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第一章 13 『契約者三人』



 王都からの返信が届いたあと、中継地点の中はさらに慌ただしくなった。


 管理人は報告札の控えを机の上に並べ、女性職員は結界管理用の地図へ小さな石を置き直している。入口の警備兵は外の草むらと室内の六人を交互に見ていた。竜精霊三人と契約者三人を保護対象として留める、という王都からの指示は出たが、それで現場の緊張が消えるわけではなかった。


 成瀬卓斗は長椅子へ深く座り、天井近くの魔導灯を見上げた。


 光は柔らかい。電灯より目に優しいが、今の卓斗にはありがたみよりも疲労の方が強かった。放課後に牛乳を買って帰るだけだったはずの日常は、強制契約、異世界転移、魔獣、結界異常、竜精霊、王都報告へと意味不明な方向へ積み上がっている。


「保護対象、確認役、第六騎士団。今日一日で知らない単語増えすぎなんだが」


 卓斗がぼやくと、壁の地図を見ていた流川恵依が視線を戻した。


 恵依は疲れていないわけではない。さっきから時折、こめかみのあたりへ指を添えている。だが、その目はまだ状況の整理をやめていなかった。


「整理する必要があります」


「流川、異世界来ても会議始めるタイプか」


「必要です」


 西野絵麻は、入口と奥の扉を確認してから腕を組み直した。


 彼女は警戒を解いていない。座ることもできるのに、まだ立ったままだ。ラールがその横で落ち着かない様子で揺れているため、絵麻は時々その動きも目で止めていた。


「整理したところで、納得できるとは限らないけどね」


「西野、そこだけはめちゃくちゃ同意」


 卓斗は長椅子の背にもたれたまま答えた。


 ティナは少し離れた壁際で、フィオラの絵を見ている。ゲブは恵依の近くで白銅の魔素を弱く巡らせ、恵依の負荷を確認しているようだった。ラールは絵麻のそばから離れず、言いたいことがあるように口を開きかけては、絵麻の横顔を見て閉じている。


 恵依は卓斗と絵麻の位置を確認し、長椅子の前に立った。


「成瀬くん、西野さん。王都の確認役が来る前に、私たち三人の認識を合わせた方がいいと思います」


「やっぱり会議だ」


「向こうにバラバラに聞かれて、話が食い違うと面倒だし、それは分かるわ」


 絵麻は不満そうではあったが、恵依の提案そのものは否定しなかった。


 卓斗はその反応に少し意外そうに目を向けた。絵麻は感情で噛みつくタイプに見えるが、必要な話まで拒否するほど雑ではないらしい。刺々しいだけで、判断そのものはかなり現実的だった。


「西野、こういう時めっちゃ現実的だな」


「今さら感情だけで動いても余計面倒になるでしょ」


「それもそう」


 卓斗は起き上がり、肘を膝へ置いた。


 管理人たちは少し離れた机で作業を続けている。完全な個室ではないが、王都確認役が来る前に自分たちの立場を合わせるには十分だった。竜精霊たちも会話を聞ける距離にいるが、今の主役は契約者三人だった。


 恵依は声を落としすぎず、しかし管理人たちの作業を邪魔しない程度の音量で話し始めた。


「まず、契約の経緯です。私たちは全員、日本から来ました。全員、竜精霊と契約しています。ただし、納得してこちらへ来たわけではありません」


「そこ大事」


 卓斗は即座に言った。


 右手首の白銀の契約紋が、袖の下で薄く熱を持っている気がする。見なくてもそこにあると分かる。自分の意思とは関係なく刻まれたものだという事実が、ずっと消えない不快感として残っていた。


「俺は拒否した。普通に拒否した。なのに契約された」


 卓斗の声は軽くなかった。


 ティナの方へ視線を向けると、彼女は壁の絵から目を離してこちらを見ていた。反論はしない。だが、その沈黙は謝罪でもなかった。必要だったという言葉を、まだ捨てていない顔だった。


