第一章 エステリック城下町
この連載では一話分のボリュームをかなり大きくしておりますので、おおよそ一週間で一話のアップを予定しております。
「第九次人魔大戦」までの約20年…たどり着けるかどうか、作者の私自身も不安でいっぱいです。
どうぞよろしくお願いします。
第一章 エステリック城下町
イェルメイドは優秀な女兵士を増やすために時折同盟三国…エステリック、ティアーク、ラクスマンを巡って何らかの理由でふた親を失くした女児を引き取り、イェルマ渓谷に連れ帰る。デボラもそんな孤児のひとりだった。
デボラは三歳の頃に城塞都市イェルマにやって来て、そのまま育った。デボラは今年で26歳になる。イェルマ渓谷から一度たりとも出たことがなく、イェルマの斥候房の集団寮に「引き籠っていた」と言っても過言ではない。その原因が幼児期の体験によるものなのか、その後の出来事のせいなのかは定かではない。
デボラはイェルマ軍から抜け出して、ひとりエステリック城下町に潜入した。それは本当にちょっとした気まぐれだった。デボラは城塞都市イェルマの外の世界を見たくなった。それはきっと、自分の置かれた立場や環境に満足できなくなり、26歳になってようやく「自分探し」を始めたのかもしれない。「自分」の新しい境地を見つけるために…。
夕方六時、講和条約締結のためマーゴットとライヤが使節団としてエステリック城下町の南門に入った際、デボラは使節団の影に潜んで城下町に侵入した。隙を見て、使節団から離脱したデボラは夕暮れのエステリック城下町を散策した。
城下町を彷徨っているデボラの心は少しだけ躍っていた。
(ここは建物が多いな…ってことは居住区画か。歩いても歩いても、ずっと建物が続いている…なんて広い居住区画なんだろう…。)
デボラはイェルマしか知らない。ゆえに、全てにおいてイェルマと比較してしまう。
日が落ちて、エステリック城下町は闇に包まれた。夜の城下町を歩く人影はなく、見えるのは星空といまだ営業をしている食堂や酒場から漏れる灯りだけだった。「キャットアイ」のスキルを持つ斥候職のデボラにとって、夜の暗闇はさほどの不自由も感じない。
デボラは城下町の中心部辺りにいた。御影石で舗装されている大きな広場があって真ん中に噴水があり、半裸の女性像が肩に乗せた甕からは常時水がほとばしっていた。
少し歩き疲れたデボラは噴水の縁に腰を下ろし、腰のポーチから銀の針を取り出すと噴水の水に浸してみた。
(よし、毒水じゃない。大丈夫だ…。)
空になっていた水袋に噴水の水を満たし、そしてその水を少し口に含んだ。
「うわっ…まずっ!これ、ホントに水かぁ〜〜?」
飲めない味ではなかったが、山脈に囲まれたイェルマの「軟水」を飲み慣れていたデボラには大都市の「硬水」は非常に不味く感じた。
秋の風が吹いた…デボラはぶるぶるっと身震いして、皮の外套の前をピタリと閉じた。
(風が冷たくなってきたな。…腹が減ったな。二、三個パンを持ってくりゃ良かった…。)
デボラは噴水広場を離れ、今晩の寝ぐらになる場所を探した。できるだけ狭い方が良い…狭ければ狭いほど風を防げるし、多少は暖かい…。
噴水広場から約一時間くらい歩いただろうか。道は次第に傾斜して、デボラはいつの間にか道を登っていた。そして、登れば登るほど、居住区画は細々(こまごま)として路地は入り組んでいった。
(お…潜伏するには良さそうな場所だな。でも、匂いがちょっと酷いな…。)
そうなのだ、デボラはエステリック城下町の旧市街地…スラム街に迷い込んだのだった。
デボラはどこかの放棄された住居に入り込んで、空きっ腹のままそこで一晩を明かした。
次の朝、デボラはスラム街から出て再び城下町を散策した。
(昨日は南門からまっすぐ北に歩いたから、今度は東に歩いてみるか…。)
道を降りながら、デボラは東へ東へと歩いた。すると、道が開けていって…角を右に曲がると大通りに出た。デボラはちょっと警戒したが…
(私を知っている者なんかいないだろうし…警戒する事もないか…。)
そう思って、デボラは普通に大通りを歩いた。大通りを歩く人はまばらだった。麻のワンピースを着た女が買い物かごをぶら下げて小走りでデボラとすれ違っていった。浅黒の少年が荷車を引いてゆっくりと交差している道に入っていった。
(居住区画はこんなに広いのに…どうしてこんなに住人は少ないんだ?)
