1「出会い」
――遥か昔。
彼女は意を決して夜の酒場へと飛び込んだ。名はアデラ。魔界で生まれ育った十六歳の少女。魔界では成人が十五歳以上と定められ、もちろん飲酒も可能となる。
「私だって、もう大人だし。みんな子供扱いするけど、もう子供じゃないんだから・・・!」
アデラは大股でずかずかと酒場の扉を開いた。客たちの談笑する声が耳に広がる。客席を横切って奥のテーブル席へ向かう。その際、おひとりさまのアデラへ、談笑を繰り広げていた客の幾人かが目を向けた。
アデラは知っている。彼らがアデラに対して劣情を抱いていることを。
要因としては彼女の外見にある。まず見かけない、透き通るような美しい白い髪。燃え盛る炎のように煌めく紅い瞳。少し幼さの残った顔つきは、庇護欲を掻き立てる。しかし、凛々しい眉が彼女自身の強さを証明していた。
「お嬢さん、こんなところに一人で来たのか?」
筋骨隆々とした、剣士の男に呼び止められた。アデラは溜め息を吐く。
「ええ」
「このあたりの治安の悪さを知ってんのか? 女一人、夜の街は危ねぇぞ」
ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべ、男は卑しい目付きをする。しかし、アデラはそれに対し毅然としていた。彼の台詞を鼻で笑い返す。
「お嬢さん、ちと俺たちと飲まねぇか?」
剣士の男と呑んでいたもう一人の、痩身の男が下卑た笑みを浮かべてそう言った。
「結構よ。私は一人で飲むので」
「つれねぇなぁ・・・きひひ」
すると突然、剣士の男が立ち上がった。アデラよりも頭一つ、いや、頭二つ分ほど背の高さに差がある。彼を見上げた後、アデラの視線はふと酒場の入り口の方へ向かう。入り口にはアデラと同じように一人の女性がいた。
彼女はやけに目立つ美しい赤い髪をしていた。彼女はこちらに近付いてきて、アデラを脅すように立っていた男の肩に触れる。
「君たち、そこまでだよ」
思わずアデラは彼女に見惚れてしまった。天姿国色、そう呼ぶに相応しいほどこの女性は美しかったのだ。酒場にいる全員の視線が、彼女に集中している。
「な、なんだてめぇ」
「どうしたの? ボクに触ってもらえたのがそんなに嬉しい?」
いひひ、といじらしく少年のように笑う女性。彼女は自分よりも背の高い男の肩をぽんぽんと調子よく叩くと、アデラの方へ歩み寄って来る。
「君、大丈夫だった?」
その瞬間、アデラの心に反発したくなる衝動が芽生える。
「あなたが来なくても大丈夫だったのに・・・まあ、礼くらいはしておくわ」
「素直じゃないなぁ」
アデラは顔を上げて彼女を睨み付ける。正直、彼女には感謝している。ただ、どうしても子供扱いされている気がして、素直に礼を言うことができなかった。守られるばかりは嫌なのだ。
女性はアデラと目線を合わせるように少し屈む。その時、彼女の長い赤髪が揺れた。穏やかな視線を向けて、彼女は口を開く。
「それで――君は何歳かな?」
その途端、アデラは途轍もないほどの激情を覚えた。
「わ、私は・・・」
アデラは声を震わせる。
「子供じゃない!!!」
女性に言い放ち、距離を置く。頬にまで血が上り切ってしまっている。
すると、アデラの反応が面白かったのか、女性は吹き出して笑っている。
「あはは、ごめんごめん。つい、子供に見えてね。で、実際はどうなの? 何歳?」
「お、大人の女性に年齢を聞くのは失礼だわ」
「いくつ?」
一瞬だけ、女性が凄まじい威圧感を放った。その凄絶なオーラに、アデラは怯えたように肩を跳ねさせた。
今は女性の美しい姿が、美しいまま悪魔へとなり変わっていた。
「じゅ、十六歳・・・です・・・」
アデラは必死に声を絞り出して返事をした。
「十六歳って、ボクと同じだ」
「え?」
アデラは耳を疑った。自分よりスタイルも良くて、顔も良い。そんな人物が果たして本当に自分と同じ年齢なのかと。そう疑わずにはいられなかった。
「てめぇら、俺たちを置いて盛り上がってんじゃねぇ。そこの女、邪魔すんなら容赦しねぇぞ」
剣士の男が剣を取り出そうと、背に手を伸ばした。彼は背に大剣を背負っている。この距離感であの巨大な剣を振り回されれば、ひとたまりもない。
