第一章 11 『異世界人との初対面』
石造りの中継地点の扉が、重い音を立てて開いた。
内側から漏れた魔導灯の光が、夜へ傾き始めた街道へ細く伸びる。扉の向こうには、革鎧を着た男が立っていた。年は二十代後半から三十代前半ほどで、片手には短い槍を持ち、もう片方の手は扉の縁を掴んでいる。
男は、最初に成瀬卓斗たち三人を見た。
次に、ティナ、ゲブ、ラールを見た。
そして、最後に六人まとめて見直した。
その顔から、警戒より先に困惑が出た。無理もない、と卓斗は思った。現代日本の高校生らしい服装をした三人と、小さな少女にしか見えない竜精霊が三人。しかも、その背後には弱った結界杭と、魔獣が近づいていた草むらがある。
「……止まれ。そこで動くな」
男は槍を構えた。
穂先はまっすぐ卓斗たちへ向いている。だが、突き出す距離ではない。警告と確認の間に置かれた構えだった。相手も、子どもを含む六人へいきなり斬りかかるつもりはないらしい。
「開幕それ? まあ、見た目怪しいのは分かるけど」
卓斗が思わず言うと、隣の流川恵依がすぐ小声で止めた。
「成瀬くん、刺激しないでください」
「今のは刺激じゃなくて感想」
「感想も刺激になります」
「異世界、感想にも厳しい」
卓斗は両手を少しだけ上げた。
会話は通じる。警備兵の言葉も、こちらの言葉も、なぜか自然に意味が通る。だが、槍を向けられながらの初対面は、通訳機能があっても普通に嫌だった。
ティナは卓斗の横で、まるで槍など気にしていないように立っていた。
「動かなければ刺されないわ」
「安心材料の出し方が下手」
「あなたが余計なことを言わなければいいだけよ」
「俺のせいにするの早いな」
警備兵の目が、ティナへ止まった。
白銀の髪。赤いインナーカラー。白銀の瞳。小さな少女にしか見えない姿なのに、周囲の空気だけが違う。魔導灯の明かりを受けた白銀の魔素が、彼女の輪郭に薄くまとわりついていた。
続いて、警備兵はゲブとラールを見た。
水色のお下げ髪に黄色い瞳のゲブ。オレンジ色の髪を魔法少女のように結ったラール。三人の小さな姿は、人間の子どもに似ている。けれど、それぞれの周囲に漂う白銀、白銅、白鋼の魔素は、ただの人間とは明らかに違っていた。
「その子たちは……いや、まさか」
警備兵の声がかすれた。
槍の穂先はまだ下がっていない。だが、その目に先ほどとは違う色が混じった。警戒だけではない。驚愕。信じがたさ。さらに、その奥に、伝承を目の当たりにした者のような畏れがあった。
「白銀……白銅……白鋼……」
警備兵は、三つの色を確かめるように呟いた。
卓斗はその反応を見て、少しだけ眉を寄せた。ティナたちがただの竜精霊ではなく、この国では有名な存在なのだろうということは分かる。だが、槍を向けたまま驚かれても、こちらとしてはどう対応すればいいのか分からない。
ティナは一歩も動かずに告げた。
「竜精霊よ」
警備兵の喉が上下した。
「冗談で名乗る名ではない」
「冗談で済むなら俺もそうしてほしい」
卓斗が小さく言うと、ゲブが丁寧に補足した。
「確認できた範囲では、冗談ではありません」
「ゲブ、そこ丁寧に補足しなくていい」
「あ、あのっ、私たち本当に竜精霊です!」
ラールが勢いよく名乗りかけた。
その瞬間、西野絵麻がラールの肩を掴んで止める。ラールはびくっと肩を跳ねさせ、口を両手で押さえた。勢いでさらに余計なことまで言いそうだったのを、絵麻が見事に遮った形だった。
「ラール、そこで元気に名乗ると余計怪しい」
「す、すみません……でも本当なので……」
「本当でも言い方があるでしょ」
警備兵は混乱した目でラールを見た。
その表情には、偽物を疑う警戒と、本物かもしれないという畏敬が同時にある。卓斗は、それがかえって厄介だと感じた。単に不審者として扱われるなら説明すればいい。だが、伝説の存在かもしれないと思われた瞬間、話は急に大きくなる。
恵依が一歩だけ前へ出た。