 恵依は卓斗の言葉を受けて、自分の右手首へ視線を落とした。


「私も同じです。説明はありましたが、判断する時間も選択肢も十分ではありませんでした。完全な同意だったとは言えません」


 ゲブの黄色い瞳がわずかに伏せられた。


 ゲブは言い訳を挟まなかった。恵依の言葉を、記録するように静かに受け止めている。丁寧で、慎重で、けれど連れて来た側であることは変わらない。


 絵麻は腕を組んだまま、ラールを横目で見た。


「私も、納得する前に進んだ感じ。ラールは悪気なさそうだったけど、悪気ないからいいって話じゃないし」


「絵麻ちゃん……」


 ラールが小さな声を漏らす。


 絵麻はすぐに厳しい目を向けたが、その声は怒鳴るほどではなかった。責める気持ちはある。それでも、ここでラールが潰れることを望んでいるわけではない。そんな距離感だった。


「泣きそうな顔しない。今は事実確認してるの」


「はいぃ……」


 卓斗は三人の右手首を順番に見た。


 白銀、白銅、白鋼。色は違う。契約した竜精霊も違う。けれど、三人とも同じだ。日本から日常の途中で引き剥がされ、理解する前に契約され、この世界へ連れて来られた。


「つまり、全員巻き込まれた側」


 卓斗がまとめると、恵依が少しだけ頷いた。


「はい。そこは王都側にも正確に伝える必要があります」


「伝わるかは別だけどね。この国、竜精霊をめちゃくちゃ崇めてるみたいだし」


 絵麻が壁の絵を見た。


 フィオラらしき女性と、三つの竜紋。中継地点の管理人たちがあれを祀っている以上、王都でも同じか、それ以上に特別な扱いになるだろう。竜精霊への批判が、そのまま信仰への冒涜として受け取られる可能性もある。


 卓斗はティナを見た。


「この国の人から見たら、ティナたちって英雄側なんだよな」


「はい。ですが、私たちにとっての契約経緯とは別問題です」


 恵依ははっきり言った。


 その言い方は冷静だったが、遠慮はなかった。フィオラや竜精霊がこの国でどれだけ尊い存在でも、契約された本人の意思が無視された事実までは消えない。そこを分けるための言葉だった。