「このダンダ様を怒らせたらどうなるか、思い知らせてやらぁあ!!」
男が女性に向かって大剣を振り下ろした。しかし、女性は慌てた素振りも、怖がる素振りも見せずにじっとその一撃を眺めていた。
アデラは急いで目を瞑る。これからの惨状を予期しての行動だ。だが、肉の切れる音も、骨が砕ける音も聞こえず、剣が空を切る音だけがその場に響いた。
「はぁ、全く・・・」
女性が溜め息を吐きながら言った。
アデラは急いで目を開ける。
すると、いつの間にか女性は男の背後に回り込んでいた。彼女は不敵な笑みを浮かべながら、男の腕を掴んでいる。
「ボクが誰だか、君は知らないみたいだね。これでも、天才だのなんだのうざいくらい世間からは騒がれているんだけどね」
「なっ、まさかてめぇは・・・ぐわぁあああああ!!!」
女性の指に力が籠る。途端、男が絶叫した。彼の腕が女性の手の形に、徐々に徐々に凹んでいく。
「き、貴様・・・!!」
もう一人、彼と共に飲んでいた痩身の男が懐から寸鉄を取り出して襲ってきた。女性は剣士の男を投げ、襲いかかってきた痩身の男へと華麗に投げつけた。同時に気を失ったようで、男たちは動かなくなった。
すると、酒場で一斉に拍手が沸き起こる。皆、この騒動を見守っていたようだ。
「いやぁ、なんだか恥ずかしいね」
女性は恥ずかしそうに笑い、頬を指で掻く。
「さてさて、君はここに折角飲みに来たんだ。良かったら、ボクと同席しないかい?」
「私は一人で十分よ。それじゃ」
「ちょっと待ってよぉ」
女性に腕を掴まれた。振り払おうとしたが、振り解くことはできず。
「お願い」
先ほど男が腕を掴まれていた時の光景を思い出し、アデラは渋々頷いた。痛いのはごめんだ。
そして彼女と共に奥のテーブル席へ。向かい合うようにして座った後、お互いに自己紹介を始めることに。
「ボクはデサイア。よろしく」
その台詞を聞きながら、アデラはじっとデサイアの胸を見つめる。
「大きい・・・」
「ねぇ、聞いてる?」
「こほん、失礼。私はアデラよ。上級魔法士を目指しているわ」
アデラがデサイアと張り合うように、その小さな胸を張った。すると妙に狼狽えたデサイアの表情が目に入った。
「アデラ・・・まさか君は――」
デサイアの豹変した態度を見兼ねたアデラが溜め息を吐いて、彼女の顔を覗き込んだ。それに気付いたデサイアは誤魔化すようにあははと笑い声を上げる。
「よろしくね、アデラ。君は上級魔法士を目指しているんだね」
「ええ、そうよ。今はまだ中級魔法士だけれど、来週に行われる上級魔法士の試験を受けるつもり」
アデラの言う『魔法士』とは魔界において、魔法を専門的に扱う者のことを指す呼び方だ。人間界では魔法使いなどと呼ぶ。
魔法士には位があり、低級、中級、上級の三つが存在する。それぞれ使える魔法が制限されており、低級魔法士であれば低級の魔法しか扱ってはならず、中級であれば低級と中級の二つ、上級であれば、低級、中級、上級全ての魔法を扱うことが許されるのだ。
魔法士の資格を取得するチャンスは年に二回。魔王軍と呼ばれる魔界の軍事組織が直々に、春の半ばと冬の半ばに試験を開催する。
アデラが受けるのは後者の、冬の半ばに行われる試験だ。彼女は春の試験を見送り、冬の試験に向けて自己研鑽を積み重ねてきたのだ。
「君に一つ聞きたいんだけど、どうやら君はボクの名前を知らなかったみたいだね。大して動揺していないみたいだし」
「動揺するも何も、あなたの名前をどこかで聞いた覚えはないわ」
アデラはそう吐き捨てる。すると、突如としてデサイアがアデラの両手を握った。彼女は獅子のような金色の瞳で顔を覗き込み、にこりと満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうアデラ。無知でいてくれて」
「馬鹿にしてるわねそれ」
「してないしてない。むしろ褒めてるんだよ。君がボクを持ち上げるような有象無象じゃなくて、本当に嬉しいんだ」
アデラは気まずくなって目を逸らす。
「あなたが持ち上げられるってどういうこと? そう言えばさっきもあの連中に『ボクのこと君は知らないんだね』とか言っていたような・・・」
「ああそうだね。実を言うと、ボクは魔王の後継者なんだ」
