第七章 買い出しと「読み書き計算」
第七章 買い出しと「読み書き計算」
大循環駅馬車の見物から一週間が経過し、今年も押し迫ってきた。
今日は朝から天気が良かったので、フェリックスはみんなに言った。
「今日は城下町に行って、年越しの買い物に行くか。」
「わあぁ〜〜い!」
プリシラとポールは喜んだ。
「プリシラ…無くなった物、必要な物はあるか?」
「んとねぇ、お塩と石鹸と…ポールの肌着がねぇ、もうボロボロだよ。」
「そうかぁ、ポールの肌着は新調するか…デボラ、何か必要な物はあるかい?」
「暖ったかいトラの毛皮の外套。」
「無理言うなよ…そんなお金、うちにある訳ないだろ…?」
「もっと稼げよ。」
「…。」
毛皮の服なんてものは貴族のお召し物だ。獣の種類によっては軽く金貨が飛んで行く。トラの毛皮…デボラはボタンのマントが羨ましかったのかもしれない。
「その、なんだ…もうその麻のワンピース、汚れているから新しいのを買ってあげるよ。それで勘弁しくれ…」
「…。」
フェリックス一家は馬車に乗って、年越しのための物資を調達するため久しぶりにエステリック城下町を訪れた。これからもっと寒くなり、もっと雪も降る…天気が良いうちに冬籠りのための買い物を済ませておかなくてはならない。
城下町の東門から入ったフェリックスたちは大通りをしばらく走った。
「みんな、ちょっと待っててくれな。」
とある石造りの小さな店先でフェリックスは馬車を停め、降りてその店の固く閉ざされた扉を確認していた。
デボラは言った。
「…何やってんだ?」
プリシラが答えた。
「ここはね、お父ちゃんのパン屋だよ。」
ポールも…
「そうそう、ボクたち三ヶ月前までここに住んでたんだよぉ〜〜。」
「ふぅ〜〜ん…」
フェリックスたちは再び馬車を走らせ、大通りを左に曲がり、少し狭い通りに入っていった。大通りのお店の品物は質は良いがちょっと高い。なので、貧乏人相手に商売をしている…そんなお店が並ぶ通りで買い物をするのである。
近くに馬車を停めて、フェリックスたちはまず雑貨屋に入った。
「らっしゃい。これはフェリックスさん、久しぶりだねぇ。冬支度かい?」
「その通りだ。塩と石鹸をもらおうか。」
雑貨屋の主人は太い棒のような「棒石鹸」を持って来た。主人はナイフで棒石鹸の位置を確かめた。
「…ここでいいかい?」
「そこでいいよ。」
主人はその場所にナイフで傷をつけ、金槌でコンッと叩いて棒石鹸を折った。
「それから…麻縄20mと四寸釘を五十本もらおうか。」
「毎度ありぃ〜〜。」
冬は、雪や風で家屋が痛む。応急処置には麻縄と釘は欠かせない。
デボラが言った。
「釣り糸と釣り針はある?」
「あるよ…こんな時期に川釣りかい?」
「余計な詮索するな。いいからよこせ。」
「…うひゃ。」
フェリックスは雑貨屋の主人に愛想笑いをした。
「いやぁ〜〜…新しい嫁でして、何と言うか…気性がちょっと荒くてね…」
「あははは…お互い嫁には苦労しますな…。」
雑貨屋の主人も愛想笑いをした。
デボラは思った。釣り糸と釣り針があれば便利だ。ちょっとした罠や「暗器」としても使え、その用途は広い。
フェリックスは雑貨屋で件のイノシシの皮を銅貨二十枚で売り、店を出た。
フェリックス一家は、次に古着屋に入った。プリシラとポールは喜んで、色々な古着を見て回っていた。
「父ちゃん、ポールの肌着はこれでいいかな?」
「いいんじゃないか?…デボラもワンピースを選んでいいよ。」
デボラはお店を見て歩いた。そして一着のワンピースの前で止まった。
「これにする。」
「えっ…濃い灰色のワンピース?…なんか喪服っぽいな、良いのかこれで…?それに…デボラにはちょっと大きいんじゃないか?」
「濃い色は暗闇に溶け込む。ダブダブしてた方が…隠しやすい。」
「何を隠すんだよ…。」
さらに…
「この外套も買って。」
「これは…ブタ皮か。まぁ…これならいいか。」
皮の外套…皮鎧や鎖帷子に比べれば、防御性能は格段に低いが…それでもないよりははるかにましだ。
「主人、全部でいくらだ?」
「銀貨二枚と銅貨三十八枚だね…」
(…痛い出費だなぁ…。)
フェリックスがそう思っていると…デボラが古着屋の主人に食いついた。
「おい、誤魔化すなよ…銀貨一枚と銅貨八十一枚だろうが。」
「え…と、そうですかね…あっ、そうですね。失礼しました、こちらの計算間違いでした。」
