プロローグ「姉」
ルノートは夜通し街を歩いていた。もしかしたら、ドミナとの邂逅を期待していたのかもしれない。
夜でも盛る繁華街を歩きながら、ふと、そんなことを考える。
唐突に、人気の少ない路地の方へ曲がる。今までは表の広い道を歩いていたから、路地の方に入ると一気に雰囲気が変わった。深夜のため、開いている店は数少ない。飲み屋だったりコンビニエンスストアの明かりが見える。
酔った三人組の男がふらふらと隣を通り過ぎた。彼らはルノートを何か言いたげに見て、結局、何も言わずに進んでいく。
ルノートは路地から、路地裏の方へと迷い込むように入った。さらに人気がなくなり、明かりもないために視界は真っ暗。ルノートの吐く白い息だけが目立つ。
彼は一歩一歩を踏みしめるように繰り出して、唐突に足を止めた。
空を見上げる。天気予報では晴れになっていたのだが、ぽつぽつと雨が降り出した。
ルノートは来た道を戻ることもなく、雨に濡れるのを厭うわけでもなく、ただ淡々と前を進んでいく。
行き先など決めていない。彼は満足するまで、足は止めずにいるつもりだ。
「ルノートさん」
ルノートはロクリアに呼ばれた気がして、後ろを振り返った。ロクリアの姿などどこにもない。
あの愛情に飢えた子犬のような瞳も、もうどこにも。
「ロクリア・・・」
ルノートは過去を断ち切ることなんてできなかった。ドミナのことも、自身がその手で殺したロクリアのことも、全て。
このままではきっとエリギアにまた説教をされてしまうだろう。
そう考えて、また歩き始める。濡れたアスファルトのにおいが鼻に飛び込んでくる。
「おーい」
突如として誰かの声が聞こえた。ルノートは振り返る。するとそこには、一人の女性が立っていた。彼女もまた傘を差していない上、なぜかこちらに向かって手を振っている。
海のように澄んだ青の長髪にその美貌。身長もルノートより高く、なによりスタイルが良い。声も凛としていて、極めつけはその獅子のような金色の瞳だった。
どこかドミナを彷彿とさせるような姿。
ルノートは静かに息を呑んだ。
「そこのオマエ、あたしと飲まねぇか?」
女性はにっこりと、満面の笑みを浮かべてそう言った。
「僕は未成年なので、すみません」
「え、そうなの。見えねぇ・・・でも酒さえ頼まなければ大丈夫でしょ」
「えぇ」
初対面の者に対してここまで近々しい距離感で話す人物に絡まれたのは初めてだ。ルノートはそう思いながら、渋々彼女の提案を飲んだ。ちなみにここシンフォニ王国の成人は、男女共に二十歳と決められている。
二人して並んで歩いて飲み屋に向かう。どうやらお気に入りの店でもあるのか、彼女は少し前に出て先導する。
到着した飲み屋は狭い路地の通りにあったからか、明かりが暖簾や扉から漏れ出て向こうまでも仄かに明るくなっていた。
暖簾を潜って中に入る。店は空いていて、客は今来たルノートと女性以外誰もいなかった。店主らしき高齢の男性が奥から現れて、女性を見るなり表情を緩めた。
「また来たのか、ローズブレイド家の嬢ちゃん」
「家柄なんてどうだっていいだろ? あたしは単純に酒を飲みに来たんだ」
高齢の男性の放った『ローズブレイド家』という家名が、ルノートの耳に引っかかった。
ローズブレイド家。それはこの国の大貴族の名である。隣に立つ女性が、そんな家の生まれの者だったとは知らず、今までの彼女に対する態度を思い出してルノートは体を縮めた。
女性はカウンター席に座る。そして隣の席をルノートに指し示す。ルノートもまた彼女に倣うように隣へ座る。
「そこのガキは酒なんざ飲めねぇだろ」
「はい、まだ未成年なので」
「見たところ中坊か。ジュースでいいか」
「はい」
店主の男性と会話をしながら、ルノートはポケットに手を突っ込んだ。
財布は丁度持ってきていた。隣で女性が焼酎を頼む。
高齢の男性が酒を注ぎ、ジュースを注ぎとしている間に、ふと女性がルノートの方を見た。
「そういや、自己紹介がまだだったな。あたしはリオティナ・ローズブレイド。好きな物は酒だ。よろしく」
