第2章
ブラスボート男爵令嬢はこれまでも熱心に野菜の解説をしていたが、「花野菜」についてはこれまでになく熱がこもっていた。
なんとなくその話を聞いていたが、彼女の花野菜愛がこの僕にさえ伝わってきた。
そして、とても幸せそうな顔をして食している女生徒のランチがふと目に入って、自分も同じものにしようと思った。
グリーンの花野菜を中心にオレンジ色の人参や紫色の玉ねぎ、そしてブラウン色のきのこの入った具だくさんカラフルシチュー。そして、花野菜のフリッターだった。
美味かった。そして、どこか懐かしい感じがした。特にフリッターが。
どこで食べたのだろう?
僕の家は花野菜の一種であるカリフラワーばかり食してきた。叔父の家がカリフラワーを栽培していたからだ。
でも、花野菜の食感の方が好きかもしれない。栄養素も高いみたいだし。
ブラスボート男爵令嬢がしつこく花野菜を食べてみて!と言ってくるので、ひねくれている僕は、反対に食べないようにしていたのだが。
「お味はどうですか?」
頭上から可憐な声が降ってきて、思わず顔を上げると、なんと目の前にはブラスボート男爵令嬢が微笑を浮かべて立っていた。
「美味しいですよ。初めて食しましたが、栄養どうちゃらは関係なく、なかなかいいいですね。
肉は使っていないけれど、濃厚牛乳やチーズがたっぷりだったのでコクが出ていて、女性ならこれだけでも十分食べ応えがあるでしょうね。
フリッターは主食というよりおやつのように思えますが、いくつでもお腹に入りそうです。そして、なんだか懐かしさを覚える味でした」
「初めて?」
彼女は驚いた様な顔をした。だからゾイド家の食卓事情を説明した。
「君が語っていた花野菜の効能を母や姉に伝えたら、きっと明日から我が家の食卓の上に載ることでしょう」
僕がそう言うと、彼女は暫く何か考えてからこう訊いてきた。
「私達がお誘いしたのに花野菜の担当をお断りになったのは、カリフラワーの方がお好きだったからですよね?
それなのに、なぜ菜の花を選ばれたのですか?
おひたしや炒め物がお好きだからですか? それとも菜種油に関心があるからですか?」
「僕は食べ物の好き嫌いはほとんどありません。だから、菜の花を選んだ理由は料理とは関係ないのです」
「ではなぜ?」
こちらこそ、なぜそんなことを知りたいのだと聞きたいと思った。
「菜の花畑が好きなのです。花が咲くと辺り一面黄色に染まって綺麗でしょう? 子供の頃に兄に連れられてよく出かけたのですよ。
でも、その場所が今ではどこだったのかわからなくて。
菜の花栽培している方と接したら、何か情報が得られるのではないかと思ったのですよ」
これまで彼女のことを面倒なやつだと避けてきたというのに、なぜそんな話をしたのか。それは、あの菜の花畑を一人で探し当てるのは到底無理だと、ようやく悟ったからだった。
馬車に乗って四十分程度でたどり着ける場所なのだから、当初は簡単に見つかるだろうと思っていた。
ところが、探し始めてからすでに九年も経っているのだ。真剣に探し回っているというのに、未だに見つかっていない。
菜の花はキャベツや花野菜、ブロッコリーなどの仲間だ。
とはいえ、それらの野菜とは違い、菜の花は畑で人がわざわざ手をかけなくても、あちらこちらで勝手に群生している場合も多い。そのせいで、その場所を特定できずにいるのだ。
やはりここはこの地域の植物に詳しい、スペシャリストの協力を得た方がいいのではないか、とようやく思い至った。
初恋のベスに会うためだ。この際ライバルに頼ることにしたのだ。
ところがそれを口にする前に、彼女がとんでもないことを言い出した。
「自分と賭けをしませんか?」と。
品行方正優等生のブラスボート男爵令嬢の意外な申し出に、僕は喫驚した。
「来週行われる年度末試験で、私は貴方に勝つと宣言します。
そして実際に私が勝ったら、一度私とお出かけをしてください。
もし負けたら、貴方がお探しの黄色の花が輝く花畑を一緒に探してあげますわ」
それって、二人のどちらが勝っても負けても一緒に出かけるってことにならないか?
そんな賭けをして彼女にどんなメリットがあるんだ?
これまでだってずっと二人で首位争いをしてきた。今さらじゃないのか?
