第五章 家畜盗難事件
第五章 家畜盗難事件
初冬の昼下がり。雪は降ったり止んだりを繰り返していて、ノーチルス村では白い景色が当たり前になってきていた。
デボラとフェリックスが結婚して一週間が過ぎたが何の変化もなかった。デボラはデボラのままで、家事の一切をプリシラに任せ、暖炉の前で縮こまっていた。
デボラはヤギの乳を待っていた。湯煎して温めたヤギの乳が最近のデボラのお気に入りだった。これにちょこっと砂糖を入れたらもう絶品だ。
「ねぇ、プリシラ…まだぁ?」
「…だったらぁ、自分でやりなよ。」
「…。」
温かいヤギの乳が来るまで暇だったので、デボラはポールと遊んでいた。
「ポール、できたよ。」
ダフネは薪で新しい木彫りの像を作った。
「わぁ〜〜いっ!…ん?…何これ…」
新しくできた木彫りは人間のように両手両足を具えており、大きな目と牙、そして尖った耳を持っていた。
「ゴブリンだよ。」
「…ゴブリン…猿の仲間ぁ?」
「ゴブリンはね、人間よりも小さいんだけど、群れを作って襲って来るんだ。弱っちぃけどね…動物でも野菜でも、何でも食べちゃう。人間だって食べちゃうんだ。」
デボラはそう言って、ポールが並べた木彫りの動物たちの中にゴブリンの木彫りを突っ込んで、ガシャンガシャンと動物たちを蹴散らしていった。
「ひえええぇ〜〜っ!クマとかオオカミみたいだね…」
「ゴブリンは厄介だよ、あいつらはポールよりも賢いよ。」
「ひえええぇ〜〜っ‼︎…この辺りにもいるぅ?」
すると、厨房でプリシラと一緒にジャガイモの皮を剥いていたフェリックスが言った。
「この辺りにはゴブリンやオークはいないよ、安心しな。」
ポールは安心して…
「そっかぁ…良かったぁ〜〜。」
するとデボラが…
「オークは知らんけど、ゴブリンは見たことあるよ。」
「ええええっ⁉︎」
ポールだけでなく、フェリックスとプリシラも驚いてジャガイモの皮を剥く手を止め、デボラの方に振り返った。
「私の故郷じゃ、一年に一回…必ずゴブリンの群れが襲って来るんだ。あの時は、私は魔導士と一緒に定点観測に出てた…」
イェルマでゴブリンの群れが出現した時は、斥候職と魔導士職がチームを組んでゴブリンの見張りをする。斥候職が観測地点でゴブリンを発見すると、チームの魔導師職が「念話」で本隊に連絡をし、総出でゴブリンたちを狩る。
フェリックスとプリシラ、ポールの三人は身を乗り出してデボラの話を聞いていた。
「…司令官からは絶対に戦闘はするなって言われてたけど、目の前にゴブリンがいたら…行っちゃうじゃん?」
(いや…行かない。)
みんなはそう思った。
「五匹を殺した時点で、本隊が到着して…残りの九匹は殺し損ねた…。その後、謹慎処分になった。」
フェリックスは思った。
(…俺の嫁は、一体何者なんだぁ〜〜っ⁉︎)
デボラは無言でポールに人差し指を向けて、その後その指を地面に向けた。ポールはデボラが散らかした削った木屑を拾い集めて暖炉の中に放り込んだ。
デボラはプリシラに言った。
「ヤギの乳…まだぁ?」
「あっ!」
プリシラが厨房の釜戸を見ると、鍋のお湯は激しく沸騰していて、中に置いてあったコップは倒れて…お湯の中に沈んでいた。
「うぎゃああぁ〜〜っ‼︎私のお乳がぁ〜〜っ…」
そこに来客があった。フェリックスが扉を開けて出てみると、それは村長のアイザックだった。
「フェリックス、夫婦生活はどうかね。」
「ぼちぼち…です。」
「ははははは、ぼちぼちか。そりゃ、良かった。」
「今日は何か?」
「ああ、今ね、村人に注意して回ってるんだ。昨夜、ガーフィールドんとこのブタが盗まれたんだよ…」
「えっ⁉︎」