 絵麻もすぐに乗った。


「崇められてるからって、こっちが納得しなきゃいけない理由にはならないでしょ」


「それ。西野、今のめちゃくちゃ正しい」


「今の、じゃなくて基本正しいわよ」


「評価更新しとく」


「何の評価よ」


 絵麻は睨んだが、怒り切ってはいなかった。


 卓斗もそこは踏み込みすぎない。まだ会って間もない相手だ。軽口は出るが、距離を間違えれば本気で面倒になる。今は同じ側にいることを確認する方が大事だった。


 ティナが壁際から口を開いた。


「あなたたちの言い分が間違っているとは言わないわ」


 卓斗はすぐに視線を向けた。


「じゃあ最初からやるな」


「それでも、必要だったのよ」


「その必要だったで全部通すの、ほんと最悪」


 ティナは黙った。


 謝らない。言い訳もしない。ただ、卓斗の怒りを否定しない。その態度が、逆に卓斗の中のもやもやを残した。悪いことをした自覚があるのかないのか、判断しづらい。


 ゲブが恵依の横で静かに頭を下げた。


「説明不足と意思確認不足は事実です。流川様には、改めて謝罪します」


「謝罪は受け取ります。ただし、それで納得したわけではありません」


「承知しました」


 ゲブの返答は丁寧だった。


 恵依も、感情的に突き放すわけではない。謝罪は受け取る。だが、それで帳消しにはしない。卓斗はその線引きの明確さに、少しだけ感心した。


 ラールは絵麻の前へ一歩出た。


 小さな手を胸の前で握り、オレンジ色の髪を揺らしながら頭を下げる。勢いだけで喋り出しそうな彼女にしては、今度は言葉を選ぼうとしていた。


「絵麻ちゃん、ごめんなさい……」


 絵麻は少しの間、ラールを見下ろした。


 すぐ許すとは言わない。かといって、突き放しもしない。絵麻は息を吐き、目線を少し横へ逃がした。


「謝れば済む話じゃない。でも、今ここで泣かれても困るから、顔上げて」


「はいぃ……」


「あと、次から勝手に話を進めない」


「はいっ」


「はいっ、じゃなくて、本当に止まって」


「はいぃ……」


 卓斗はそのやり取りを見ながら、絵麻の印象をまた少し修正した。


 気が強い。刺々しい。初対面には容赦がない。けれど、相手が弱っているところを無意味に殴り続けるタイプではない。ラールを責めながらも、ちゃんと立たせようとしている。


 恵依は三人の反応を見届けてから、次の話へ移った。


「帰還手段についても、確認しておくべきです」


「俺は帰る方法を探す。これは変わらない」


 卓斗は即答した。


 この世界に来た理由は自分の意思ではない。フィオラの復活も、分霊石集めも、今の卓斗にはまだ自分の目的ではない。帰る方法を探す。それだけは、最初からずっと変わらない。


 恵依も落ち着いた声で続けた。


「私も帰還手段の確認は必要だと思います。契約解除の可否も含めて」


「当たり前でしょ。こっちで一生やっていくとか、勝手に決められてたまるもんですか」


 絵麻の声には、明確な拒否があった。


 卓斗はその反応に軽く頷く。


「よし、そこは全員一致」


 ティナの白銀の瞳がわずかに動いた。


 ゲブは恵依の言葉を受け止め、ラールは絵麻の横で申し訳なさそうにしている。竜精霊三人にとっては、契約者が帰還を望むことも予想内だったのだろう。だが、正面から三人揃って言われると、無視はできない。


 恵依は続けて、外の結界杭が描かれた地図へ視線を向けた。


「ただし、帰還手段を探すことと、目の前の危険を放置しないことは両立できます」


「出た。流川の現実路線」


 卓斗は嫌そうに言ったが、完全には否定できなかった。


 結界が弱れば、魔獣が中継地点に近づく。さっきから何度も、その危険は見ている。自分たちは巻き込まれた側だ。だが、見たものをなかったことにして寝るには、外の闇が近すぎた。


「俺ら、巻き込まれた側なんだけどな」


「はい。ただ、結界が崩れれば、この中継地点の人たちにも被害が出ます」


 恵依は壁際で地図を確認している女性職員を見た。


 彼女は王都への報告後も、結界札を握って外の反応を追っている。警備兵も入口を離れない。管理人も記録を続けている。中継地点にいる人間たちは、この場所を守るために動いていた。


 絵麻も外の窓へ目を向けた。


「見た以上、無関係ですって顔で寝るのも気分悪いわね」


「西野、意外とそういうとこ真っ直ぐだな」


「意外って何よ」


「いや、褒めてる」


「下手」


「はい」


 卓斗はそれ以上言わなかった。


 からかうには少しだけ早い。だが、絵麻のその言葉には本音があった。帰りたい。納得していない。それでも、目の前で誰かが危なくなると分かっていて背を向けるのは気分が悪い。その感覚は、卓斗にも分かった。


 恵依は三人の言葉を拾い、淡々と整理した。


「暫定的な方針をまとめます。帰還手段の確認、契約解除の可否、契約経緯の正確な申告、結界異常への協力。この四つです」


「流川、議事録の才能ありすぎ」


「必要な整理です」


「でも、それくらい決めとかないと、また勝手に話進められるでしょ」


 絵麻は竜精霊三人へ視線を向けた。


 その視線は特にティナとラールへ強く向いている。ゲブは説明不足を認めているが、だからといって無条件に信用できるわけではない。三人とも、契約者側とは別の目的を持っている。