そんな疑問が浮かんだが、こちらにはデメリットがない。
彼女と行動を共にするなんて、これまで考えたこともなかったが、嫌というわけでもないし。
そこで僕がその話を受けようとしたとき、隣に座っていた友人のカルダンが口を挟んだ。
「カーライルとデートなんかしたら、アランソン殿下に叱られるのではないのか?」
「デート?」
思ってもいなかった言葉に僕はギョッとした。
そしてこれがデートではなったとしても、疑われるような行動をすれば、たしかに第三王子に睨まれるかもしれない。
あの王子がブラスボート男爵令嬢に関心を持っていることは、誰の目からも明らかだったからだ。
これはまずい。あの陰険男に目を付けられたら堪らない。
こんな賭けにはのらないと言おうとした瞬間、ブラスボート男爵令嬢が大勢の生徒がいる中でこう反論した。
「オーアット伯爵令息様、誤解を招く発言は控えて下さい。
私が誰と行動を共にしようと私の自由であり、王家の方々がそれに口を挟むような無粋な真似をなされるはすはありませんわ。
五年前に制定された農業基本法のその第一項に、農業指導員の行動に対し、王侯貴族はその権力を持って制限してはならないと定められています。
もちろん、公序良俗に反しない限りという制限はありますが、私はゾイド様とそんな卑しい場所へ行こうというわけではありませんし」
一部の力のある者が優秀な農業指導員を強制的に囲い込めば、富める者と貧しい者の差が大きくなり、社会不安を巻き起こす恐れがある。それを防ぐための法である。
「法的にはそうでも、王族の個人的な感情は別物だろう?
君はカーライルを盾にするつもりなのか?」
カルダンのこの発言に僕は目を剥いた。
このとき初めて僕は、ブラスボート男爵令嬢がアランソン殿下をどう思っているのかを察した。カルダンでさえ気付いていたみたいなのに。
アランソン殿下に限らず、高位貴族の令息達がブラスボート男爵令嬢を狙っている。
それは単に彼女が優秀な農業指導員というだけではなく、才色兼備な淑女だからだ。
彼女は新興の男爵令嬢だが、高位貴族に嫁いでも十分に務まるだけの能力があるのだ。
しかし、王家となれば、いくら三男だとしても話は別だ。本来なら愛人。能力を利用したと考えたとしても側室止まりだろう。
優秀でプライドの高い彼女が、それを良しとするとは到底思えなかった。
つまり、殿下や高位令息避けに僕を利用しようというのか?
まあ、協力を求められれば考えないでもない。
しかし、相手が相手だから家族に迷惑がかかるかもしれないから、そう簡単に返事はできないな。
怒りや腹立たしさは湧かず、なぜかそんなことを思ってしまった。
人が良過ぎるとまたカルダン達に叱られそうだな。そう思ったとき、ブラスボート男爵令嬢ではなくて、彼女の信奉者である例の准男爵の一人であるスプル嬢がこう言った。
「オーアット伯爵令息様、誤解しないでください。ベティス様はゾイド様を利用しようとなんてしていません」
「そんなことなぜ君にわかるんだ!」
「だってベティス様はゾイド様を……」
「エリザベス様!」
ブラスボート男爵令嬢はスプル准男爵令嬢の言葉を遮った。そしてこう続けた。
「私は彼女の言うとおり、ゾイド様を利用しようと思ったことはこれまで一度もありません。
けれど、誤解されても仕方のないことを言ってしまい、ゾイド様やお友達にまで嫌な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
私はただ、貴方が見つけたいとおっしゃった、思い出の菜の花畑を一緒に探して差し上げたいと思いました。
でも、素直にそう言うのも恥ずかしかったので、賭けを持ち出しただけなのです」
ブラスボート男爵令嬢の説明に僕は納得した。どちらが勝っても、結局こちらの不利にはならないことに気付いていたからだ。
彼女があちらこちらで人助けをしている噂はよく聞いていた。聖女様だと本気で信じている年配者もいるらしい。
だから単なるクラスメイトである自分のことも気にかけてくれたのだろう。
「貴女の言葉を信じて、賭けに乗らせてもらいます」
僕がそう言うと、ブラスボート男爵令嬢はほっとした顔をした。
ランチを終えた僕は「案外美味かったな」と、満足気に言い合う友人達と共に中庭へ向かった。
小さな噴水前の長ベンチに腰を降ろすと、彼らの会話は自然とさっきの賭けの話題になった。
「カルダンの言い方少しきつくなかったか?」
ロッドがそう言うと、マクシミリアンが呆れた顔をした。
「馬鹿だな。それはカルダンがわざと悪役を買って出たからに決まっているだろう」
「そうだったの?」
「前からブラスボート男爵令嬢はカーライルを気にしていたじゃないか。
最初のうちは勧誘を断われたから腹いせに突っかかっているのかと思っていたんだ。
だけど、カーライルがいないところではこっそりフォローをしていたし、下心を持つ令嬢が近付いてこようとすると、それとなく妨害しているのに気付いたんだよ」
「それって、カーライルに気があるってことじゃないか」
「だろう? それなのに一年近く経っても直接的には何の行動も起こさなかった。それなのに、今日突然賭けなんか持ち出したから不審に思ったのだろう。
そしてこの際、彼女がどういうつもりなのか、はっきりさせようとしたんじゃないのかな。
失礼に聞こえるような発言でも、一応高位貴族のカルダンなら咎められないからね。俺達平民と違ってさ。
なあ、カルダン?」
「ああ」
友人達のやり取りを聞いて僕は驚いた。ブラスボート男爵令嬢が試験以外のことで僕に関心を抱いているなんて、全く気付いていなかったからだ。
「君達だけじゃなく、ブラスボート男爵令嬢もご令嬢方を追い払ってくれていたとは思わなかったよ」
そう口にすると、カルダンはそりゃあそうだろうなと笑った。
「爽やかイケメンでモテるにもかかわらず、天才科学者のカーライル=ゾイド博士は、研究対象以外にはてんで関心がないからな。
だから代わりに僕らが注意を払ってやっているのさ」
「面目ない。感謝しているよ」
僕は少々?変わり者だという自覚はある。好きなことに夢中になると、周りのことがすぐに見えなくなってしまうのだ。
正直、平民になって良かったと思う。
貴族は皆、社交場ではいつだって顔の表情や態度を抑えてアルカイックスマイルを浮かべている。その上言葉だって、本音では絶対に話さない。
そんな状態でよく他人の腹を探り当てられるものだ。貴族って人の心が読める特殊能力を備えているのだろうか?