すると…
ギュウウ〜〜…グルグルグル…
デボラは昨日から何も食べていない事を思い出した。
(腹が減ったなぁ…)
デボラが大通りを歩いていると、とても良い匂いが漂ってきて、デボラはその匂いを辿り誘われるままにとある小さな食堂に入っていった。
「へい、らっしゃい。」
食堂の主人はデボラの風体をまじまじと見て口をへの字に曲げた。デボラは尋ねた。
「ここは何かを食べさせてくれる場所なのか?」
「そうだよ…ここは食堂だよ。」
「おお、食堂かっ!」
「あんた、旅人かい?」
「ええと…そう。何か食べさせて。」
「お足は持ってるんだろうね?」
「…お足って?」
「…お金だよ。」
「んん〜〜…持ってない。」
「おととい来な。」
デボラは追い出された。
デボラは空きっ腹を抱えて再び大通りを歩き始めた。大通りにはやはり人の姿は少なく、色々な店舗が軒を連ねていたが、どの店も閑古鳥が鳴いていた…なぜだろう?
グウウ…グウウゥ〜〜…
まずいな…本格的に腹が減った。あと数時間もしたらせっかく蓄えた体脂肪が分解を始める。どちらかと言うと私は痩せ型で、その体脂肪も保って丸一日だろう。その後は…飢餓との闘いとなる。
(飢えるのは…嫌だなぁ。飢えた事ないからなぁ…)
その時…
「…銅貨三枚になります。ありがとうございましたぁ〜〜っ!」
元気の良い声が聞こえてきて…デボラの空っぽのお腹に響いた。
(あ…さっき見た浅黒の少年だ。)
少年は穴のあいた大鍋を両手で抱えて荷車に載せていた。デボラはその見知らぬ少年に声を掛けた。自分より明らかに年下だから、声を掛け易い…。
「おい、坊主。何をやってるんだ?」
「坊主って…僕の事かい?」
「お前しかいないだろ。」
「僕は屑鉄屋だよ。」
「屑鉄屋…何だそれ?」
「屑鉄を買ってそれを鍛冶屋さんに売るんだよ。1kgの屑鉄を銅貨三枚で買って、鍛冶屋さんに銅貨六枚で売るんだ。差額の銅貨三枚が僕の手間賃だね。」
「ふう〜〜ん、坊主は鉄を買ってるんだ。じゃぁさ…これを買ってくれないか?」
デボラは懐から投げナイフを一本取り出して見せた。
浅黒の少年…ティモシーはよく手入れをされた投げナイフを見て、すぐにそれが普通のナイフではない事に気づいた。だが…
「これはとても良いナイフだから、屑鉄で売ったら勿体ないよ。僕ら屑鉄屋は重さでしか買わないからね…こう言うのは古道具屋に持っていった方が高く売れるよ。ほら、あそこの店が古道具屋さんだよ。」
「そうか、分かった。」
デボラは少年の素性に気づかないまま、踵を返して古道具屋の方に歩いていった。
ティモシーはその後ろ姿を見ながら思った。
(あれは斥候職が使うような投げナイフだった。…誰だろう?どっかの国の密偵かな…)
突然、デボラが振り向いた。背中に視線を感じたからだ。ティモシーはギクリとして、作り笑いをしてデボラに手を振った。
(…気のせいか。)
デボラは古道具屋に入った。
「いらっしゃい。」
「これを買って。」
「ナイフだね…小さいナイフだなぁ。」
「これは投げナイフ。こうやって使うの。」
デボラは手首のスナップだけでそのナイフを投げると、ナイフは古道具屋の主人の頭をかすめてお店の柱に見事に突き刺さった。
「…危なっ!」
デボラはニヤニヤと笑っていた。
