第八章 手負い熊
第八章 手負い熊
昨日の夜半から今朝にかけて大雪が降り、ノーチルス村はすっぽりと雪の中に埋れてしまっていた。デボラたちは寒くて寒くて暖炉の前のベストポジションを奪い合っていた。
デボラはフェリックスに言った。
「ねぇ、フェリックス。罠を見てきて。ウサギが掛かってるかもしれない。」
「ええっ、無茶言うなよ!どこに仕掛けたのかも俺は知らないし…!」
「…使えないなぁ。」
肉が食べたいデボラは仕方がないので重い腰を上げ、皮の外套を着込んで、母屋の内開きの扉を開けた。
「…う。」
雪が太腿の辺りまで積もっていた。デボラはフェリックスに言った。
「カンジキはないの?」
「あったような…なかったような?」
「…話にならん。」
(ううう…これをラッセルしながら進むのかぁ…)
デボラはしばし考え込んだ。頭の中で、肉が食べたいデボラと面倒臭いデボラが戦った。その結果…肉が食べたいデボラが勝利した。
デボラが雪の中に足を一歩踏み出すと…
「デボラ、ちょっと待て。俺も行く。その前に…」
フェリックスは家の中からスコップを持って来た。それを見たプリシラは鍋を抱えてすぐにやって来た。フェリックスがスコップで雪をどんどん掬って鍋に入れると、プリシラはその鍋を水瓶に持って行って中に雪を放り込んだ。雪はそのうち溶けて飲み水になる。
「プリシラ、こんなもんか?」
「父ちゃん、いっぱいになったよ。」
これでプリシラは寒い中、雪を水瓶に運ぶという重労働をしなくて済む。
ポールが言った。
「ボクも行くぅ〜〜っ!」
デボラは言った。
「邪魔になるから来るな…お前はお勉強しとけ。」
デボラとフェリックスは交替で雪をラッセルしながら、雪道を進んだ。
「はぁっ、はぁっ…デボラ、替わってくれ…」
「もうちょっと頑張れ。」
「ひいぃぃっ…もう無理だ…!」
「…使えないなぁ。」
二人は山道に入って行き、雪は深さを増した。
「ソリを出さんといかんなぁ。」
「ソリはあるのに…カンジキはないとか、アホかお前。」
「いや、農家の母屋で冬を過ごすのは、今年が初めてで…。小さい頃に使っていたような気はするが…分からん。」
「…う。」
フェリックスは三ヶ月前までは城下町でパン屋をしていた。
カンジキとは木、竹、皮、縄などで作った雪上歩行用の補助器具である。面積を大きくした扁平の器具を靴の底に装着する事によって柔らかい雪の上でも沈まずに歩くことができる。城下町ではソリは使うがカンジキは使わないのだ。
デボラが突然指差した。
「あそこっ!」
「…何だ、何も見えん。」
「枝…あの枝だけ不自然に折れてるだろ?私が折ったんだ。あそこに罠がある。」
「自然とか、不自然とか…判らんよ。」
「見りゃ判る。」
二人は雪を掻き分けながら、枝が折れている木に近づいて行った。デボラが木の下の辺りを探ると、一本の釣り糸を引っ張り出してそれをどんどん手繰った。すると…カチカチに凍ったウサギが釣れた。
「おおっ、肉!」
「おおお…デボラ、やったな!」
「今度はこっち!」
こうして二人は仕掛けた罠を回収していった。成果はウサギが二羽と…何と真っ白なテンが一匹。二人はホクホク顔で山を降りて、村道に戻った。
すると、向こうから馬車がやって来た。
フェリックスが言った。
「デボラ、あれがソリだよ…馬ゾリだ。」
「ふうぅ〜〜ん。」
馬ゾリには村長のアイザックが乗っていた。
「やぁ、お二人さん。こんな雪の日に何してるんだい?」
「はぁ…ちょっと…。」
アイザックはフェリックスがぶら下げているウサギとテンを見た。
「おっ…もしかして、また奥さんが?…良い腕してるねぇ。」
フェリックスは笑っていたが、デボラはブスッとしていた。もしかして…フェリックスはまたウサギ一羽を村長に献上するつもりか⁉︎
村長は言った。
「良かったらそのテン…銀貨一枚で儂に買い取らせてもらえんかな?」
「あっ、それはありがたい…良いですよ。」
フェリックスはデボラに説明して同意を得た。この雪の中、たった一匹のテンのために城下町まで行って、売って帰るのは骨だ。多少安くても村長に売った方が手間が省けるというものだ。フェリックスは村長にテンを渡し銀貨一枚を受け取った。
「で…村長さんはどこに行かれるんです?」
