7「自分が自分ではなくなる」
「ムジク・シンフォニはいねぇか」
エリギアがバー『パルシェ』の扉を開けるなり、そう言った。
「なんすか」
一人の男性が控え室から姿を現したかと思えば、アヴォイドだった。短い茶髪の彼は、エリギアを見て顔をしかめるも、その背後にいたルノートを見て表情を緩めた。
「おお、ルノートか。どうした」
ルノートは何も答えない。彼は暗い表情をしたまま、どこか遠くを向いている。
「アヴォイド・・・『アルペシア』の連中か」
エリギアが人差し指を折り曲げた。その瞬間、一筋の糸がアヴォイド目がけて迫った。
アヴォイドはそれに気付き、慌てて回避する。エリギアは間髪を容れず、また指を折って糸を飛ばす。
今度は先ほどと比べて数が増えていた。アヴォイドは慌てて回避するも、左腕を切断された。
「くそ・・・」
アヴォイドはアンデッド族。つまり、不死の体を持つのだ。しかしながら、頭部深くに埋め込まれたコアなるものを破壊されれば完全に死んでしまう。
「いきなり何するんすか! こっちはただでさえ――!」
アヴォイドが言いかけたところで、エリギアがルノートを見た。
「殺れ」
エリギアの一言が、ルノートの心に重くのしかかった。かつての仲間と対峙する。それが、どれほど苦しいものか。
ルノートは歯を噛み締め、あのどす黒い手を出現させた。その手には同じ色をした剣が握られている。
「おい、ルノート・・・お前、本気で戦うつもりなのかよ」
アヴォイドがルノートへ呟くように声を飛ばす。
彼は悲痛な面持ちをしていた。
「すみません、アヴォイドさん」
ルノートが静かに言葉を吐く。
「僕にはこうするしか、道が残されていないんです」
ルノートがどす黒い手を動かした。巨大な手は剣を振る。天井を抉りながら振り下ろされる一太刀をアヴォイドは躱す。
アヴォイドは不死以外の能力を一切持たない。魔法は使えないが、暗殺技術に長けた人物だ。だからこそ、正面堂々と戦うのは不慣れである。
「くそっ・・・どいつもこいつも・・・!!」
アヴォイドは王族の始末に追われるユエムを、長期休みを取った様子のおかしなドミナを、そして――目の前で苦しそうな顔をするルノートを思いながら、言葉にした。
アヴォイドがルノートの懐へと潜り込んだ。凄まじい早さだった。巧みな足捌きで、距離を詰めたアヴォイドは拳を作る。
「目ぇ覚ませぇ!!!」
残された右手をルノート目がけて振り上げた。
「ったく、さっさと仕留めろ」
エリギアが指を動かしたのだ。糸が、アヴォイドの右腕を切断する。血が床に勢いよく流れ落ちていく。
アヴォイドは急いで後方へ飛び退こうとするが、そこをルノートは逃がさなかった。彼が呼び出したどす黒い巨大な手。その手が握る剣の一撃が、アヴォイドの首を刎ねた。
「すまねぇ、ユエム様・・・」
アヴォイドは首を切断される直前、そう呟いた。
血飛沫が上がる。アヴォイドは頭部だけの姿となり、床を転がる。
エリギアが糸を動かしてアヴォイドの首を掴み、眼前へ据える。
「最期に聞く。ムジク・シンフォニの居場所を吐け」
エリギアが冷淡に尋ねる。
「お前らには、言わねぇっすよ・・・絶対・・・」
アヴォイドが空気交じりの声でそう言った。
「そうか」
エリギアがまた指を動かした。瞬間、アヴォイドの頭部は粉微塵に斬り裂かれた。もちろん、頭部深くに存在していたコアもまたばらばらになり――。
アヴォイドは完全に死んだ。
「よくやったな、ルノート。死体回収はしなくていいみたいだ。さっさとあいつらのところに戻るぞ」
「はい・・・」
ルノートは血塗れのバーを見渡した。一部始終を眺めていたバーの店員が、怯えた目で彼らを見ている。
尚、客はいない。
「あいつも一応始末しておくか」
エリギアが店員の首を糸で刎ねた。バーの中はまた血で汚れていく。
ルノートは吐き気を堪えながら、その光景を眺めていた。
「どうした」
「いえ、何も・・・」