「ねっ、こんな風に使うナイフだよ。良いナイフだろう?…高く買ってよ。」
「うう…分かったよ。銅貨五枚でどうかね?」
「銅貨五枚で…食堂のご飯が食べれる?」
「…今、このエステリック王国は物価高でねぇ、銅貨五枚じゃ…パンだけかなぁ?」
するとデボラは懐から投げナイフをもう一本出した。
「じゃ、これも買って。二本で銅貨十枚ね。」
デボラは銅貨十枚を握りしめて、あの食堂に再び足を踏み入れた。
「…また来たのか…。」
「おっちゃん、銅貨十枚持って来た。これで何か食わせろ。」
「…おっ!」
お店のカウンターでライ麦パンとトウモロコシのスープを食べているデボラの顔は渋かった。
「おっちゃん…これじゃないだろう。もっと良い匂いをさせてた料理があるだろう?」
「鶏肉かぁ?それはもう、俺の腹の中だ。それにな…ローストチキンだったら銅貨五十枚だぞ?」
「…ううう、これでいい。」
ある程度お腹を満たしたデボラは、何をするでもなく、ただただ城下町を散策するだけだった。
デボラが大通りに交差するもうひとつの大通りを見やると、向こうから統一された皮鎧の騎馬隊がやって来た。憲兵隊だ。憲兵隊は城下町じゅうを大声でふれて回った。
「敵の軍隊は去っていった!もう危険はないぞ‼︎」
すると、建物のあちこちから人が湧いて出て…バンザイをする男や涙目で喜んでいる女など、イェルマ軍の撤退を歓迎している人々が街に出てきてその活動を再開した。
(えええっ、イェルマ軍…もう帰っちゃったか。早いな、置いてけぼりを食っちゃったな…まぁ、いっか。)
デボラはエステリック城下町に留まる事にした。
デボラがエステリック城下町にやって来て二週間が経過した。
その間、デボラは投げナイフ、鋼の杭、銀の針、鉤縄、鎖帷子、皮鎧、ショートソード、ダガーなどの装備品を古道具屋に売って、その日の食費を賄っていた。そして、夜は城下町の中心にあるスラム街に潜って寒さに震えながら寝た。
「いらっしゃい。今日は何を売ってくれるんだい?」
「…これ。」
デボラは手のひらに乗せた「撒菱」を古道具屋の主人に見せた。
「何だい、これは?」
「ええとね、使い方は…」
「いや、使い方はいい。こんな訳の分からん物は買えないよ。それよりも、ナイフとかの武器や防具はもうないのかい?」
「うう〜〜ん…」
デボラはまだ戦闘用ナイフを二本持っていた。しかし、これはデボラのメインアームで斥候としての「証」または「誇り」のようなものなので手放すわけにはいかなかった。
デボラは古道具屋を出た。
グウゥ〜〜…キュルキュルキュル…
(…腹減った。)
計画性というものに全く縁がないデボラは「明日」の事を考えない。皮鎧や鎖帷子、ショートソードやダガーを古道具屋に売った時には銀貨一枚以上になったが、それも食堂でローストチキンやヤギの肉入りのスープを注文して散財してしまった。
デボラが途方に暮れていると、聞き覚えのある声を聞いた。
「屑鉄ぅ、屑鉄ぅ〜〜…屑鉄はありませんかぁ〜〜?」
デボラは声の方向に走った。
「おい、少年っ!」
「あっ…いつぞやの…」
「これ買ってくれっ‼︎」
デボラは撒菱を出して見せた。ティモシーはそれを手に取ってじっくりと観察した。
(…何だろうこれ。どう転がしても突起が上を向くのか。地面にばらまくトラップ系の暗器かな…?)