「どう間違ったら、銅貨五十七枚分も差が出るんだよ…舐めてんのか⁉︎」
「す…すみません。」
フェリックスは驚いていた。
(…デボラって、「計算」ができるのか‼︎)
次にフェリックス一家は粉屋に向かった。
「あれ…閉まってるな。どうしてだろう…」
デボラが言った。
「ここに貼り紙があるじゃん。」
「…それは分かる。」
「…品物が入ってこないので、しばらく閉店します…って書いてある。」
「おおっ!…デボラ、お前、文字が読めるのかっ⁉︎」
「なんで読めないの?」
(俺の嫁は…天才かぁ〜〜っ⁉︎)
貧しい農村では村人のほとんどが「文盲」だ。教育を受ける機会がないからだ。お金がないから子供を学校のような施設に通わせることができない、貴族のように家庭教師も雇えない…それどころか、そんな時間があったら子供に家の仕事を手伝わせる。そうしないと…食べていけないのだ。
フェリックスは興奮していた。
「デボラ、頼むっ!プリシラとポールに『読み書き計算』を教えてやってくれないかっ⁉︎」
フェリックスは「読み書き計算」ができなくて苦労した。パンのレシピがあっても読めず、パンの材料の分量はすべてパン屋の親方の仕草や動きで覚えた。親方の勧めで一度は読み書きの勉強を始めたものの、前妻と結婚しプリシラが産まれると忙しさにかまけて勉強を止めてしまった。
デボラは言った。
「いいよ。そうなると…筆記用具が必要。」
フェリックスたちはすぐに雑貨屋にとって返し、羊皮紙と羽根ペンとインクを買った…これが一番高かった。石板と白墨の方がもっと安上がりなのだが、運悪く品切れだった。
練兵部のイェルメイドは七歳になると「学舎」に入って、三年間「読み書き計算」を覚える。特に、魔導士は魔法書を読むために…そして斥候は情報収集のために、識字能力は絶対不可欠だった。学舎を卒業した後も、出来の悪いデボラは斥候房で無理やり勉強させられた…嫌な思い出だった。
夕食を済ませて、みんなは居間のテーブルに集まっていた。プリシラとポールが凝視する中…デボラは新品のインク壺に新品の羽根ペンを静かに浸した。そして、羊皮紙に「DEBORAH」「PRISCILLA」「PAUL」と書いた。
「いいかい。これが私の名前で、こっちがプリシラの名前、そっちがポールの名前だ。字で書くとこうなる…二人とも自分の名前を十回ずつ書いてみ。」
二人は自分の羽根ペンにインクを付けると…恐る恐る羊皮紙の上にペンを走らせた。
デボラは笑った。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ…ミミズがいっぱいのたくってるぅ〜〜。」
「デボラ、うるさい!…まだ一回目じゃんっ‼︎」
「デボラうるちゃい!」
フェリックスは愉しそうにその様子を見ていた。
(子供たちに俺のような苦労はさせたくない。読み書き計算さえできれば…百姓をしなくても、どこででも仕事にあり付けるだろう…。しかし、デボラは女冒険者か女傭兵かと思っていたが…このデボラの賢さは何だろう、どこで勉強したんだろう?)
ソーサリースクールに通って識字能力を身につける魔道士を除いて、冒険者や傭兵の中にも文盲は多い。ちなみに、フェリックスは冒険者と傭兵の区別が判っていない。
プリシラとポールが必死で羽根ペンと格闘している中、デボラはこそこそと厨房に行き、ピッチャーからコップにヤギの乳を注いで、それを湯煎していた。
フェリックスは思った。
(…四杯までなら許すっ‼︎)
五杯目を飲むとデボラはお腹を壊す。
ヤギの乳を飲み干すと、次にデボラは寝室に入って行った。フェリックスは不審に思ってこっそり寝室の中を覗いてみると…デボラは新しく買ってもらった濃い灰色のワンピースと茶色の皮の外套を着て、くるっと回ったりポーズをとったりして、ひとり悦に入っていた。
(…デボラも普通の女だったのか。)
次の日、朝起きたデボラはいつものワンピースを着て寝室から出てきた。先に起きて暖炉に火を入れていたフェリックスは言った。
「デボラ、新しいワンピースを着ればいいのに…。」
「いや、破れるまでこれを着とく。それより、板切れはない?」
「薪を積んでるところにたくさんあるぞ。」
「少しもらう。」
農家では家屋が壊れたときの応急処置のために、板材と釘は常備している。
外から一枚の板材を持って来たデボラは暖炉の前で胡座をかいて、その板材をナイフで削り始めた。