「一匹だけなんだけどね…朝起きたら、いなくなってたらしい。」
「…逃げたんじゃ?」
「こんな雪の中、餌とあったかい寝床を見限ってブタが逃げるもんかい。」
「ごもっとも…。と言う事は…盗人?」
「実はね…一昨日はルーベントのところのニワトリがやられてるんだ…」
「家畜を狙ってるって事ですか?」
「…城下町に持っていけば、高値で売れるからな。お前さんとこはヤギのつがいを飼っているだろ、気をつけろよ。」
村長は言い終わると、馬車に乗って来た道を戻っていった。
夜、夕食をしながらフェリックスは村長の話をみんなにした。
「…と言う訳で、夜はヤギと馬を母屋の中に入れようと思う。」
プリシラとポールに異存はなかった。ここで、珍しくデボラが発言した。
「私のヤギさんたちを盗もうとしてる奴がいるのか…ヤギさんの乳が飲めなくなるじゃないか、許せんな。」
(…お前のヤギじゃない…。)
みんなはそう思った。
「…その盗人は私がぶっ殺す。だからヤギさんたちは母屋に入れるな。」
「デボラ、そ…それは、どう言う事だ?」
「ヤギさんたちを囮にして、盗人をおびき寄せる。」
フェリックスが慌てた。
「大丈夫なのか?…危ない事はするなよ…!」
「大丈夫、大丈夫。私はデボラだぞ。」
(…誰。)
みんなはそう思った。
デボラは斥候の上位職「探索者」だ。深度1をコンプリートして、さらに深度2の「ウルフノーズ」と「セカンドラッシュ」と「グラスハイド」のスキルを持っている。腕前だけならイェルマの練兵部の師範クラスなのだが、遺憾せん…性格に問題があって中堅のままだった。
その夜デボラは子供たちの寝室にいた。プリシラとポールの寝台の間の壁板を背にして毛布に包まって座っていた。壁板一枚を挟んで向こう側はヤギの小屋である。斥候の敏感な耳でヤギの様子を窺っているのである。
ポールが心配そうに言った。
「ねぇ〜〜、デボラァ…大丈夫ぅ?」
「大丈夫だ。黙ってガキは寝てろ。」
深夜になると、ノーチルス村は底冷えした。寒さに堪りかねたデボラはポールの寝台に潜り込んだ。デボラの冷え切った体が突然入って来たので、ポールはびっくりした。
「うひゃっ、冷てぇ…」
「黙って。…おいポール、寒いからもっとひっ付けよ!」
ダフネとポールはひとつの寝台でしばらくくっついて寝た。次第に寝台は暖かくなって…二人は心地良くなった。ポールが二歳の時に母親は亡くなっていたが、それでもおぼろげながら母親の感触を思い出したのか…左腕と左足をデボラの体に巻きつけてきた。子供の体温は高い…デボラは暖かくて、まんざらでもなかった。
デボラは微睡んだ。その時、人の気配を感じてデボラは覚醒した。そして、ポールの寝台からするりと抜け出した。
「デボラ、どうしたのぉ…?」
「ポール、そこ動くなよ。」
デボラは二本のナイフを抜くと、「シャドウハイド」を発動させて蝋燭の消えた闇の中に溶けていった。
(あれれ…デボラが消えた?)
音を立てずに子供部屋を出て、母屋の扉から出たデボラは静かにヤギ小屋に忍んでいった。外は真っ暗で寒かったが、雪は降ってはいなかった。デボラはすぐに「キャットアイ」と「ウルフノーズ」を発動させた。「キャットアイ」と「ウルフノーズ」は同系統のスキルだが、並行スキルなので重ね掛けができる。
ヤギ小屋の方向で明かりがチラチラと見えた。
(ランタンだな…やっぱり盗人か。)
犯人が獣であれば夜目が利くのでランタンは必要ない。
デボラが物陰から様子を窺っていると、男が一頭のヤギの縄を外しヤギに何かを与えていた。すると、ヤギはトコトコと後退りをする男の後を大人しく着いていった。
(…?)
デボラの鼻がかすかに甘い香りを嗅ぎつけた。
(ビートか!)