「あのな」
エリギアがぽんぽんとルノートの肩を軽く叩く。
「『夜の蜘蛛』に入った以上、あんたはそれ以前の過去を断ち切る覚悟をしなければならない。いいか。かつての仲間と対峙しようが、過去の者ならば切り捨ててしまえ。あんたはなぜ『夜の蜘蛛』に入った。任務ぐらい、順当にこなしてみたらどうだ」
エリギアが煙草を口に咥え、火を点ける。灰色の煙を吐きながら、彼はもう一度ルノートを見やる。
「たとえ任務の内容が、ドミナを殺すというものがあったとしても、あんたはそれをこなさなければならない。別に問題はないだろう? 所詮、もう関わりのない過去の人間なのだから」
ルノートはその場に膝から崩れ落ちた。
「あ、ぁっ・・・!!!」
ルノートは涙を流し、思い切り嘔吐した。
「あああああああああああああっっっ!!!!!」
心が壊れていく。
エリギアの一言一言が、脳内で繰り返し再生された。
『過去を断ち切る覚悟をしなければならない』
ルノートは分かっていたはずだ。『夜の蜘蛛』に入る道を選んだ以上、いずれ、『アルペシア』と戦うことになることを。
ルノートは頭を上げた。目の前の惨状は、エリギアと自分が作り上げたものだ。
かつての仲間だったアヴォイド。彼はルノートに優しく、ドミナには嫌われていたが面倒見は良い男だった。
ユエムと酒を飲む姿が、頭に蘇る。
「どうして、僕は・・・」
「今さら後悔すんじゃねぇぞ。これはあんたが自分で選んだ道なんだ。この光景をとくと目に焼き付けろ」
エリギアががしっとルノートの頭を掴んだ。目の前の光景を、彼の目に焼き付けるとせんばかりに。
ルノートは自分が自分ではなくなる、強い離人感を覚えた。
これは本当に僕がやったのだろうか。
ルノートは心の中でそう思いながら、涙を流す。
「さあ、もういいだろ。さっさと帰るぞ」
「はい・・・」
ルノートは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がる。
エリギアが吸殻を床へ放り、踏み潰す。
ルノートは足元で潰れた吸殻を見つめる。その様はまるで、今の自分のようであると思った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おかえりなさい、ルノートさん」
「遅かったわね」
ロクリアとオルタが、車に戻って来たルノートとエリギアに言った。
ルノートが暗い顔をしているからか、ロクリアが心配そうに彼を見つめていた。
ルノートの目が、ロクリアを捉える。
「ロクリア・・・」
「どうしましたか」
「僕にはもう、君しかいない」
その瞬間、ロクリアが頬を赤く染めた。
「そんな・・・嬉しいです、ルノートさん」
ロクリアとルノートは見つめ合う。
「またいちゃつきやがって」
エリギアが舌打ちをする。
「嫉妬することはないでしょう、おじさん」
「ああ、んだよ、あんたには分かんねぇだろうが」
「ふふ」
「何笑ってんだ!」
エリギアが大声を上げ、オルタが笑い声を上げる。
ルノートはロクリアの手を握った。彼女の体温を確かめる。もう、何が正しいのか分からない。
ただ、彼女さえいてくれればなんとかなる気がしてきた。
だがいずれは、彼女を殺さなくてはならない。
ルノートは彼女の顔をじっと見つめる。
「ルノートさん。そんなに見つめられると、凄くドキドキします・・・」
ロクリアがそう言いながら目を逸らした。
車が発進するまでルノートは彼女を見つめていた。
しばらく車に揺られ、ロクリアの手を握って過ごしていると、ようやくホテルへと到着した。
車を降りて、駐車場に出る。
ロクリアと手は繋いだまま、ルノートは部屋まで戻った。
部屋に入るなり、ルノートはロクリアの唇を奪った。舌まで絡めて、熱烈に彼女の体温を味わう。
蕩けた目をしたロクリアが、彼をじっと見つめる。彼女は欲している。
脳天を貫くほど深く、傷口を抉っていく闇を。




