4「ドミナの回想①」
床、天井、壁全てが白い部屋。部屋というより、空間と呼ぶに相応しい。最低限の設備だけ用意されただけの場所。窓はなければ、何かをするための道具や娯楽品など一切存在しない。
この空間に他の誰かがいるわけでもない。会話をすることさえできない。
ただ一人、寝台で横になり、憎いくらいに純白な天上を眺めるしかできない。
こんな空間にも扉があり、扉は外にいる白衣を着た者たちが自由に開閉する。彼らは扉をノックし、開く。そして番号を呼び、中にいた者を外へと連れ出していく。外へ連れ出した後、彼らは中にいた者たちの体を好き勝手に弄ぶ。『優秀な者』と呼称される者は体の診察だけで済み、『劣った者』とされる者は酷く嬲られた。拷問される者もいれば、慰みものになる者もいる。
そんな中でドミナは『優秀な者』の部類に当てはまった。彼女はいつも部屋で眠っていたが、扉が開かれた時にはすぐ目を覚ますよう体が学習していた。彼女は白衣の男に『五二一番』と呼ばれ、外へ連れ出される。
部屋の外にある通路もまた、白い。どこにも汚れが見当たらない。恐ろしいくらいに白い。
ドミナは黙って白衣の男に着いて行き、幾つかの場所へ連れて行かれる。最初は診察室。彼女の体で『実験』した後の経過観察を診るのだ。それは基本的に一時間ほどで済むが、今日はやけに長い。
ドミナは金色の瞳を、部屋で機械を操作する白衣の者たちへ向けながら、彼らに聞こえない大きさで溜め息を吐いた。
機械の画面にドミナの心電図、詳細は分からないが幾つかの数値、そして小さな文字でさらに多くの数値が示されていた。ドミナはそれをじっと眺めて過ごす。彼女は体を動かしてはならない。台の上に寝かせられ、全身を謎の機械で覆われているためだ。唯一頭だけは機械の外に出ているが、頭部にはまた別の装置を取り付けられている。
体の状態を調べ終わったのか、白衣の者たちがドミナから機械を離した。ドミナは動く許可を得、ゆっくりと体を起こす。
それから彼女はまた別の部屋へと連れて行かれる。診察室から少し遠くにある薬剤室だ。そこで彼女はいつも服用しなければならない錠剤をもらっている。その錠剤は彼女の『実験』された体を正常に保つために必要な薬で、毎食後、時間を置かずすぐに飲まなければならない。
ドミナは自分がされた『実験』のことを覚えていない。それは『実験』を施された時の彼女がまだ生まれたばかりだったからだろう。
ドミナは薬剤室にまで進んでいく白衣の者の後を着いて行く。道中、とある部屋の前を横切った。その部屋はガラス張りだ。
この建物の中心にある、『実験体』を調教するための部屋だ。どの時間にもその調教は行われている。機械に繋がれ体を嬲られる者、強姦される者、拷問のように体を痛め付けられる者など。
つい最近、ドミナと近い年齢の『実験体』がこの部屋で調教されていた。その『実験体』はドミナの一つか二つ年上で、ドミナとは違い『劣った者』だった。性別は男。両手、両足の爪を全て剥がされ、上下の前歯を引き抜かれるという調教を受けた。彼はいつも『実験』に反抗的だった。そのため、白衣の者たちは皆この部屋でその者が調教される様を楽しげに眺めていた。
彼らはいつも調教される光景を目に談笑し合う。残酷なことに、『実験体』の『優秀な者』は皆この調教の光景を彼らと共に眺めなければならない。
ドミナ以外の『優秀な者』は皆冷めた目をしていた。見慣れてしまったのだ。毎日繰り返される悲鳴、絶叫、血。泣き声、笑い声。
中には調教される『劣った者』のことを馬鹿にして、白衣の者たちと同じように笑みを浮かべる者もいた。
ドミナはそんな光景を嫌悪していた。調教される光景はいつも直視することができなかった。
ガラス張りの調教部屋を通り過ぎてやっと、薬剤室へ到着した。薬剤室へ入ると同時に、鼻をツンと刺す薬のにおいが漂う。ドミナは部屋の簡素な椅子に座り、白衣の者たちが薬を運んでくるのを待つ。この時、唯一白衣の者たちが彼女の側を離れる。両隣にも同じく席があることから、薬を待つ同じ『実験体』の者と会話をすることができた。
