、その問いを無視できない。フィリスティア王国に仕える者たちの前で、この国を信用できるかと聞いたのだ。けれど、卓斗には聞く権利があった。


 ティナはすぐには答えなかった。


 白銀の瞳が、壁に飾られた伝承画へ向く。フィオラらしき女性と、三つの竜精霊の紋様。六百年前の記憶と、この国の今が、同じものなのかどうかを測るような沈黙だった。


「フィオラが建てた国よ。少なくとも、彼女の名を大切にしていることは分かるわ」


「それ、信用していい答えじゃなくない?」


「六百年経っているもの。今の王国が、何を最優先にするかは確認する必要があるわ」


「そこは断言しないんだな」


 ティナは卓斗を見た。


「断言できないことを断言するほど愚かではないわ」


 卓斗は少し驚いた。


 ティナなら、王国はフィオラの国だから大丈夫だと言う可能性もあると思っていた。けれど、彼女はそう言わなかった。フィオラを信じていても、六百年後の王国を無条件には保証しない。その線引きは、卓斗にとって意外だった。


 ゲブが静かに補足した。


「確認できた範囲では、フィリスティア王国はフィオラ様と竜精霊を深く敬っています。ただ、契約者様方をどう扱うかは、王国側の判断を確認する必要があります」


 ラールも小さく口を開いた。


「でも、悪い人たちではないと思うんです。たぶん……」


 絵麻はラールを見る。


 責める目ではない。けれど、甘くもない。


「悪い人じゃなくても、こっちの都合を無視されたら困るの」


 ラールは一度息を呑み、それからゆっくり頷いた。


「……はい。気をつけます」


 絵麻はそれ以上言わなかった。


 ラールが完全に理解したわけではないかもしれない。けれど、善意だけでは足りないと知ろうとしている。その姿勢だけは、絵麻も否定しなかった。


 管理人が受付台の前で、重く頷いた。


「私の権限で、王都の判断を変えることはできん」


 その言葉に、卓斗の肩が少し強張る。


 管理人はそれを見て、続けた。


「だが、この中継地点で記録する内容は、事実に近づける。そなたらの意思も、こちらから送る」


「それ、助かる。いや、まだ全部信用したわけじゃないけど」


「それでいい。初対面の者をすぐ信じる必要はない」


 卓斗は少しだけ口元を緩めた。


「話通じるタイプで助かる」


 管理人は短く息を吐いた。


 警備兵は入口で外を見ながら、わずかに肩の力を抜いた。管理人の言葉は、中継地点の方針でもあるのだろう。王都の命令には従う。だが、目の前の者たちを事実と違う形で差し出すつもりはない。


 少しの沈黙が落ちた。


 卓斗はポケットからスマホを取り出した。画面をつけると、見慣れたロック画面と、無慈悲な圏外表示が出る。バッテリーの残量は少し減っていた。それだけなのに、妙に現実感がある。


「スマホ、まだ圏外。バッテリー減ってるだけ。虚無」


 絵麻が横目で見た。


「見るだけ無駄じゃない?」


「現代人の精神安定剤なんだよ」


 恵依が画面を見て、少し考えた。


「電源は切った方がいいかもしれません。帰還後に必要になる可能性があります」


「帰還後って言葉だけでちょっと救われるな」


 卓斗は苦笑した。


 帰れる保証はない。だが、帰還後という言葉を誰かが使うだけで、まだその可能性を捨てていないと分かる。電源を切るという現実的な判断さえ、帰る未来のための行動になる。


 卓斗はスマホの電源を切った。


 画面が暗くなると、急に日本とのつながりが一つ消えたような気がした。けれど、無駄に減っていくバッテリーを見るよりはましだった。ポケットへ戻す時、右手首の契約紋が布に擦れ、微かな熱を思い出させた。