「いやな…また村じゅうに言って回っているんだ。…隣村で人喰い熊が出たんだ。もしかしたらなんだが、そいつがこの村に来ているかも知れん…。」
「…熊は冬眠しているんじゃないんですか?」
「いや、秋頃に隣村でそいつを狩ろうとしたらしい…だが、手負いにしたまま逃がしたらしい…。」
デボラが言った。
「その熊は手負いになって冬眠に失敗したんだ。手負いは凶暴だぞ。そもそも…手負いにして放置って…バカじゃないの。」
「まぁ、デボラの言う通りだ…じゅうぶん気をつけてくれ。」
「…もう来てるよ。」
「何だって…?」
「昨日、罠を仕掛けている時にでかい熊の足跡を見た…多分、熊は2mはある。」
村長は顔色を変えた。
「た…大変だっ!…被害が出る前に、村総出で山狩りをせにゃならんっ‼︎」
日が暮れて…フェリックス一家は少し早い夕飯を食べていた。献立は二羽分のウサギの肉が入ったスープとライ麦パンだ。
フェリックスが椅子から立ち上がって、麻のシャツを重ね着し外套を羽織った。
「それじゃ、行ってくる。」
フェリックスはこれから山狩りに参加する。フェリックスは農作業用の「フォーク」を右手に持った。フォークは長い柄の先に細くて尖った四本の長い突起が付いた農具だ。主に藁草や牧草を運ぶ時に使う。
デボラは自分のナイフの一本をテーブルの上に置いた。
「フェリックス、これ持ってけ。」
「ナイフかぁ…いやぁ…フォークだけでいい。」
フェリックスは戦闘に関しては素人だ。敵を目の前にして、ナイフのような近距離武器よりもフォークのような長物の方が安心するのだ。人喰い熊を相手に短いナイフで戦っている自分の姿など想像もできないし…想像もしたくもない。
「使えないか…使えないなぁ。」
プリシラとポールが気遣った。
「お父ちゃん…気をつけてね。」
「気をつけてね。」
農村であるノーチルス村とは違って、隣の村は山間部にあって、村人の多くが猟師で生計を立てている。なので、村長アイザックは山狩りをして人喰い熊を元いた村へ追い返すつもりだ。追い返した後はその村の猟師たちに任せる…まぁ、それしかない。
夜の八時頃、ダフネはプリシラとポールに「計算」を教えていた。
デボラは十個の小石を持っていた。
「いいかい。『1』と『9』は仲良しさんだ。くっついて『10』になりたがってる。『2』と『8』も仲良しさんだ、くっついたら『10』になる。『3』と『7』、『4』と『6』、『5』と『5』もだ。数字を見たらすぐに仲良しさんの数字を思い出せ。これは足し算と引き算の時に役に立つ。」
デボラは十個の小石から、一個ずつを隣に移動させて説明していた。
「例えばだ。8+4…『8』の仲良しさんは『2』だ。『4』から『2』を持ってきて『10』にしてあげるんだ。すると『10』と余った『2』…答えは『12』だ。」
「おおおおぉ〜〜…!」
ポールが唸った。賢いプリシラは感覚的にすでに理解しているようだ。
デボラは一枚の羊皮紙に一桁の足し算の問題を二十個書いて、二人に渡した。
「やってみ。ポールは小石を使ってみ。」
二人が計算を始めると、デボラはこそこそと厨房に行って、ヤギの乳を湯煎し始めた。
(四杯目、四杯目…セーフ、セーフ。)
すると…
ガタンッ…!
母屋の外で大きな音がした。プリシラとポールはビクッとして…お互い抱き合った。デボラはすぐに皮ベルトを装備し、皮の外套を羽織った。そして…「ウルフノーズ」を発動させた。
(熊の臭いがする…!ここに来ちゃったか‼︎)
バキバキッ…メエエエェ〜〜ッ‼︎
(ああっ…私のヤギさんたちが襲われてるっ!)
「デボラァ〜〜ッ…‼︎」
心細そうなポールの叫び声を半ば無視して、デボラは母屋の扉を開けて外に飛び出した。…が、膝上まで積もった雪に足を取られて、頭から雪に突っ込んだ。
(ぶふっ…!雪か…まずいっ‼︎)
積雪はデボラの斥候としての能力を半減させる。「スピード」あっての斥候だ。「セカンドラッシュ」を発動させたとしても、この深い雪では30cmも移動できない。
(…どうしよう。)
…ンヴエエエェェ〜〜…
ヤギの断末魔が聞こえてきた。
「あああぁ〜〜っ…ヤギさんっ‼︎」
デボラは咄嗟に二本のナイフを抜き…何と母屋を登り始めた。
(うっ…体が重い!)