そこでドミナは一人の少女と知り合った。夜のような美しい紫の髪をした少女だった。彼女は頭に包帯を巻いていて、そこに少しだけ血が滲んでいた。
他の『実験体』にはないものを、ドミナは彼女に感じていた。
唯一彼女だけが、その瞳に光を宿していたのだ。
「こんにちは」
初めて少女に声をかけられた時、それは単なる挨拶だった。声をかけられないように眠ったふりをしていたドミナは驚いて肩を跳ねさせる。彼女の様子を見て、少女は微笑んでいる。
「こ、こんにちは・・・」
ぎこちなく挨拶を返してドミナは下を向く。なぜか上手く彼女と目を合わせられなかったのだ。
「貴方、『優秀な者』ね」
体に傷がなく、身格好が汚れていないためか、少女はドミナのことをすぐに見抜いた。この薬剤室には『優秀な者』だけでなく、『劣った者』も訪れる。皆共通して、『実験』された体を正常に保つための薬を貰いに来ているのだ。
「私は最近になってやっと、『優秀な者』になれたの」
「最近になって・・・?」
「何かしらの才知を見出されさえすれば、誰でも優秀になれるわ。でも、そう簡単な話ではないけれどね」
少女はドミナと年が近く見えるが、そう感じさせないほどあまりにも落ち着いていた。十字型の金色の瞳を持つ右目を向けて、少女は再び微笑む。彼女の左目は普通の丸い瞳で、赤い色をしている。
「その傷は?」
ドミナは彼女の頭に巻かれた包帯について尋ねた。彼女はやけに落ち着いた素振りで口を開く。
「優秀になったのはつい最近の話で、それ以前、私はずっと調教を受けていたの。私は誰にも反抗したことはないわ。でも、暴行を受けた」
彼女は言いながら薄く笑みを浮かべる。その笑みの真意をドミナは薄々と察していた。痛み、悲しみ、苦しみを和らげるために、『実験体』の者は皆同じような薄笑いを浮かべるのだ。
ドミナは今まで散々その表情を目にしてきた。この間この薬剤室で話した少年がいる。少年も彼女と同じ笑みを浮かべていた。
ドミナは上手く言葉を返せずに俯く。その行動に自分で嫌悪感を抱いたが、結局何も言えず。どんなに彼女を慰める言葉を探せど、その慰めに意味などないことは理解している。慰めなど調教された者には必要ないのだ。必要なのは救いと解放。それだけ。
「貴方、年は幾つ?」
少女に年齢を尋ねられた。
自分の年齢などドミナは数えたことがなかった。しかし、以前に白衣の者たちが自身のことを話していた光景を思い出した。彼らの会話にはドミナのことが詳細に語られていた。ドミナという名前、血液型、年齢その他にも色々。
「七歳」
ドミナは少女と目を合わせずに答えた。
「私は九歳。貴方の二つ年上ね」
少女は溜め息交じりにそう言った。
「名前は?」
少女の問いに、ドミナはゆっくりと口を開く。
「五二一番」
「そう。私は五三一番。本名は覚えてる?」
「ドミナ」
「私はオルタ」
この建物で生きる『実験体』は本名ではなく、番号で管理されている。番号が新たな名前として使用され、本名は捨てられたものとして扱われた。
ドミナは生まれてすぐこの建物へ送られてきた。だからこそ、この生活が当たり前と化していた。
「貴方、とても不思議ね」
突如として少女がそう言った。
「貴方の目には光があるもの。ここにいる誰にも存在しない、生きた光が」
「光・・・」
ドミナは驚いて目を見開いた。
「オルタ、わたしもあなたにその光を感じる」
ドミナのその台詞に、彼女もまた驚いた反応を見せた。
「あら、そうなの」
二人の会話はそれから途絶えた。共に沈黙している。ドミナは頭の中で先ほど彼女に言われた『光』のことを、ずっと考え込んでいた。正直自分の目に光が宿っていることなど、信じられなかった。
だがもしそれが本当であるのならば――。ドミナは他の『実験体』たちとは違うという暗い優越感に浸った。
沈黙は続き、結局最後まで何も会話を切り出せなかった。戻ってきた白衣の者が少女の番号を呼び、薬剤室から連れ出していく。
それが彼女――オルタとの初めての出会いだった。




