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第二章 ノーチルス村

第二章 ノーチルス村


 デボラはとある農村の母屋の寝台の上で目を覚ました。

「お父ちゃん、女の人が目を覚ましたよぉ〜〜っ!」

 女の子の声でフェリックスが薬を溶かしたお湯を持って、デボラに駆け寄った。

「ううう…ここは?」

「とりあえず、薬を飲みなさい。」

 デボラは薬を飲んだ。

「…苦い。」

 自生のクズの根、シナモン、カンゾウ、シャクヤクなどを潰して粉にした…葛根湯のような薬だった。薬師に頼むと高くつくので貧しい農民たちは自家製の常備薬として持っている。薬自体は苦かったが、温かいお湯が心地良かったのでデボラは一気に飲み干した。

 フェリックスは言った。

「何か食べるかい?」

「…甘いものが食べたい。」

「ちょっと…甘いものはないなぁ。ライ麦パンしかないんだ。」

 貧乏人にとって「砂糖」は高級品だ。

「…じゃ、それでいい。」

 ライ麦パンは別名「黒パン」とも言う。小麦粉のパンと違って、キメが粗く固い。唯一の長所は日持ちすることだ。なので、貧しい平民や軍隊の間で食されている。

 デボラは、またライ麦パンかぁ、小麦粉のパンが食べたいなぁ…と思った。イェルマでは余程の事がない限り、練兵部の食堂でライ麦パンは出てこなかった。生産部では普通に大麦パンやライ麦パンは食べられていたのだが、練兵部の「引き籠り」のデボラはその事を知らなかった。

 フェリックスが持ってきたライ麦パンにデボラはかじりついた。

(…ん?)

 思ったより柔らかくて美味しかった。不思議に思ったデボラはフェリックスに尋ねた。

「このライ麦パンは…焼き立て?」

「おお、味の違いが分かるんだね。このライ麦パンはパン種を一晩寝かせてから焼いたんだよ。そうすると、焼いた時にちょっとだけふっくらとするんだ。」

「ふうぅ〜〜ん…お水ちょうだい。」

 それでもライ麦パンはライ麦パンだ。やっぱり喉に引っかかる。

 十歳の女の子のプリシラが右手にコップを持ち、左手で五歳の弟、ポールの右手を引っ張ってやって来た。

 デボラはプリシラからコップを受け取って少し飲むと、あまりにも美味しかったので一気飲みした。

「これは何っ⁉︎」

 プリシラが答えた。

「ヤギのお乳だよ。」

「もう一杯ちょうだい!」

 遠慮のないデボラだった。プリシラは空になったコップを持って厨房の方に走って行った。残ったポールはデボラに言った。

「ヤギのお乳はねぇ…とっても大事なんだよぉ。一日一杯だけなんだよぉ。ボクは朝飲んだから、明日にならないとダメなんだよぉ。」

(…何だ、このガキは…⁉︎)

 父親のフェリックスがポールに言った。

「この人は病気だからね、特別なんだよ。精をつけて早く良くなってもらわないといけないからね。」

「ふうん…じゃぁボクも病気になるぅ〜〜。」

 ヤギの乳は栄養価が高いので、いざという時に物々交換の良い材料となる。フェリックスはコップに一日一杯子供たちに飲ませると、朝ヤギから搾った残りを村の欲しい人のところに持っていって食料と交換している。

 それでも、デボラはプリシラが持ってきたヤギの乳のおかわりをポールの目の前で情け容赦なく美味しそうに一気飲みした。

 フェリックスが言った。

「それだけ食欲があれば大丈夫だね。多分、風邪をひいたんだと思う。こじらせる前で良かったよ。それで…あんたは兵隊さん?それとも冒険者さん?」

「…ん?」

「立派なナイフを二本も持っていたからね…女の兵隊さんなんて聞いたことがないから、女冒険者さんかな、それとも…女傭兵?」

 ハッとしてデボラは腰の辺りを探った。だが、次の瞬間、テーブルの上の二本のナイフとポーチを装備した自分の皮ベルトが視界に入ってきたのでホッとした。

「…冒険者って何?傭兵って何?」

「…そっかぁ…。」

 デボラは改めて自分の姿を確認してみた。木綿の短いワンピースに着替えさせられていた。質素だが清潔な寝間着だった。

「まぁ、風邪が治るまでここにいたらいいよ。俺はフェリックスと言う…ここで百姓をやってる。こいつらは…娘のプリシアと息子のポールだ。…あんた名前は?」

 飯を食わせてもらうんだから名前くらいはいいだろう。何か不都合があればいつでも逃げ出せばいい。

「…デボラ。」

 フェリックスは三十歳、この農家で産まれた。フェリックスには他にも二人の弟がいた。当時、フェリックスの両親は非常に貧しくて、食い扶持を減らすために十三歳になったフェリックスをパン職人のもとへ奉公に出した。