「僕はルノート・ヴルピウスです。よろしくお願いします」
挨拶をしていると、ふと、グラスが目の前に運ばれてきた。
リオティナはすぐさまグラスに口を付け、勢いよく酒を飲んだ。
「かぁああ、やっぱりここの焼酎は美味ぇな」
リオティナが、またルノートの方を見やる。
「オマエさ、家族ってどう思う?」
「家族・・・」
ルノートもまたグラスに口を付ける。運ばれてきたのはオレンジジュースだった。
「あたしさ、妹がいたんだよ」
「妹ですか」
「ああ。あたしとは違って正反対の赤い髪をした子でさ、まあ、つまり『勇者』に選ばれた子だったのさ。あたしが小学生の時に、妹は行方不明になった。妹はまだその時二歳だったか、三歳だったか、そのくらいだった」
なぜか、ルノートはドミナのことを思い浮かべていた。リオティナとドミナはどこか似ている。
というか、リオティナの指す妹という人物が、ドミナなのではないかという確信さえあった。
「ちなみに、妹さんの名前は?」
「ドミナだ」
やはり、そうだった。そうだと分かってはいたのだが、途轍もない衝撃を喰らった。
ルノートは体が固まる。それを不思議に思ったのか、リオティナが「どうした?」と声を飛ばす。
「あたしはずっと妹を探している。おそらくあの『エリルド・モハメラス科学機構』とかいうクソみてぇな研究者どもに連れ去られたんだろうさ。何度も殴り込みに行ったが、警備隊に止められた」
ドミナはとある施設に入れられていた。エリルド・モハメラス科学機構は、この国で最も最先端の技術を有する研究者の集まりであるが、確かに彼らならドミナを研究対象にしなくもない。
「警備隊とあいつらはグルだ。その上、警備隊と王族もグル。あたしは誰も信用できねぇまま歳ばかり重ねた」
ふん、とリオティナが自嘲するように鼻で笑った。
「まあ実際のところ、あたしのただの推測でしかないな。本当にあの研究者どもがドミナを連れて行ったのかは分からん。今よくよく昔の自分を振り返ってみれば、愚かだと思う。思い込んですぐ行動に移って」
リオティナがグラスに口を付ける。すでに彼女は酒を飲み終えてしまったようだ。カラン、と氷の音が聞こえる。
「あたしは自分の父や母に対しても疑いの目を向けた。ドミナのことを探しもせず、一体何をやっているのだと。でも実際は違った。あたしの両親は王族や貴族を介し、ドミナの情報を集めようとしていたんだ。でも実際に有力な情報は何も得られず・・・泣き寝入りすることになった」
ルノートもまたグラスに口を付け、オレンジジュースを飲む。ルノートのグラスにはまだジュースがたっぷりと残っている。
「あたしは家族って、かけがえのない大切な存在だと思う。たとえ離ればなれになったとしても、繋がりが完全に断ち切れることはない」
ふぅ、とリオティナが溜め息を吐いた。
「それで、オマエはどう思う? 家族について」
「僕は・・・」
ルノートは自身の両親のことを思い出す。ダイアのことを思い出す。ドミナのことを考える。
「僕は以前まで、家族のことが分からなくなっていました。でもある人と出会って、その価値観が変わりました」
ルノートは真っすぐとリオティナの目を見つめる。
「家族はこんなにも温かくて、こんなにも側を離れたくないと思えるほど幸せなんだと知りました」
ルノートは優しくグラスを握る。
「だから僕は、家族は素敵なものだと思っています。リオティナさんがおっしゃったように、たとえ離ればなれになったとしても繋がりが切れるわけではない」
ドミナのことばかりが頭に浮かんでいる。しかし、僕はどうしてかリオティナにドミナのことを伝える気にはなれなかった。
それはどうしてなのだろうか。ルノートは思考する。
もしや僕は、ドミナがどこか遠くに行ってしまうのではないかと不安に思っているのか。彼女を振った分際で、僕は何を悩んでいる――と。
リオティナの前にあるグラスの中で、からん、とまた氷が動いた。




