9「さようなら」
ロクリアは記憶している。かつて自分が見知らぬ施設で育てられたことを。
真っ白な空間。名前も分からない機械に繋がれ、体を調べられる。その過程に抵抗した者たちは皆、『調教』と呼ばれる公開処刑を喰らった。
そんな生活ばかりが続いたある日、この施設にディエゴス・シンフォニがやって来た。彼はロクリアを見るなり、満足げな笑みを浮かべ――。
「ロクリア。君の名前だ。これから俺のところへ来るといい」
手を差し出された。父がいるのなら、きっと彼のような人なのだろう。そう感じたロクリアは、迷いもなく彼の手を取った。
ロクリアは知っている。自身が、家族の中で最も才能がないことを。
一番上の姉、イオニア。彼女だけが唯一、父であるディエゴスと血が繋がっている。父が通っていたと言うハルモニー学院という名門校で、生徒会長を務める彼女。彼女は文武両道で、生徒の皆から好かれていた。もちろん、ロクリアも彼女のことを好いていた。
そしてもう一人の姉、エオリア。彼女は『勇者エネア』の末裔であるとされ、王族や貴族の間で特別視されていた。ハルモニー学院で生徒会副会長を務めている。
ロクリアは、姉と比べて遥かに劣っていた。文武両道ではあるが、イオニアほどではない。あの施設に飼い殺しにされていたとはいえど、エオリアほどの能力や魔法を有しているわけでもない。
それに、父となったディエゴスが彼女を特別愛しているわけでもなかった。
いつも彼はロクリアに対し冷淡であり、最低限以外の会話はできなかった。それが、幼かったロクリアの心に深く傷を植え付けた。
ある日だった。それは夏の夜で、暑さのあまり目を覚ましたロクリアがトイレへ行こうと廊下を歩いていた時だった。
ディエゴスの部屋から声が聞こえる。ぎしぎしというベッドの軋む音。
嬌声だった。ロクリアは丁度扉が半開きになっていたため、そこからこっそりと彼の部屋を覗き込んだ。
裸のイオニアと、ディエゴスがまぐわっていた。
その光景はあまりに強く記憶に焼き付いた。ロクリアはその日から、イオニアと喋ることはなくなった。
まだ中学生だったイオニアに、おそらく、ディエゴスは亡き妻の姿を重ねていたのだろう。
ロクリアは一人、部屋でベッドに寝転んだ。
このまま永遠に眠ってしまえと思いながら。
ディエゴスはイオニアに夢中で、イオニアは従順な飼い犬のように彼へ従っているばかり。エオリアだけが唯一、ロクリアに声をかけてくれた。
彼女だけが唯一、ロクリアに優しくしてくれたのだ。
ロクリアが自傷行為や自殺未遂を始めたのが、丁度ハルモニー学院に入ってからだった。
自身の『体質』のせいで死ねないことを知ったのも丁度その時期だった。
ある日、ロクリアがナイフを喉元にあてがう様子を、エオリアに見られてしまった。エオリアはロクリアを必死になって止めた。
ロクリアは心の中でどこか淡い期待をしていたのかもしれない。
エオリアが、ロクリアの死を肯定してくれる。そんな、淡い期待を。
もちろん、そんなことはなかった。
だからこそ、エオリアと『一人暮らし』という距離を置くことにした。
その果てに、運命の人を見つけた。自身と同じ孤独を目に映す人物・・・それが、ルノートだったのだ。
ロクリアは目を覚ました。
隣でまだ眠っているルノートを見て、ほっとする。
嫌な昔の夢を見ていたからだ。
ロクリアはルノートの体に触れる。温かい手触りが、今は心の救いだった。
「ロクリア・・・?」
目を覚ましたのか、ルノートが小さくそう尋ねた。
ロクリアは彼の体にぎゅっと抱き着き、嬉しそうに目を細める。そして、こう言った。
「ちゃんと、私を殺してくださいね」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
朝、目を覚まし、支度を済ませたルノート、ロクリア、オルタ、エリギアは駐車場へ行って車の中へと乗り込んだ。
どうやらオルタが任務に関する未来を見たようで、早速行動に移るとのこと。
目的地はバー『パルシェ』。つい先日行ったばかりのあそこで、ユエムが待っていると言う。
ルノートは不意にスマートフォンを確認した。すると、連絡先は消していなかったため、ユエムからメッセージが来ていた。
『「夜の蜘蛛」へ伝えろ。バー「パルシェ」へ来いと』
メッセージが来たのは丁度今。
車が発進する前だったため、ルノートはエリギアへスマホを手渡した。
「なるほどな。ムジクから連絡が来たと」
「一体何を考えているのかしら」
オルタとエリギアが考え込む。
一まず『パルシェ』に行けばムジクーーユエムーーと会えることは間違いないようだ。
そのため、一行は『パルシェ』目指し出発した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『パルシェ』に到達した。一行は『パルシェ』の扉を開く。
店内は血生臭いにおいが漂っていた。どうやら昨日の惨状がそのままになっていたようで、思わずルノートは口元を押さえる。
