5「父」
朝を迎えた。ルノートは体を起こす。隣に眠る裸のロクリアを一瞥してから、ベッドを降りた。彼もまた裸だったため、服を身に着ける。
顔を洗いに行く。トイレ、風呂、洗面所が一体化した空間。壁に付けられた鏡を見て、不意にルノートは目を見開いた。
自身の姿が、父と重なって見えたのだ。
傷だらけの体。それが父の暴力の証明をしている。そして、昨日ロクリアに手を上げかけた光景を思い出す。
吐き気がした。思わず流しの方に顔を向ける。
思い切り口から吐瀉物をぶちまけた。喉が熱い。頭がぐるぐると眩暈のように回っていて、気持ちが悪い。
ルノートは蛇口を捻る。水で吐瀉物を流して、口を漱ぐ。顔を洗う。側にあったタオルで顔を拭いた。
もう一度、鏡を見た。父の姿は消えていた。
「ルノートさん」
いつの間にか、裸のロクリアが来ていた。彼女は後ろからゆっくりと抱き着いて来る。
「離れてくれ」
「嫌です」
また、頭に血が上りかけた。ルノートははっとして深呼吸をする。
「ルノートさんは私の物ですから。絶対に離れません」
「そっか・・・」
ルノートは必死に感情を抑える。途轍もない嫌気と、心の底から煮え立つ怒り。
「ドミナ、でしたっけ」
ロクリアが不意にドミナの名前を出す。
「私ならその人よりも、貴方のことを満足させてあげられますから」
ルノートの理性は決壊した。思い切りロクリアを体から引き剥がして、そしてその顔面を殴りつけた。
「黙れ、これ以上口を開くな」
ルノートは低い声で言いながら、彼女を睨み付ける。
殴られたロクリアはと言うと、嬉しそうに微笑んでいた。
「もっと殴ってもいいんですよ」
「口を開くなと言っただろ!!」
ルノートはもう一度彼女の頭を殴りつけた。
ロクリアは床に倒れる。
そんな彼女を見下ろしながら、ルノートははっとする。
また、父のようになってしまった。
自己嫌悪が再発して、ルノートはその場に膝から崩れ落ちた。
「そんな・・・ちがっ・・・僕は、父さんじゃない・・・」
涙が溢れてくる。
ドミナの姿が頭を過る。こんな時に彼女さえいてくれれば。彼女さえいてくれれば、絶対に父のような人間にならなくて済んだのに。
ルノートは運命を怨んだ。『魔王』だの、『勇者』だのそんな不条理な理由でドミナと離れなくてはいけなくなったのだ。
ルノートはロクリアを見やる。彼女はすでに起き上がっていて、涙を流すルノートを心配そうに眺めていた。
「大丈夫ですよ。私は貴方の味方ですから」
「黙れ・・・君は、僕の敵だ」
「そんなことないです。私は味方ですよ」
ロクリアが彼を抱きしめた。小さな子供のように泣く彼を見つめて、ロクリアは満足げに微笑んだ。
「言いましたよね、私は貴方の全てを受け入れる。だから、貴方の欲望全てを私にぶつけてください。私で発散してください。私がいるだけで気が満たされる――そんな関係になりましょう」
ルノートは涙を拭う。そしてロクリアを睨み付けた。
塞がっていたはずの『家族』を失った傷が、徐々に徐々に開いていく。
ルノートはロクリアの唇を無理やりに奪った。そして、押し倒す。
彼女に覆い被さるような体勢で、不意に、その首を絞めた。
「この任務が終わったら、君を絶対に殺してやる」
「はい・・・!」
首を絞められながら、ロクリアが笑う。
ルノートは手から力を離した。そして、もう一度ロクリアと唇を重ねる。
裸の彼女の体へ触れ、手を動かす。
ルノートは彼女の体を味わい、彼女もまたルノートの体を味わう。
どうしようもない堕落が、この瞬間を切っ掛けに始まったのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
バー『パルシェ』。そこで、ユエムとアヴォイド、もう一人桃色の髪の少女がいた。
少女の歳はルノートと同じくらいだろう。頭に生えた二本の小さな角が特徴的だった。
「ユエム様、この子は・・・?」
「新しいメンバーだ。名はトニシュ」
トニシュと呼ばれた少女は、アヴォイドを見て一礼する。
「私とトニシュで、ロクリアの行方を追う。その間、お前がバー『パルシェ』を頼む」
「まじすか、分かりました」
アヴォイドは溌溂に返事をした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
不思議なことにロクリアの家に、彼女の姿は見当たらなかった。インターホンを押せど反応はない。彼女は必ず、姉であるエオリアの来訪には応じると言うのに。
緑色の髪、口には棒付きのキャンディー。この国の第二王女、エオリア・シンフォニだ。
もう一人、金髪の女性がエオリアの側へ。彼女はこの国の第一王女であり、エオリアやロクリアの姉であるイオニア・シンフォニだ。
「お父様に報告するぞ、エオリア」
「ええ。当然よ」
二人は家のすぐ側に止まってある黒い車の中へ入った。これは彼女たちの送迎をする召使のものだ。召使は二人が乗車したことを確認し、車を発進する。後部座席に座った二人。微妙な沈黙が流れている。
「待っていなさい、ロクリア。必ずお姉ちゃんが迎えに行くから・・・」
エオリアがそう言って、力強くキャンディーを噛み潰した。