 卓斗は長椅子から立ち上がった。


 床の石が靴の下で硬く鳴る。入口の警備兵が一瞬こちらを見たが、卓斗が移動せず、その場で立つだけだと分かると視線を戻した。


「一個だけはっきりさせとく。俺ら抜きで勝手に決めるな」


 卓斗はティナたちへ向けて言った。


 軽口ではなかった。


 ティナが契約を強行した時、卓斗の人生は勝手に動かされた。恵依も、絵麻も同じだ。これ以上、必要だったという言葉だけで進められるのはごめんだった。


 恵依も卓斗の横に立った。


「必要な情報は事前に共有してください。判断する時間も必要です」


 絵麻は少し遅れて、二人と並ぶ位置へ来た。


「あと、必要だったで押し切るの禁止」


 ラールがびくっと肩を揺らした。


 ゲブは静かに頷いた。


「妥当な要求だと思われます」


「はいっ、気をつけます!」


 ラールが勢いよく言うと、絵麻がすぐに釘を刺した。


「気をつけるだけじゃなくて、実際に止まって」


「はいぃ……」


 ティナはすぐには頷かなかった。


 白銀の瞳で卓斗たち三人を見る。小さな姿なのに、その沈黙は重い。フィオラを復活させたいという目的は変わっていない。だが、契約者三人が同じ側に立って条件を出した以上、以前のように一方的には進めにくいはずだった。


「……分かったわ。可能な範囲では、先に話す」


 卓斗は即座に眉を上げた。


「可能な範囲って言ったな。今、逃げ道作ったな」


「全部を先に話せるとは限らないもの」


「信用が積み上がらないタイプの返答」


「嘘よりはましでしょう」


「そういう問題じゃないんだよ」


 完全な約束にはならなかった。


 けれど、ゼロでもない。少なくとも、ティナは聞いた。ゲブは妥当だと認めた。ラールは勢いだけでも止まろうとした。卓斗は、それを最低ラインとして受け取るしかなかった。


 恵依は、竜精霊たちの反応を確認してから小さく息を吐いた。


「王都の確認役にも、今の方針を伝えるべきです」


「また議事録増えたな」


「必要です」


「知ってた」


 卓斗が肩をすくめた時、外の結界杭の光が大きく揺れた。


 部屋の中にいた全員が、ほぼ同時に反応した。入口の警備兵が槍を握り直し、女性職員が結界札を持って窓へ駆け寄る。管理人は机に置いた地図へ目を落とし、そこに置かれた石の光が一つずつ沈んでいくのを見た。


 恵依の顔色が変わった。


「今、外側の流れが沈みました」


 ゲブの黄色い瞳が強く光る。


「確認しました。先ほどより広い範囲です」


 女性職員が窓の外を見て、息を呑んだ。


「そんな……中継所の内側近くまで?」


 卓斗は、今話していた方針が一瞬で現実に引き戻されるのを感じた。


 帰る方法を探す。


 契約解除も確認する。


 勝手に役割を決めさせない。


 その三つは、三人で共有できた。


 けれど、窓の外で揺れた結界杭の光は、その整理を待ってくれなかった。


 ゲブの黄色い瞳が、外側の闇へ向く。


「魔素流の沈みが広がっています」


 女性職員の顔色がさらに悪くなった。


「この範囲だと、外側の杭だけじゃない。中継所周りの補助線まで……」


 卓斗は、窓の外の暗がりを見た。


 魔導灯の光が戻り切らないまま、草むらの輪郭だけが黒く沈んでいる。今すぐ何かが飛び込んでくる気配はない。だが、結界そのものが弱っているなら、次にどうなるかは分からなかった。


「……会議してる場合じゃなくなってきた感じ?」


 卓斗の呟きに、誰もすぐには否定しなかった。





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