第1話 艶のない世界
見知らぬ街にも、少しずつ慣れてきた。
異世界へ来て三日。
目を覚ました時は何が起きたのか分からなかったが、どうやら本当に元の世界ではないらしい。
石造りの建物。
見たことのない服装。
知らない貨幣。
知らない食べ物。
戸惑うことばかりだった。
それでも一つだけ助かったことがある。
言葉が通じたことだ。
理由は分からない。
なぜ異世界の人間と会話できるのかも分からない。
だが、おかげで宿を取り、食事を買い、何とか生活することができていた。
「考えても分からないことは後回しか」
そう呟いて、リナは市場を歩く。
当面の目標は生活基盤を整えること。
そのためにも、この街を知る必要があった。
市場は活気に満ちていた。
野菜を売る声。
客を呼び込む声。
荷車の音。
異世界とは思えないほど人々の暮らしは普通だ。
そんな中で、リナはふと苦笑した。
「ほんと、治らないなあ」
また人の手を見ていた。
職業病だった。
前の世界でもそうだった。
買い物をしていても。
食事をしていても。
気づけば人の手を見てしまう。
爪の形。
乾燥具合。
指先の状態。
長年の癖は簡単には抜けないらしい。
野菜を並べる女性の手が目に入る。
指先には細かなひびがあった。
よく働いているのだろう。
前の世界なら保湿を勧めたくなるような状態だった。
少し歩けば今度はパン屋の店主がいる。
生地をこね続けているのか、爪の周りが荒れている。
それでも本人は全く気にしていないようだった。
リナは立ち止まることなく歩き続ける。
誰かの手を見るたびに、前の仕事を思い出した。
ネイルサロンで働いていた頃。
初めて来店するお客様は、案外手を隠す人が多かった。
荒れているから。
爪の形が嫌だから。
見られるのが恥ずかしいから。
理由は様々だった。
けれど施術が終わる頃には、多くの人が自分の手を見つめていた。
その表情を見るのが好きだった。
「懐かしいな……」
ぽつりと漏れる。
市場を一回りし、宿へ戻る道を歩く。
途中で井戸の横を通った。
何人かの女性が洗濯物を抱えながら話している。
その横を通り過ぎながら、また手を見てしまう。
本当にどうしようもない。
知らない世界に来ても、自分は自分らしい。
宿へ戻ると、小さな部屋の椅子に腰を下ろした。
窓から夕日が差し込んでいる。
リナは何となく自分の手を見た。
以前ほど整ってはいない。
道具も材料もない。
それでも、この手は覚えている。
人の手を見ること。
そして、その先にいる人を見ることを。
窓の外から市場の賑わいが聞こえてくる。
リナは小さく息を吐いた。
明日もきっと、誰かの手を見てしまうのだろう。
それはネイリストだった頃から変わらない、自分の癖だった。