ビートは「甜菜」「サトウダイコン」とも言う。ビートは砂糖の原料だが、家畜用飼料としても優秀だ。特に、ウシやヒツジと言った反芻動物はこのビートが大好物だ。男はビートを餌にして、家畜を外に連れ出していたのだ。
デボラは物陰から飛び出した。ランタンの明かりで…男の目にはデボラが突然出現したように見えた。
「うわあぁっ…!」
男は驚いて持っていた太くて短い棍棒を振り回した。しかし、デボラはそれをヒョイヒョイと躱して、男の向こう脛を強烈に蹴り飛ばした。
「うぎゃああぁ…い、痛てぇ〜〜っ…‼︎」
男は倒れて、蹴られた脛を両手でかばいながら雪の上を転げ回った。
男の悲鳴でフェリックスと子供たちが燭台を持って駆けつけて来て、二本のナイフを構えて仁王立ちしているデボラを見つけた。
「デボラ…殺すなっ!」
「ええ〜〜、私のヤギさんを盗んで行こうとした奴だよ。容赦しなくても良いじゃんか!」
「まぁ、待て!」
フェリックスが蝋燭で男の顔を照らしてみると…それはビート農家のジャンだった。
「ジャンか⁉︎…家畜を盗んでいたのはお前だったのか!」
ジャンは母屋に連れていかれ、デボラによって縄で椅子にぐるぐる巻きにされた。デボラは二本のナイフをチラつかせてジャンを恫喝した。
「私のヤギさんを盗むとは…ふてえ野郎だな、性根が腐ってるな。」
(…あんたが言うな。)
みんなはそう思った。
「…頼む、憲兵には引き渡さないでくれ…この冬を越す食い物がなかったんだ!」
「憲兵ぇ〜〜?何をぬるい事言ってるの、死刑に決まってるじゃんか。まず両手両足の爪を剥がして、それから指を落としていって…手首、足首、そして腕、脚、最後が首だな。」
「ひいいいぃっ…後生だ、勘弁してくれぇ〜〜っ‼︎」
それを聞いていたフェリックス、プリシラ、ポールは戦慄していた。
(…俺の嫁は、一体何者なんだぁ〜〜っ⁉︎)
夜が明けると、フェリックスはジャンを絶対殺さないようにとデボラに懇願して、馬車を駆って村長を呼びに行った。
結局、ジャンは村長によって憲兵に引き渡された。貧しい農村ではみんなが助け合ってなんとか生活をしている。みんなギリギリなのである。その運命共同体の仲間の財産に手を付けたのだ…許される事ではない。
村長のアイザックは言った。
「ジャンのおかみさんは、時間が掛かっても家畜を弁償すると言っている。ジャンは一年くらい牢獄だが、来年のビート栽培、村で何とかジャンの穴埋めをしようと思う…砂糖は貴重だからな。人手は足りてないが…何とかせねばなるまいよ。」
村長がジャンを連れて去った後、デボラは言った。
「…寒い、寒い。フェリックス、もっかい寝よ。」
「もう朝だけどな…デボラは寝ていいぞ。頑張ってくれたからな。」
「フェリックスも一緒に決まってるだろ。寒いんだから。」
「…えっ⁉︎」
その後、村長が地ビールをひと樽持ってきた。犯人を捕まえたデボラへの褒美だ。
家畜盗難事件から三日後の事である。
雪のちらつく寒い朝、ヤギ小屋で乳を絞っているプリシラのもとに外套をすっぽり着込んだデボラがやって来た。
「あら、デボラ。どうしたのぉ?」
「えとねぇ…それって、簡単なのか?」
「乳搾り?」
デボラは頭を縦に振った。人見知りのデボラは口数が少ない。
「やってみる?」
プリシラは自分が座っている低い腰掛けをデボラに譲った。十歳のプリシラはデボラの魂胆にまだ気づいていなかった。
「こうやってねぇ、人差し指から順々に握っていくんだよぉ。」
デボラは「暗器使い」なので指先はとても器用だった。
「上手い、上手いっ!…これなら、これからはデボラに乳搾りを任せられるねっ⁉︎」
デボラは渋い顔をした。それでもデボラは夢中になってヤギの乳搾りをした。
(ふふふ…これでプリシラに頼らなくても、好きな時に好きなだけヤギの乳が飲める。)