寝ぼけ眼で起きてきたポールは、興味を示してデボラのそばにやって来た。
「ね、ね、デボラ。今度は何を作るのぉ〜〜?」
「黙って見とけ。」
次に起きてきたプリシラは、すぐに朝食の準備に取り掛かった。昨日の夜がコーンスープとライ麦パンだったから、今朝も同じ献立だろう。
デボラは板材を26分割し、綺麗に四角形に削ると一枚一枚の表に何かを彫っていた。
「何彫ってるのぉ?」
「これだ。」
デボラは完成した一枚を自慢げにポールに見せた。小さな四角形の板には、大きく大文字の「A」が彫ってあった。裏をひっくり返すと小文字の「a」が彫られていた。
「これで文字を覚えるの。待っとけ、すぐ全部作るから。」
それを見ていたフェリックスは猛烈に感動した。
(…素晴らしいっ!デボラは何て賢いんだろう、今まで気づかなくて済まんっ‼︎)
何の事はない…イェルマの「学舎」でやっていた学習法をそのまま真似ただけだ。
デボラがアルファベット26文字の板を彫っているとプリシラもやって来た。
「へぇ…文字って、26個もあるんだねぇ。」
「プリシラは…『P』『R』『I』『S』『C』…最後の『A』は私の名前やポールの名前にも使われてる…」
「あっ…ホントだっ!」
「言葉ってのは、この26文字のただの組み合わせだ。まずは自分の名前がちゃんと綴れるように。それからちょっとずつ、他の言葉も覚えていこ。」
二人は二十六枚の板を取り合って、自分の名前のスペルを作り始めた。
「あっ、姉ちゃん…オレの『P』を取るなぁ〜〜っ!」
「デボラ…『I』と『L』が一個しかないよ⁉︎」
「あ、そっか。『I』と『L』は二個いるのか…今作る。」
実際には、ポールの分も入れると『P』が二個、『A』が二個、『L』が三個必要だ。
フェリックスは思っていた。
(朝食はいつになったら食えるんだ…プリシラ、早く気づいてくれ…。)
デボラ先生のお勉強はお昼も続いた。
プリシラとポールを前にして、デボラは木彫りの熊を手にして言った。
「これは…『BEAR』。」
そうして、デボラは四角い板をそのスペルに従って並べた。
「書いて、書いて。十回書いて。」
プリシラとポールは四角い板をお手本にして、羽根ペンで自分の羊皮紙に一生懸命書き込んだ。
「これが…ヤギさん。『GOAT』…書いて、書いて。」
まずは身近な「名詞」のアルファベットの組み合わせを覚えていく。ある程度語彙が増えたら、次は普段によく使う、「おはよう」とか「こんにちわ」と言った言葉が書けるようにする。それから…「私はプリシラです」とか「これはおいくらですか?」のような簡単な文章に移行する。
二人が羊皮紙に書いてる間に、プリシラはこそこそと移動してヤギの乳を湯煎した。そしてそれをグイッと一気飲みして体を温めると…フェリックスに言った。
「出掛けてくる。」
「どこに行くんだい?」
「罠を仕掛けてくる。」
「…ん?」
デボラは雪で覆われた村近くの林に入って行った。茶色の皮の外套は風を遮断してそこそこ暖かかった。
デボラは釣り糸を取り出して輪っかにし、真ん中にトウモロコシの粒をいくつか置いて雪に埋めた。そんな罠をいくつか仕掛けて回った。
(ウサギが掛かってくれたら、明日はウサギ肉のスープだな。テンが掛かってくれたら嬉しいな…。)
この時期のテンは純白で、その毛皮は高値で売れる。
デボラは村のそばまで戻ってくると、人から見えない場所で適当な木を探した。適当な木を見つけると、ナイフでその木の表面を少し削った。これが「標的」だ。
(こんなもんか…。)
そして、デボラはその木から5mくらい離れて…懐から四寸釘を取り出した。これは昨日フェリックスが雑貨屋で買って来たものだ。デボラはその釘を削った木の「標的」に向かって投げつけた。釘は木を逸れてどこかに飛んで行ってしまった。デボラはもう一本投げた。今度は木には当たったが…刺さらなかった。
(投げナイフのようにはいかないな…。練習しないとな。)
それでも、戦闘技術においては天才のデボラは一時間ほどの練習で四寸釘の投擲技術を身につけてしまった。
帰り道、デボラは不思議なものを見つけた。雪の上に残った足跡である。
(動物の足跡か…でかいな。熊か?…でも、この時期熊はもう冬眠してるはずだけどな…。)
フェリックスは母屋の裏にある馬小屋兼、納屋兼、物置き小屋で昨日買ってきた釘を探していた。
(あれ、確かにこの棚に置いたはずなんだがなぁ…?)