…運動不足で体が鈍っていた。デボラはイェルマ軍を抜けて以来、罠を仕掛けたり四寸釘を一時間投げる以外は、ほとんど体を動かしていなかった。
豪雪地帯の家屋は雪の重みで潰れる事がないように、屋根を鋭角に作っていて屋根に雪が積っても重力ですぐに落ちるようになっている。フェリックスの母屋も例外ではなかった。なので…傾斜はきついが屋根の上には雪は積もっていない。
デボラは「キャットアイ」を発動させて、屋根を伝ってヤギ小屋の方向に移動した。巨大な熊がヤギの喉を咥えて引き摺っていくのが見えた。その熊の臀部に折れた矢が一本刺さっているのも見えた。この矢が肉に食い込んで、熊がどんなに頑張っても抜けなかったのだろう…そしてそれがずっと激痛を与え、熊を苛み続けたのだろう。
だからと言って…
「許せぇ〜〜んっ‼︎」
デボラは四寸釘を取り出して、巨大熊の目を狙って投げつけた。デボラの手練の四寸釘は目標を違える事なく…巨大熊の顔面に全て命中した。しかし、四寸釘の質量では熊の分厚い皮を貫通させる事はできなかった。
巨大熊が顔をブルブルッと震わせると、かろうじて皮に引っ掛かっていた釘も雪の上に虚しく落ちていった。
それでも、ヤギさんの最期を見たデボラは常軌を逸してしまって、五十本の四寸釘を次から次へと投げ続けた。
グオオオォ〜〜ッ!
突然巨大熊が吠えた。釘の一本が熊の右目に突き刺さったのである。
人間を憎悪し、デボラにさらなる憎悪を募らせた巨大熊は口からヤギを離して、デボラ目掛けて突進した。巨大熊は行く手を邪魔するヤギ小屋を破壊し、両の鉤爪を使って母屋の壁をよじ登り始めた。熊は木登りは得意だ。
デボラと巨大な人喰い熊は屋根の上で対峙した。
「で…でかいな。…でも、ヤギさんの仇だ。おぉし…来いっ‼︎」
デボラの挑発に呼応して、巨大熊は直立して威嚇行動をとった。デボラはその顔に、ありったけの四寸釘を浴びせた。少しは痛いのだろう…巨大熊は前脚で宙を手繰るような仕草をして激しく頭を振っていた。釘が失くなったので、デボラは腰の後ろの二本のナイフを抜いて身構えた。
巨大熊は威嚇行動を止め四足歩行になると、いきなり全力疾走で向かってきた。屋根の瓦板が魚の鱗のようにバリバリと剥がれ、その下の羽目板も熊の重みでギシギシと音を立てた。
デボラは懐から「何か」を取り出して、サイドスローで巨大熊の前脚辺りに投げ付けた。それは巨大熊の前脚二本に絡まった。3mくらいの釣り糸の両端に小さな錘と釣り針をつけた拘束系の「暗器」だ。原理的にはヴィオレッタが考案した対ワイバーン用弩と同じものだ。
前脚を拘束された巨大熊はつんのめって頭から屋根に激突した。そしてその衝撃で脆くなっていた屋根を破壊し、母屋の下に落下していった。
バキバキ…ドドオォ〜〜ン…‼︎
(やったか…?)
そう思った瞬間、デボラの足元も崩れて…デボラも屋根から落下した。幸い、デボラは母屋の太い梁に引っ掛かり墜落は免れた。
下では目標を見失った巨大熊が鼻をクンクン鳴らして右往左往していた。
(あれれ、釣り糸が利いてないっぽい…?)
