7「運が良いのか悪いのか」
数週間が経過した。アデラは自身の姿を一般の女児と変わらぬ見た目へと魔法で『擬装』して、街中を点々として過ごしていた。
アデラの体はなぜか疲れることもなく、汚れることもなく、また眠ることも腹が減ることもない。魔族も人間と同様に生命活動は行う。だが、今のアデラにはそれがない。ただ頭の中にあるのはマキナ、彼女と会うことだった。
「そろそろ会いに行こう」
アデラは路地裏を歩きながらぼやく。ドミナの家へ向かうのだ。彼女の目の前に、一匹の茶色い毛並みの猫が飛び降りてきた。アデラは屈んで猫を撫でる。猫はごろごろと喉を鳴らしながら腹を見せていた。
路地裏を抜けてドミナの住むアパートまで向かった。一度しか行かなかった場所だが、彼女はきちんと記憶している。到着して階段を上がり、ドアをノックした。
「来たか」
ドアが開いたと同時にドミナが声を発した。ドミナは今まで出かけていたのか、外出用の洒落た服を見に着けている。
「って、あれ・・・なんだこの子」
アデラはその時になって気付く。見た目を普通の女児に見せる魔法をかけていたのだ。急いで見た目を戻す。
「ごめんなさい、魔法をかけっぱなしにしてた」
「ああ、アデラか。良かった」
「うん。私」
それからアデラはドミナの家へ入った。前は整然としていた部屋が、少し散らかっている。脱ぎ捨てられた衣服、洗われることなく放置された食器、閉め切られたカーテン。
「すまん、あまり家にいないようにしていたから家事ができなくてな・・・散らかってるが、許してくれ」
「大丈夫。気にしないから」
アデラはちょこんとその小さな体を折りたたむように膝を抱えて座った。
「何か飲むか・・・?」
「前飲んだ紅茶がいい」
「分かった」
テーブルの上にあった荷物を片付け、ドミナはキッチンの方へ行った。しばらくしてお湯が沸いたのか、コップへ注がれる音が響く。ティーパックの入ったコップがアデラの目の前に置かれる。徐々にお湯の色が紅茶の、薄い葡萄色に染まっていく。少ししたところでドミナがティーパックを取り、ゴミ箱へ放った。
「話があって来たんだよな・・・ルノートのことで何か分かったか?」
するとアデラが体勢を変える。彼女は正座しながら紅茶を飲んで一息吐き、口を開く。
「その子はまだこの国にいるみたい・・・確か、第二地区とかいう場所だった」
「それは本当か・・・!!」
「うん」
ドミナがほっとした表情を浮かべる。彼女としては、ルノートがどこか遠くへ行ってしまったのではないかと気がかりで仕方なかったのだろう。
「マキナのことについて分かったことはある?」
「それが・・・あまり有力な情報は得られなかった。本当にこの時代で生きているんだよな?」
「ええ」
あの青年が嘘を吐いたようには思えない。アデラはそう確信している。
「一つだけ噂程度なのだが、思い当たる話を手に入れた」
「教えて」
ドミナが真剣な表情をしてアデラを見据える。
「『テンペスト』と呼ばれる裏社会の組織があるんだが、そこのボスが遥か昔から生きているとのことだ。真偽は不明だが、お前の言うマキナともしかしたら何かしらの関わりがあるかもしれない」
「『テンペスト』・・・」
アデラは考え込む。彼女の言うことが本当であれば、間違いなく魔族と人間の争っていた時代を生き抜いた人物だろう。アデラの見たところ、この国に住む者は皆『魔族』だ。だからこそ、その組織のボスとやらがマキナを知っている可能性は高い。
「有力な情報をありがとう、ドミナ。それじゃあ私は行くね」
「ああ。ルノートに関する情報があれば何でもいい。何でもいいから、また教えてくれ」
「うん」
そうしてドミナと別れた。
アデラは一人夜道を歩いて行く。ドミナにその『テンペスト』とやらの情報をもっと聞き出すべきだった。この国で活動しているのは間違いなさそうだが、どのように関わりを持てばいいか・・・。
「ようやく見つけたぞ」
声が聞こえると共に辺りの空気が豹変した。瘴気だ。瘴気がアデラに迫ってきている。
突如として目の前に裂け目が生じた。ワープホールだ。漆黒の世界から、一人の男が現れる。
狂気的なほど口角を吊り上げて笑う男。間違いない。彼は『殫嗟璱魔』の第一位、グジレだ。
かつてシュレイザーという男が彼の前任、第一位に就いていた。その男はデサイアを利用して――彼女を殺した。
アデラはあの経験から『殫嗟璱魔』という組織を忌み嫌っている。
しかし、一人ではどうすることもできない。アデラは頬を強張らせ、いつ襲われても構わないよう身構える。
「我の手を煩わせた後悔をするがいい、魔女よ」
グジレが足元に魔方陣を開き、剣を抜き出した。その剣は禍々しい赤黒い剣だった。かつて『魔神』と呼ばれた種族の骨から作られたその剣。グジレは手に握ると共に、ゆっくりと歩み寄って来る。
アデラに勝ち目はない。実力差は歴然としている。
神をも虐げる実力者が集う『殫嗟璱魔』。彼らを倒すには、神を以てしても叶わない。
アデラは後退りし、必死に思考を回転させる。絶体絶命だ。彼があの剣を一振りでもすればこの辺りは更地と化すだろう。だからと言ってワープして逃げることもできない。彼の剣は空間をも斬り裂くことができる。アデラが以前住んでいたあの空間に侵入できるのだ。ワープホールなど宛にならない。
すぐ目の前にまでグジレが迫って来た。息が苦しい。彼の体から放たれる瘴気が、体内へ侵入してくる。頭が上手く働かない。
「殺した後からでも其方の力を入手することはできる。だから死ね、魔女よ」
彼が剣でアデラを薙ごうとした瞬間だった。突如として一人の女性がアデラの体を抱えて跳躍した。
剣から斬撃が放たれたが、斬撃はアデラの体を掠めることなく遥か上空へと消えて行った。斬撃が雲と衝突。その瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの轟音と共に強風が地上を拭き荒らした。アデラが先ほどいた場所の近くにあった信号機が倒壊して、ビルの方へと倒れ込んだ地上で次々と建物が倒壊する音が響く。
「また逃げたか・・・」
アデラの姿を見失ったグジレが呟く。彼は剣を消失させて、開いたワープホールの中へと消えていった。
一方、アデラはと言うと、とある路地裏で柔らかな毛の感触に包まれていた。
「もふもふ・・・」
アデラがそう呟いて、体に纏わり付いた毛束を触る。これは尻尾だ。まるで狐のような・・・。
「間一髪じゃったのう・・・それにしても何なのじゃ、あの男は」
女性の声だ。尻尾が体から離れる。するとメイド服を着た狐耳の美女が目の前にいた。
「助けてくれてありがとう。あなたは?」
「妾はヴェイラ。其方が丁度探し求めていた『テンペスト』の幹部じゃぞ」
彼女はそう言って嫣然と笑った。
運が良いのか悪いのか、一まずアデラは『テンペスト』の者と出会えた。
「話はドミナから聞いておるぞ。其方はあの『乖背の魔女』アデラ・・・ボスに用があるようじゃな」
「ドミナから聞いたの? それなら話は早い」
ヴェイラが尻尾をぶんっと振る。
「其方が探し求めておるのは、マキナという名の人物じゃったな」
「うん」
ヴェイラが間を置いて、次の言葉を口にする。
「――マキナというのは、『テンペスト』のボスのことじゃ」