それに比べて平民は感情を素直に表す。嬉しいときは喜ぶし、腹が立ったら怒る。悲しいときは泣くし。
相手の心情を簡単に読めることは、神経をすり減らさずに済んでとても楽だ。
元々、本の世界なら人の心を理解できるし共感できたのだ。それなのに、貴族の気持ちはさっぱり分からないのだ。
僕が貴族で付き合っているのは、唯一カルダン=オーアットくらいだ。
彼の一家と我が家は同じ伯爵家で、父親同士が学生時代からの親友だった。
それゆえに彼とは生まれたときからの幼なじみであり、親友だった。
オーアット伯爵家は代々林業を主産業としてきたが、その地域はたちの悪い虫が生息する地域で、その虫に刺されて病死する者もいた。
それに友人が心痛めていることを知って、三年前に強力な虫除けスプレーと、殺虫剤を開発した。
その結果、虫に怯えることがなくなったと、オーアット伯爵家だけでなく多くの人々に感謝された。
それまでは僕を変人と蔑んでいた元知人の貴族達が、急に天才だの博士だの言い出して擦り寄ってきたときには笑ってしまった。そして同時に怖くなった。
そんな僕の盾になってくれたのがカルダンだった。
恩返しだとか言っていたが、虫除けを作る前から守ってくれていた。だからこそ彼のことは信用できるのだ。
マクシミリアンは僕と同じ境遇だ。
彼らの兄も社会改革派で、農民達を引き連れて隣国へ渡った。その結果子爵家から平民になった。
しかも、彼の父親は宮廷貴族だったために王城勤めをクビになってしまった。そんな彼を父が商会で雇ったのだ。
しかしそれは決して同病相哀れむというお情けからではなかった。長年王城で経理の仕事に就いていた、その実力を買ったからだ。
その証拠にマクシミリアンの父親が一人抜けただけで、王城はてんてこ舞いしたと聞いている。
「過労死する前に父が城勤めを辞められて本当に良かった。感謝している」
以前彼がそう言ったことがあった。いや、うちの商会も助かっているのだからお互い様だと僕は思った。
そう、今朝までは単純にそう思っていたんだ。
しかし、ブラスボート男爵令嬢の話を聞いて、この一連の流れは最初から兄が立てた筋書きだったのではないか、という考えが頭に浮かんだのだ。
だって、兄達の起こした事件によって、その原因を作った貴族や、それを見て見ぬ振りをしてきた王家、そして王城の人間は皆困った状況に陥っている。
それに対して、うちを含めて社会改革派の家族達はみな平民には落とされたが、それでも何とか生き延びている。いや、むしろ少し右肩上がり状態になっている気がする……
ブラスボート男爵令嬢は自分の推測だと前置きしてから兄のことを述べていた。
でも、もしかしたら彼女は、兄とは何かしら良い繋がりがあったのかもしれない。なんとなくそんな気がした。
ふとロッドに目をやると、僕と彼女のラブロマンスを勝手に夢想してニヤニヤとしていた。
ロッドは運送業をしている家の息子で、父親がうちの商会の仕事を請け負っている関係で幼いころからの友達だ。
裏表のない明るく元気で気のいいやつだ。
彼はその素直さで、幼いころからありのままの僕を受け入れてくれている。まさにかけがえのない幼なじみだ。
今日は兄やブラスボート男爵令嬢のことだけでなく、友人達の大切さを改めて思い知った、そんな一日だった。