「は?」
アデラは呆れるあまり体内の空気を全て吐き出したような、長い溜め息を吐いた。
「ごめんごめん。今のは冗談だってば。あはは・・・」
「笑えない冗談ね。全く。あなたが魔王の後継者なわけないでしょ」
アデラはふと魔界の状況を思い返す。現在、魔界には魔王がいない。十数年前、人間との戦争中に魔王は姿を晦ました。そのため、今は代理として魔王が統率していた組織、魔王軍の総隊長が魔王を務めている。
行方不明となった魔王には跡継ぎの者が存在したそうだが詳細は不明。彼の妻は戦死している。そのため、彼に近い血筋である貴族たちが魔王の座を巡って、度々争いを起こした。しかし、魔王軍によりそれらは一斉に制圧。
現状としてはこうだ。
「で、本当の答えを教えて」
アデラが追及する。彼女の赤い瞳が、鋭く威圧を放っていた。
「今言わなくてもその内分かるよ」
「――っ! やっぱり私のこと揶揄ってるでしょ」
「あはは。ごめんね。やっぱり秘密」
「こんのぉ・・・!」
アデラは拳を作って力をぐいと込める。あはは、というデサイアの笑い声がいつまでも脳裏に媚り付きそうだった。
「ところで、お酒を飲みに来たんだよね。早く注文しようよ」
「え? あぁ、そうわね。早く注文しましょ」
メニュー表と思しき、文字の書かれた紙きれを見通す。商品名の隣に記載されている値段と、持って来た金の数を見比べた。ぎりぎり足りない。
「どうしたの」
「お金が足りない・・・」
「そっか。なら特別にボクが奢ってあげるよ」
「お願いします」
すると突然、デサイアがニヤニヤし始めた。彼女はもう一つのメニュー表を手にじっと眺めている。
「それにしてもアデラ。君は大変だね。お小遣いだけで暮らすなんて」
「お小遣い・・・!? ち、違うわよ!! ちゃんと魔法士として働いて稼いでるし」
嘘だ。魔法士は魔法を使って働くことができるが、中級では職に就くことはできない。現状、アデラは家族から小遣いをもらって生計を立てている最中だ。
「嘘、だよね」
「嘘じゃないわ! 神に誓ってもいいわよ」
「あはは。まあそれは置いて、何のお酒がいいか決まった?」
あっとした顔で、アデラはメニュー表に目を落とす。様々な種類の酒が羅列しているが、今まで一度も飲んだことのない上に全くもって知識のないアデラには決められなかった。
「どれがいいのかしら・・・」
自分にしか聞こえないよう、そう呟く。こうなる前に知識を蓄えておくべきだったとアデラは後悔する。
このままではデサイアにまた揶揄われてしまう。そう思ったアデラは、一つの解決策を閃いた。
「デサイア、あなたのおすすめはどれ?」
「おすすめ・・・? んー、ボクは絶対にこの『ゲキカラビール』を飲んでるよ。この酒場に来たらいつも飲むんだ」
「なるほど」
何やら物騒な名前のお酒だった。アデラは内心不安に思いつつも、彼女のおすすめを聞き入れることにした。
テーブル端にあった鈴を鳴らして店員を呼ぶ。店の奥から慌てて駆けつけた青年に、先ほどデサイアからおすすめされた商品名を告げる。アデラが注文を終えると、デサイアもまた注文をした。
「じゃ、ボクはこの『ひんやりビール』で」
青年が二人の注文をメモして、厨房の方へと消えていく。アデラはいよいよかと、緊張した表情に。
「ついに私も・・・初めてのお酒・・・!!」
期待と緊張で強張ったアデラ。そんな彼女を見つめるデサイアが悪戯な笑みを浮かべていた。
この時、アデラは緊張のあまり気付くことができなかった。デサイアがおすすめしたお酒と、彼女が注文したお酒が違うことに。
数分経って、お酒が運ばれてきた。ジョッキに注がれた赤色の液体が、アデラの目に留まる。
「何これ・・・普通こんな見た目なの・・・?」
アデラの物と比べ、デサイアが注文したお酒はビールらしい普通の麦色だった。
「デサイア・・・!! よくも私を騙したわね!!」
アデラは顔を真っ赤にして立ち上がる。しかし、酒場に入り浸っていた他の客たちから視線を浴びせられ、そそくさと席に座る。
「あはは。ごめんってば。君の反応が可愛いから、また見たくなってつい」
「いくらなんでも流石にこれは・・・」
赤色の、マグマのような液体が視界に入る。ドロドロと泡立つそれは、まるで生命体のように蠢いている。