 フェリックスはパン職人になって、親方の信頼も厚くそのパン屋を譲られた。そしてエステリック城下町で町娘と結婚して、プリシラとポールをもうけた。その妻はポールを産んだ産後の肥立ちが悪く、ポールを出産した二年後に亡くなってしまった。

 その頃にはフェリックスの両親も他界しており、農家は独身の弟たちが継いだ。そして…「第三次エステリック大侵攻」が勃発した。

 フェリックスの家族には兵役として、二名の徴兵が強いられた。二人の弟たちはプリシラとポールを養う兄フェリックスの代わりに兵役を買って出て、義勇兵としてイェルマへと出征していった。

 その後、敗戦によってエステリック城下町の経済は急激に悪化し、城下町でパン屋を続けることができなくなり、フェリックスは生家であるこの農家に戻ることを余儀無くされた。

 弟たちが戦死したことが判明した。フェリックスは悲嘆に暮れたが、弟たちが遺してくれた戦死兵慰霊金の銀貨十枚を役場でありがたく受け取り、感謝しつつ役場を出た。

(ありがたい、これでこの冬は何とかなる…ありがとう、弟たち。)

 その帰り道で行き倒れていたデボラを発見したのである。

(この巡り合わせは、俺に「後添い」を取れという弟たちの導きかもしれない…。プリシラもポールもまだ幼い。母親が必要だ…)

 農村では同じ村の若い男女が親の取り決めで結婚するのが普通である。恋愛をして結婚に至る例は非常に珍しい。しかし、フェリックスの住むノーチルス村には妙齢の女性はいなかった。そうなると、他の場所で女を探すしかない。つまり…フェリックスはデボラを自分の後妻に迎えたいという下心を持ってデボラを助けたのである。デボラが「女」でなかったら助けていなかった。

 余談ではあるが、フェリックスの弟たちは…実は生きている。現在、コッペリ村の郊外で農作業の手伝いをしているのだった。


 十一月に入って、吹く風は冷たさを増した。

 デボラの風邪はほぼ快癒し、何をするでもなく暖かい暖炉のそばにむしろを敷いて、積み木遊びをしている五歳のポールと一緒に日がな一日ゴロゴロとしていた。

 母屋の外では身を切るような寒風の中、やがてやって来る冬に備えてフェリックスが薪割りをしていた。十歳のプリシアは手押し車を使って、共同井戸から水を運んでいた。

 すると、母屋からデボラが寒そうにちょこちょこと出てきて、対面にある小さな小屋に入っていくのをフェリックスは見た。かわやである。用を足すと、デボラは再びちょこちょこと母屋に戻っていった。

 それを一緒に見ていたプリシラは父親のフェリックスに言った。

「デボラは何もしないねぇ。お父ちゃん…デボラはいつまでウチにいるのかねぇ?」

「ううん、もうしばらく待っておくれ…。」

 フェリックスは求婚の機会を伺っていた。デボラはたったひとりで野垂れ死に寸前だったのだから、おそらく家族はいないのだろう…だったら、うちの嫁になればいい。少なくともそれで暖かい寝ぐらと飢えない程度の食べ物は保証される。それで双方めでたしめでたしで良いじゃないか…そんな事をフェリックスは考えていた。

 デボラは暖炉の前でむしろに寝そべって、ポールの積み木遊びを見ていた。積み木と言っても、多分フェリックスが適当な木の端材はしざいこしらえたものだろう。ポールは慎重に積み木を積んではいたけれど、二段目を積み上げて三段目になるとすぐに積み木はバランスを失ってバラバラと崩れた。それを延々と繰り返していたので、暇だったデボラは…