家畜泥棒の件で、ジャンの家族は隠し持っていた砂糖を全て被害に遭った村人に提供した。未遂ではあったがフェリックスも砂糖を少なからずもらっている。
(砂糖はある。隠している場所も知ってる…斥候を舐めるなよ、うひひひ。)
乳搾りが終わると、デボラは牝のヤギさんに頬ずりした。
「ヤギさん…私のためにいっぱいいっぱい、お乳を出してね。」
プリシラは気持ち悪がった。ヤギは「陰キャ」の気配を感じて顔を背けた。
お昼になっても雪は降り続いていた。母屋の居間はプリシラが洗濯した服が万国旗のように吊り下げられていた。フェリックスはライ麦粉を捏ねていた。プリシラはポールの服を繕っていた。ポールはデボラに新しく作ってもらったオークの木彫りとゴブリンの木彫りを戦わせていた。デボラはオークを見たことはなかったが、練兵部の仲間から姿形は聞いていた。
デボラが音を立てずにコップを持って外に出て行った。それに気づいたプリシラが…
「…何?」
するとフェリックスが言った。
「…放っておけ。」
すぐに戻ってきたデボラは小鍋に水を入れて釜戸の上に乗せ、その中にヤギの乳が入ったコップを沈めた。
「あ…勝手に…」
「放っておけって。」
デボラは小鍋の水をじぃ〜〜っと監視ていた。お湯が沸騰するのを待っているのである。プクプクと泡ができ始めたくらいがベストだ。乳に膜が張ってしまうと台無しだ。
デボラは懐から何かを取り出し、コップの中に入れた。
「お父ちゃん、何か入れたよ?」
「…む!」
フェリックスは地下室の砂糖の隠し場所にまっしぐらに走った。戸棚を開いて一番隅っこの袋を触ってみると…明らかに袋の中身が減っている。
(やられた…!)
デボラは砂糖を隠し持っているに違いない。もう…何でもいいや。フェリックスは諦めてしまった。
デボラはベストの状態のヤギの乳を一気に飲み干すと、恍惚の表情を浮かべて再び暖炉の前の筵(むし炉)の上にゴロンと転がった。
一時間ほど経っただろうか…。再びデボラが音を立てずにコップを持って外に出て行った。
「…お父ちゃん!」
「もう、放っとけって。」
夕食までに、デボラは五回もヤギの乳を飲んだ。
「お父ちゃん…明日の朝にヤギの乳が搾れなくなっちゃうよ?」
「ううぅ〜〜ん…」
ヤギの乳は物々交換の大切な材料だ。フェリックスは少し注意をしようと思い、寝転がっているデボラに歩み寄った。すると…
「ううう…お腹痛い。」
「ん…デボラ、どうした?」
「お腹痛い…シクシクする…。」
「そりゃ、お腹を壊したんだな…ヤギの乳の飲み過ぎだ。」
生乳が原因である。生乳には雑菌が含まれており、飲み過ぎると腹痛や食中毒を起こす。デボラはヤギの乳を温めてはいたものの、100℃には到っておらず、雑菌が死に切れていなかったのだ。
フェリックスが腹痛の薬を持ってきた。
「これを飲んで、もう寝なさい。」
「フェリックス…一緒に寝よ。寒いから…セ○クスはしなくていいから。」
「あ…う…わ、分かった。」
フェリックスはプリシラとポールに夕食は二人だけで食べるように言って、それから陶器の壺に熱湯を入れ栓をして手拭いで包むとデボラと一緒に寝室に入った。
ひとつの寝台でデボラの横で添い寝したフェリックスは手拭いで包んだ壺をデボラのお腹の上に乗せた。
「ああ…いい。」
「お腹を壊した時は、こうして温めると良いらしいぞ。」
この時デボラは腹痛が少しだけ和らいで…無意識ではあったがフェリックスを頼りに思った。それはそのまま表情に出て、それを見たフェリックスは…驚いた。
(…デボラって、こんな表情をするんだ。綺麗な目だ…。)
フェリックスはデボラを愛おしく思い、デボラの唇に口づけをしようとした。
その瞬間デボラは…
「…うっ!」
…と叫んで寝台から跳ね起き、中腰でちょこちょこと小走りして母屋を飛び出して行った。
「…下痢か。」
デボラはひと晩じゅう、母屋と厠を往復した。




