4「復活」
アデラはマキナやシンイ、キョギに関する記憶、自分が封印された際の記憶を失っている。それ以外の過去の記憶は覚えている。
アデラはまた眠っていた。体を起こして、ぼんやりとした視界の中ベッドを降りる。
顔を洗いに川へ向かった。川のせせらぎが耳に心地よい。両手で水を掬い、顔にびしゃりとぶつける。水の冷たさが脳を目覚めさせた。
布巾で水を拭き取ってから家に戻る。鶏舎の方で鶏が餌を求めて騒いでいたので、すぐに餌をやった。それから花畑へ水やりだ。
如雨露に川の水を注ぎ、アデラはゆっくりとした足取りで花畑へ向かう。到着して色とりどりの花々が出迎えてくれると、アデラは小さく微笑んだ。
「今日も元気だね・・・」
アデラは話しかけながら、水をかけて回る。花畑の半分に差し掛かったところで、不意に誰かの気配がした。
「誰・・・?」
アデラは如雨露を握りしめて辺りを見回す。しかし、誰もいない。気のせいだったのかと思い、アデラは水やりの作業へ戻る。花畑の花へ全部水をかけ終わると、再び誰かの気配を感じた。
「何・・・?」
アデラは如雨露を元の場所に戻し、気配のする方へ向かう。最初は歩いていたが、段々と焦燥のようなものに駆られ、走り出す。心の奥底に眠る狭苦しい感情が呻いている。
ダイアが戻って来たのだろうか。ウツグがやって来たのだろうか。それともティアーか。
一体誰がこの空間にいる。
空間の端の方、外観は地平線にまで草原が続いているようにみえるが、見えない壁が存在する。そこに到達しても尚、誰の姿も見当たらない。
「誰かいるの・・・?」
呼びかけてみるも反応はない。
「おかしい・・・」
すると次の瞬間だった。突如として空間に異変が生じる。慌てて辺りを確認してみれば、空に大きな亀裂が入っているではないか。
何者かがこの空間へ無理に侵入したのだろう。
「『乖背の魔女』アデラ・・・」
男の声だ。突然目の前に黒い靄が現れたかと思えば、そこから一人の男が男が出現した。
「ようやく見つけたぞ・・・ははっ」
白い髪、血走った両目。唾を飛ばして笑う男。
「我は『殫嗟璱魔――第一ノ璱魔』グジレ。貴様を回収しに来た」
殫嗟璱魔。それはかつてデサイアを殺した男が所属していた、最悪の組織の名――。この世界において、神をも超える実力者の集まりであり、彼らは皆各々の野望を叶えるために行動している。
アデラの足が震える。途端、彼女はその場で腰が抜けてしまった。
「嘘・・・そんな・・・」
「我が恐ろしいか? 怖いか?」
グジレと名乗った男が、舌なめずりをしながら近付いてくる。彼から放たれる瘴気のようなものが、草原の草を枯らしていく。彼が一歩一歩と足を踏み出す度に。
「封印されし魔女よ。今こそその力を我に寄越すのだ――」
グジレがアデラの首を掴んだ。彼の手が触れた個所から、徐々にアデラの皮膚が火傷のように爛れて広がっていく。
アデラは痛みのあまり、声にならない絶叫を上げた。
「我の前任者を殺した実力者であり、唯一神へ対抗する能力を持った魔女。其方の力さえあれば、我が崇める『黒龍ウロボロス』様を呼び起こすことができる――」
グジレが手に力を込める。アデラの首に彼の指が食い込んでいく。
次の瞬間だった。アデラの右手の甲に、とある紋様が浮かび上がっている。三つの十字架を交差させたような形の紋様が光ると同時に、突如として空間が切り替わった。
何もない真っ暗闇の世界。先ほどまでグジレが掴んでいたはずのアデラは消えている。
「はて・・・」
グジレが辺りを見回す。
「逃げられたか・・・それにしても、あの紋様は・・・」
グジレが顔を歪めて笑う。
「『幽鬼の紋様』・・・! 間違いない、間違いないぞ・・・!!」
彼の猟奇的な笑い声は、暗闇の世界に響き渡った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
なんとかグジレの魔の手を掻い潜ったアデラだったが、彼女の首には痛々しい火傷の痕が残った。焼け爛れ、肌が破れている。アデラは治療魔法をかけ、火傷を治す。
「はぁ・・・一体何が・・・」
本来ならアデラはグジレによって殺されるはずだった。右手の甲に浮かび上がる輝く紋様。きっとこれが彼女を助けてくれたのだろう。
