第七章③
文化祭の前日、リハーサルも順調に終わり明音は菜々美と小百合と一緒に帰ろうと廊下を歩いていると、
「あっ」
と明音が足を止める。明音の前には明音を馬鹿娘呼ばわりした河野先生がいた。
「うん、どうしたの」
事情を知らない小百合が聞く。
「明音、あの先生苦手なの」
と菜々美がフォローする。河野先生が明音達を通り過ぎようとする。明音はふと、河野先生に聞いてみたい事があった。今まで恐くて聞けなかったのだが、今なら聞けるような気がした。
「河野先生」
明音が声を掛ける。菜々美が驚いていた。
「……何だ」
高圧的な態度で河野先生が言う。それが明音を緊張させたが勇気を出す。
「何で、私の事、馬鹿娘なんて呼んだんですか?」
それを聞いた菜々美が焦る。きっと、あまり聞かない方が良かったのかもしれない。でも、ある程度、時間が経った今、どうしても気になったのだ。
「……」
しばらく黙り込む河野先生。そして
「面倒だったからだよ」
そう一言。そしてその場を去ろうとした。
「あの、先生、明日の文化祭で合唱をするんで良かったら見に来てください」
それに対して河野先生は一瞥もくれずに去っていった。
「面倒くさい……」
明音がその言葉を呟く。一体、何が面倒だったのだろうか。耳が聞えなかった時に、知らない内に迷惑を掛けてイラつかせていたのかも知れない。
「……明音」
菜々美が声を掛ける。そっちに明音が向く。
「菜々美が言ったとおりだったね。私、知らない内に迷惑掛けていたのかな」
「まあ、仕方ないじゃない。過ぎたことだし。それにしても、よく合唱に誘ったね」
「うん、何と言うか、仲直りじゃないけど、そんな感じになればと思って」
「心が広いのね、明音は。私ならそんな風には思えないわ」
小百合がお人好しと言わんばかりに言う。明音はそれに苦笑で返した。
「いよいよ、明日だね」
「そうだね」
今までの事を振り返る。最初は自分でも無茶な事だと思っていた。
初めて耳が聞えるようになった時、想像していたのとはまったく違うが生活だった。楽しい学校生活が始まると思ったのに実際は苦しい辛い気持ちで一杯になった。最後には学校に行かなく
なったりもした。でも菜々美に助けられて、どうにか学校に通えるようになった。
さらに初めてカラオケに行って歌うことを知った。最初はまったく歌えなかったけれども、小百合と出会って一緒に歌ってみたいと思って、そして、この合唱に行き着いた。
耳が聞えなかった私が合唱する事になるなんて、まるで奇跡のような出来事だ。
「明日、頑張ろうね」
「うん」
「もちろん」
この二人に支えられて、たくわん先生や宮澤部長、吹奏楽部の人たちに支えられて、ここまで来た。
「絶対成功させよう」
「オー」
三人で手を高く上げる。本当に菜々美と小百合と友達になれて良かった。毎度毎度感じることではあるが改めて明音はそれを噛み締めていた。
その日の夜、夕食を家族で食べていると、
「いよいよ明日、本番ね」
お母さんが言う。
「うん」
「そうか、明日か」
今度はお父さんが感慨深げに言う。
「休みだし、お母さんと一緒に見に行くか」
「あら、良いわね」
「嫌だよ。恥ずかしい」
明音が言うと
「良いじゃない」
とそんな事を行ってくる。明音は本当に勘弁して欲しいと思った。
「しかし、あの明音が合唱するなんてな」
そう言って天井を見上げる。
「本当に世の中分からないもんだ」
お父さんが何かを我慢しているのか、しばらく上を向いたままでいる。しばらくして、顔を戻して、
「まあ、頑張りなさい」
と一言。
「はい」
明音は力一杯、返事をする。
お父さんとお母さんにも色々迷惑を掛けてきた。この合唱が少しでも恩返しになれば良いなと明音は思った。