「飲んでも死なないわよね・・・?」
「大丈夫。飲めないならそもそも販売なんてできないから」
「確かに」
デサイアの言う通りだが、どうしても体が目の前の液体を拒んでいる。アデラは固唾を飲み、ビールの入ったジョッキの持ち手を掴んで一口だけ、ゆっくりと口に含んでみた。
その瞬間、口内に爆発するような辛味が広がった。
「か、辛い・・・うぅ・・・」
辛さのあまり、アデラの目に涙が浮かんでいる。舌が真っ赤に腫れているようなじんじんとした痛みを感じて、ますます彼女は涙を溢れさせる。
「ご、ごめん! ちょっとやりすぎたよ。ボクがそっち飲むから、アデラはボクのを飲んで」
「もうやだ・・・帰りたいよぅ・・・」
「本当にごめんってば!」
頭を下げ続けるデサイアと、鼻を啜って泣くアデラ。しばらくしてアデラは落ち着き、二人は注文したお酒をそれぞれ交換した。
「あんまり美味しくない・・・」
アデラは顔をしかめながら、デサイアの頼んだ『ひんやりビール』をちびちびと飲んでいる。
「何を言うんだい、お酒は美味しいじゃないか」
「私にはまだ早かったかも」
デサイアはあのマグマをごくごくと飲み干して、ぷはぁと盛大に息を吐いた。
「それにしても、よくそれを飲めるわね」
「一度このビールは飲んだことあるからね。おかげで耐性が付いたのか、大抵の激辛料理を食べられるようになったんだ。あはは」
「味覚を狂わされたのね・・・」
あのマグマを美味しそうに味わったデサイアへ、アデラは哀れむような目線を送った。
「アデラ、飲めないなら君の分もボクが飲むよ。あはは」
「べ、別に飲めないわけじゃないわよ! 私だって大人だし、これくらいどうってことない・・・」
「あはははは」
デサイアはもう酔いが回っているのか、頬をほんのりと赤らめて豪快に笑っている。あのマグマも、一応お酒に分類されるのだったと、アデラは今思い出した。
テーブルの上に乗ったジョッキが目に入る。マグマとは打って変わり、このビールはひんやりと程よい冷たさ。辛くはないし、特段に見た目が悪いことも歪な味がすることもない。
これ以上お酒を飲むことに抵抗を感じるのが、アデラにアルコールへ対する耐性がないのが原因で、独特のにおいと味に参ってしまうのだった。
アデラは意を決し、勢いよくお酒を飲み干した。
「うぷっ・・・やっと飲めた・・・これで私はようやく晴れて大人の一員に・・・!」
「偉いっ!! 偉いねアデラぁ」
「完全に酔っ払ってるわね・・・」
一人で楽しそうに笑うデサイアを見て、アデラは溜め息を吐いた。あんな風に取り乱したくはないものだ。
しかし、その気持ちとは裏腹に、アデラの体が浮遊感のような感覚を覚える。もしや、これが酔いか。
「らめぇ・・・頭がふわふわしてきたぁ」
呂律が回らない。頭がぼーっとする。アデラはテーブルの上に上半身だけ臥せると、なぜかそれが面白く感じてきて笑みが零れた。
「えへへ、しあわしぇぇ・・・」
「アデラぁ、お酒っていいでしょ」
「えへへ、そうだねぇ」
二人の酔っ払いが顔を赤くして、語り合う。その後、気が付けばアデラは気を失っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はっ、私は一体何をして――」
アデラは目を覚まして飛び起きた。見慣れた風景が目に入る。
狭い部屋、散らかった机、ついでにと言わんばかりに存在する小さな窓。ここはアデラの部屋だった。
「もう朝・・・それになんだか、頭が重い・・・」
頭を押さえて記憶を呼び起こす。曖昧だが、酒場で誰かとお酒を飲み交わしていた景色が蘇った。
「確か私は、凄く美人な人と一緒に・・・一緒に」
ベッドの上で体を動かす。少し体の感覚が鈍い。寝起きだからだろうか、とアデラは勝手に解釈する。
すると、突然手に柔らかい感触が走った。
「え」
手の方を見ると、胸があった。
「え、え、え・・・」
理解が追い付かない。アデラは咄嗟に手を引っ込めた。隣には裸の美女がいた。赤く艶のある美しい髪が視界に入ると同時に、昨日の記憶が鮮明に蘇った。
「私は一体、デサイアと何をしたの・・・!!??」
アデラの大声が部屋に響いた。