草原の世界、空に開いた亀裂は埋まっている。アデラは立ち上がって辺りを確認した。どこにもグジレの姿はなく、気配すら感じない。
しかし直後、不自然な微風が後ろから吹いた。
「今度は何・・・?」
アデラは急いで振り返る。するとそこには――。
「アデラ様」
どこかで見覚えのある青年がいた。
「お久しぶりです」
穏やかな表情。耳心地の良い優しい声。
アデラは思い出そうと必死に記憶を探る。しかし、どうしても彼に関する記憶は見つからなかった。
「あなたは・・・」
だが、アデラの心には激情が渦巻いた。この感情は一体何なのだろうか。男に対して、どうしてこのような感情を抱くのか。
目が熱い。喜びか、悲しみか。なぜか涙が流れる。
「ごめんなさい・・・私、もう、何もかも忘れて・・・」
アデラが膝から崩れ落ちた。
アデラは自分がどうしてここにいるのかも、誰に育てられたのかも覚えていない。ただ彼女が覚えているのはデサイア、ティアー、キョーネなどの同じ魔女の記憶だけ。
都合のいいように書き換えられでもしたのか、そんな記憶量だ。
「気にしないでください。いずれ、思い出しますから」
青年が優しく言って微笑む。
「先ほど手に浮かび上がった紋様があると思います。あれは・・・『幽鬼の紋様』はアデラ様の身に何かあった時のためにと、キョギと協力して貴方様を封印する際に刻んだものです。その紋様が浮かび上がった時、僕の魂が一時的に貴方様の元へ呼び戻されるのです。今の僕にもまだ、貴方様を助けられるほどの力は残っていますから」
青年は言葉を続ける。
「マキナ・・・ええ、アデラ様はマキナと会う必要があります。彼女が――貴方様に全ての真実を教えてくれるでしょう」
「マキナ・・・うん、分かった」
涙を拭い、アデラは立ち上がる。
「アデラ様」
青年が笑いかけてくれる。
「一緒にこの空間を出ましょう。今こそ封印から目覚める時です」
彼がそう言った瞬間、この空間に亀裂が入った。空間が罅割れ、地上に欠片を落とす。
「さあ、行きましょう」
彼が手を差し出してきた。アデラはその手を取る。大きくて、温かい手だった。
アデラは思わずドキリと胸を高鳴らせる。
「目を瞑ってください」
「うん・・・!」
その瞬間、瞼の裏まで透けるほどの強い光が生じた。光はすぐに消えたが、同時に青年の手の感触も消えてしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
どこかで横になっているのだろうか。全身を硬い何かに包まれている気がする。
アデラは目を開いた。真っ暗闇。手を上へ押し出すと、硬い何かに触れた。力を込めると、その何かが動いた。
どうやらそれは蓋だったようで、アデラは体を起こした。目が慣れず、頭が痛い。長いこと眠っていたのだろうか。視界がはっきりとするまでにしばらくの時間を要した。
「ここは・・・?」
アデラが立ち上がる。自分が先ほどまで眠っていたのは棺桶だった。何もない空間、真っ白な壁。見たことのない照明器具が天井にぶら下がっている。だが、照明器具は光を放っていない。
アデラは部屋を歩く。靴は履いていなかったようで、裸足のぺたぺたという足音が辺りに木霊した。
真っ白な壁の通路を進んでいくと、広い空間に出た。やはり何もない。幾つかの通路に分かれているだけの空間だ。
その内の一つへアデラは進んでいく。しばらくして曲がり角に直面する。曲がった先、その最果てに光があった。
アデラは心なしか早歩きでその光の元へと歩み入った。瞬間、光が彼女の体を包み込んだ。
そして――とある地下鉄に出た。
「どこだろう・・・」
見たこともない場所。見たことのない服装の人々。見たことのない機械。見たことのない乗り物。
アデラは瞬時にここが遠い未来の世界であることを悟った。
先ほどまで歩いていた通路は消えていて、振り返るとただの壁になっている。彼女は取り敢えず階段の方へと歩いて行った。
すれ違う人々の視線はアデラに集中する。彼らは何か言うわけでもなく、一瞥だけくれてそのまま立ち去っていく。
アデラの恰好は場違いだった。彼女は真っ白なローブに身を包んだだけの恰好。裸足で歩いているのも彼女だけだ。
「マキナ・・・」
青年が口にした人物の名を、彼女は呟く。
アデラは階段を上る。
上り切った先、高層ビルの立ち並ぶ灰色の都市が、彼女を出迎えた。