「ちょっと貸してみ。」

 デボラはポールから積み木をひとつ取り上げると、ナイフを持ち出して積み木の底を削り始めた。ひとつが削り終わるともうひとつ…そしてもうひとつ…またひとつ…。

「積んでみ。」

 ポールが積み木を積むと…あっという間に積み木は四段目まで積み上がり、ポールは最後の一個をその上に乗せる事に成功した。

「うわぁ〜〜い、できたできたっ!完成した完成したっ‼︎」

 大喜びするポールを見て…デボラは完成した積み木をぐしゃっと壊した。

「あああ…何するのぉ〜〜っ⁉︎」

「にひひひ…また、積めばいいじゃんか。」

 悔しがってまた積み木を積み始めたポールを尻目に、デボラは積み木をひとつ取ってナイフで削り始めた。

 ポールが四段目を積み上げて、最後の一個を探していると、デボラは削った積み木を積み上がった積み木の上に置いた。その瞬間ポールが絶叫した。

「うおおおおぉ〜〜っ‼︎」

 四段の積み木の上に…木彫りの小さなヤギが乗っていた。

 ポールはデボラが作った木彫りのヤギを手に取って、上下左右から眺め、脚や角を触りまくった。

「凄えなぁ…凄えなぁ〜〜っ!デボラ、上手じょうずだなぁ〜〜…もっと作って、もっと作ってぇ〜〜っ‼︎」

 デボラは無言でもうひとつ、もうひとつと…積み木を削っていった。

 フェリックスとプリシアがひと仕事終えて母屋に戻ると、暖炉の前は木屑がいっぱいに散らかっていた。

 プリシラが叫んだ。

「こらぁ〜〜、ポール!この忙しい時に…何散らかしちゃってるのよぉ〜〜っ‼︎」

「ボクじゃないよ、デボラだよっ…!」

 プリシラはデボラを睨んだ。すると、デボラは木彫りの一つを手に取って言った。

「これ、あげる。」

 木彫りを受け取ったプリシラの目の色が変わった。

「ああ、これって…お花?…バラだ!凄い…デボラが彫ったの?上手じょうずぅ〜〜‼︎」

 何となく…木屑を散らかした件は帳消しになった。木彫りはデボラが斥候房で引き篭もっていた時に習得した暇潰しのための技術だった。

 質素な夕飯を済ませると、フェリックスが言った。

「…もっと寒くなる前に湯浴みをしとくかぁ。デボラも体を洗いたいだろ?」

「うぅ〜〜…うん。」

 デボラはイェルマを出発して以来、体を洗っていなかった。実は臭っていたが…デボラはまだお客様待遇だったので、みんなは黙っていた。

 フェリックスが母屋の外に出て行って、すぐに戻ってくるとしばらくは暖炉の前でゆっくりしていた。デボラは不思議に思った。

(…近くに湯殿があるのかな?)

 30分くらい経って…

「そろそろかな?…プリシラ、ポール、デボラを連れて先に入りなさい。」

「はぁ〜〜い。」

 プリシラは手拭いと着替えを持つと、ポールの手を引いて母屋の外に出た。

「デボラもおいでぇ〜〜。」

 デボラはプリシラとポールの後を追った。プリシラたちが母屋の左側に歩いていくと、母屋の横に人間の大きさくらいある真っ黒な鉄釜があった。鉄釜の下には釜戸があって焚べられた薪がもうもうと燃えていた。いわゆる…「五右衛門風呂」である。

 プリシラは指で湯加減を確かめると、隣の甕から少し水を足して丸い形の板でお湯をかき混ぜた。

「よしっ!」

 プリシラとポールはサッと素っ裸になると石を組んで作った階段を登って鉄釜の中に飛び込んだ。「きゃぁきゃぁ」叫んでお湯をバシャバシャと音を立てている二人を眺めてデボラは…

(…私はどうしたらいいの?)

 と思っていた。

 すると、二人は鉄釜から出てきて、獣脂の石鹸で洗いっこを始めた。

「デボラ、今入って。」

 プリシラの言葉に、デボラも素っ裸になってすぐにジャポンと鉄釜に飛び込んだ。なるほど…三人で入るとお湯が溢れてしまって勿体ないのか。

 デボラは「全身浴」は初めてだった。イェルマの湯殿では、順番待ちをしているたくさんの仲間たちがいたのであわただしく湯浴みをしていた。

(あああああぁ…気持ちいいぃ〜〜…。全身にお湯が染み渡るぅ〜〜…これは癖になりそう…)

 デボラは腰まである栗色の髪もどっぷりとお湯に浸して、お風呂の水面から顔だけ出して目を閉じて上を向いていた。時折、耳の中に水が入ってきてガラガラと音を立てていた。それもデボラにとっては新鮮な体験だった。

 プリシラが大きな柄杓のようなもので、デボラがかっている鉄釜からお湯を掬って自分とポールに掛けて石鹸の泡を落とした。

「デボラ、交替交替。」

 プリシラは石鹸をデボラに渡した。

(今度は私が外に出て、体を洗う番か…)

 デボラが鉄釜から出ると、すぐにプリシラとポールが鉄釜に飛び込んで30秒くらいじっとしていた。そして、二人は鉄釜から出ると手拭いで体を拭いて服を着ると…

「水、足しといてねぇ〜〜。」

 …と言って、母屋の方に戻っていった。

 デボラは丹念に体と長い髪を洗った。じゅうぶんに温まっていたので冷たい外気も我慢できた。それでも…

「う…寒っ。」

 デボラは柄杓で何度かお湯をかぶると、すぐに鉄釜に飛び込んだ。

「あああああぁ〜〜…幸せ…。」

 しばらくすると、フェリックスが手拭いと着替えを持ってやって来た。

「まだ入ってたのか。のぼせる前に出ろよ。」

 その言葉で、デボラはすぐにお湯から出て髪の毛を手拭いで拭った。水をたっぷり吸ったデボラのつやつやした肢体がフェリックスの視界に飛び込んできた。大きくもなく小さくもないデボラの胸、形の良い引き締まった小さなお尻、髪と同じ色の恥毛…。

「うわっ…ちょっ…!」

「ん…?」

 イェルメイドは裸体を見られる事に頓着しない。デボラは右手で髪を拭い、左手に着替えを持ったまま裸で母屋に戻っていった。

 フェリックスの心臓に矢が突き刺さった瞬間だった。

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