ただし、警備兵へ近づきすぎない。手は見える位置に置き、敵意がないことを示す。彼女の動きは慎重で、相手の警戒を増やさない距離をちゃんと選んでいた。
「まず、結界杭について報告があります。街道外側の数箇所で、魔素流が途切れています」
警備兵の視線が恵依へ移った。
「なぜ、それを知っている」
「確認しました。文字は読めませんが、魔素の流れは見えます」
「文字が読めない?」
警備兵の警戒が、少し別方向へ変わった。
竜精霊らしき存在への畏れとは別に、目の前の少年少女がどこの者なのか分からないという問題が浮かんだのだろう。卓斗は内心で、来た、と感じた。身分確認。現代日本でも異世界でも、身元不明はだいたい面倒になる。
「所属を言え。どこの街の者だ」
警備兵が問いかける。
卓斗は一瞬だけ恵依を見た。日本、と答えるしかない。だが、それで通じるとは思えなかった。少なくとも、この世界の街や国の名前として受け取ってもらえる可能性は低い。
「日本……って言って通じる?」
卓斗が正直に聞くと、警備兵は眉をひそめた。
「聞いたことがない」
「だよな。俺もこの世界の地名、一個も分からん」
「成瀬くん」
恵依の声が少しだけ強くなる。
卓斗は口を閉じた。余計なことを言っている自覚はある。だが、言わないとやっていられない気持ちもあった。
恵依は警備兵へ向き直り、できるだけ受け取られやすい言葉を選んだ。
「私たちは、この世界の外から来た可能性があります。詳細は説明できますが、まず結界異常の確認を優先してください」
「可能性じゃなくて、連れて来られたんだけど」
絵麻が横から低く言った。
恵依は絵麻の方へ視線を向けたが、責めるような目ではなかった。言い分は分かる。けれど、今は相手が受け取れる形にしなければならない。そう伝えるような静かな視線だった。
「西野さん、今は相手が受け取れる形にしましょう」
「……分かってるわよ」
絵麻は不満そうにしながらも引いた。
警備兵は、卓斗たちと竜精霊三人を交互に見た。信じるには突飛すぎる。だが、目の前にある魔素の色と、結界異常の報告は無視できない。そういう迷いが顔に出ていた。
中継地点の奥から、別の足音が近づいた。
「どうした、騒ぎか」
低い声とともに、年配の男が扉の奥から顔を出した。
白髪混じりの短い髪に、厚手の作業服。腰には小さな札束と鍵が下がっている。警備兵ほど武装していないが、ただの旅人ではない。中継地点の管理人、あるいは結界担当者に見えた。
年配の男は、まず警備兵の槍を見た。
次に、卓斗たちを見た。
そして、ティナたち三人を見た瞬間、息を止めた。
「……建国の、竜精霊様?」
その声は、警戒ではなかった。
驚きと畏怖が混じった声だった。男の視線はティナの白銀から、ゲブの白銅、ラールの白鋼へ順に移る。まるで、子どもの頃から聞かされてきた伝承の絵が、目の前に立っているかどうかを確かめているようだった。
卓斗は、思わずティナを横目で見た。
ティナは特に得意げでもなく、面倒そうでもなく、ただ当然のように立っている。だが、卓斗はその時初めて、ティナたちがこの国でどういう扱いなのかを現実として見た。
フィオラは、この国の建国者で、世界を救った英雄。
その契約精霊だったティナ、ゲブ、ラールも、同じように崇められている。
ティナから聞かされていた話が、王国側の反応で輪郭を持った。
「確認は後でいいわ」
ティナが静かに言った。
年配の男は、その声だけで背筋を伸ばした。
「結界杭が乱れている。外側から削られた可能性があるわ。今は、そちらを見なさい」
警備兵と年配の男の表情が変わった。
竜精霊への畏敬は残ったままだが、職務の顔に戻る。街道の結界は、中継地点にとって命綱なのだろう。卓斗たちが誰かという問題より、今は結界が破られかけている可能性の方が急を要する。
「結界札を持ってこい」
年配の男が奥へ声をかけた。