釣り糸が絡まれば両端の釣り針が肉に食い込んで外れなくなる…はずだった。しかし、巨大熊は多少の痛みを物ともせず、強靭な筋肉と分厚い皮は釣り針をひん曲げた。
動物は「嗅覚の世界」で生きている。しかし、人間は「視覚の世界」で生きている。斥候職の持つスキルには人間の視覚を騙す幻影系のスキルが多い。「シャドウハイド」系スキルと「デコイ」がそうである。これらは…動物、特に嗅覚に優れた犬や熊にはほぼ通用しない。
熊の嗅覚は人間の四万倍と言われている。巨大熊は別の人間の臭いを嗅ぎつけて、子供部屋の扉を前脚の爪でガリガリと壊し始めた。
(あっ!…中にプリシラとポールがいるのか⁉︎あいつら、逃げてなかったのかっ‼︎)
巨大熊が扉を壊すと、果たしてプリシラとポールが抱き合って子供部屋の隅っこにうずくまっていた。プリシラは巨大熊を目の当たりにして絶叫した。
「きゃああああぁ〜〜〜〜っ‼︎」
その悲鳴を聞いて…デボラは咄嗟に安全な梁の上から母屋の床に飛び降りた。
「おい、クマ…お前の相手は私だろ!」
巨大熊は目標を再発見し、デボラ目掛けて突進してきた。デボラは顔面蒼白となった。
(ううっ…どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうし…)
巨大熊の左爪がデボラを襲った。持ち前の天才的な反射神経で、デボラはちょっと体を捻って爪の直撃を回避した。だが、熊の肉球がデボラの側頭部に激突し、デボラは右側に大きく吹っ飛ばされ、床の上を三回転げて意識朦朧となった。
「うううぅ…」
デボラの意識がはっきりした時、目の前には暖炉があった。そしてその上には、火に掛かったままのウサギ肉入りスープの大鍋があった。
巨大熊が目の前に迫って来た。デボラは二本のナイフを大鍋の持ち手に引っ掛け、そのまま熊に投げつけた。巨大熊は熱々のウサギ肉入りスープを鍋もろともに、したたかに顔に浴びた。
「グワアアアァ〜〜ッ!」
巨大熊は両前脚で顔を押さえて咆哮した。
(…今かも!)
デボラは巨大熊の懐に入り込み、深度2の「セカンドラッシュ」を発動させ…二本のナイフで巨大熊の腹を二秒八連撃した。ズタズタになった巨大熊の腹はその場に内臓をぶち撒けた。
(こ…これは致命傷のはず…!)
巨大熊はしばらくもがいていたが…大量に出血して、そのうち動かなくなった。巨大熊は死んだ。
熊が動かなくなったのを見て…プリシラとポールはデボラに全速力で駆け寄って、その足に抱きついた。
「デボラァ〜〜ッ…‼︎」
「こ…怖かったよぉ〜〜…‼︎」
「も…もう大丈夫だ。…人喰い熊はこのデボラが、や、やっつけた…。」
プリシラとポールはデボラのスカートにしがみついてワンワン泣いた。
一時間後、巨大熊の足跡を追って村の山狩り隊がやって来た。
雪の上に無数についた巨大な熊の足跡…そしてフェリックスは一部屋根が崩落した我が家の悲惨な有様に驚いていた。近くで一頭のヤギが寒さに震えて「メェメェ」と鳴いていた。幸いにも生き残ったのは牝ヤギだった。
フェリックスと村人たちは松明を持って雪を掻き分けながら母屋に近づいた。フェリックスはすぐに母屋に飛び込んでいって、暖炉の前で毛布に包まって暖をとる三人を発見した。
「プリシラ、ポール…デボラッ‼︎」
父親の声を聞いたプリシラとポールはすぐにフェリックスの懐に飛び込んだ。
「お父ちゃぁ〜〜んっ‼︎」
デボラはポツリと言った。
「フェリックス、お…遅い。」
「お前たち、大丈夫…うおおっ⁉︎」
フェリックスと村人たちは居間の隅で死んでいる巨大熊を発見して信じられないという顔をした。まずは「でかい!」…そして「誰がどうやって⁉︎」…だ。
フェリックスはプリシラとポールに尋ねた。
「ど…どうやってこんなでっかい熊を…?」
ポールが得意満面に言った。
「デボラだよぉ〜〜っ!デボラが熊をやっつけて、ボクたちを助けてくれたんだよぉ〜〜っ‼︎」
フェリックスはプリシラを見た。プリシラは半べその笑顔で一生懸命頷いていた。
村長がやって来て、フェリックスに言った。
「とりあえず、夜も遅い…。この熊は儂らで片付ける。家、酷くやられたなぁ…フェリックス、今晩どうする、儂の家に来るか?」
「…私とデボラの寝室が無事なので、今晩は四人でそこで寝ます。」