 その時、女性職員が結界札を見て顔を上げた。


「管理人、王都方面の第三灯が、また落ちています」


 室内の緩んだ空気が、すぐに戻った。


 管理人が受付台へ歩き、結界札を覗き込む。警備兵も入口から半歩だけ離れ、女性職員の声へ反応した。恵依は頭痛を押さえながらも、結界札の方へ視線を向ける。


「第三灯……ここから二つ先の結界杭か」


 管理人の声は低い。


 中継地点の周囲は一時的に安定した。だが、王都方面へ続く結界線まで完全に戻ったわけではない。遠くの灯りが弱く揺れていたことは、卓斗も見ている。


 恵依はゆっくり立ち上がろうとした。


 ゲブがすぐに横から支える。


「同じ沈み方ですか?」


 女性職員は札の光を見つめ、唇を噛んだ。


「完全には分かりません。ただ、灯りの戻りが遅いです。先ほどの外側から沈められた箇所と、反応の遅れ方が似ています」


「嫌な予感しかしない」


 卓斗は思わず呟いた。


 絵麻も顔をしかめる。


「確認役が来る前に、また魔獣とか言わないでよ」


「外部調査は中止だ。王都からの指示も出ている」


 管理人は即座に言った。


 その判断は早かった。さっきなら、恵依が必要情報を取るために外へ出ると言ったかもしれない。だが今は全員消耗している。ここで無理に外へ出れば、次は守りきれない可能性がある。


 恵依も無理をしなかった。


「中へ留まるべきです。第三灯の異常は、到着する確認役へ伝える情報として記録してください」


 管理人は頷き、女性職員へ指示を出した。


 女性職員が結界札の反応を書き留める。卓斗には当然読めないが、その動きがまた記録になっていくのは分かった。自分たちの意思、魔獣の襲撃、卓斗の魔素、遠くの結界灯。全部が王国へ向かう情報になっている。


 ティナは扉の方へ目を向けた。


 白銀の瞳が、外の気配を拾っている。卓斗にはまだ何も聞こえない。だが、ティナの反応に気づいたゲブが顔を上げ、ラールも背筋を伸ばした。


 警備兵が入口の小窓へ顔を寄せた。


 彼の肩が少し強張る。


「王都方面、灯りが三つ。速い」


 管理人が結界札を置き、扉へ向かった。


「確認役だ。予定より早い」


 卓斗は右手首を押さえたまま、長椅子から腰を浮かせた。


 反射的に立ち上がろうとしたのだ。知らない相手が来る。王国の本隊が来る。そう思うと、座ったまま迎えることに落ち着かなさを感じた。


 だが、恵依がすぐに視線で止めた。


「座ったままでいいです。こちらは保護対象です。無理に整列する必要はありません」


「それ、なんか強いな」


「最初の位置取りは大事です」


 恵依はそう言って、自分も無理に立たなかった。


 絵麻も座ったまま、ラールへ小さく声をかけた。


「ラール、慌てて前に出ない」


「はい」


 ラールは膝の上で手を握り、しっかり頷いた。


 ティナとゲブは卓斗たちの近くに立ったままだった。竜精霊として前に出ることもできる。けれど、今は契約者三人の意思を消さない位置にいる。卓斗はその距離に気づき、少しだけ息を整えた。


 外で馬蹄の音が止まった。


 続いて、金具の鳴る音がする。誰かが馬から降りたのだろう。複数の足音が、扉の前で止まる。魔獣の爪音とは違う。人の足音。訓練された、迷いの少ない歩き方だった。


 管理人が扉の内側で名乗りを待った。


 警備兵は槍を下げすぎず、しかし敵意を見せない高さで構える。女性職員は結界札を抱えたまま、受付台の横へ下がった。室内の全員の視線が、扉へ集まる。


 扉の向こうから、低い声が響いた。


「王都確認役。第六騎士団より派遣された。中の状況を確認する」


 卓斗は右手首の熱を感じながら、閉じた扉を見た。


 この世界に来てから、初めて王国の本隊が目の前に現れようとしていた。




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