警備兵は槍を構えたまま、扉の横へ半歩ずれた。警戒は解いていない。だが、こちらを追い返すつもりもないらしい。卓斗は、その中途半端な状態が一番胃に悪いと思った。
奥から若い女性職員が走ってきた。
手には木板のような札と、細い金属の棒を持っている。札には読めない文字が刻まれており、細い魔導灯の光に反応して淡く光っていた。彼女は年配の男に札を渡すと、すぐ結界杭の方へ目を向けた。
「どこですか」
恵依が結界杭の列を示した。
「街道外側、右手の二本目から三本目にかけて流れが沈んでいます。左前方にも、一時的に途切れた箇所があります」
女性職員は恵依の言葉を聞き、警戒と驚きを同時に浮かべた。
「あなた、結界文を読めるの?」
「読めません。流れを見ています」
「読めずに分かるの……?」
「完全ではありません。ゲブが補助しています」
ゲブが前へ出た。
水色のお下げ髪が揺れ、白銅の魔素が結界杭へ細く伸びる。黄色がかった光は、石柱に刻まれた読めない文字の上をなぞり、途切れた部分でわずかに沈んだ。
「確認できた範囲では、街道外側の三箇所で魔素流が沈んでいます」
女性職員は結界札をかざした。
札の表面に刻まれた文字が淡く光り、結界杭の光と反応する。だが、ゲブが示した箇所だけ、反応が遅れた。光が戻るまでに小さな空白が生まれる。
「……確かに、灯りの戻りが遅い。今朝の巡回時より薄い」
年配の男の顔が厳しくなる。
「外側からか?」
「断言はできません。ただ、自然劣化なら全体が薄くなるはずです。この乱れ方は局所的です」
恵依が答えた。
警備兵は、その説明を聞きながら卓斗たちへの警戒を完全には解いていなかった。だが、槍の向きは少し下がった。少なくとも、結界異常の報告が嘘ではないことは認めたようだった。
卓斗は小さく息を吐いた。
「流川とゲブ、だいぶ信用獲得が早いな」
「信用ではありません。事実確認です」
「真面目だな」
「必要なことです」
絵麻は腕を組みながら、周囲を見ていた。
扉、窓、結界杭、警備兵の位置。逃げ道を探しているのだろう。彼女は強気に見えるが、見知らぬ場所で完全に安心するような性格ではない。むしろ、今の状況がどれだけ怪しいかをよく分かっている。
「怪しまれて当然よね。私たち、どう見ても怪しいし」
「西野、そこ冷静なんだな」
「状況くらい分かるわよ」
絵麻は卓斗を睨んだ。
卓斗は両手を軽く上げた。茶化したつもりは少しあるが、本気で感心もしていた。絵麻は感情が前に出るが、判断まで雑なわけではない。
その時、結界の外側で草が鳴った。
警備兵が即座に槍を構え直す。女性職員は結界札を胸元に引き寄せ、年配の男が扉の内側へ一歩下がった。卓斗も反射的に肩を強張らせる。さっきから何度も聞いた、低い位置を這うような気配だった。
「外側に反応!」
警備兵の声が鋭くなる。
ラールが両手を上げかけた。
「ま、守ります!」
絵麻がすぐに止めた。
「ここで変な角度に出さないで!」
「ひゃいっ!」
ラールは出しかけた白鋼の光を慌てて引っ込めた。
ティナがため息をつくように指を動かした。
「下がりなさい」
白銀の光が、結界の薄い箇所だけへ重なった。
空気が見えない板のように硬くなる。草むらの向こうから飛び込もうとした小型の影が、その境目で弾かれた。音は鈍く、草が大きく揺れた。魔獣の姿ははっきり見えなかったが、結界の内側までは入ってこられない。
警備兵は息を呑んだ。
「今の魔素は……」
「白銀よ」
ティナは短く答えた。
年配の男は、扉の縁に手をついたまま、静かに頭を下げかけた。完全な礼ではない。状況が状況なので、職務と畏敬の間で踏みとどまったような動きだった。
「本当に……伝承の竜精霊様なのか」
その呟きに、卓斗は妙な気分になった。
自分にとってティナは、拒否を聞いた上で契約を強行し、異世界へ連れて来た最悪の精霊だ。だが、この国の人間にとっては、建国者フィオラに連なる神話の存在であり、救国の伝承に名を残す竜精霊なのだ。