「そうか。それにしても…こんな大きな熊をデボラが…。おっと、詳しい話は明日にしよう。明日すぐにでも、みんなで修理に来るからな。」
フェリックスが村長の耳元でとても小さな声で言った。
「あ…村長さん。外の牡ヤギも引き取ってもらえませんか…?」
「死んだヤギか…まぁ、肉だけで…銅貨八十枚だな。」
「…ありがとうございます。」
ヤギは経済動物だ。いざとなったら殺してその肉を食べたり売ったりせねばならない。しかし、プリシラとポールはまだ幼い…ペットと経済動物の違いを理解できていない。デボラもほぼ子供だ。もし、食卓にヤギさんの肉が乗ってきたらデボラがどんな反応を見せるか…想像するとそら恐ろしい。
村長と村人たちは熊とヤギを馬ゾリに乗せて去って行った。
フェリックスたちは暖炉とお茶でじゅうぶん体を温めると寝室に入った。
フェリックスは言った。
「寝台は二つ…さぁ、どうする?」
すぐにポールが…
「デボラと一緒に寝るぅっ!」
そう言ってデボラの顔を窺った。
「…いいよ。」
「やたぁっ!」
フェリックスはプリシラと…デボラはポールと寝た。
みんなが寝静まってしばらくして…ポールがデボラに小さな声で話し掛けた。
「デボラァ…」
「なに。」
「ぐしししししぃ…デボラのコト、母ちゃんって呼んでいい?」
「…何で。」
「…何ででも…だめぇ?」
「んんん…だめじゃないけど…ま、好きにしろ。」
「やたぁっ!」
ポールは毛布の中で思いっ切りデボラにしがみついた。デボラは鬱陶しく思ったが、それにも増してポールの体温の温もりに心地良さを感じてしまって…二人して微睡んでいった。
フェリックスの寝台の上で…プリシラは二人を羨ましそうに見ていた。
早朝、大勢の村人たちがフェリックスの家に集まって来た。馬ゾリに建築資材を載せている者、大工道具を携えた者など…。そして村の女たちは近くに石で釜戸を組んで野菜スープを作っていた。
職人の大工はいなかったが、足場を組んでみんなは自分勝手にフェリックスの家を修理し始めた。こんな風だから、貧しい農村の家はみなツギハギだらけだ。
デボラは牝ヤギさんの首に抱きついて囁いていた。
「牝ヤギさん…お前の旦那は守れなかった、ごめんよ。」
ヤギさんは嫌がった。
フェリックスが炊き出しから野菜スープとライ麦パンを持ってきて、デボラとプリシラに渡した。
「ありがたいねぇ。…デボラ、こういう事なんだよ。…形は変わったけれど、イノシシ肉が返ってきたじゃないか。」
デボラは無言でライ麦パンを野菜スープに突っ込んで食べていた。
ポールはというと、家族にくっついてやって来た同世代の子供たちに興奮して大声で自慢していた。
「でっけぇ熊だったぁ…それがボクと姉ちゃんに襲ってきてグシャグシャグシャッて!そしたら母ちゃんがシュバシュバシュバッてやっつけたんだ!…ボクの母ちゃんは凄いんだ、何でもできるんだっ‼︎読み書きできるし、強いし…‼︎」
「ポールの母ちゃん、ボーケンシャなのか⁉︎」
「ボーケンシャより強いよっ‼︎」
「騎士様よりもか?」
「騎士サマよりも強いよ…あんな大っきな熊、誰にも倒せないよ⁉︎」
聞き耳を立てていたデボラは…悪い気はしなかった。
村長のアイザックが地ビールの樽を馬車ゾリに積んでやって来て、修理作業をしている村人に振る舞った。
「おはよう、フェリックス。」
「おはよう、村長さん。」
「災難だったなぁ…まあでも、人死にが出なくて良かった。それにしても、ひとりであの熊を倒すなんて…お前の嫁は何者なんだい?冒険者でも傭兵でも…アレは無理だろう…」
「何者かって?俺が知りたいくらいですよ。」
「ははは…そうか。で、だ…あの熊も儂が買い取ろう。熊は毛皮にしろ内臓にしろ…高値で売れるからな。胆嚢が痛んでなかったのがでかい…あれは良い薬になる。お前んとこには銀貨三枚をやろう、それでいいかな。山狩りの連中にも手間賃を出さないといかんしな…」
「それで良いですよ。」
「隣村に迷惑料を請求したいところだが…あっちは四人死んでるからな。勘弁してやってくれ。」
年の功だろうか…村長は意外に物知りだった。
ライ麦パンをかじりながらデボラがやって来た。
「村長、クマ鍋にしたいから、肉くれ。」
「ああ…じゃあ、銀貨二枚と半分にしとくか。」
肉にこだわるデボラだった。