するとロクリアが不安げな目をして彼の手を掴んだ。ルノートは口元から手を離し、彼女のことを抱き寄せる。
「よく来たな、『夜の蜘蛛』」
ユエムはカウンター席に座っていた。スーツ姿の彼はネクタイをきゅっと締めて立ち上がり、歓迎するかのように両腕を広げた。
「戦う前に、まずそこのルノートと話をさせてくれないか」
「分かった」
エリギアが代表して返事をする。
「ユエム様・・・」
「ルノート。お前に言っておかなければならないことがある」
ユエムのあのくぼんだ目に光が灯っている気がした。
「あの日、お前の家は火事にあった。家族みんなもろとも焼けてしまった。そう思っているだろう?」
ユエムの言いぶりに、ふと、ルノートはダイアのことを考えた。彼女は死体が見つからず、行方不明扱いとなっている。
デサイアもダイアのことについて何か言いかけていた。
もしや――。
「――お前の妹、ダイアは生きている」
その瞬間、ルノートは目を瞠った。絶望しかなかった今の状況に、一筋の希望が差し込んできたのだ。
死ぬしかない。そう思っていたルノートは、生きる理由を得た。
「ダイアはウツグが連れている。ウツグというのはお前を利用しようとしている『復讐の女神』のことだ。どうして利用されているかとか、そういった諸々の理由はすでにお前なら知っているだろう」
ルノートはただ一言「ありがとうございます」と返す。
「どうして、そのことを僕に教えてくださるのですか」
「――私にも分からないんだ、それが」
ユエムが初めて普通に笑った。
「もしかしたら、お前に過去の自分を重ねているのかもしれん」
ユエムは言いながら、はぁと溜め息を吐く。
「話は終わった。さぁ、早速私を殺せ」
ユエムはエリギアに向かって言った。
エリギアは了承したとばかりに頷く。
彼は指を動かした。糸がユエム目がけて飛んでいく。
次の瞬間、ユエムの首は糸によって刎ねられた。
血飛沫が上がる。
ユエムの死に顔はどこか穏やかだった。
ルノートはロクリアを抱き寄せる手に力を込める。ロクリアは酷く怯えていた。
「それにしても、あっさり終わっちまったな」
エリギアはだるそうに頭を掻きながら言う。
「早速ボスに報告しに行きましょう」
「だな」
オルタとエリギアが言いながら『パルシェ』を出ていく。
残されたルノートとロクリアはふと、顔を見合わせた。
「ルノートさん、怖かったです・・・」
「大丈夫、もう終わったから」
約束の時が近付いてきた。ルノートは、ロクリアを殺さなければならない。
「ルノートさん、約束、覚えていますよね」
「ああ、君を殺さないといけないね」
「その後、ルノートさんも一緒に死んでくれるんですよね? その・・・ドラマみたいですね」
彼女の言葉に、不意にルノートは首を横へ振る。
「僕は死なない。生きる理由ができたんだ」
ロクリアが「え」と小さく呟く。
「妹を助け出す。それが、僕の生きる理由だ」
「そんな・・・」
ロクリアが目に涙を溜めている。
「嘘つき」
「ごめん。だから、君と一緒には死ねない。でも約束は果たすよ」
ロクリアが目に溢れた涙を拭う。そして、何か言いたげに目線を彷徨わせる。
ルノートは彼女の首元へ目をやった。華奢な首。両手で力を込めれば、すぐにへし折れてしまいそうなほど。
「分かりました」
ロクリアがこほんと咳払いをする。
「ルノートさんはもう一人でも大丈夫なのですね」
「うん」
ロクリアがふと、背伸びをした。
彼女の唇とルノートの唇が重なる。長いようで短い口付けを終えた二人は、互いに見つめ合う。
「ありがとうございます、ルノートさん。私は、貴方と出会えて幸せでした」
ロクリアが微笑んだ。その笑みは、何よりも輝いて見えた。
「――さようなら」
ルノートは唇をきゅっと噛みしめた。あのどす黒い巨大な手を召喚し、剣を握らせる。
それを見たロクリアが目を瞑って深呼吸した。
呼吸の音がやけに響いて聞こえる。
手を動かし、ロクリアの心臓へ剣を突き刺す。血がゆっくりと溢れる。
「さようなら、ロクリア」
倒れる彼女の体を抱き留める。ルノートは彼女の体を抱きかかえ、エレベーターへ乗った。
エレベーターが下の階へ到達するまでの時間は、やけに長く感じた。
先に下で待っていたエリギアとオルタが目を見開く。
「あんた、そいつを殺したのか」
「はい。約束していたので」
「そうか・・・」
エリギアがそう言って不意に煙草を取り出した。口に咥えて火を点ける。フリント式ライターのシャリッという音が辺りに響いた。
「早く車に乗せなさい。誰かに見られると大騒ぎになるわよ」
ルノートは車の鍵を預かって、急いで車へ戻った。この通りは人通りが少ないお蔭で誰にも目撃されることはなかった。
後部座席に座らせる。彼女は死んでいるのではなく、眠っているのではないかと思うほど、安らかな表情をしていた。
やっと煙草を吸い終えたエリギアと、オルタが戻って来た。