同じ相手なのに、見え方が違いすぎる。
卓斗は、その差に少しだけ腹の奥が重くなった。
年配の男は警備兵へ目を向けた。
「中へ入れる。ただし、警戒は解くな。王都へ緊急報告を送る」
警備兵は迷ったが、すぐに頷いた。
「了解しました」
年配の男は卓斗たちへ向き直った。
「中へ。勝手に動かないでいただきたい。確認が終わるまで、こちらの指示に従ってもらう」
「歓迎ムードゼロ」
卓斗が呟くと、恵依が横から返した。
「入れてもらえるだけ前進です」
「前向きだな」
「状況判断です」
「流川語だと前向きも状況判断になるのか」
絵麻は扉の中を見た。
「怪しまれて当然でしょ。むしろ、入れてくれるだけマシよ」
「さっきと同じこと言ってるけど、正論なんだよな」
「分かってるなら余計なこと言わない」
「はい」
卓斗は素直に返した。
ここで揉めるのは効率が悪い。相手は王都へ報告すると言っている。竜精霊三人を見て明らかに態度が変わったが、それでも卓斗たちは身元不明のままだ。無駄に挑発すれば、入れる場所もなくなる。
六人は中継地点の中へ入った。
内部は、外から見たよりも狭かった。石造りの床に、木製の長椅子が二つ。壁には読めない文字の札がいくつも貼られ、奥には仮眠室らしき扉がある。受付台のような机の上には、結界管理用の地図と、束ねられた魔導札が置かれていた。
卓斗は周囲を見回した。
「宿というより、交番と休憩所の間みたいだな」
「交番が何かは分かりませんが、街道管理の施設に近いと思われます」
ゲブが丁寧に返す。
「そこ拾わなくていい」
恵依は壁の地図へ視線を向けていた。
地名らしき文字は読めない。道の線や印は分かるが、どこが何なのかは理解できない。恵依は文字を読むことを諦め、魔素の流れが濃い場所や結界杭の印を追って位置を推測しているようだった。
絵麻は入口と奥の扉を確認していた。
ラールは絵麻の少し後ろに隠れるように立っている。ティナは堂々と中央へ立ち、ゲブは恵依のそばで静かに周囲を見ていた。三組の距離感が、それぞれの関係をそのまま表しているようだった。
年配の男は机へ向かい、魔導札を一枚取り上げた。
札の表面に読めない文字を書き込んでいく。卓斗には、何を書いているのかまったく分からない。ただ、筆のような道具の先から淡い光が流れ、文字の形に沿って札へ染み込んでいくのは見えた。
「王都へ報告する。竜精霊三名と、契約者三名が現れたとな」
その言葉で、部屋の空気がまた重くなった。
卓斗は自分の右手首を見た。袖の下にある白銀の契約紋が、わずかに熱を持っている気がする。自分はただ、帰り道を探したいだけだ。契約に納得もしていない。フィオラ復活も、分霊石も、まだ自分の目的ではない。
だが、この世界ではもう、そうは扱われない。
竜精霊三人と契約者三人の出現。
その言葉だけで、卓斗たちは大きな事件の中心に置かれ始めていた。
年配の男が魔導札を机の上の小さな台座へ置いた。
札が淡く光り、細い光の線が壁の魔導具へ流れる。次の瞬間、光は建物の外へ走り、魔導灯の列を越えて、王都の方角へ飛んでいった。
「今の、メールみたいなやつ?」
卓斗が呟くと、ティナが答えた。
「緊急連絡札ね」
「異世界にも通信あるなら、スマホ圏外の虚しさ増すんだけど」
「あなたの板と一緒にしないことね」
「板って言うな。元の世界では最重要インフラなんだよ」
誰も笑わなかった。
中継地点の中では、警備兵が入口を見張り、女性職員が結界札を確認し、年配の男が次の報告札を用意している。恵依は状況を整理し、絵麻は腕を組んだまま黙っている。ラールは不安そうに絵麻を見上げ、ゲブは恵依の負荷を確認していた。
卓斗は、王都へ飛んでいった光を思い出した。
自分たちは、ただ帰り道を探したいだけだ。
だが、この世界ではもう、竜精霊三人と契約者三人の出現として扱われ始めている。
「……これ、絶対面倒になるやつだろ」
卓斗の呟きに、誰も否定しなかった。