ティモシーは改めて言った。
「いやいや…これっぽっちじゃ…。重さで買ってるからさ…これじゃ、秤がピクリとも動かないよ…」
デボラが外套を広げると、大量の撒菱がバラバラと地面に落ちた。
「…わっ!」
「拾って拾って。」
「は…はい。」
ティモシーが撒菱を拾って天秤ばかりに載せると、それは1.5kgあった。
「…銅貨四枚ですねぇ。」
「五枚にしろ。」
「あのですねぇ…お困りのようだから言うけど、この前も言ったけど…鍛冶屋に持っていけば?」
「良いから、銅貨五枚くれ。」
デボラはティモシーから銅貨五枚を受け取ると、スタスタと食堂の方に急ぎ足で歩いていった。
ティモシーはデボラの背中を見ながら…
(只者でないことは間違いない。…でも、何を考えてるのか、どんな目的で行動してるのかがさっぱり判らないな…)
デボラが振り向いた。ティモシーは笑って手を振った。
デボラは行きつけとなった食堂でライ麦パンを注文して食べた。これも、普通のパン屋で買えば、もっと安くパンを手に入れる事ができるのだが…そう言った「工夫」や「努力」をしないのがデボラだった。関心を持っていない事に関してはとことんずぼらだった。ズボラなデボラ…それがイェルマでの彼女の仇名だった。
さらに三日が経過した。
デボラは路地裏で膝を抱えてうずくまっていた。敗戦の影響が出始め、エステリック城下町ではまた物価が上がり住民は戦々恐々としていたが、イェルメイドであるデボラにとってはそんな事は関係なかった。
エステリック王国は城塞都市イェルマに大敗した。「第三次イェルマ大侵攻」で一万近くの兵士を出兵させてそのほとんどは帰還せず、莫大な兵站…食糧を浪費し、その見返りは…ゼロだった。王族貴族たちはその損失を取り戻そうと、税を重くして平民たちから搾取した。
重税のせいで、エステリック王国の商人たちは生きるために商品の値段をどんどん釣り上げなくてはならない。義勇兵として出征した働き手の死によって農村部の生産力は著しく低下し、食料品はティアーク、ラクスマンの輸入に頼っている有様だ。そんな食料も貴族たちによって吸い上げられ、食料品の値段はさらに上がっていく。
疲弊したエステリック王国…そしてエステリック城下町に活気はなかった。
初め、デボラは王城付近のスラム街の最奥で寝起きしていたが、元からの酷い臭いに加え腐った肉の臭いも漂ってくるようになった。これはつい最近イェルマ城門前広場で嗅いだ臭い…人間の「死臭」だと気づいたデボラは、さすがにスラム街の大通りに面した路地裏に移動した。
路地裏には汚れた毛布一枚にくるまった男たちがデボラと同じように壁にもたれて座っていた。まだ元気のある者は大通りに出て物乞いをしているが、元気のない者は路地裏で最後の時を待っていた。
デボラは隣の男を見て思った。
(こいつ…もうすぐ死ぬな。その隣の奴も、またその隣も奴も…雪が降ったら凍死だな。私は違う…私はこいつらとは違うぞ…!そうだ、動けなくなる前に城下町を出よう。私には狩りのスキルがある。ウサギやイノシシを捕まえて腹いっぱい食べよう。…でも、雪が降ったら、外にいるよりも城下町にいた方が暖かいな…ここにいようかな。腹減ったなぁ…もう二日も何も食ってないなぁ…寒いなぁ…)
デボラの思考は堂々巡りをしていた。デボラはくしゃみをして、背中に少し悪寒を感じた。
次の日の朝、悪寒はもっと酷くなり頭痛もした。まずいと思ったデボラは体を動かそうと思ったが、体が重くて思うように動けなかった。
(…やばい。体が動かん…頭も痛い…凄く寒い…)
その日は天気が良かったので、デボラはとにかく暖かい場所…日当たりの良い大通り目指して体を移動させた。何とか大通りの日向に出た。
(…暖かぁ〜〜い…。)
しかし、そこでデボラはうつ伏せになって動けなくなった。頬に地面の熱を感じて、デボラは短絡しかかっている頭で心地良さを感じていた。
数時間が経過した。一頭曳きの馬車がデボラの栗色の長い髪を見つけて、彼女のそばで停止した。
御者台から降りた男は倒れているデボラに声を掛けた。
「おい、女の人…大丈夫かい?」
「…ううう。」
男はデボラを抱え、馬車の荷台に載せると城下町の東門に向かった。
男は東門に到着すると、門番の衛兵に挨拶をした。衛兵は答えた。
「おお、パン屋のフェリックス。お前、店を閉めたんだってな…?」
「このご時世じゃねぇ…。パンを作る小麦やら大麦が全然手に入らないんですよ…。今は親が残してくれた農地を耕して暮らしてます…。」
「…そうだなぁ。大変なご時世になっちまったなぁ…む、この女は?」
「大通りで死に掛けていたんで…」
「そりゃ、人が良すぎるだろう。」
フェリックスは衛兵の耳元で囁いた。
「なるほど、そう言う事かっ!わはははは…まぁ、頑張れ。」
フェリックスは東門を抜けていった。




